伍拾話
「君、何か有りましたか」
「別に」
数分後、手短に会話を済ませて戻ってきた浩明を迎えたのは、不機嫌を隠しきれない無愛想な凪の態度だった。席を立ってから僅か数分での変わりように浩明は首を傾げるしかなく
「部長、何か有りましたか?」
「さぁ……胸に手を当ててみたら?」
「あいにく、身に覚えがないのですがねえ」
一緒にいた絵里にすら、遠まわしに原因は自分ではないかと返されて更に困惑するしかない。
友人からの電話に席を立っただけで、機嫌を損ねられては釈然としない。
納得いかない顔をしている浩明を見て、絵里は「埒が明かないわね」と呆れて溜息を洩らした。
「二人とも、話を戻していいかしら?」
里中絵里は交際歴無しの彼氏募集中だ。
目の前で、いちゃつかれた挙げ句、痴話喧嘩をされ、しかも、これで付き合っていないと言うのだからたまったものではない。
お前等もう付き合ってしまえよ的な光景を延々と見せられて嬉しいわけがない。
絵里の話題変換を助け船とばかりに浩明は「分かりました」と切り出した。
「ちょっと話は……」
「灯明寺さん、八つ当たるのは後にしてくれないかしら」
隣で凪がまだ納得していない顔をしているが絵里に窘められて出しかけた言葉を止めた。ここで矛を納めたのは、冷静さが残っていたからだろう。後で浩明に八つ当たりする算段に切り替えた。
凪がおさまったのを見て、浩明は改めて切り出した。
「一通り目を通したのですが、解職請求理由を見ると現生徒会は相当、問題の有った組織だったようですねえ」
「問題?」
「先日の暴行、並びに冤罪事件、及び校舎の破壊、部活動への一方的な休部措置、活動の遅延に生徒会予算の横領と、随分と問題が多かったようですねえ……」
「ちょっと待って。それは誤解よ」
問題ばかりと言い切る浩明に、絵里は諭す。
「確かに、暴行事件には言い訳出来ないけど、休部措置にはちゃんとした理由が有るのよ」
そう切り出すと、絵里は青海高校のクラブ活動の実態を話し出した。
自由な校風において、生徒の自主性を重んじる青海高校ではクラブ設立は極めて容易であり、一定の部員が集まり、教師が顧問を引き受けてくれればクラブの設立が可能だそうだ。
しかし、そのせいで方向性が違うだけで似たような部も多く創部されており、それらのクラブの統一化と、今後、類似したクラブの設立を無くすよう、制限を計ったそうだ。
それにより、予算の削減にもなったようだが、学生から不満の声もあったようだ。
副会長はそれを、解職請求理由に挙げたのだと答えた。
「成程、それにしてもかなりの数が挙がってますねえ」
「それだけ、うちの学校が奔放過ぎたって事よ」
三十近く挙げられている一覧表を見ながら答える。
自由な校風、生徒の自主性を重んじると聞こえは良いが、行き過ぎに歯止めをかけた結果だろう。自由な校風のなかにも校則は必要という事だ。とはいえ、それが解職請求理由になるのだから反発もかなり有ったのだろう。
「まぁ、学校内の問題は教師に任せるとして、ひとつ気になったのですが、請求理由のひとつに予算の横領と書いてありますねえ」
疑問に対して、絵里が「ああそれね」と応じてから答える。
生徒数に対して少数の生徒会では、遅くまで残っての仕事も多く、学校側が食事代の負担もしているそうなのだが、その金額に不明瞭な部分が有ったそうなのだ。
曰く、一日分に定められている支給額では入れないような店で食事していた。
曰く、食事後の会計で領収書を書き換えるように指示していたなど、食事内容と領収書の金額に食い違いが有るらしく、そこが挙げられたそうだ。
「ですが、予算内には収まってるようですねえ」
会計資料を見ながら浩明は答える。
「そうなのよ。だから問題になってるのよ」
「え、でも実際の支出額は学校側から出ている支給額以内に収まってるのよね?」
「えぇ、表面上支給額分だけで領収書を切ってるのですからねえ」
「実際に予算は収まっていたんですか?」
「そうなのよ。おかしな事に」
「じゃあ、その差額は自分で出してるって事じゃないの?」
「通常ならそう考えますが、会長達の立場を見ると違う話が見えてきませんかねえ」
「何よ?」
凪に問われて浩明は推論を述べる。
「活動休止に追い込まれ実質廃部状態のクラブ、そこから出た手付かずで余った部費。そのままにすれば、来年度の削減対象になるのは必至。それなら使ってしまったほうが良い。かといって備品となると形が残る。ならば形が残らないものは何か。遊びに使う遊行費、あるいは……」
「食事に使う飲食代ってとこかしら」
浩明の言葉を絵里が引き継いで答えると、凪は「え、マジで……」と顔を引きつらせた。言わんとした事を理解しての反応だ。
「え、でも本当にそんな事をしたって決まったわけじゃないでしょ。本当に差額は自分で出してる可能性だってあるし」
「確かに私も会長達が出してる思いますよ」
「なんでそう思うのよ」
凪の出した可能性を肯定した理由を絵里が聞くと、浩明は持論を述べる。
「お気に入りだからと、生徒会でいれるお茶を自分で持ってきている人がわざわざ飲食代を着服するような事をするでしょうかねえ。それに彼女は確か……」
「大谷宗家の御令嬢よ。それも筋金入りの箱入りよ」
絵里の答えに、「そう、その通り」と浩明は答えてから続ける。
「大谷宗家ともなれば、日本有数の魔術師の一派であり、資産もかなりのものです。その彼女が、学校予算の横領などするでしょうかねえ」
「あ、あぁ……確かに」と凪が納得の言葉を洩らした。
大谷宗家
天統、結城に次ぐ魔術師の名門であり、「魔術師宣言」の発せられた所謂、魔法黎明期から数年、魔法の普及と地位確立を目的に県外に移り住み、その地で魔術師達を育成し束ねていった一族のひとつである。
その地を治めた事により生計を立てている家も多く経済的危機に陥る事態は殆ど無い筈だ。
天統家と結城家は言わずもがな、魔術師に必要不可欠なコンバーターを世に送り出した功績により魔術師の頂点に君臨する家柄へと押し上げた。「魔術師宣言」の後、魔法行使の補助デバイスとして開発されたコンバーターは、当時、科学研究所(後に魔術研究所に改名)の所長として陣頭指揮を取っていた総一郎達の曽祖父、天統清隆と、副所長であり、右腕として開発にあたった康秀の曽祖父、結城克政の二人によって開発され、人類に魔法と言う未知の力をもたらした。
その功績は両家に多大な利益と、魔術師の先駆者として黎明期からその地位を不動のものとした。故に彼らの経済事情はかなりのものだ。
「それじゃ、差額は自分達で出したって言えばいいじゃない」
「そう言っても会長達は不利でしょう。実際に払ったレシートとわざと減らして記入された領収書が揃っていて、その言葉を信じる人間はいるのでしょうかねえ」
状況証拠に領収書、最悪の条件が揃っていては弁護のしょうがない。見事な冤罪の完成だ。
「でも、もしやっていないとしたら、その浮いた予算はどこに有るのよ?」
「それは、この会計資料と領収書を照合しなければ分かりませんよ」
「え、領収書は無いの?」
「そこまで用意はされてませんねえ」
「そこまでは無理よ。私は生徒会の人間じゃないし」
絵里の言い分は最もだ。情報を集める新聞部でも、生徒会の領収書を手に入れるのは困難である。会計資料は生徒会側、それも副会長から出されたものであり、むしろ、新聞部でありながら生徒会の個人資料を集めてくれた事だけでも十分過ぎる程の功績である。感謝こそすれど非難する理由がない。
「これは、実際に領収書を照らし合わせる必要が有りそうですねえ」
さっきまで凪が操作していた備え付けの端末を手に取り精算画面の手続きを済ませて席を立つと、「行きますよ」と凪に声をかける。
「え、行くってどこへ?」
「生徒会室です。領収書と照らし合わせる必要が有ると言ったじゃありませんか」
「へ?」
「過去半年分の見直しです。手伝ってもらいますよ」
「ちょっと待ちなさい!」
凪が答えようとする前に、立ち上がって絵里が止めに入った。
「星野君、今の立場、分かってる? あなた達は今、停学中よ」
「えぇ、分かっていますよ」
「本来、ここに来てるのも不味いのに学校まで行くつもりなの!?」
停学中の学生が自由に外出など、本来なら罰則もの、ただでさえ情報収集のためとはいえ、喫茶店への出入りが学校側に知られれば処分は重くなるのは当然だ。
それに対して浩明は躊躇する事なく切り返した。
「もとより覚悟のうえです。形振り構ってられないと言った筈ですよ」
「あなたねぇ……」
頭痛を起こしたように絵里は頭を抱える。
「里中先輩、こうなった星野には何言っても無駄ですよ」
止めるどころか、一緒に付いて行こうと立ち上がる凪の姿に絵里も決断を下した。
「分かった。私も付いていくわ」
「はい?」
「灯明寺さんは止めるつもりがない。もし見つかったら私も同罪。だったら付いていく方がまだマシよ」
これだけ詳細な情報を集められる人間は限られている。二人が見つかれば情報源の特定は容易な話だ。
「人手が多い方がいいでしょ。人海戦術で早く済ませて退散するわ」
「部長、よろしいのですか?」
「今更な事聞かないで。それに真実を明らかにしたいのは、私も同じよ」
「分かりました。急ぎましょう」
意思の確認を終えると、レジでの清算を済ませて、足早に店を出た。




