陸拾肆話
目の前で起きている事がスローモーションに見えているような錯覚に陥った人間は何人位いたんだろうと、凪はふと考える。
凪の後方から、轟と音が聞こえそうな程の勢いで出てきた浩明は、勢いそのままに跳躍し、役員達の前に置かれた机の上に着地、それと同時に自己強化術式と右足に炎を纏わせ、再度跳躍、小早川の胸部へと強烈な蹴りを入れていた。
「副会長、私に手を出されても困るのですが、灯明寺に手を出されるともっと困るんです。姉代わりのお気に入りでして、怪我でもさせて怒らせると後が怖いんですよ」
「やだ星野ったら~、そこは「私の凪に何をする」って言ってくれないと」
足の炎を払いながらの言葉に、凪が要望を入れてくる。
「君、私がそんな事を言う人間に見えますか」
「え~、一度位いいじゃん」
呆れた口調の浩明に、凪は期待を込めた目を向けてくる。
「君、現実にアダルトゲームの展開を求めるのはやめなさい」
「な、なんて事言ってんのよ、やってるわけないでしょ!?」
呆れた口調で諭してくる浩明に凪は声をあげて反論する。
「おや、そういう発想が出来るのはそういうモノに精通されているからではありませんかねえ」
「アンタ……恋愛ものはそれしかないって思ってる?」
「おい、そんな話をしてる場合か!」
明美が声を荒げるのも無理はない。
登場と同時に小早川を蹴り飛ばしてから、何故に恋愛談義になるのか意味が分からない。分かっているのは、星野浩明の偏った知識の訂正をする必要が有ると言う事位だろう。
小早川からも抗議の言葉が有るかと思えたが、幸か不幸か、小早川の耳にその談義が届いてはいなかった。何故ならば、蹴り飛ばされた小早川は暑さと痛みに呻き、のたうち回りそれどころではなかったからだ。
「秀俊、しっかりしろ」
明美が駆け寄り、「大丈夫か?」と声をかけると、小早川は肩を借りて、支えられながらも、なんとか立ち上がり星野を睨み付ける。
余りにも道徳から外れた行動に向けられた非難の目、しかし、浩明から出た言葉に冷静さを失う。
「おや、副会長、大丈夫ですか?」
「じょ、冗談じゃない。殺す気か!?」
「その程度で死ぬなんて大袈裟な。死ぬなんて楽させると思いますか」
未だに胸をさすり続ける小早川に、冷たく言い捨てると、「それでは、続きといきますか」と続ける。
「続ける? 何をだ」
いまだ、痛みで会話が困難そうなのを見て、明美が代わりに答える。
「一連の騒動の追及ですよ」
「お前、まだそんな事を言っているのか?」
心底、呆れた物言いの明美に続いて、小早川が異議を唱える。
「冗談じゃない。あんなこじ付けみたいな理由で犯人にされてたまるか!」
「いえ、私は副会長だと思いますよ。実際にこうやって解職請求を会長に出してるじゃないですか。横領の実行犯を会長達に擦り付ける為、私とそこの拷問器具との関係を利用する為に天統家の御令嬢を襲い、昏睡状態にしたうえで対立させ、問題を起こさせて評判を落とす事で」
「一方的に予算を削除されて、会長達を恨んでいたのは他にもいるだろ」
「その可能性は低いと思いますよ」
声を荒げる小早川の主張を遮って、浩明は持論を続ける。
「新聞部の出した記事の内容はどう見ても憶測紛いの捏造記事、しかも、脅されて書かされた内容です。それを鵜呑みにして私を襲うならともかく、私が天統家の御令嬢を狙う理由にはなりませんよ。そもそも、御令嬢は曲がりなりにもこの学校では相当な実力者だったそうです。つまり返り討ちの可能性が有ります。ところが、彼女のもとに会長達が駆け付けた時、私に変装した犯人がその場にまだいた。それも、わざわざ、会長達に姿を見せたうえで逃走に成功した。それが成功するには犯人は無傷に近い状態であり、相手が何かしらの動揺を誘う必要が有ります。つまり、犯人は生徒会の人間が、私の姿に扮すれば、必ず動揺するという絶対の自信が有ったという事です」
「それが俺だってか。仮にそうだとしても、お前が現場に来ないと分かってなければ成立するわけ無いだろ」
「仰る通り。それこそがこの計画には必要不可欠なものです。もし、私が襲撃出来るという僅かな可能性が残っていれば、例え私が違うと言っても周囲が認めないでしょう」
「だったら俺には無理だな。あの日、お前がどこで何をしていたかなんて分かるわけないだろ」
「共犯者がいたとしたらどうでしょうか?」
尚も食い下がる小早川を畳み掛ける。
「共犯者?」
「そう、私がそこに行けない、行く事が不可能だと証明させる為に私のもとに共犯者を付けて観察していたんですよ。その共犯者は……」
射るような浩明の視線が、その共犯者と呼ばれた相手に向けられる。
「……風紀委員長、あなたですよ」
突然の名指しに、全員の視線が彼女に向けられる。それにひるむ事無く、明美は大きく溜息をついた
「なかなか見事な想像力だな。君達の無実を証明する為にやった全てを台無しにされた気分だよ」
盛大な、それも呆れきった様子で言ってくる。
「それには感謝してますよ。あの付近の住民の方々に聞いてまわってくれたそうですね」
「風紀委員として当然の行いだろ」
「そして、逃げ込んだ家の人の証言で無実を証明したそうですねえ?」
「その通りだが」
「その時ですが、私と灯明寺の事をどう聞いて、どう伺いましたかねえ?」
確認の後の質問に、明美は意図を探るように答える。
「どうって、……何が聞きたいんだ?」
「避難とは言え、夜遅くに不法侵入をしてしまい、住人に迷惑をかけてしまいました。本来ならば菓子折りを持って謝罪に行くべきなのですが、灯明寺が嫌がっておりましてねえ。気にしていたのか確認したいんですよ」
「だってぇ~、アレ見られてんのよ。恥ずかしいじゃない!」
その時の事を思い出してしまい、思わず頬を紅くし、全員に背を向け踞る。
「咄嗟の行動で抱えて逃げただけで、別に恥ずかしがる事ではないと思うのですがねえ」
「そりゃ……まぁ、あれは女性にとっては見られて恥ずかしいところも有るんじゃないかな?」
言葉を濁らせる明美に、浩明は聞き返す。
「抱えただけでどう恥ずかしいんでしょうか。緊急避難ですよ。それを恥ずかしがるとは女性と言うのは時にして常識を疑いますねえ」
「お前なぁ……、灯明寺をお姫様抱っこで抱えて逃げ込んでおいて、その言い方はないだろ」
「……風紀委員長、あなた、今、私が灯明寺をお姫様抱っこで抱えて逃げ込んだと言いましたね?」
「それがなんだ。本当の事だろ」
「近隣中、そう聞いてまわっていた。間違いないですね?」
ステージ前の女子生徒から、意外と大胆とか、いいなぁ、と羨望の声が聞こえてくる。
「灯明寺、今の聞きましたか?」
「えぇ、ばっちり!」
それまで、踞っていた凪が何事もなかったように立ちあがり振り返る。
「録音もこの通り!」
「おい、何のつもりだ?」
そして、手にはいつの間にか録音機が握られている。
今の会話を録音されていた事に、明美は怪訝に聞き返した。
おかしな事は言っていない。そう返した明美に、浩明が次の手で切り出した。
「風紀委員長、私が星野にお姫様抱っこをされているのを目撃してた人は誰ですか?」
「誰って、だから君達が逃げ込んだ家の住人が……」
「「お姫様抱っこで逃げ込んだ」って言ってるんですから、先に見ていた人から証言を取ってから行ってるはずですよね」
凪の指摘に、一瞬表情に驚きが浮かぶが、すぐに表情を戻した。
「す、すまない、どうやら勘違いしていたよ。その証言は君達が逃げ込んだ家の住人が、門をくぐった時に目撃していた……」
「星野と一緒に謝りに伺った時、あの家のおばあちゃん、こう言ってましたよ」
その時のやり取りを思い出すように仕草を真似て言う。
「本当に驚いたわ。人の気配がするから外に出てみたら、座り込んでひそひそと話をしていたんだから、とね」
「そう、「お姫様抱っこ」なんて見ていないし、一言たりとも言ってないんですよ」
矛盾点を突かれて、明美の表情が強張る。
「うちの学校の生徒二人組がこの近くの家に逃げ込んだ筈だ。お姫様抱っこで走っていたのを見ていないか。あなた、近隣の住人、全てにこう聞いてまわったそうですねえ。住民全員に改めて聞いてまわりました。結果は逃げ込んだ家の方だけが、先程、灯明寺の言ったように答えただけです。他の住民は、あの日は、付近でこの学校の男子生徒が襲われ、病院に搬送されたという話題は出てきましたが、お姫様抱っこして走っている人間なんか誰も見てないし、話題にもなっていないんですよ。つまり、こう言う事なんです」
ここで一息、付けて浩明は明美を睨み付ける。
「私が灯明寺をお姫様抱っこして逃げたと言えるのは、現場にいて直接見ていた人間にしか出来ないんですよ。そう考えれば、あの記事が配信された理由も納得がいきます」
「……何だよ?」
かろうじて、小早川は聞き返す。
「共犯者が、私に対して接触する大義名分の為です」
「大義名分?」
「私の無実を証明するには、共犯者は私と接触する必要があります。偶然を装いたいかもしれませんが、帰宅後に何をするのかなど、分かるわけが有りません。ですから、新聞部の里中部長を脅迫し記事を書かせ、間髪入れずに配信させたのですよ。それを理由に接触しようとしたんです。こちらで対処するからとでも言うつもりだったのではありませんかねえ」
明美の視線が揺らぐ。
「恐らく、副会長が天統家の御令嬢を襲った直後に連絡を取り合い、接触しようとしたのでしょう。ところが、偶然にも、接触しようとする直前に、あの記事を鵜呑みにして襲った学生が出てしまい、おまけに灯明寺が一緒にいた事で証明をする必要が無くなってしまったんです。更に加えて言うなら、我々を襲った取り巻きを背後から襲って火傷を負わせたのも、風紀委員長、あなたですよ。都合良く襲ってくれたおかげで自ら手を汚す必要が無くなったがもし、何かしら不都合な事を言う可能性がある。だから、当分の間、喋れないように意識不明の大火傷を負わせた、そうですよね?」
「そんな事をするわけないだろ。いい加減にしろ!」
明美が語気を荒げる。
「では、はっきりさせるためにも、逃げる私達を誰が見てたのか教えてくれませんか?」
「そ、それは……」
「灯明寺、もう充分ですよ」
凪の追及に明美が言葉を詰まらせる姿が、想定内だったようで、浩明は凪を止める。しかし、後一歩で止められた凪は納得がいかないようだ。
「後は、しかるべき方法を取りましょう」
「しかるべき方法?」
小早川と明美、二人を一瞥し、凪の方を向く。
「灯明寺、警察に通報をお願いします。天統家御令嬢に対する暴行傷害の容疑者を見つけましたと伝えてください」
二人から余裕が消えた。
「ほ、星野、お前何をするつもりだ!?」
「ふ、ふざけるなよ、憶測だけで警察呼ぶなんて出来ると思ってるのか!」
「無実だと言うなら、あの日、お姫様抱っこで逃げる我々を見た人間をこの場に連れて来てくれませんか?」
喚き出した二人だが、暗に証拠を出せと言う浩明の揶揄に言葉を詰まらせる。
「携帯端末の通話記録も証拠になりそうよね~。事件直後の位置情報とか出れば証拠になりそうだし」
おまけに証拠になりそうな事を凪があげていくのに比例して、二人の顔が青ざめていく。その様子が星野浩明の言葉に間違いないものだと確信付けていくようだ。
「先輩方、顔色が悪いみたいですが大丈夫ですか?」
「警察病院で診察してもらえば大丈夫でしょ」
「それもそうですねえ。灯明寺、早急に電話をしますか」
その様子を見て、二人は洒落にならない茶化しあいをする。そして、凪に通報を促すと「ほーい」と、軽い返事で携帯端末を取り出し、操作を始める。
この二人、本気で取り返しの付かない事態にするつもりだ。
「待ってくれ!」
それを止めたのはこの場において、予想外の人物だった。
「姉さん」「橘先生」
浩明の担任であり、明美の姉、橘耀子だ。
「橘先生、どうかされましたか?」
教員席にいた彼女は、壇上に登り、二人を守るように前に立った。
「頼む。星野、それだけは待ってくれないか」
心痛な面持ちで頭を下げて、懇願する。
「もしかして~、妹可愛さに隠蔽ですか?」
「成程、似た者姉妹と言ったとこですかねえ」
「違う!」
二人の皮肉に、毅然とした否定の後に凛と浩明と凪を見た。
「この一件、我々で調べ直させてくれないか」
「お断りします。灯明寺」
「ほ~い」
「ま、待ってくれ!」
聞く耳持たずの二人に、橘は再度、頭を下げる。
「勿論、この二人が本当に星野の言った通りならば、お前の望み通り煮るなり焼くなり好きにしてくれればいい。そうしてくれないか」
「断ると言った!」
食堂の時と同様の一喝に、遂に橘は膝を付いて頭を下げる。生徒相手に教師がまさかの土下座。余りの光景に全員が息を呑んだ。
「頼む。……この通りだ」
「……分かりました」
恥も外聞もかなぐり捨てた懇願、渋々といった形ではあるが、浩明の最後の一手を踏みとどまらせた。
「それでは、此方が納得の行く公正な判断をお願いしますね」
「約束する」
その言葉を聞き終えると、隣の凪に「行きますよ」と声を掛けて踵を返しかけて、「あ、言い忘れてましたが」と思い出したように三人の方に振り返った。
「この一件、温情措置はここまでです。学校側の対応次第によってはどうなるかは分かってますよね?」
「わ、分かった」
学生らしからぬ脅しに少し怯んだが、頷くのを確認すると
「行きますよ。無期停学処分中の学生が、いつまでもここにいられたら迷惑でしょうからねえ」
「それ、今更だよね」
茶化す凪を連れて会場を後にした。




