第二話
「くそッ、なんなんだよアイツはッ!?」
男は恐怖で混乱し、無我夢中で路地裏を走回っていた。
攻撃魔法を素手ではじき飛ばして応戦するなどという出鱈目な光景を目にして、僅かに残っていた理性を総動員して『逃げる』という選択肢を選ばなかったらどうなっていたか……
「もう大丈夫か?」
自分に言い聞かせるように呟いてから走るのをやめて、辺りを見渡して人の気配が浩明が追いかけて来ていない事に安堵の声を漏らした。
「何なんだアイツは? 俺の作った氷の槍を叩き落とすなんて化け物かよ…… 」
「君、化け物とは失礼ですよ、化け物とは」
「!」
浩明の声に驚き、はっとして声の聞こえた方を振り向くが、そこには誰もいなく、顔を恐怖にひきつらせながら周りを見渡して声の主を探した。
「申し訳ないのですが、余り人には見られたくないので意識の方を刈らせてもらいますよ」
そう聞き終える前に、側頭部への衝撃と供に男の意識は途切れたのだった。
「戻りました」
「ヒロ、酒のつまみを買いに行くのにどれだけかかってるんだ」
ベランダから中に入って帰宅すると、返ってきたのは叔父、英二の呆れの言葉だった。
「すいません。帰り道に金庫破りに鉢合わせしたんで相手してきたものですから」
「き、金庫破り?」
物騒極まりない弁解をしながら、買い物袋をテーブルの上に置いて部屋に戻ると、部屋着に着替え始めた。
「安心してください、取るべき対応はきっちりとしておきましたから」
「そ、そうか……」と、引き攣らせながら曖昧に答える。長い付き合いである英二は、浩明が年相応以上に腹黒く、敵意を向けた相手には自分と同等に容赦がないのを良く知っている。
「それで、その強盗犯は?」
「意識を刈り取った後、通報しておきました。今頃は地面にディープキスしながら楽しいデートの待ち合わせをしている筈です」
「そ、そうか……」
今回は穏便に済ませたほうか……、英二は安堵の溜め息を漏らした。(後日、件の男が壁にぶちのめされて顔面骨折して気絶しているところを発見されたと知って、大いに頭を抱えた)
「それでは私は休ませて貰いますよ。明日は仕事が入っているんでゆっくり休んでおきたいんですよ」
部屋着に着替え終えると、扉から上半身だけを出して就寝の挨拶を済ませて戸を閉めようとして英二から「ちょっといいか」と止められた。
「はい?」と、英二の真剣な表情に、浩明は閉じかけたドアから手を離し部屋から出た。
「話が有るんだ」
「今すぐですか?」
時間は、午前一時をまわっている。明日、既に今日が週末で休みとはいっても、数ヶ月後には高校受験を控えている浩明がそう聞き返すのもおかしくない。
「今すぐだ。明日だといつ帰ってくるか分からないからな」
未だ中学生でありながら、裏で運び屋(危険物厳禁)をやっている星野浩明は週末は殆ど家を留守にしている。運ぶ場所や相手にもよるがトラブルに巻き込まれやすい浩明は、下手をすると数日間、帰って来ない事もざらにある。それを考慮しての提案に浩明は「分かりました」と答えてから、居間のソファーの、英二と向かい合う形で腰をおろした。
「それで、どういった話でしょうか?」
買い物袋をがさがさと鳴らしながら缶ビールを取り出しながら英二は「実はな……」と、おもむろに切り出した。
「夕から連絡が来たんだ」
「夕姉さんから?」
夕とは、星野英二の遠距離恋愛中の恋人で、本名は雨田夕、浩明の事を実の弟のように可愛がり、色々と良くしてくれる浩明にとって家族同然の人である。
「独立する事になったって」
「おや、それはまた思い切った決断をされましたね」
彼女は一流のケーキ職人を目指し、東京の有名店で修行を重ね、先日、独立を認められたと喜びの報告をしてきたそうだ。
「それで、独立をしたら、俺に店を手伝ってほしいって頼まれたんだ」
「宜しいのでは? 長年、遠距離恋愛されていたのですから、私に反対する理由はありませんよ」
そもそも、二人が遠距離恋愛をする理由を考えれば尚更だ。
「という事は引っ越しするという事ですか?」
「まぁ、そのつもりだ。ただ……」
「ただ?」
英二にとっても嬉しい話題の筈なのに、何故か英二の歯切れが悪い事に、浩明は疑問符を浮かべた。
「夕は地元での独立を考えてるんだ」
「地元……あぁ成程」
漸く納得がいったと声をあげた。
夕と英二は同郷の仲であり、お互いに故郷を離れて暮らしている。
そして、浩明が、叔父である英二と一緒に暮らす理由、それは、浩明が生まれた家に有る。
浩明は、かつては天統浩明と名乗っており、日本の魔術師の頂点に君臨する天統家の次男であった。しかし、浩明はいくら鍛練を重て魔法が扱えない落ちこぼれであり、魔法を扱える事を誇りと疑ってかからない両親、そして有り余る才能を持って生まれた兄と妹、一族から暴行と虐待を受け続けてきた。そして、浩明が十歳の時、心身衰弱しきり死を受け入れようとした寸前、英二が引き取るという経緯があった。
「独立するなら、実家の近くにしてほしいと両親に言われたようでな。夕としてもヒロの事を知っているから二人で相談して決めてほしいって」
「私は構いませんよ」
そんな、壮絶と呼ぶのも生易しい過去が有る場所に戻らないかと聞く。英二には相当に気が重かった。
「そうか、やっぱり無理か……なに!?」
だからこそ、英二が思わずノリツッコミになってしまうのも無理はない。浩明が余りにも軽く、あっけらかんと戻る事に応じたのだから。
「い、いいのか?」
「いいのかも何も、英二兄さんが夕姉さんの手伝いをしたいと言うなら、私は止めるつもりは有りませんよ」
「て、天統家の事は?」
「別に気にしていませんよ」
一番の懸念材料にも動揺を見せる事なく淡々と答える。
「彼処にいるのは外道鬼畜に劣る犬畜生、人間ではない化け物相手に何を気にする必要が有りますか?」
英二が、「本当か?」と聞き返す前に、逆に最低極まりない暴論で聞き返されて、英二は言葉を失う。かつて家族と呼んでいた人間を人間とすら見ていない。星野浩明は性格がかなり捻くれている。
「尤も、何かしてきたなら、相応のお返しをしたうえで、保健所に突きだしてやりますよ」
どうやら、捻くれ以上に相当、歪みきっていたようだ。
五年前、自ら命を絶とうとした甥の成長(?)ぶりに、英二は二の句を継げなかった。