拾捌話
部員勧誘騒動から数日、平穏に戻りかけた日常を謳歌していた浩明であるが、そう簡単にはいかなかった。
その日は授業終了と同時に、夕御飯の献立を考えながら教室を出た浩明に声をかけたのは、見ず知らずの女子生徒であった。
「ほ、星野浩明君だよね?」
呼び止められて、「えぇ、そうですが」と歩みを止め、怪訝に応える。というのも、相手が魔術専攻科の学生だったからだ。
部員勧誘騒動以降、浩明に話し掛ける魔術専攻科の学生は極端に減った。各クラブの顧問や理事長からのきついお灸が効いてるのもあるが、部員二人を返り討ちにした実力を目の当たりにして、喧嘩を売ってはいけない相手と認識されたようだ。
だからこそ、堂々と浩明に声をかける学生が現れれば、警戒しながら返してしまっても可笑しくない。
「いや、あ、あの、ごめんね。そんなに怒らせるつもりは無かったんだ。し、信じてくれるかな? だだ、ちょっとお話がしたくて」
「いえ、後輩相手にそこまで遜る必要はないですよ」
しかし、怪訝に返された事が浩明の癪にさわったと勘違いされたのか、宥めるように低姿勢で返されて、一気に毒気を抜かれた。制服のリボンの色からして上級生だと分かるだけに尚の事、慌てて頭をあげるよう促した。何より、授業終了直後なので、未だに残っている学生もおり、これ以上、注目を浴びるのも困るからだ。
「まずは深呼吸をなさっては如何でしょうか。話をする前に、まずは気持ちを落ち着かせる事をおすすめしますよ」
「あ、そ、そうね」
促されて、女子生徒は大きく深呼吸を繰り返した。
「あ、ありがとう。も、もう大丈夫だから、本当に」
何度か繰り返して、漸く平静を取り戻した彼女は感謝の言葉を述べた。
「落ち着かれたようで何よりです」
「ごめんなさい、君に関する噂が過激なものばかりだったからつい、ね」
過去二回の行いから、どうやら魔術専攻科の学生にとって星野浩明は恐怖の代名詞となっているようだ。凪を除く魔術専攻科の学生とは余り関わるつもりはないとはいえ、少々、穏便な対応に改めるべきかと考えさせられてしまう光景だ。
「それは失礼。あいにく、私もやられたからと泣き寝入り出来ない性格ですからねえ」
最も、浩明自身は、自ら危害を加えるつもりはなく、相手が危害を加えようとするから応じてる弊害なのでどうする事も出来ないのであるが。
閑話休題、平静を取り戻した彼女は改めて自己紹介から始めた。
「改めまして、生徒会長の大谷慶です。よろしくね」
女子生徒こと大谷慶の自己紹介に「これはご丁寧に」と、返事を返しつつ、成程と注目を浴びていた理由を察した。
生徒会長がわざわざ、自分の所に足を運べばそうなってしかるべきだろう。それも、今、学内で話題に事欠かない相手の所に来れば尚更だ。
「それで、生徒会長がどういった御用でしょうか。わざわざ足を運んでまで来るという事は余程の用件なのでしょうかねえ」
「いや、あの、せ、先日のメールの件なんだけど……」
「メール?」
「あれ? 届いてないかな? 昨日の放課後に生徒会室に来てほしいってメール送ったんだけど……」
「申し訳ないのですが、そのようなメールは見てませんよ」
「お、おかしいな……、ちゃんと送ったんだけど」
今回の件も含めて、一度でいいから話がしたい。放課後、生徒会室に来てほしい。
そうしたためて送った筈なのに、その日、浩明が来る事は無く、待ちぼうけを受けたそうで、それで何故来なかったのか聞きたくて来たのだと説明された。
確認の為に、携帯端末の受信欄を見るが、それに該当するようなメールは無かったと答える。
「ほ、本当に見なかったかな?」
「そう言われましても……」
「タイトルのところに生徒会のロゴが入ってた筈だよ」
「ロゴ……あぁ、もしかしてあれですかねえ」
思い当たる節が有ったのか、眉をひそめて苦笑を浮かべた。
「変なロゴの付いたメールが来ていたんですがねえ」
「ロゴって……もしかしてこれかな?」
慶が携帯端末を操作して、送信済みのメールを展開して見せると、「あぁ、それです」と浩明が答えた。
「良かった~、ちゃんと送ってたんだ。読んでなかったの?」
「間違いメールだと思いまして、未開封で削除してましたよ」
「なんで!?」
素頓狂な声が返ってきた。予想外の返答がそう返してしまったようだ。
「ほ、星野君、な、なんで読んでくれなかったのかな?」
ジト目で問い詰めるように問われて、浩明は思わず視線を逸らした。
「すいません。あの落書きが、まさか生徒会のロゴだとは思わなかったものですから」
「せら生徒会のロゴを落書きって……」
青海高校の生徒会のロゴは、生徒会役員だけが使える特別なモノであり、学校創立当時、一流のデザイナーに依頼した伝統の弁明有るロゴである。それをまさかの落書き扱い、失礼極まりないを使っての弁明の言葉に慶は苦笑いしか出なかった。
「ほ、星野君、あのロゴは、創立当時から使われているモノだから落書きっていうのは、訂正してくれないかな」
「それは失礼しました。学校側にとって伝統有るデザインだとは知りませんでしたので。気分を害してしまったようで申し訳ありません」
素直に応じて頭を下げた事に、慶は思わず目を白黒させた。
星野浩明の魔術専攻科の学生に対しては敵対心剥き出し、それも、上級生相手でも怯むどころか、自尊心を悉くへし折ってきた男だ。魔術専攻科の学生に頭を下げる姿など見た事が無い。
その浩明があっさりと自分の非を認めて頭を下げたのだ。
これには、周りで見ていた学生も「嘘だろ……」と、驚きの声をあげていた。
魔術専攻科の学生をとことん嫌っている男が、魔術専攻科の学生に頭を下げる光景は、驚天動地の光景だったのだろう。
「お、驚いたなぁ。素直に謝ってくれるなんて」
「おや、何か間違った行為をしたでしょうかね?」
何故、驚かれたのか頭に?マークを浮かべられた表情で返されて慶は答えに窮した。
間違いで気分を害してしまった事を謝罪した。
至極、真っ当な行為なのだが、浩明の普段の態度が、どうしても違和感を持たせてしまい、言葉に出せなかったのだ。
「べ、別に間違ってないわ。それよりもだけど」
だからこそ、強引な話題変更に踏み切る。本題はそこでは無いからだ。
「星野君とは一度、お話をしてみたいと思っているの。都合の良い日とかって有るかな?」
「そうですねえ」
漸く振られた本題に、浩明は一度、思案してから答える。
「生徒会とは、学校運営に関わる組織、それも会長ともなれば大変お忙しい事でしょうから、私の都合に合わせるのは失礼です。会長の都合の良い日を教えて頂き、折を見てお伺いしたいのですがねえ」
慶の顔がぱぁっと明るくなった。
「だったら今からでも大丈夫かな。みんなにも集まってもらうから」
その場で携帯端末を取り出し、連絡をつけ始めた。いくらなんでも突然過ぎるだろうと突っ込みたいが、数分後には全員から了解の返事を取り付けたようで、満面の笑みを浮かべて「さぁ、行きましょ」と浩明に付いてくるように言って歩き出した。
ー押しの強い人だな
そう思いながら、「分かりました」と慶の提案に応じてから、浩明は、その後ろを歩き出した。