陸拾漆話
現役教師による学校予算の横領、その実行犯が教え子だったという前代未聞の事件は、その顛末もあいまって学校には連日、報道陣が詰めかけ、紙面を騒がす事態となった。通報の際に保険として提出したボイスレコーダーの内容がマスメディアに流された事、そして学校側が箝口令を敷くものの、これだけの事件を前に隠す事など不可能であった。人の口には戸板は建てれない。
何より学生に衝撃を与えたのは、連行される橘達の姿だろう。
意識を失い担架で運ばれて行った小早川と明美の二人とは違い、警察官に両腕を抱えられていく姿に、学生達は息を飲んだ。
虚ろに項垂れ、自力で歩けないらしく引き摺られるように連れられる姿、その両目に光は宿っておらず、何かを呟いているかのように口を動かしている姿、それはまさしく廃人のそれであり、自分の快楽の為に罪を犯した犯罪者と言われてもすぐには信じれないだろう。
連行された橘であるが、取調室で虚ろに「こんなつもりじゃなかったんだ」と、自責の念にかられた言葉を繰り返して、取り調べが難航しているそうだ。
「……だ、そうよ」
別々に事情聴取を終えて、合流と報告を兼ねて入った喫茶店で、二人は向かい合って席に着いていた。
事情聴取で得た情報を、旬のシフォンケーキとまだ湯気を立てている無糖の珈琲を前に、携帯端末に視線を向けたままの浩明に報告した。
遅れて合流した凪はメニューと数分間の格闘の後、季節限定の苺のタルトとアイスティーのセットの注文を済ませる。「限定」と言う言葉は一番の調味料である。
本来なら、帰宅後に報告しあえばいいのだが、喫茶店を選んだのには、もうひとつ、学校から呼び出しを受けたというのも有るからだ。
無期停学処分を受けていた二人だが、今回の件で見直しが行われ、今回、処分を含めた話を改めてすると、連絡を受けた。
その為、平日の昼下がりに制服姿で喫茶店にいる二人は、店員と昼下がりを満喫している客からは怪訝な目で見られたが、気にする事無く喫茶店独特の落ち着いた雰囲気を満喫していた。
「そっちはどうだったの?」
報告を終えると、アイスティーを一口飲んで喉を潤す。ずっと話続けだったので喉が渇いていたのだ。聞き返された浩明は携帯端末をしまうと珈琲を一口付けた。
「殆んど説教でしたよ。言い分は分かりますがやり過ぎだ、だそうですよ」
それだけで凪は「あぁ~」と納得してしまう。
今回の事件、結果的に浩明は何人もの学生を病院送りにする事となったが、その全てに浩明はやむを得ず応戦という形で応じた。しかも、本来、無関係だったものを巻き込まれた形での正当防衛だから、被害者の親も事件沙汰にする事が出来ず(騒げば恥の上塗りという真似は流石に止められた)、厳重注意を頂くだけというやった事に対して余りにも軽い処分で済んだ。
「でも、意外ね。アンタなら警察に突き出す前に自分で決着着けると思ったわよ」
「私は人を裁けるほど偉くも、ましてや神でも有りませんよ」
シフォンケーキをフォークで一口分切ると口に入れて区切るってから「それに…」と切り出した。
「連日、それも大々的に名前付きで報道されてれば、例え出所しても社会的には潰れたも同然です。これ以上、関わるのはごめんですよ」
「わぁお、厳しい~」
後は勝手に自滅するだろうから手を出す必要がない、切り捨てた行為に苦笑を漏らす。若気の至りとはいえ三人は取り返しのつかない事をしてしまったのだ。厳しくもなるだろう。
「ところで、会長達との待ち合わせの時間はいつでしたかね?」
「待ち合わせ……、あぁ、学校からの呼び出しね」
関係者全員を集めての話し合いには慶と絵里にも声がかかっている。停学処分の出ていない二人は授業に出席している為、話し合い前に合流する約束をしていた。
「会長達との待ち合わせにはまだ時間はあるわ。少し落ち着いてから行きましょ」
携帯端末を取り出して時間を確認すると、二人は目の前のケーキに舌鼓を打つことにした。
「なんてこった……」
凪は思わず天を仰いだ。
生徒会室に入った二人を迎えたのは、大谷慶と里中絵里、そこまでは良かった。待ち合わせ場所を生徒会室にしていたのだから問題は無い。問題はこの場に浩明が最も関わり合いたくない人間、天統総一郎と結城このみがいた事だろう。
「なんで天統先輩達がここにいんのよ?」
凪の問いは間違いなく浩明も同様に浮かべた言葉。実際、「生徒会役員だから」だの、「自分達も関係者だ」と言われればそこまでだが、申し訳無さげに慶が浩明と総一郎とこのみを交互に見ているのを見れば招かれざる客がどちらかなのは一目瞭然だ。まさしく火に油だ。せっかく喫茶店で過ごしていた穏やかな時間を返して欲しい。
「ごめんなさい。どうしても星野君と話がしたいって言われて……」
「会長は断っていたのよ」
「いやいや、会長が気にする事では有りませんよ。悪いのは常識の無いそこの二人ですから」
止められなかった自分の責任に頭を下げようとする慶と、それを庇う絵里を制して、矛先を総一郎達に向ける。
「さすがは天統家次期御当主殿。己が生まれの権力で欲望を押し通す術をようく心得ておられる」
「ひ、浩明君、私達はただお話がしたかっただけなんだよ!」
「話って、今更何が言いたいと言うのでしょうかねえ」
毒付いた言葉が引鉄となり、総一郎は浩明の前で床に膝を付いて頭を下げる。
「浩明、すまなかった」
所謂、土下座の姿勢で浩明に謝罪の言葉を必死の形相で許しを乞う。天統家の人間が見たら卒倒しそうな光景だ。
「御当主殿、落ちこぼれの私に頭なんか下げて、どうされたのですか」
しかして、その心が浩明に届くわけがない。浩明と天統家との関係はもう終わっているのだから。
それでも総一郎は頭を地面に擦り付けるようにしたままだ。
「今回の事、本当にすまなかった。お前を疑っていたのに、浩明は俺達みんなの事を助けてくれた。なんと礼を言ったらいいか」
「御当主殿、貴方は何か勘違いをされておりませんか。何故、私が赤の他人のあなた方を助けるんですか」
涙ながらに捻り出すように出てきた謝罪の言葉を、浩明は一蹴する。
「ちょっと浩明君、その言い方はないんじゃないの」
「横領事件の出汁に使われ、私と灯明寺は無期停学処分を受けていたのですよ。そのまま退学などとなれば人生を傷を付けかねない事態です。私は真実を明らかにする事で私自身と灯明寺の名誉を守っただけですよ。助けてくれた? 思い上がるのもいい加減にしなさい!」
全ては自分達の為、礼を言われる筋合いは無い。浩明の他人スタンスは総一郎とこのみの心に重くのしかかる。
「会長、行きましょうか」
これ以上は関わるつもりはないと、慶の方へ用件を切り出す。
「分かったわ」
総一郎達を申し訳なさげに一瞥すると慶は席を立った。
「じゃあ、早速行きましょ。星野も早くここから出たいだろうし」
土下座したままの総一郎と、どうしていいか傍らに立ち尽くしたままのこのみを一瞥してから凪は三人に提案する。
その瞬間に、総一郎に睨まれるが無視する。彼女としても、これ以上浩明を刺激してもらうのは勘弁してもらいたい。後で浩明を宥めるのは自分の役割なのだ。
「そ、そうね。行きましょ」
絵里も席を立ち、先頭で出ようとする浩明に続く。彼女にも、非が総一郎達に有る事が分かっているからだ。
「浩明、待ってくれ」
すがり付こうとする総一郎とこのみに、いい加減、うんざりした浩明は振り向くと、決別の言葉を浴びせる。
「御当主殿、覆水と言う物は冷たい程に盆には返らないものですよ」
許して貰えるのでは、という微かな希望が潰えた事に咽を漏らして泣き崩れる総一郎と、呆然とへたり込むこのみに誰も声を掛ける事なく、凪達も生徒会室を出た。
話し合いの場は理事長室ですると事前に連絡を受けていた四人を、理事長である京極由乃は満面の笑みで迎えた。
「いや、よく来てくれた。まぁ、座ってくれ。立ち話もなんだしな」
誘われるままに、ソファに座った浩明と凪と向かい合うように慶と絵里、上座に由乃も座り、一呼吸おいて切り出した。
「今回の事だが、まずは謝らせてくれ。本来なら、理事長である私の問題に、学生である君達を巻き込んでしまいすまなかった」
平身低頭、その言葉が当てはまる程に由乃は四人を前に低く頭を下げた。
「正直、私には人を見る目が無いと痛感させられたよ。教師としてあるまじき事だ」
「理事長、謝罪の言葉が聞きたくてここに来た訳ではないのですが」
「ちょっと星野君!」
目上の相手に対して余りにも失礼な物言いに慶が止めに入る。曲がりなりにも学校の代表相手に礼節の欠けた行為だが、由乃は「構わないよ」と、嗜めると、姿勢を正して本題に入った。
「今回の件だが、橘先生に関しては懲戒解雇を出す前に辞表が、橘明美と小早川秀俊に関しては保護者から退学届けが出された。まぁ、自主退学扱いだな」
学校側から処分が出されるより先に自ら責任を取る。体裁だけは取り繕ったようだ。
「君達に関しては……里中と大谷は兎も角、星野と灯明寺に関しては、好き勝手にやってたようだな」
「形振り構っていられませんでしたので」
しれっと浩明は答える。
結城康秀への過剰な報復行為に始まり、謹慎中でありながら、堂々と出回り、学校への不法侵入、おまけに小早川への蹴り二発、やり過ぎだ。
「処分すると言うのでしたら慎んで反論させてもらいますが?」
「咎めてるわけじゃない。心配するな」
由乃は苦笑を漏らしつつ答える。
「不正を暴いた君達に処分を下そうとは思っていないよ」
「分かりました」
やり方に問題が有ろうが、結果的に事件を解決させた四人に処分を下す訳にはいかない。規則を破っても手柄を立てれば許される。余り誉められない不文律だ。
「さて、今回の処分についてだが、何か要望とかは無いかな」
「要望?」
凪が聞き返すと由乃は続ける。
「謝罪が欲しいと言うなら話はする。謹慎中の授業についての出席と単位についても多少は融通をしようと考えている。希望が有るなら遠慮は要らないよ」
功労者に対しての学校側からの最大の配慮に慶、絵里、凪は息を呑む。そこまでしてもらえるとは思ってもいなかった。
「まぁ、いきなり言われても困るだろうから、後日、改めてでも構わないよ」
「そう言う事でしたら、ひとつお願いが有るのですが」
「何?」
浩明が手を挙げ名乗り出た事に由乃は軽く動揺する。まさか、この場で出してくるとは予想外だった。
「な、何が望みかな?」
「此方を受け取っていただく事は出来ませんかねえ」
取り出した封筒を由乃に差し出す。
「こ、これは……」
受け取った由乃は途端に渋い表情を浮かべる。
「ご覧の通り、私の退学届けです。それを受理して頂けませんかねえ」
「ちょっと星野君、どういう事よ!?」
「き、聞いてないんだけど!?」
「えぇ、言ってませんので」
しれっと返され、慶と絵里が一瞬、呆気に取られたが気を取り直して身を乗り出さんばかりに詰めよるのを、由乃が「落ち着け」と止める。
「理由を聞かせてもらえるかな?」
「残る理由が無いものですからねえ」
食堂で絡まれ、元天統家というだけでいわれの無い嫌がらせを受け、今回の一件では犯人扱い。返す言葉が無い。
選民主義に染まった魔術専攻科に浩明は愛想が尽きていた。
慶と絵里は言葉を失い、凪は俯いている。
「そう言う事ですのでよろしくお願いします。それでは失礼させて貰いますよ」
「待ちなさい」
立ち去ろうととする浩明に、由乃は凛とした声で止める。
「まだ、受理するとは答えていないぞ」
「要望には応えると言われませんでしたか?」
約束を破るつもりか?
浩明の指摘に、由乃は一瞬、怯んだものの続ける。
「残る理由が有れば、残るんだな?」
有ると言わんばかりの物言いに、浩明は警戒心を高める。
「君の事を少々調べさせてもらった。今回の件で中心にいたのは紛れもない君だったからな。星野浩明、元の名前は天統浩明。天統家次男。幼い頃から魔法が使えず、虐待を受けていたのを、五年前に叔父である星野英二に引き取られる。その際に戸籍を天統家から抹消、なかなか壮絶な幼少期を過ごしてたみたいだな」
「今じゃいい笑い話ですよ」
「今のどこに笑う所が有ったのよ」
思わず出た絵里の言葉は、そのまま由乃達、四人の思った事そのままだった。
笑って由乃に返す浩明に凪達の顔が引き攣る。
「師匠の特訓は、あの家以上の地獄でしたからねえ」
「やっぱり師匠ですかい!」
何度目になるか分からない凪の未だに見た事のない彼の師匠に対しての突っ込みをいれる。自分自身を殺しかけた家よりも、壮絶な地獄とは何なのか、聞きたいが聞きたくない話だ。
「最も、未だに師匠から未熟者と言われてますし、学内でも三流だの落ちこぼれと言われてますからねえ」
「勘弁してくれ。君を落ちこぼれだと認めたら、我が校に優等生など一人も居なくなるじゃないか」
相変わらずの低い自己評価を由乃は苦笑を交えて否定した。
教師としても由乃はその低評価を認める訳にはいかない。学校側の問題をそのまま認めてしまうからだ。
「問題はその後だ。君の存在が出てきたのは家を出てから三年後、表沙汰にはなっていないが、裏業界では相当な有名人になっていたみたいだな」
「裏業界?」
慶が声を挙げる。
どのような業界にも、表と裏が存在する。華々しい活躍を見せる魔術師もいれば、虐げられ汚れ仕事に手を染める魔術師も存在している。
「三年前、西日本最大の裏組織が、僅か一晩で壊滅する事件が起きた。組織にも数多くの魔術師がいたが全く歯が立たず返り討ち。奇跡的に一人の死者も出なかった事が、殆どが精神病院行き。それをやってのけたのは恐ろしい事にたった二人の魔術師だったそうだ……」
「それってもしかして近衛会の事ですか」
「なんだ、知ってた……そうか、大谷なら知ってて当然だったな」
「それはもう、当時は大変な騒ぎになりましたから。魔術師の一大勢力として大谷家に敵対し、大手企業の脅迫、魔術師による暗殺、違法薬物の売買に関わっていたものの、その勢力のせいで手を出す事が出来なかった近衛会の関係施設が突然、爆破されたんですから」
すわ内部抗争かと通報を受け、武装した警官が駆け付けると、瓦礫の中から命からがら這い出てきた幹部や構成員は、「助けてくれ」と泣きすがりながら命乞いをしだしたのだから。
「誰がやったのかと証言を求めようにも、余程の精神的外傷を受けたのか、まともな証言が出来る人間がおらず、狂ったように笑い続ける者や、幼児退行した者、果ては手首を切ろうとする者達ばかりで全員、手に負えなかったそうよ」
当時の惨状を述べる慶。実家が絡む話なのだから詳しい筈だ。
「あの時、何とか聞き取れた証言によると、襲ってきたのは年端もいかぬ少年と、「師匠」と呼ばれていた壮年の若者の二人組と言ってましたけど、まさか……」
「懐かしいですねえ。あの時は楽しみにしていた下鴨神社のみたらし団子を台無しにされた仕返しに師匠と二人で暴れたんですよねえ」
「そんな理由で組織一個壊滅させてんじゃないわよ!」
「食べ物の恨みは恐ろしいものですよ」
当時の事を懐かしむ浩明に、この場にいた全員の気持ちを代弁するよう、凪が突っ込み、由乃は思わず吹き込んだ。そんな破天荒な理由で潰されたとは潰された側は知る由も無いだろう。
ひとしきり笑い終えると由乃は、脱線した話を元に戻す。
「いやはや、君には驚かされる事ばかりだ。それでこそイレギュラーだ」
「イレギュラー?」
慶が首をかしげて聞くと、由乃は更に資料を取り出す。
「裏での星野の通り名だよ。本業は危険物厳禁の運び屋だが、騒動に巻き込まれる厄介な体質の持ち主でな、巻き込まれた騒動は数知れず。それでいて敵対した相手をとことん追い詰め徹底的に暴れる。それも謀略、知略で追い詰める常識外れの魔術師。故に付いたあだ名がイレギュラーだ」
「そこまで調べていましたか」
「最近じゃ、揉め事の最終兵器とまで言われてるそうじゃないか」
「えぇ、恥ずかしながら」
一触即発寸前の対立組織絡みの案件に噛ませて、双方の抗争に発展、結果、敵意を向けられた両方の組織を壊滅……等と言うのも二度、三度ではない。
因みに迷惑料は上乗せできっちりと要求している。
浩明の懐事情が潤沢なのはそれが理由だったりもする。
自分の事が書かれた調査報告書を一通り見終えると、浩明は「それで」と切り出した。
「そこまで調べた上で先生は何故、私に学校に残って欲しいと言うのでしょうか。余り良い判断では無いと思うのですがねえ」
最もな質問に、四人の視線が由乃に向けられる。
「理由は簡単だ。君達は学校の不正を暴いた功労者、それを自主とはいえ退学されてはこちらとしても恥の上塗りになりかねんのでな。それは避けたいんだよ」
「うわ、正直過ぎるでしょ」
「頭の回転が早い星野には、既に察していると思ったからな。敢えて腹を割ったつもりだよ。まぁ、教育者としては失格かもしれんがな」
開き直りと取れる自嘲の笑みに絵里が返すと、「それで二つ目は?」と聞きなおす。
「二つ目の方だが、君達の、いや星野、君の将来を思ってだ」
そう言い直すと浩明の方を見据える。
「甘えられない環境にいたのが原因だと思うが、君はまだ若いんだ。裏に身を置くべきではない。それに今回見せた君の信念は表でこそ見せるべきだと思ったからだ」
教育者としての物言いに「そうですか」と苦笑を漏らす。腹を割って本音を晒したうえで、ここまで気を遣われるのは有り難い話だ。
「理事長、ご好意は有難いのですが、生憎と学内では私に居なくなって欲しいと思っている人間しか居ないと思いますよ」
「残って欲しいと言う人間だっているはずだろ。少なくとも、ここにいる人間は君達に残って欲しいと思っているのではないかな。それに……」
そう言うと由乃は、机に設置された端末を操作し始める。
「教師と、有志の生徒から出された君達の処分撤回を求める署名だ。答えを出すのはまだ早いんじゃないかな?」
何ページ分にも渡る署名を見せられ、慶と絵里を見ると浩明の答えに沈痛な眼差しで見ている。
「星野君、せっかく出会えたのに、残った思い出が嫌な事しかない。そんなの悲し過ぎるよ」
「もっと時間をかければ分かり合えるんじゃないかな」
嘘偽りの無い必死な言葉、断り辛い空気に耐え切れず一息ついて天を仰ぐ。
「星野、ちょっといい?」
そこに凪が口を挟む。
「私、この学校に入るのに猛勉強したのよね」
「はい?」
「だから、学校を辞めるつもりは無いのよね」
「それが何か?」
何が言いたいか分からず聞き返すと、凪は不敵な笑みを浮かべる。
「騒動に巻き込まれやすい星野君としては、相棒である私が一緒の学校にいた方が何かと都合が良いんじゃないかしら?」
「大丈夫です。その手の問題は今まで一人で片付けてきてましたので。君を巻き込むつもりは有りませんよ」
完全な拒否の姿勢、巻き込むつもりは無いと、肩を竦める浩明に対して、凪は浩明の制服の襟を掴んで詰め寄る。
「私、アンタの相棒を辞めるつもりは一切無いし、この学校を辞めるつもりもない。だから、観念して残りなさい」
無謀とも言える暴論。理不尽では片付かない要求を押し通させる。
「君、無茶な要求を言いますねえ」
「今回の件、手伝ったら言う事聞いてくれるんでしょ?」
「ここでそれを出してきますか」
「あら、あれは嘘だったのかしら?」
事件解決に動き始めた時の約束を持ち出して押し通す。卑怯と言われても、浩明の退学を止めさせれる方法はそれしか残っていない。
「さて、星野、答えは出たかしら?」
「……分かりました。今回は此方がしてやられたようです」
両手を挙げて降参の仕草で浩明は答えを示した。
あの場で解決時の約束を決めなかったのが浩明の誤算だった。
一度交わした約束を反古にすれば度量が問われる。
「どうやら、これは要らないようだな」
浩明によって渡された退学届けを由乃はふたつに破る。
それを見た慶と絵里は笑みを浮かべた。
「さて、処分に関してはもう終わりだ。星野と灯明寺の復学だが、来週からでいいだろう」
「分かりました。それでは話は終わったようですので失礼します」
四人が席を立とうとすると、由乃が「あぁ、そうだ」と思い出したようにそれを止める。
「あぁ、ちょっと待て。最後にひとつだけ聞かせてくれないか」
「何でしょうか?」
「今回の件だが、なんで灯明寺と一緒に動いていたんだ?」
「はい?」
虚を突いた質問に、迂闊にも浩明らしからぬ間の抜けた返事で答えてしまった。恐らく、凪本人も含めて全員が抱いた筈の疑問を問われたのだから、そんな態度を取っても不思議は無い。四人の視線が浩明に集まると、浩明は天を仰いでから「そうですねえ」と切り出した。
「灯明寺の事は信頼してますから」
「数ヶ月でそこまで信頼出来るものなのか。聞けば、彼女が「自分を疑ってるのか」と聞いた時に迷う事なく否定したそうじゃないか。彼女はそれほどの信頼をどうやって得る事が出来たんだ」
当然の疑問に、更に浩明は「あぁ、それは」と答える。
「灯明寺は私の家族のお気に入りでしてね。特に姉代わりの方には実の妹のように可愛がられてるんです。私が最も信頼している二人にそこまで気に入られてる人間だからこそ、私は彼女を信頼できた。だからですよ」
「成程。因みに君達は付き合ってるのか?」
「なっ!」
直球な問いに何故か、凪が一歩後ずさる。
一方の浩明はたじろぐ事なく答える。
「まさか、私みたいな三流魔術師に、灯明寺は高嶺の花ですよ」
「そうか、もういい。行けばいいぞ」
満足の答えを得たのか、由乃が促すと、四人は、「失礼します」と頭を一度下げてから校長室を後にした。
「やれやれ、わざとか本気で言ってるのか分からないが、自己評価が低過ぎるのも彼の欠点のようだな」
四人の居なくなったのを確認してから、由乃は呆れたようにそう洩らした。
「ねぇ、怒ってる?」
「はい?」
授業があるからと、慶は絵里を引っ張るようにして別れて数分後、気不味い空気漂うなか、浩明の横を歩く凪が恐る恐るという感じで聞いてくる。表情も、機嫌を伺うように不安げだ。
「退学を止めろって言った事なんだけど……」
「陶晴賢、浅井長政、荒木村重……」
「は?」
突然、歴史上の人物を連連と述べていく。
「真田昌幸、小早川秀秋、松永久秀、明智光秀、君に付ける渾名は何がいいですかねえ?」
「何よその人選!?」
それも、裏切った人物の名前ばかりだ。
日本史に疎い凪でも最後の一人で漸く気付いた。
少なくとも女の子に付ける渾名ではない。
「気に入りませんか。小早川秀秋なんかは似合うと思うのですがねえ」
「分かった。私が悪かったわよ」
裏切り者の烙印を押される前に凪は頭を下げて謝罪すると、浩明は漸く怒りの矛を納めるわけがない。
「いいですか。己が望みを述べるのでしたら、頭を下げて頼むのが筋と言うものでは有りませんか。それを、逃げ場を塞ぎ頷くしかないようにして押し通す等、言語道断です。前から言おうと思っていましたが君……」
「分かってる。やり方がズルかったわよ」
延々と続く小言を、頭を上げて口を塞ぐ事で止める。この男、意外に粘着質だ。
「お詫びに何でも言う事を聞くから。ね、それでいいでしょ?」
「何でも? 君、自分を安売りしますねえ。そんな事を他の男性にも言ってるんですか?」
「あるわけないでしょ。こんな事を言うのはアンタだけよ!」
「あぁ、それは失礼」
自分はそんな安い女じゃないと、顔を赤くした勢い任せの言葉に、浩明は形だけの謝罪の言葉で返す。
「そうですか、何でも……ですか。分かりました」
「……常識の範囲内だからね」
筋は通すものの臍曲がりの腹黒だ。録でもない事を言いかねない。
「まぁ、何と言いますか、私は少々、性格に難が有ります」
「は?」
「英二兄さんから関わると厄介事に巻き込まれる体質だと呆れられていますし、夕姉さんからは女の子に好まれない趣味ばかりだと言われてます」
「ええ、そうね」
押し入れや屋根裏を漁って見つけたアレやコレを見ればよく分かる。
「で、それが何よ?」
「言っての通り、私は君にかなり迷惑をかけますし、巻き込まれた時には理不尽な地獄を見るかと思います。それでもいいと言うのでしたら、私の相棒になっては貰えませんかねえ」
「な!?」
凪の顔が一気に紅く染まる。
それも驚愕しながら口をパクパクとさせる器用さだ。
「あぁ、まぁ、この学校にいる間で構いません。流石に四六時中等とストーカー紛いはしませんので」
「……あ、そう言う意味ね」
紅く染まっていた顔が、すっと肌色にもどったかと思うと、がっくりと項垂れる。この数分で、万華鏡のような変わり身の早さを見せている。
「そうね、そうよね、こいつはそう言う奴だったわ」
「君、何か有りましたか」
「ちょっと待ってて。気持ちを整理させるから」
返事を求める浩明を手で制すると、背を向け、額に手を当てて俯く。
「大丈夫、大丈夫よ。しっかり教育し直すれば……、うん、最悪、夕さん達にも手伝ってもらえば……」
何やら不穏な鼓舞が聞こえてくる。「調教」だの「矯正」だと、どうしてそんな単語が出てくるのか浩明には理解出来ない。
やがて、「よし、大丈夫!」と何故か、両頬を軽くパンパンと叩いて気合いを求める入れてから振り向いた。
「整理は付きましたか?」
「大丈夫よ」
「では、改めて、私の相棒になっては貰えませんか?」
気持ちの確認を済ませると改めると、再度、答えを求める。
「そうねぇ……、そこまで言うならなってあげてもいいわよ」
仕方なく、あくまでも仕方ないからと答えているが、口をぎざぎざに結び、視線を逸らした顔は明らかに照れ隠しだ。頬が桜色に染まっているのも、両頬を叩いていたのが原因だけではないだろう。
今はこのままの関係でいい。少なくとも離ればなれになるよりましだ。
時間はたっぷり有る。その間になんとかすればいい。それは自分次第だ。凪は決意を改めた。
「いくわよ」
「はい?」
「座卓、アンタの部屋に置く座卓とクッション、買いに行くわよ」
先ずは居場所の確保だ。
有無を言わさず凪は浩明を引っ張るように歩き出した凪の表情は季節外れの桜のような笑みだった。




