参拾漆話
頬に走る痛みに気付いた時には飛ばされた勢いそのままに廊下を廊下を二、三回転がり仰向けに倒れていた。
ギャラリーと凪には、起こった現実を理解するのに思考が付いていけず、その場に一瞬の静寂が訪れる。
「き……、きゃあああぁぁぁ!」
意識が現実に追いついたのは、静寂を破るギャラリーからの悲鳴だった。それが引き金となって周囲に軽くパニックが起こる。
その喧騒の最中、当事者である康秀は浩明を殴ったその拳をつきだしたまま、浩明への怒りを隠すことなく肩で息をして、浩明を睨み付けている。
「だ、大丈夫? 派手に飛ばされてたけど」
一方の浩明は、心配そうに駆けよった凪に「大丈夫です」と殴られた頬を押さえてない方の手で制して立ち上がる。
「この程度、師匠との模擬戦に比べれば撫でられた程度です。それに、この程度でやられてるようでは、師匠に雷を落とされてますよ。「この未熟者、そんな柔に鍛えた覚えはないぞ」とね」
首に受けた衝撃を緩和するようにさする。どこかから「もう二、三発殴らせろ!」という喚き声と「落ち着け!」と悲鳴に近い静止の声が聞こえてくるが、二人は無視することに決め込む。
「雷って」
「えぇ、物理的に雷を落としてきますから避けるのも大変ですよ」
「物理的にって、あんたの師匠って何者よ!?」
「色々と規格外な方ですよ。人としても魔術師としても」
「そりゃ、想像つくわよ」
目の前にいる弟子を見ればそれはよく分かる。
「手ほどきも命懸けでしたからねえ。注意力と耐性を付ける為に不意討ちで飲み物に毒を盛られましたし、マグマの上を火渡りもしましたし、海賊が出没する中南米海域のど真ん中から日本まで遠泳した事も有りましたねえ」
「言わなくていい、聞きたくないから!」
浩明の口を押さえる事で、物騒な解説を止める。特に最後のは遠泳ではなく漂流だ。
「おかげで大抵の毒物には耐性が付きましたし、注意力は身に付きました。師匠には感謝してやまないですよ」
「そ……そうなんだ」
自慢の師匠だと胸を張って答える浩明だが、凪は心に決めた。
その師匠とやらには絶対に教えを乞いてはならないと。
「おい、浩明!」
「ん?」
「え?」
喚き声に呼ばれ、間の抜けた声を同時にあげて、声のした方を振り向くと、こめかみに青筋を浮かべ、再び殴りかからんとして喚く康秀を明美と総一郎の二人ががりで羽交い絞めにしていた。
「何無視してんだ!」
「あぁ、これは失礼」
額に青筋を浮かべる康秀に、悪びれる事なく意地悪く答える。
「すいませんねえ、喚いてるだけの暴行傷害犯と心の底から心配して声をかけてくる自慢の相棒、どちらを相手にするかなんて考えるまでもないと思いましたがね」
「なッ?」
康秀の顔が真っ赤になる。「相手するまでもない」と無視された挙句、更には「暴行傷害犯」呼ばわりと蔑まれた事による逆上でだ。
「ま、前置きはさておきまして」と、浩明が一呼吸置く。
「殴ってきたのは事実を突かれた事による逆上と受け取ってよろしいでしょうか?」
「そんな訳あるか! 下手に出たら付け上がりやがって、何様のつもりだ!」
否定に続いて、浩明の態度を激しく非難してくる。
「何様と言われましても……付け上がったつもりはないのですがねえ?」
しかし、そんな非難の声が浩明の心に届くはずがない。聞き返す姿に呆気にとらわれ、静寂が辺りを包む。
「まぁ、いいでしょう。認識は人それぞれです」と勝手に納得させると、総一郎達から庇う様に後ろに立たせていた凪に声をかける。
「灯明寺、暴行の現行犯です。110番に通報してください」
「ほ~い」
「おい待て!」
携帯端末をブレザーのポケットから取り出し、電話をかけようとするのを総一郎が止めに入る、
「浩明、お前は他人の権力を借りてしか喧嘩が出来ないのか?」
「殴り合いよりは平和な解決法ですよ」
確かに誰も傷付ける事は無いだろう。……物理的には、という言葉が頭に付くが。
「お前、康秀を犯罪者にするつもりか!」
「背後からいきなり襲いかかった暴行犯ではありませんか」
「だが、康秀はお前のいとこだろ!」
「そんな外道鬼畜が私の親戚? 天統家の御当主殿は面白い冗談を言いますね。聞いてて耳が汚れますよ」
完全拒否の構え、総一郎の説得は当然の如く失敗した。
「という事ですので、灯明寺、110番通報してください」
「っざけんな、この野郎!」
総一郎達を振り払い、再び康秀が殴りかかろうと、その拳を浩明へとむけ振り下ろした。
「おっと、危ないですねえ」
しかし、浩明はそれを横に避ける事でかわすと、康秀に対して構える。
「やれやれ、平和的な解決法を取ったつもりでしたが、どうやら殴り合いでの解決がお望みでしたか。さすがは名門魔術師の次期御当主殿です。己が権力と力で物を言わせるとは、落ちこぼれの私とは考え方が正反対です。正当防衛は主張させてもらいますよ」
「ちょっと!」
これには凪が横から止めにかかった。康秀の実力を多少なりとも知っているからこその行動だ。
「あんた、マジでやる気なの?」
「ええ、此方にやる気が無くても向こうはやる気のようです。おそらく今この場で退散しても、どこかで闇討ちしてくるでしょう。そうなる前に保健所に突き出した方が上分別です」
浩明の状況説明に、凪は頬をひきつらせる。この男、総一郎達に対してはとことんまでに毒を吐かねば気が済まないようだ。
「だ、だからって、結城先輩って近接格闘に特化してる魔術師よ。格闘戦じゃ勝てる人が殆どいないのよ」
「え、あれがですか?」
「え、えぇ、あれが」
指差して聞き返した行為が、分からず凪は鸚鵡返しで答える。「おい、どういう意味だ!」と怒鳴り声が聞こえてくるが無視する。
「星野、あんたちょっと見くびりすぎじゃない?」
「まぁ、やれるだけやってみま……!」
明らかに康秀を格下に見ている。凪が浩明の態度をたしなめているのを、聞く耳持たずで応じていた浩明だったが突然、凪に向けていた体を横に向けて構えた。
、眼前に迫る弾幕陣、康秀の起動した魔法だ。
「ッ!?」
魔力粒子を圧縮した魔力弾。術式変換されていない単純な魔力の弾は当たれば物理的損害は免れない一撃だ。
何発も放たれた弾幕により浩明も、そして凪の逃げ場も奪っている。
迫りくる弾幕に凪が息をのんだ瞬間、それは杞憂に終わった。
構えていた浩明が弾幕へと踏み出し、右腕を振り上げた。
「なっ!?」
凪も、康秀達も、そして周りの学生も思わず声をあげた。
振り上げた先、直撃した筈の魔力弾は浩明の腕にダメージを与える事なく吹き飛ばされて光へと変わっていったのだ。
本来、魔力弾に対する対処法は一般的には避けるか防壁による防御、同じく魔力弾を当てての相殺があげられる。
しかし、それぞれの対処法には技量を伴う事も事実で、避ける場合、思念操作による追尾型に対しては防壁の展開や相殺が余儀なく、その防壁、並びに相殺に対しても、魔力粒子の変換量によってその耐久性が変わってくる。
常識的に浮かぶ選択肢のどれも選ばず、叩き落とす。それが食堂で見せたそれだと、理解が追い付いたのは康秀の放った魔力弾の最後のひとつを浩明が右の裏拳で振り払った後だった。
「結城家の御当主殿、不意討ちが結城家で教わる戦術でしょうか?」
「う、うるさい! 先手必勝だ」
「分かりました。これで此方が応戦しても問題は無くなったようです」
お互いに距離を取り、一拍の静寂。
「行くぞ」
「どうぞ」
戦いの火蓋が切られた。




