肆拾話
「で、これからどうするつもり?」
いまだに頬を赤らめ、右手でスカートの前を押さえつつ、反対の手でスカートに付いた土と埃を払い終えると凪は浩明に詰め寄った。
「そうですねえ」
天統先輩達に喧嘩を売ります。盛大に煽りますので手伝ってください
最初に言われた時には、意図も分からず、浩明に言われるがままの行動であったが、やり過ぎた感が無いわけがない。確執が有るとはいえ浩明のあの対応はやり過ぎだ。
「状況を見極める為の強行策って言ってたけど、わざわざ天統先輩達を怒らせて何がしたかったのよ?」
「仮痴不癲ですよ」
凪の問いに返ってきたのは今川焼屋で言った言葉だった。
仮痴不癲、兵法三十六計の第二十七計にあたる戦術。
痴を仮りて癲わず
愚か者を装って相手に警戒心を抱かせず、時期の到来を待つ。
有名な事例は三国志の司馬懿仲達が挙げられる。
魏では曹操亡き後、司馬懿が権勢を増していったが、それを疎んだ政敵の曹爽の一派の活動が活発となり、司馬懿は宮殿から遠ざけられた。その後、司馬懿は屋敷に籠もり、交流も全くしなくなった。曹爽はあまりに静かなので不気味に感じ、部下の李勝に命じて様子を見に行った。司馬懿は下女2人に両脇を支えられ、衣服はずり落ち、粥を食べようとしてもみなこぼれて胸元を濡らしてしまうというありさまであった。また、司馬懿はわざと李勝の言うことを聞き間違えたり、自らの容態について弱気な発言を繰り返したりした。これを聞いた曹爽は司馬懿も老いて呆けたものだ、と完全に警戒を解き、曹爽が都を空けると、その隙を突き、司馬懿は権勢を取り戻し曹爽等を排除。魏において皇帝をしのぐ権勢を確保し、孫の司馬炎が禅譲される道を定めた。
これが世に言う「高平陵の変」である。
「愚か者を装うって、頭のキレる星野が愚か者をってのは無理が有るんじゃないの?」
「おや、充分に馬鹿を装ったつもりですよ」
「どこがよ。嘘暴いて、喧嘩を売っただけじゃない?」
「えぇ、それこそが犯人の思惑だったでしょうからねえ」
「思惑?」
「webニュースであのような記事を配信させた目的は私と天統一族との全面戦争が目的です。
配信されれば、私に不満を抱く学生は必ず文句を言いに行く。お前があの人達の兄弟だなんて認めない。そう騒ぐでしょう」
「まぁ、実際にあったし」
「あの星野浩明ならその学生に対して確実に報復行為に及び、尚且原因である天統一族にも同様の報復に及ぶ筈だ。そうなれば全面戦争は確実です。そんな見え見えな犯人の意図にわざわざ乗っかっている時点で充分に馬鹿を装ったと言えるのでは有りませんかねえ」
「それであそこまで煽ったって事か……」
そこまで言われて凪は始めて意図を察した。
「そう言う意図があって、わざと天統先輩達にあそこまで言ったんだ」
「いえ、あれは思っている事をそのまま言っただけです」
「………」
絶句した。演技かと思えばまさかの本音。あそこまで言ってのけるとは、元一族が絡んでくるのは相当なストレスになっているようだ。
「あの……まさかと思うけど、結城先輩に殴られたのも持ってくように仕向けてたの?」
「結城の御嫡男殿は血が昇りやすく、思い通りにいかないと暴行を加えてきたような方でした。ですから、上手く神経を逆撫ですれば……とは思っていましたよ」
「恐ろしい事やるわねぇ」
口先三寸で手玉に取って思惑通りに動かす。
浩明の思惑を察して思わず身震いをした。
「まぁ、教師が来るまで時間を稼ごうと避けてまわっていましたが、よもやあのような行為に走るとは思ってもいませんでしたがねえ」
飛び降りた三階の抜け穴を指差して言った。未だに煙が立ち上っており、中は悲惨な事になっているだろう。
「で、この後はどうするつもり?」
「ここまでやってくれたのです。今後、私と灯明寺に関われぬようにきっちり引導を渡しておきましょうか」
「うわぁ……、星野ってば鬼畜」
意図を理解して凪が声をひきつらせる。とてつもない方法で相手にとどめを刺すつもりだと。
「君、やったのはあくまで結城の御嫡男ですよ。我々はやられかけて避難した被害者、鬼畜扱いなんかされる覚えは有りませんよ」
-あぁ、この男はそういう奴だった
人差し指をたてて正当化する浩明に、凪は思い返した。
「さて、きっちりと引導を渡してやりますか」
「つくづく、アンタの敵にはなりたくないわ」
妙にやる気な浩明を前に、凪は、浩明を敵にまわした康秀達に心底同情した。




