陸拾陸話
「こ、これは……どういう状況なのかな?」
三人を守るように前に立った絵里に慶が切り出す。
「開き直りの口封じ、まぁ正気の沙汰では有りませんがねえ」
振り向く事なく答えると、慶の隣にいた凪が呆れ顔で言った。
「うわ~、古典的な」
「容易に末路が想像出来ますねえ。最も、どんな事をされようがやる事は変わりませんが」
冷淡な笑みで酷評すると同時に、凪と慶に指示した通りに通報を促す。
「ほ~い」
「ちょっと、この状況でなんでそんなに落ち着いてられるのよ」
思わず絵里が声をあげてしまう。自分達の口封じに武力行使もじさない相手に対して、平静を保つ浩明と凪は明らかに異質だった。何か策があるのかと考えていたが……
「だって、星野相手にこの三人がどうこう出来るわけないじゃん」
絶句した。目の前で不敵に口許を軽く吊り上げた笑みを浮かべた少女は、星野浩明に絶大な信頼を置いているようだ。聞けば、二人が知り合ったのは三月、その僅か数ヶ月でここまで信頼できるとは、この二人の間に何があったのだろうか。
「余り期待をしないでくれませんか。四流魔術師の私には荷が重過ぎますよ」
「結城先輩を返り討ちにしといて何言ってんのよ。あの先輩の実力は副会長より上よ」
「君、「窮鼠猫を噛む」と言う諺を知らないんですか?」
「分かった。ここ乗り切れたら頭、撫でてあげるわよ。私の膝枕付きで」
「結構です。割に合いません。徳川家康の全集にしてください」
「アンタ……私の膝枕よりそんなの取るの!?」
「先日、大河ドラマを見て、俄然、興味が湧きましてねえ。原作と漫画版、両方ですと嬉しいのですが」
「お前達、何を言い合ってるんだ!」
軽口を言い合う二人に痺れを切らしたのは小早川だった。
緊迫した場面で、いきなり蚊帳の外にされ、イチャつく会話をされては当然だろう。
「あぁ、失礼。こういう報酬のやり取りは意欲向上の原動力ですからねえ。譲れぬ所も有るんですよ」
「まるで、負ける気の無い言い方だな」
怒りの感情を押さえた明美の言葉に答えたのは凪だ。
「だから、そう言ってるんですよ。星野がアンタ達に負けるわけ無いじゃん」
「き、貴様らあああぁぁぁ!!」
その絶対的な自信はどこから来るのかと呆れてしまう。何を喚こうが相手にする価値もないという二人の振る舞いは、当然の如く小早川の怒りを買い、浩明に殴りかかる。直情で単純なそれをかわして背後にまわると、腕を掴んで捻りあげて、凪と慶に指示を飛ばす。
「灯明寺、会長、通報をお願いします。殺人未遂犯から暴行を受けてますってな」
「わ、分かったわ」
慌ててポケットから携帯端末を出す慶とは対称的に、凪は既に取り出していた携帯端末を操作する。
最初からこうなると分かっていた事だ。
結城康秀を手玉に取り、公衆の面前で格の違いを見せ付けるという離れ業をやってのけた男だ。教師一人がいるとは言え、星野浩明が彼等の前に地を這う姿など凪には想像する事が出来ない。そう断言できるほどの実力をこの男は隠している。だからこそ凪は何があろうと安心して浩明に身を任せられる。例え、操作していた携帯端末の上半分が吹き飛んだとしてもだ。
「あら?」
呆気に取られた声で吹きとんだ方の反対側を向く。何かしらの攻撃魔法を受けたのは確かだ。
「灯明寺、余計な真似はするなよ」
術者を見ようとした凪の視界に入ったのは、コンバーターに手を添えた明美の姿。起動構築を終えていつでも起動トリガーを発動できる姿は正しく脅迫者のそれだった。
咄嗟に絵里が左腕に嵌めているコンバーターに手を添え構える。防衛の構えで、起動構築に入る。
「動くな!」
それを橘が声を荒げて止めさせる。
「里中、動けばどうなるか分かっているな?」
絵里は唇を噛み締めつつ、構えを解いた。
明美の起動構築は完了している。下手に動けばどうなるか分からない。曲りなりにと明美は風紀委員長だ。荒事専門相手には部が悪い。
「形勢逆転だな。星野」
勝ち誇ったように下品な笑みを浮かべた顔は始めて見せた時の魔術科も普通科と分け隔てなく接していた姿などもはやどこにもなかった。これが彼女の本当の姿のようだ。とんだ猫の皮を被っていたものだと感動すら覚えてしまう。
「形勢逆転……とは?」
「少しでも動けば、後ろの女共がどうなると思う?」
聞き返した浩明に、主導権はこちらにある事を理解させるよう口を開いた。
「成程」
「分かってもらえて何よりだ。さぁ、星野、秀の手を離してもらおうか。でないと」
橘の言葉に、明美がコンバーターを添えた手を凪に向ける。鬼の首を取り、浩明よりも優位に立ったと錯覚し脅してくる。
「ですが、仮に手を離しても、簡単に帰してもらえそうにはないですよね」
仮に、浩明が三人の言いなりになれば、全てを知りすぎている自分達の立場は決まっている。抵抗しても、自分達が人質に取られた状態ではまともに相手出来るとは思えない。どちらも地獄だ。
「心配せずとも、無事に帰してやるよ。まぁ、お前達の態度次第……だがな」
「そうですか」
動揺と不安にかられた二人と、自分が取るであろう行動を見越して肩を竦めた凪を一瞥して浩明が取った行動、それは橘の言葉に従って小早川を拘束していた腕を離す事だった。
浩明の行動に、橘と明美は勝ち誇ったように愉悦を込め笑みを浮かべた。誰にでもアキレス腱は存在する。それは星野浩明にも同様だ。そこを突けば此方の思い通り。散々苦汁を嘗めさせられ、神経を逆撫で続けられた男が屈服する姿はまさに望んだ通りの光景であった。
「星野、よくもやってくれたな」
浩明から解放された小早川は、その鬱憤を晴らすかのように浩明に殴りかかる。
「あいにくと、手は離しましたが、当たってあげるつもりはありませんよ」
その手をはたいてかわすと素早く凪の前に立ち、上半分がなくなった携帯端末を持ったままの方の手を掴む。
「な、なによ?」
握ったままだった携帯端末を掴み取り、無防備になった凪の手をまじまじと見詰める。
「ねぇ、一体なんなのよ」
浩明に自分の掌を何度も見られ、指先を何度も握り続けられる事に、嫌では無いものの思わず聞いてしまう。
「どうやら怪我はないようですね。よかったです……」
掴んでいた手を、胸元で握り締めてポツリと安堵の声を漏らす。
「へッ!」
自分の身を案じてくれる浩明の言葉に、凪は頬を一気に紅く染めてしまうも、浩明は「さて……」と凪に背を向けて、慶と橘の二人を睨む。背後で「ちょっと、アンタねぇ」と恨みがましい声と視線が突き刺さるが無視しておく。
「貴方方は自分が今、何をしたのか分かっているのですかね?」
諌める物言いは静かに、そして最後の確認をするように聞く。
「何を……とはどういう意味だ?」
「己が目的の為なら、躊躇する事なく魔法を使い暴力で人を脅し実行させる。そのような卑劣極まりない事をしている事にですよ」
「き、貴様……自分の立場が、分かっていないようだな」
脅されているのに厚顔不遜な浩明の態度、屈服させた筈の男の神経を逆撫でる言葉に橘の顔が険しく歪む。
「立場? 私はただ貴方方が自分の意思でこのような行為に至ったのかと聞いているだけですよ」
噛み合わないやり取りに先に小早川が動いた。
「さっきからごちゃごちゃごちゃごちゃと、しゃくに障るんだよ。思い通りにいかない奴を脅して何が悪い! おとなしく耀子さんの言う通りにしてればいいんだよ」
「成程。是非もないようですねえ」
正気の沙汰とは思えない言葉は、浩明の取るべき行動と、彼等の末路を決めた。
腕を胸の前で交差させてから構える。
星野浩明が魔法を発動させる時には殆どといっていい位にそう構える。コンバーターに手を添えて魔力粒子を変換して起動する魔術師のそれとは違う構えは、浩明が敵に回した相手に対して取る構えだ。
「な、なんだ星野、その構えは?」
構えた浩明から出てくるのは殺気にも近い雰囲気、人質を盾に脅されている筈の人間から到底、出てくるものではない。
「き、貴様、後ろにいる奴等がどうなってもいいのか?」
浩明から放たれるそれに耐え切れなくなった小早川がコンバーターに手を添えて構える。
「別に構いませんよ」
「何?」
淡々とした口調に、一瞬、凪達に向けられた腕が下がる。
「一瞬で終わりますので」
「な……」
言い終わる前に小早川の身体が宙を舞った。
身体強化による、速力を底上げした蹴り、それも高熱の炎を纏わせた炎熱の回し蹴りによってだ。
浩明の代名詞の炎熱蹴り。狭い室内、高さを必要とする飛び蹴りを避けた変則技だ
蹴り飛ばされた小早川は、同じ直線上にいた明美を巻き込んで、壁に激突して止まった。
「うわ、痛そう……」
凪から小早川と橘に同情の声が漏れる。
一方の浩明は足に残る炎の残滓を右手で払っている。
「星野君、やり過ぎだよ」
「どんだけ魔力粒子を変換させてんのよ」
続いて慶と絵里から注意と驚愕の声が出る。
小早川は、蹴られた衝撃で失神しており、蹴りを受けたであろう制服の部分が足の形に焼け爛れて未だに煙をあげており、巻き込まれた明美は、小早川に潰されて、口から血を流して気絶している。内臓に何らかのダメージを受けたのが容易に想像出来る。
「星野君……過剰防衛って言葉、知ってる?」
「次は容赦無く潰すと言った筈です。まぁ、少々、灯明寺に危害を加えられていらっと来たのは有りますが、自業自得ですよ」
敵に対して容赦という言葉は持ち合わせない。徹底的に潰す。しかし、星野浩明はそれだけで済ませる男ではない。
蹴り飛ばした二人を一瞥すると、橘の方を向き、一歩ずつ歩み寄る。
「さて、実行犯二人は沈黙させました。残りは主犯のあなただけですよ」
「お、おい、星野。な、な、なんだ、何をするつもりだ?」
自分に向けられた浩明の視線に、恐怖を感じて後ずさる。
星野浩明のやり方を実際に目の当たりにした事もあって、橘が平静を崩すのは当然であろう。
「よもやと思いますが、これだけの事をやっておきながら自分だけ五体満足で済むと思っていたのですか。随分と緩い頭をされてますねえ」
「う、うわああぁぁぁ!」
逆上した橘は浩明に向けて魔力弾を放つ。
破れかぶれのせめてもの抵抗。凪達、三人が息を飲んだが、それも一瞬、魔力弾に対して、浩明は右腕を軽く振り払い吹き飛ばす。術式解除、浩明にはこれがあるのをすっかり忘れていた。
抵抗する術を無くした橘は逃げるように後退りする。
「や、やめろ星野、お、お前、自分が何をしようとしているのか分かっているのか!?」
「少なくとも、あなたよりは分かっているつもりですよ」
背中に壁が当たり、逃げ道がふさがれても、躊躇する事なく、一歩、二歩と近づく姿に、遂にその美貌を歪ませ、目から涙を流して無我夢中で浩明の足にすがり付いて命乞いを始める。
「た、助けてくれ、星野。私が悪かった。許してくれ!」
数分前の暴力で脅し、見下していた姿はそこにはなく、教師が教え子に謝罪して救いを求める。惨めで奇妙な光景が繰り広げられていた。しかし、ただ黙って見下ろす浩明の姿に謝っても済まされない事を悟ったのか、懐柔策に出た。
「や、やめてくれ星野。そ、そうだ、わ、私と手を組まないか。お前と私が組めば思いのままだぞ」
「貴方は自分のした事が本当に分かっているのですか!」
嗚咽を漏らしながらすがり付く橘の服の襟を掴んで立たせて睨み付ける。
「教師という立場にありながら、横領に及び、生徒と肉体関係に及ぶ。あまつさえ教え子と妹は、力を振るい脅す事に疑問すら抱かず迷う事なく実行する。今のあなたがやるべき事は、学校と生徒を裏切った事を悔い、教え子と妹を化け物にしてしまった事を悔い、反省する事ではないのですか」
「ば、化け物?」
浩明の叱咤に、橘が言葉を詰まらせる。
「よく、目を開いて見たらどうですか! 自分の欲望の為に妹と教え子の未来を奪ったという現実を!」
掴んだそのままに、橘の顔を蹴り飛ばした二人に向けさせると、彼女は現実から目を逸らそうとしてうろたえ始める。
「ち、違う。私はただ……」
「違う? 現実を目の当たりにしてまだその言葉が出てくるとは、成程、成程、どうやら見誤っていたようです」
現実を受け入れようとしない橘に対して、浩明は冷たく、橘が受け入れたくないであろう現実を言葉にしてぶつける。
「人を化け物へと変えたあなたが人間である筈が有りません。未来有る人間の未来を奪ったあなたは、人の皮を被った悪魔、いや犬畜生にも劣る化け物ですよ」
ようやく現実を受け入れた橘は小早川と明美の前に膝をついて踞って嗚咽を漏らし始めた。




