第六話
喧騒が一気に静寂に変わる。
浩明がその声に振り向いた先、食堂の入口を塞ぐように女子生徒が仁王立ちをして(しているように見えた)浩明と魔術専攻科の学生を止めるのを見た。
「風紀委員長の橘明美だ。さてと………、これはどんな状況か、説明をしてくれないかな」
凛とした切れ長の瞳、くっきりとした顔立ち、腰までのポニーテール、左腕に風紀委員の腕章を付けた女子生徒は浩明の横をすり抜けて食堂に入ると、黒く焦げて無数に穴の空いた壁、コンバーターに手を添えたままの魔術専攻科の学生二人、観客と化していた学生達を一瞥してから切り出した。それに真っ先に口を開いたのは浩明だ。
「魔術師二人に襲わました」
それも、堂々と被害者と言い切り、喧嘩を売っていると取られておかしくない物言いでだ。
「おい、ふざけんな!」
「いや怖かったですよ。まだ食事中なのに席を譲れと人間の言葉を発したので断ったら逆上され、二匹がかりで無抵抗の私を攻撃してくるのですから。皆様方も見てましたよね? 怯えて逃げ惑う私に恍惚の笑顔で火炙りにしようと炎魔法を放つ姿を」
反論しようとした言葉を遮って浩明は続ける。それもいけしゃあしゃあとわざとらしく震えて怯えるように言ってのけるのだから恐ろしい。
どう見ても焚き付けるように糾弾していたと観られてもおかしくない光景を、あくまで断ったと言ったうえで、自分を被害者、相手を加害者と主張し、更には観客と化していた学生達にも同意を求めるのだから相当だ。。
声を掛けられた学生達は、無言で視線を反らす事で肯定と答える。浩明が言った事は紛れもない事実、否定出来る筈がない。
「成程。ならばこの状況も納得いくな」
観客達とのやり取り、それが浩明の言葉を信じざるを得ないと察した明美は、もう一方の当事者である魔術師の学生二人に視線を向けた。
「そこの二人、何か言うことはあるか?」
「くっ……」
学生二人も、否定の出来ないだけに反論の言葉が出ない。少しでも抵抗すれば自己防衛を言ってのけれるものの、浩明は一切避ける事に徹して反撃には応じなかった事が二人を一方的な加害者へと追いやったのだ。
「お前達、どういうつもりで……」
「まぁ、言っても無駄ですよ」
「何?」
尚も追求を続けようとしたのを、浩明が止める。
「そこの二人に、幼稚園児でも分かる道徳が理解出来るとは到底思えませんから」
学生二人どころか、野次馬や明美達は呆気に取られ言葉を失った。
幼稚園児扱いの最低極まりない評価。それまで反論出来なかった二人には我慢の限界だった。
「ふざけんな!」
「なんでそこまで言われる筋合いが……」
「食事が終わり談笑中ならともかく、食事中だと言うのに席を退けと喚き、断れば逆上し魔法でもって危害を加えようとする。そんな幼稚な行為を行っておいて否定しますか!」
大音声とともに浩明は表情を一変させる。怒りと軽蔑を込められ吊り上げたまなじり、格下と見くびっていた相手から放たれた不気味な気迫に魔術専攻科の学生二人は思わず硬直した。金縛りに有ったように動けなくなった。
「おい、何もそこまで言わなくてもいいだろ。君も……」
「普通科一年、星野です」
「星野……、そうか、君が噂の星野浩明か」
たまらず明美が両者に割って入って止める。その際に、浩明に声を掛けようとして、名前が分からない事に気付いて言葉を濁らせたので名乗っておくと、何か思い当たったのか全身見定めるように見てくる。
「いや、君の話は聞いてるよ。入学式を無断欠席、理由もさる事ながら、魔術専攻科の挨拶を念仏と言って反省すらしてなかったってね」
「それはどうも。本当の事を言って何か問題でも有りますか」
皮肉を柳に風で受け流して、悪怯れる様子のない浩明に、明美は眉をひくつかせた。
教師陣の星野浩明についての評判は入学二日目で既に問題児扱いされ始めている。
入学二日目で教師への反論が、「普通科の扱い、冷遇され過ぎてない?」と揶揄されれば当然だろう。生徒会の役員や委員会には殆ど魔術専攻科の学生が名を連ねている現状、尤も、立候補する権利はあるものの、立候補すべきでは無いという不文律が出来上がってしまっている以上、教師としても頭を悩ませている問題を的確に突いてくるのだから始末が悪い。
だからこそ、明美は慎重に動いた。星野浩明を刺激しないようにだ。問題をこれ以上大きくしないように穏便にだ。
「星野、この件だが彼等の行いには問題がある。だが、君に怪我も無いようだし、君の物言いもここまで発展した原因だと思う。二人には私から注意しておくから、それで納得してくれないか」
あくまで浩明にも非がある。だからこそ厳重注意を提案し、明美としては穏便に済ませようとしたのであるが、彼女は致命的なミスを犯した。ただの新入生であれば納得して引き下がるだろうが、相手は魔術専攻科の学生に正面から食って掛かった新入生だ、彼女は完全に星野浩明という人間を見誤っていた。
「お断りします。常習犯の外道鬼畜に対してそんな寛大に出来るほど、私は聖人君子では有りませんよ」
「おいおい、常習犯って勝手な思い込みで酷い言い分だな」
「食堂に居る多くの学生のなかには、少し見て回れば、もう少しで食事の終わる学生も居た筈です。しかし、選んだ人間は普通科の学生。この広い食堂のなかで何故、普通科の学生を選んだのか。
おそらく、普段から食事の時には普通科の、それも気の弱く泣き寝入りをしそうな学生を捕まえては、席を譲れと言って強引に空けさせたのでしょう。少しでも口答えすれば腕に付けてるコンバーターを見せて「どうなるか分かってるな」と言えば、怯えて逃げてくような学生を選んでいた筈です。更に付け加えるなら魔術専攻科の学生にはそのような行いは一切していなかったと思いますよ」
「なんでそう言いきれるんだ?」
「普通科の学生をわざわざ選ぶ理由なんか簡単ですよ。魔術専攻科の学生には誰にも勝てないからです。つまりこういう事なんです」
浩明は二人を睨み付ける。
「この二人は魔術師というだけで選ばれた人間を気取り、自分は井の中の蛙とも気付いておらず、名門校に入って初めて魔術師として自分は落ちこぼれだと気付いた。しかし、その現実を認めたくないと目をそらし、その憂さ晴らしに自分より弱く喧嘩しても勝てる相手だけを選び日常的に虐げ、陳腐な優越感に浸っていたと言う事ですよ」
とんだ暴論だと、食堂中の人間全員が思わず唖然とした。明美が思わず洩らした一言は全員の感想を代弁していた。
「自分の言うことを聞かないと、壁を丸焦げにする程の炎魔法を私に向ける。そのような外道鬼畜には厳しい処分を求めてしかるべきですよ」
「てめえ、いい加減にしろ!」
「このガキが、好き勝手言いやがって!」
新入生の、それも普通科と見下していた相手から、人格否定に等しい糾弾を浴びせられていた学生二人は、一瞬の空白の後に一気に頭に血を昇らせ怒鳴り返した。
「入学式直後の新入生を相手に脅してきた事。魔術師というだけであきたらず、上級生という肩書きまで引っ張りだしておいてまだ否定しますか!」
しかし、感情だけで言い返した二人に浩明はたじろぐどころか、否定の余地すらないほどに押し黙らせる。
「見事な物言いだな。思わず聞き入ってしまったよ」
下級生の、それも普通科でありながら、魔術専攻科の上級生に恐れる事なく向かっていく浩明に、明美は思わず嘆息を洩らした。とても下級生の言う言葉ではなかった。
「星野、君の言いたい事は良く分かった。それも踏まえて風紀委員の方で厳重に注意し、このような事が今後無いよう指導するからここで手をひいてはくれないか」
「その件は断った!」
浩明の一喝に明美はびくりと固まった。それまで学生二人に向けていた敵意を明美に向ける。
「風紀委員長、つまり、被害者である私に泣き寝入りしろ、そう言いたい訳ですね?」
「泣き寝入りって、そこまで大袈裟にする必要はないだろ。君に怪我はないようだし」
「加害者を庇うのが風紀委員会、そして学校側の総意と言いますか。ならば、仕方ありません。この一件、暴行傷害の隠蔽を行ったと社会問題として取り上げ、徹底的に糾弾させます」
ピシリと、空気が凍りついた。