拾陸話
「お疲れ様~」
職員室から出てきた浩明に、軽い口調で迎えた凪に対して、呆れまじりのため息を洩らした。
「君、悪趣味ですよ」
「あら、やっぱり気付いてた?」
「何の事?」とは聞かずに、凪は聞き返した。職員室の前で待っていた時点で、一部始終を見ていたのは明らかであり、不要な問いだったからだ。
「申し訳無さそうな顔が綺麗に映ってましたよ」
「うわっ、分かった、分かったから。見せなくていいから!」
携帯端末を見せながら説明すると、それを慌てて押し戻して、仕舞うように仕向けた。露骨に引きつってる顔など見ていて気分の良いものではない。それがやってて悪い事なら尚更だ。
「アンタ、私が止めなかった事、本当は怒ってるでしょ?」
意地悪い対応に、凪はジト目になって問い質した。様子を見ようと止めに入らなかったのは、明らかに凪の落ち度だ。浩明が怒っても無理はない。
「いえ、全く。むしろ出された方が困る事態でしたよ」
しかし、浩明から返されたのは、正反対の返答。助けが必要な筈なのに必要無いと言われて、思わず「何で?」と凪が聞いた。
「理事長のはとこ殿の騒動に乗じて、此方の思惑通りに動かしたかったものですからねえ」
「思惑って、何したかったのよ?」
「今後の勧誘と、接触の禁止を取り付ける為ですよ」
浩明はきっぱりと答えてから続けた。
「傍迷惑極まりない勧誘の目的は私の魔法術式なのは明らか。物欲に借られた人間というのは、時に常識と道徳を投げ捨てても欲望を満たそうとする。至極厄介な生き物。それこそ、あの場にいた彼等のように是が非でもと、躍起になるものですよ」
「アンタ、その発想は誰の影響よ?」
自分には絶対に行き着かない発想に、凪は思わず聞き返した。
悟りを開いた僧侶か、有名な寺の高僧から聞いた方が説得力が有りそうだ。
「誰のって……師匠からですが」
「師匠からって、英二さん、なんて事教えてんのよ……」
「いえ、私に魔法の手ほどきをしてくれたのは、英二兄さんさんでは有りませんよ」
「え、マジで?」
「えぇ、マジですよ」
まさかの肩すかしに思わず聞き返した。
浩明の義兄、星野英二は、魔術師として知名度、実力もさることながら、人格者としても知られる有名人である。魔術師ならば、世界最高峰の人間を目の前にして教えを乞わない人などいないだろう。ならばと、当然の疑問を浩明に聞いた。
「じゃあ、誰に教えてもらってんのよ?」
「ですから、師匠からですよ」
「だから、その師匠ってのは誰よ?」
「私に色々と手ほどきをしてくれた方ですよ」
「色々って何?」
「色々とですが」
「例えば?」
「師が弟子に教えるような事ですけど」
その問いに、浩明はのらりくらりとはぐらかして、重要な事を聞き出せない事に、つい声を荒げてしまう。
「だから、その師匠が誰かって聞いてんのよ!」
「教えると思います?」
「……もういいわ」
明確な拒否の言葉に、凪のほうが諦めた。どうあってもこの男は、この件について口を開く事はないだろう。はぐらかし方も十中八九、その師匠からの影響なのだろう。
「アンタの師匠の件はともかく、さっきの話の続きを聞かせてくれる?」
この男の性格破綻に多大な影響を与えてる師匠とやらについてはひとまず横に置いておく事にした。もし、会う事が叶うなら一発、殴る事を心に決めて。弟子の不始末はその師匠にキッチリと責任を取ってもらおう。その位は許される筈だ。
その思惑を知ってか知らずか、浩明は凪から促されると「分かりました」と話を元にもどした。
「理事長のはとこ殿の奪い合いをした目的は、おそらく彼女が理事長のはとこという肩書き目当てでしょう。彼女が所属すれば何らかの見返りがあるのは確実ですからねえ」
「んな訳ないでしょ。いくら京極さんが入ったからってその部だけを贔屓にしたら問題よ。もし部費の優遇なんてやったらひんしゅくものじゃない」
学校関係者だから何してもよい。
仮に京極紫桜という人間がそういう思考の人間であり、理事長にお願いでもすれば何でも叶えてくれる。
余りにも安易過ぎる動機に凪は肩を竦めて反論した。
「部費だけが優遇の基準にはなりませんよ」
返された浩明の言葉に凪は、「は?」と怪訝に返した。
「部費じゃないって、他に何があんのよ?」
「その部内において、彼女から信任を得る事。それだって立派な見返りですよ。彼女は理事長に近い位置にいる人間です。うまく理事長の耳に入ればコネクションを得ることだって可能ですよ。数年間の、それも自分が在籍している数年間の部費よりも、そちらの方がはるかに魅力的ですよ」
それを聞いて凪は、「あ、あぁ……」と納得の声をあげた。親しくなれば彼女の家への訪問もあるし、理事長とも個人で会話する事も可能だ。信頼を築こうと思えば充分過ぎる環境だ。
「さて、今回の騒動ですが、私が止めに入らなくても、風紀委員長が仲裁に入った筈です。そして、軽い注意だけで済ませたでしょう。彼女の対応から考えれば、彼女が痛みを我慢しようとする少々、損な性格のようですからねえ」
良く言えば謙虚、悪く言えば自己主張が苦手。
京極紫桜の性格をそう判断する浩明に、凪は驚いた。ほんの数分のやり取りで的確に見抜くとは思わなかったからだ。
「それで、止めようと仲裁に入ったわけだ」
凪の問いに、浩明は笑みを浮かべて「えぇ」と答えた。
「誰も止めようとしないから仲裁に入る。大義名分としては十分です」
「それが、どうなったらあんな騒ぎになるのよ。てか、最初になんて言ったのよ」
「別にたいした事は言ってませんよ。まぁ、道徳の無さを少々きつめに言っただけです」
「嘘だ」凪は、条件反射で返した。絶対にノリノリで罵倒し倒していただろう。それも、紫桜への行いをネタに、徹底的に糾弾したうえで、相手の自尊心を完膚なきまでにズタズタにしてのけた筈だ。
「まぁ、相手の敵意を此方に向けさせる必要が有りましたので、少々、行き過ぎた感は有ったかと思いますがねえ」
申し訳程度の付け足しに「あ、そう」と相槌を返して続きを促した。
「結果、はとこ殿は、自分の主張を通して問題は解決、あの場にいた先輩方の矛先は、自然に私に向きます。なにしろ私もはとこ殿同様、大型新人扱いでしたからねえ」
自惚れかと突っ込みたいが、本人が辟易するほどの勧誘を受けていた事が何よりの証拠である。
「最も私の場合は、魔法術式のみが目当てだったみたいですがねえ」
「まぁ、そうよねぇ」
紫桜の入部拒否に代わる補償が、浩明の魔法術式だったのがその証拠だ。
「こうして、相手は此方の思惑通り、術式の情報開示を要求、私はそれを拒み、その行いを糾弾して、怒らせて手を下せば、それを強みに交渉する。相手は加害者ですし、言い逃れは出来ませんよ」
「腹黒いわねぇ……」
頬を引きつらせて返した。
「とはいえ、はとこ殿が頭を下げたのは予想外でしたよ」
「それも計算のうちじゃなかったの?」
「いいえ、ですが、おかげで教師と交渉する手間が省けましたよ」
「どういう事よ?」と凪が返した。
「風紀委員の穏便な対応に応じず、証拠を片手に社会的制裁を求める。そうすれば、事態を重くみた教師が駆け付けるでしょう。自由な校風とはいえ、騒動がそこまで発展すれば見過ごす訳にいかないでしょうからねえ」
「えっ、最初から教師相手に交渉するつもりだったの!?」
「生徒の起こした問題というものは、負わされるのも謝罪をするのも教師の仕事です。それを穏便に済ませてやる。その代わりに「今後一切関わるな」と言えば、頷かざるを得ないはずです。人生に傷を付けるか、二度と関わらないか、どちらを選ぶかは考えるまでもないでしょう。それに、はとこ殿が謝ったせいで理事長にまで話が行くでしょう。そうなれば、理事長から説教付きで固く釘を刺されるでしょうから、今後は、私に対して勧誘紛いの脅迫をしてくるような常識知らずは出てこない筈ですよ。仮にしようものなら、はとこ殿の行為に対して唾を吐くも同然ですからねえ」
「そこまでやる?」
交渉と呼べるものではない。最早、教師相手に脅しにいってるといっても過言ではない。
「今頃、あの場にいた先輩方は、顧問の先生方に怒鳴られているでしょうねえ。なにせ自分達も知りたかった私の術式を知るかもしれない機会を失ってしまったのですから」
部活動の勧誘に辟易していた浩明だが、実は魔術専攻科の教師からの勧誘も受けていた。彼等としても、浩明の魔法術式は喉から手が出る程のものだった。ただし、そこは教育者、脅して強引にではなく、信頼関係を築く事から始めていこうとしていた。しかし、その全てが今回の件で水の泡だ。
容易に想像つく光景に、思わず凪は「うわぁ……」と声を洩らした。
「アンタ、腹黒いやり方するわねぇ」
「喧嘩するなら頭を使え。盤外戦を恥じるな。腕力頼りの喧嘩なんか子供のやる事。師匠からそう教わりましたから」
「とんだ師匠ね」
「えぇ、自慢の師匠ですから」
これは、並大抵の相手じゃコイツに勝てない。
凪がそう呆れてるのを気にせず、胸を張って浩明は答えたのだった。




