第弐部拾漆話
屈託の無い笑みに恐怖を感じたのは、当事者の慶達どころか、その場にいた野次馬の学生達もだろう。
青海高校に籍を置いていて、星野浩明が天統家の人間に持つ悪感情を知らない人間はモグリである。
過去の過ちを謝罪したい、やり直したいと総一郎達が声を掛ければ、返ってくるのは他人行儀の態度と正論攻めの罵倒の言葉。
軽蔑の言葉と侮蔑の眼差しを向け、関わるつもりの無い浩明と、最早、永久に取り戻す事の出来ない家族の繋がりを求める嘗ての兄妹、決して交わる事の無い平行線である。
それが分かっているだけに周囲の人間はこの状況を固唾を呑んで見ていた。
「実は、私達も本日はお弁当を作って参りまして。是非とも御一緒させて頂きたいのです」
「ご、ごめんなさい。今日はこの六人だけで話したい事も有るから……またにしてくれないかな」
「せ、席も空いてないからね」
苦笑を浮かべた慶と絵里が、やんわりと断りの言葉を返すと、「そうですよ」と凪が続いた。
「せっかく楽しく食事してたのにね~」
心底、気分を台無しにされたと批判的な言葉と共に、右隣の浩明に左胸を押し付けるように寄りかかり、見せ付けるように挑発的な笑みを向ける。
それを見て、総一郎が眉をびくりと歪め、雅は表情こそ変えてはいないものの一瞬、動きが強張らせる。
「ま、まぁまぁ、そんな事を仰有らずに、宜しいではありませんか」
しかし、すぐに持ち直すと、風呂敷包みに包まれたそれを、雅がテーブルの空いてる場所に置き、包みを広げ始め、総一郎は自分達、二人の椅子を空いていた隣の席から二脚、取ってきている。またの機会が来る事などありえないからである。
「ちょっと二人とも!」
許可を得ようとしながら、既に許可は得たといわんばかりな行動。余りに身勝手で自然な動作に慶が止めるように声をかけるが、雅は聞く耳を持たずに、包まれていた三段重ねの重箱を広げ、「いかがでしょうか?」と聞いてくる。
「これは……」
雅の広げた重箱の中身を見た浩明は目を細める。
サンドイッチや定番の揚げ物やサラダ等、彩り豊かな料理が丁寧に散りばめられている。
慶達が作った方が手作り感を感じさせるのとは対照的に、雅の出した方は料亭の仕出し弁当を思わせる豪華さを印象付けている。
「さぁ、お兄様、そのような下品な女が作った貧相ものではなく、私の方を召し上がってください」
「はぁ、何ですって!」
これに凪が立ち上がって怒りの言葉をぶつけた。
浩明に食べてもらいたくて作った料理を馬鹿にされたのだ。当然である。それも自分一人で作ったのならともかく、慶や絵里、紫桜に手伝ってもらい、皆で作ったものなのだ。聞き捨てられるわけがない。
慶、絵里、紫桜の三人も同様に、嫌悪の表情を二人に向けている。自分達の作ったものにケチを付けられて気持ちの良い人間がいるわけがない。ここに至って、雅は自分の失言に気付いた。
「雅ちゃん、今のはどういう意味かな? このお弁当、皆で作ったものなんだよ」
「え、いや、その……」
慶に咎められて、総一郎と雅はばつの悪い表情で見合わせる。この場において、唯一、味方になってくれそうな相手からの詰問だ。上手くいけば取りなしてもらえるだろうと、打算もあった二人だが、雅の失言によって完全に自滅した。
「し、失礼しました。そのようなつもりで言ったのでは……」
「じゃあ、どういうつもりだったのかな?」
取り繕おうと謝罪するものの、雅の口から弁明の言葉が出る前に、慶が聞き返した。ただでさえ、自分達の言葉に耳を貸さず、居座ろうとしたのだ。見過ごすわけにはいかない。
「そ、それは……」
「星野はどこだぁ!」
しかし、続けようとした言葉は、怒号によって止められた。
ここにいる筈の無い者の声に、視線が一斉に声のした方へと向いた。
理事長、京極由乃が立っていた。
息を切らせ、殺気立った雰囲気を隠さぬ姿に、全員が思わず息を呑んだ。
普段の凛とした姿からは考えられない程に怒り狂っているのは明らかだ
「え、ね、姉さん、どうしたんですか?」
呆気に取られたような声が紫桜からもれるが、目的の浩明の姿が目に入った由乃は、それを無視して浩明に詰め寄った。
「お前、この盗聴器発見器の領収書はなんだ!」
盗聴器
由乃から出た単語に、学生達の空気がまた一段、凍った。
「必要だったからです。それに関しては、風紀委員長を通して報告した筈ですよ。少々、高額でしたので学校側で予算を融通してもらえないかと思いまして」
「そういう意味で聞いてるんじゃないだろ!」
見当違いの言葉に、由乃が突っ込む。値段の話をしているわけがない。
「具体的に話せと言っているんだ。なんで盗聴されてると思って、どこで見つかって、どんな形で、今はどうなっているのか。全て話せ!」
「分かりました」
押し迫った由乃に、浩明はたじろぐ事なく答えてから続ける。
現場の近くで電話をしていた際に、通話画面と音声の乱れが気になったからだと説明した。携帯端末で電波を拾う事は出来るが、発見するには、やはり盗聴器発見器が必要だから購入したと説明した。
「それで、盗聴器は見つかったのか?」
「はい、旧校舎で。朝一番に星野と二人で見て回ったらすぐ見つかりましたよ。念の為ですが、現場に落ちていたゴミも全てそのままにしておきました」
外して犯人に気付かれては意味がない、場所だけは分かるように印をしておいた、酒井がそう答えると、由乃は「分かった」と納得して答えた。
「それなら、直ぐに旧校舎に立ち入り禁止にする。後は警察に通報して、放課後、徹底的に調べてもらうよう手配するからお前達も立ち会え。いいな」
現状、出来るのは現場への立ち入り禁止措置だけだろう。由乃の指示に、二人は分かりましたと答える。
「全く……。今年は本当に厄年だな。あぁ、胃薬。胃薬」
指示を終えた由乃はスーツのポケットから胃薬を取り出し口に入れる。新学期を迎えてまだ数ヶ月の間にここまで問題が起きる年も早々ないだろう。すっかり胃薬が常備薬となっている。
「へぇ、これが発見器なんだ。これ初めて見たわ。ちょっと見せてよ」
場の空気が落ち着いたのを悟った凪は、浩明の手から発見器を取ると興味深く見始めた。
「私にも見せてよ」
一緒になって見始めたのは絵里だ。新聞部の立場としては、興味を抱かないわけがない。
「お二人共、それは玩具ではありませんよ」
「え~、いいじゃん。ちょっと使ってみても」
浩明が窘めるも、電源を見つけた凪は、試しに発見器の電源を入れる。
「後は、アンテナを立てて……え?」
「ん?」
「……どうかしましたか?」
発見器を見ていた二人の表情が急に曇った事に、浩明が声を掛ける。
「ほ、星野、これ……、反応してない?」
「はい?」
問われた浩明は、凪から発見器を受け取り、自分でも操作して反応を見る。
「……反応してますねえ」
電波を受信した事を示す赤い点滅を繰り返しているのを確認して答えると、周りが騒がしくなった。自分達のいる場所に盗聴器が仕掛けられている可能性が有るのだ。当然だろう。
「星野、どこに仕掛けられているかわかるか?」
「おそらくですが……」由乃に答えてから、発見器を東西南北と全方向に向けて反応を確かめると、一番、反応の強い場所に改めて向ける。
「やはり、ここのようです」
「え、わ、私?」
発見器は慶に向けられていた。
「おいおい、会長が盗聴してたって言うつもりかよ」
酒井が聞くと浩明は、「いえ、正確には……」と、慶に向けていた発見器を下に向ける。
慶の鞄である。凪と絵里が頷き合い、それを掴んだ。
「会長、ちょっと失礼しますね」
一声、断りを入れると空いていた横のテーブルに置き、鞄を開き中身を出し始める。
化粧品、手鏡等の小物、全て出し終えると、空になった鞄を外側と内側から両手で押さえて違和感のある場所を探し始める。
「ん?」
何度か繰り返すと、目当ての物はすぐに見つかった。
絵里の手の平の中に有った物。使われていなかった外側のファスナーポケットから出てきた薄い数センチ四方の小型の機械、盗聴器であった。
「おいおい、マジかよ……」
酒井が頬を引き攣らせ、絞り出すように洩らした。他のメンバーも同様だろう。
「ちょっと、なんで私の鞄にそんな物が入ってるのよ!」
まさかの展開に、慶が声を荒げる。自分の鞄に盗聴器が仕掛けられていれば当然の態度であろう。
「星野、真っ先に発見器を会長に向けてたけど、もしかして分かっていたの?」
真っ先に言葉を挙げたのは凪だ。発見器が反応してからの一連の流れで、浩明は慶に見当を付けていたのは一目瞭然だ。
「星野、気付いていたのか?」
全員の視線が浩明に向けられる中、代表して由乃が切り出した。
「気付いてはいませんでした。ですが、推測を重ねたうえで、もしかしたらと思っただけです」
「どういう事だ?」
由乃が聞き返すと、浩明は導き出した推論を口にする。
「気になったのは天統家の御令嬢が持ってきた重箱の中身です」
雅の持ってきた重箱の中身を指差した。
「弁当がどうしたんだ?」
「これはまた随分と豪華ですねえ。ここまで豪華なのは百貨店の弁当売場でしか見た事が有りませんよ」
「当然ですわ。お兄様に喜んで頂きたくて、丹精込めて作ったのですから」
手放しの称賛に、雅は誇らしげに胸を張って笑みを返した。
「そのようですねえ。ところで、中身なのですが、私の皿に盛り付けられているものと同じ料理が目立つのですが?」
自分の前に置かれた皿を見せる。
「そ、それは……定番の料理を選んだつもりですわ」
「そうですか……確かに定番のものばかりですが、この皿に盛り付けられた料理にはもうひとつ共通点が有るんですよ」
「共通点?」総一郎が聞き返した。
「灯明寺、料理を盛り付けてくれたのは君ですが、どういった基準でこれを選ばれたのですか?」
「そ、それは……わ、私が作ったからよ。ま、まぁ、会長や部長に教えてもらったけどね」
自分の作ったものを食べてもらいたい。当然の行動だろう。それをまさか、このような目立つ場所で言う事になるとは思わなかった凪は、僅かに頬を赤く、語尾を小さくさせて答える。
「そう、御令嬢が用意した弁当には、灯明寺の作った料理が全て入れられているんです。一、二品なら兎も角、ここまで重なれば、これは偶然で片付ける事は出来ないのではないですかねえ」
「そ、それは……」
偶然と言うには出来すぎている。どこかで情報を得なければ不可能な話だ。
「い、言いがかりですわ!」
「そ、そうだ! 大体、なんで会長にそんな事する必要があるんだ!」
疑念の目を向けられて、雅と総一郎が真っ向から否定するも、無視して浩明は続ける。
「仕掛けたのは昨日の夕方、会長が書類に目を通していた時です。鞄から会長が目を離した隙に仕掛けたのでしょう。目的は恐らく、爆破事件の情報を得るため。事件関係には一切、関わる事を禁じられていましたからねえ。そうでもして、情報を得ようとしたのでしょう」
業務に集中させれば、盗聴器を慶の鞄に仕掛けるのも容易な話だ。
「それで、昼食会の事を知って、自分達もお弁当を作ってきたわけか……」
喫茶店での話し合いの後、女性陣、全員で買い出しに行っていたのだ。作るおかずから役割分担まで筒抜けだったのだろう。
成程と絵里が腕を組み、何度も頷くが、まだ疑問が残っている事に気付いた。
「それじゃ、なんで、灯明寺さんの作ったものを選んで作ってたのよ?」
「それは、灯明寺よりも自分達の方が優秀と証明したかったからだと思いますよ」
「優秀?」
紫桜が聞き返すと、「悪寒が走る話ですが」と、浩明は嫌悪感を浮かべる。
「灯明寺よりも自分達と一緒にいる方がふさわしいと認めさせたかったのでしょう。なにせ、私を弟だ兄だと家族ごっこに勤しみ、灯明寺を目の敵にしてますからねえ」
「あ、あぁ……」
「確かにそうよねえ」
自らを「星野浩明の相棒」を自負する凪は、浩明との和解を望む総一郎と雅にとって、目の上のたん瘤だ。なまじ、凪も浩明の立場で反論し、やり返しているのを知っているだけに、慶と絵里からは納得の言葉が洩れる。
「だからこそ、灯明寺が作った料理と同じものを選び、この場で差を見せ、辱しめようとしたのではありませんかねえ」
「うわ、しょうもなぁ……」
自分達を売り込む為とはいえ、余りにも稚拙なやり方。
凪がため息混じりに呆れの言葉を洩らすと、総一郎は凪に対して睨み付けてきた。
「そ、そんな……、私達はただ、お兄様と一緒に食事をしたかっただけなのに……」
「こんな一方的な言いがかりで犯人扱いするなんて……」
雅は涙を浮かべ、すすり泣きを始めて泣き崩れ、理不尽だと、憤りの言葉を総一郎がぶつけてくる。
同情をひく光景に、「だったら……」と、酒井が総一郎に声をかける。
「なんで斯波かなでの所に行ったんだ?」
「何?」と、酒井から問われて、総一郎は言葉を失う。
「天統、お前、斯波さんに事件の事を聞きに行ったんだろ」
「な、何を言ってるんだ。俺がそんな事なんかするわけないだろ。まだそんな言いがかりを言ってくるのか!」
「一日に何度も同じ事をって言うからには、誰かが聞きに行ってる筈だって、星野が言うから、もう一度聞きに言ったら、斯波さん、話してくれたぞ。天統に何度もしつこく聞かれたうえに、ここに来た事を黙ってろって言われたってな」
酒井と共に行動する事になった浩明が、最初に向かったのは斯波かなでの家であった。
再訪問した酒井に、不機嫌を隠す事なく横柄な態度で出てきた斯波かなでだったが、一緒にいたのが紫桜ではなく星野浩明だった事に驚き、硬直した。学内における浩明の評判もあって、酒井が言った通りの事を追及すると、全て話してくれた。最初は言い淀んでいたものの、総一郎が今回の件に関与するのを禁じられている事、そして、その総一郎に情報提供をした事で、万が一、何かあれば大谷宗家を怒らせかねない危うい立場に立たされている事を告げた結果だ。
学内において、恐れで相手を従わせる浩明である。追い詰める術は心得ている。斯波かなでに叶う相手ではなかった。
「天統君、この件には手を出さないでって、あれほど言ったよね。私の言葉は通じなかったかな?」
「……」
慶の詰問に、総一郎は悔しさを押し殺して視線を逸らせる事で答える。
「天統、詳しい話を聞かせてもらおうかな」
「……分かりました」
最早、言い逃れが出来ない事を悟った総一郎はかろうじてかすれた声で由乃に答えて、雅に広げた重箱を片付けるように促し、連行される形でラウンジから出ていった。




