拾伍話
後悔先に立たずとは良く言ったものだ
部員勧誘の場で起きた騒動の顛末を聞いた橘が、まず頭に浮かべたのはその言葉だった。
替えの制服を受け取りに来た浩明は、関係者である紫桜と明美と共に事情の説明をしていた。
「いやはや、まさかこうなるとはな……」
眉間に出来た皺を揉みながら頭を抱えた。
毅然とした態度で望め
確かにそう言ったが、まさか京極紫桜の部員勧誘に首を突っ込み、勧誘できないように持っていくとは思ってもみなかった。
似た立場の紫桜を庇い、その行いを非難する事で、今後、自分も含めて強引な部員勧誘をさせないよう持っていく手腕は見事であるが、応対の仕方が最悪の一言に尽きる。
相手の自尊心と誇りをことごとく否定し、ズタズタに傷付け、逆上させ、手を出させるように持っていき、加害者として社会的制裁をちらつかせ、追い詰めてから襲わせるように持っていったうえで報復に及ぶ。しかも、完膚なきまでに叩き潰してから、「先に手を出したのはそちらだ。やむを得ず応対した」と正当防衛を主張して、堂々と被害者として社会的制裁を突きつける。
自らを四流魔術師と卑下し、食堂の件も不意討ちでやったと思わせておいて、わざと見下すように持っていっていた学生は、やられてから初めて気付く。
星野浩明は相当な腹黒。
喧嘩を売ってはいけない相手だと
最も、今回の場合は、仲裁に入った浩明に対して、腹いせも交じった暴論を振りかざし理不尽な要求を突き付けた時点で自業自得と言えるだろう。
仮に咎めようとも、先の暴論と叱咤された事への逆上を引き合いに出されれば返す言葉がない。もし、魔法術式を要求した二人を擁護でもすれば、侮蔑の言葉と共に、信用の全てを無くす事になるだろう。それも、自分だけではなく青海高校のもだ。
咎めでもすれば、この男の行動など容易に想像がつく。
天下の青海高校では、自らの欲求を満たす為なら暴力を持って奪い取れ。そう教育をほどこしてるのですか。
ならば、録音していた音声を各方面に提供して、世論に判断を仰ぎましょうと平然と言ってのけるだろう。
あの場で紫桜が頭を下げ、謝った事で事なきを得たが学校側としても最悪の事態だった筈だ。
内心、安堵の溜息を洩らしていると、明美が制服を持って戻ってきた。
「遅くなってすまない、君のサイズのが見つからなくてな。約束の制服一式だ。受け取ってくれ」
それを、浩明は「どうもすいません」と一言、礼を言って受け取った。
早速、着替えようと上着を脱いだところで、周囲から向けられた視線に気付いて、上着だけシャツを隠すように着込んだ。
職員室の中、それも、女性陣の前で上半身を露出させる大胆さは、さすがの浩明でも持ち合わせていなかった。
「助かりました。これで、道行く人に聞かれた時に懇切丁寧に説明する手間が省けましたよ」
「そ、それはなによりだな」
もはや脅迫に等しい事を考えていた事に顔をひきつらせながら応じる。学校周辺でそんな話が広がれば評判は確実に地に落ちる。それも致命的なレベルでだ。
「しかし、まぁ、君はなかなか面白い人間だな。暴行の証拠片手に脅迫しておきながら頭を下げた途端、手のひらを返して交渉に応じる。馬鹿なのか単純なのかどっちなんだ?」
「あくまで、そこにいる彼女の意を汲んだだけですよ」
紫桜に視線を向けてから答えた。
「あくまでねぇ……」
橘は呆れたように洩らした。
「彼女だから応じたの間違いじゃないのか?」
「はい?」
聞き返した反応に、呆れたように口を開いた。
「自分の通う学校の理事長の名前くらい覚えておけ」
「理事長……て事は、君は……?」
「は、はい。あの……、はとこの京極紫桜です」
聞き返したところで、自己紹介を兼ねて返した。
「はとこ……、成程、そう思われてましたか」
橘の言わんとしていた事を察して、浩明は呆れた目で見返した。
「いや、すまなかった。話を聞いたらそうとしか思えない展開だったのでな」
「失礼ですねえ。女性の助けを求める声を見捨てるほど人間は捨てていませんよ」
「成程、君も最低限の礼儀は持ち合わせているって事か」
「分かって頂けて何よりです」
「だったら、魔術科の学生に対する対応も少しは改めてほしいんだけどね」
橘の言葉に笑みで返すと、明美が応酬とばかりに口を開いた。
途端に、橘の顔がばつの悪い表情に変わる。
余計な事を言ったな。余りにも露骨な変化だが、明美は気付かない。
「それはまた、どういった意味でしょうかねえ?」
「事の経緯は分かってるが、それに対する報復行為が酷すぎると言いたいんだ。君の実力なら、もう少し穏便に対応出来るだろ?」
「パトカーを呼ばなかっただけ穏便に済ませたと思いますが」
人生に傷付けなかっただけましだろうと返されて、明美は言葉を失う。浩明と明美、二人の間で「穏便」という言葉の認識には大きな差が有ったようだ。
脳内で反論の言葉を探そうとしている明美に、浩明は「それに……」と続ける。
「この件について、風紀委員長は私を咎める資格は無いと思うのですがねえ」
「何だと?」
その言葉に、明美は怪訝に浩明を睨み付けた。
「星野、それはどういった意味で言ってるんだ?」
「あの場での対応から考えて、そう思っただけですよ」
「お前な、確かに対応が遅れたのはすまなかったが、それはあんな事態になってしまい動けなかったと言ったろう」
「新入生が上級生に囲まれ、恫喝され、なおかつ暴行を受けていたのにもかかわらず、仲裁にも入らなかった、仮にも風紀を取り締まる人間がそのような言い訳が許せると思いますか!」
浩明の言葉に、明美は言葉を詰まらせた。
「いいですか。委員長が取るべき行動は、穏便に済ませろと咎める前に、今回の件を見ていながら止める事すらしなかった己の行動を謝罪し、恥じるべきではないのですか」
「星野、その位に……」
橘が止めようとするが、その前に浩明は続ける。
「あぁ、そう言えば、委員長からは謝罪の言葉すら有りませんでしたねえ。つまり、自分は悪くないと言いますか?」
「違う!」
「違う? あの場でまず出たのが謝罪ではなく事件の隠蔽を要求しておいてですか? 成程、それは明確な意思で殺人幇助を行っていたという自覚を持っていたという事ですか?」
「なんでそうなる!?」
「成程、だからこそ、自らを危ぶんでのあの提案だったと言うわけですか」
「だから!」
「確かに頭を下げはしましたが、それは謝罪では無く、こちらの要求をのんでほしいという頼みの為でしたからねえ」
「お前、いい加減に!」
「そう取られるだけの行いをやったのは、他ならない貴女自身ですよ!」
反論の余地を封じられ、明美は言葉を詰まらせた。辛辣な言葉であるが、正論で責められて返す言葉が無かったのだ。
「星野、その辺にしてやれ」
たまらず、橘が仲裁に入った。
「全く……、私が言うべき事を全部言ってくれたな」
「いえいえ、これでも言いたい事の半分位しか言ってませんので」
その言葉に、橘は心底、止めて良かったとため息を洩らした。あと半分、何を言うつもりだったのか気になるが、あれ以上、言い続けさせたら明美は間違いなく激昂していただろう。万が一、逆上して浩明に危害でも加えようとすれば、元の木阿弥だ。
「星野、今回の件は魔術専攻科側の指導不足だった。すまなかった」
改めて、橘は頭を下げた。浩明がまず求めていたのは謝罪の言葉。教師としての指導不足を素直に詫びた。そのうえで続ける。
「今回の件は、私の方からしかるべき対策を講じる事を約束する。だから、ここで納めてくれ。勿論、今回の件での君の報復行為についても不問とするから」
「ちょっと姉さん、何を勝手に!?」
上級生二人を潰しておいて、無罪放免、余りにも軽すぎる浩明への処分に、納得がいかず明美が抗議に声を荒げるが橘は、それを制した。
「静かにしろ。元はといえば、お前の不始末が原因だろう」
「ですが、それでは相手が納得しませんよ」
明美の抗議も最もだ。しかし、その反応が返ってくるのを想定していた橘は、続けて口を開いた。
「星野が応対した二人に関してだが、本来は停学と反省文のところ、もう充分、痛い思いをしただろうし、今回は厳重注意だけにする。これで二人も納得するだろ」
「そ、それなら……」
余りに軽い処分に、明美が言葉を濁らせた。
相応の報復を浩明から受けている事を考慮しての温情措置、処分としては破格の処遇ではあるが、まだ、明美には感情面で納得が行かないようだ。
「星野もそれでいいかな?」
最後に、当事者の浩明に確認する。せっかくの提案も双方、納得しなければ解決とはならない。
「温情措置に感謝したいのですが、お願いが」
「……なんだ?」
まだ何か納得いかないのか、橘が聞き返した。
「今後、このような件が二度と無いように、各部に対して指導を行ってもらえませんか。私の魔法術式に関して一切関わらないと約束していただきたいんですよ。下心丸見えの勧誘にはそろそろ我慢の限界でしたからねえ」
「分かった。部活連を通して伝えておこう」
「それと、もうひとつ」
「まだ有るのか?」
その問いに「これで最後ですから」と言って続ける。
「もし彼等に、自分達が間違っていたという自責の念が髪の毛一本でも有るのでしたなら、京極紫桜嬢には謝罪と感謝の言葉を言うべきでは有りませんかねえ。今回は京極紫桜嬢が頭を下げたから手を引いたのですから。まぁ、彼女の言動が、本当に今回の騒動の原因だと彼等が言うなら話は別ですがねえ」
その言葉に橘は、言わんとしている事を悟り、一瞬驚きに表情を変え、それを取り繕うように表情を戻した。
浩明の言葉の真意が、余りに痛烈だったからだ。
今回の騒動の発端は、紫桜の意思を無視した横暴な争奪戦であり、紫桜はいわば被害者と言っても過言では無い。本来ならば、理不尽極まりない要求を突きつけ暴力に及んだ上級生達が謝罪すべきであり、紫桜が謝る必要など、どこにも無い筈だ。
ところが、実際はどうだったか。謝罪すべき部の関係者は謝罪の言葉を誰一人言っておらず、紫桜が謝って場を納めたという現実。
道徳知らずの謗りを受けても言い訳のしようのない話だ。
「わ、分かった。その件に関しては君達に謝罪をするように……」
「あぁ、私には結構、今後、一切関わるつもりは有りませんので」
橘が言い終わる前に、浩明はその提案を突っぱねた。もとより浩明に、彼等を許すつもりなど微塵も無い。止めるどころか彼等の提案に便乗して漁夫の利を得ようとした連中だ。関わりたい理由など有るわけない。しかし、教師として、ここで引いては問題だ。
「そうはいかないだろ。間違いは……」
「言われて仕方なくする謝罪の言葉など、聞いてて虫酸が走ります。申し訳無いと思うなら、二度と関わらないよう伝えてください」
しかし、明確な拒否の言葉に、橘は「わ、分かった」と答えるしかなく、そのうえで切り出した。
「君の意思はよく分かった。だがな、魔術専攻科の全員が全員、ああ言った事をする人間ばかりじゃないんだ。そう言った人間は魔術専攻科でもほんの少数なんだ。その少人数の行いだけを見て、魔術専攻科全体を評価しないでくれないかな」
「分かりました。まぁ、氷山の一角でない事を祈らせてもらいますよ。まぁ、次に手を出して来たら今回以上の対応をさせていただきますので」
木を見て森を見ず、一部分だけで、魔術専攻科の評価をどん底に見ている浩明にそう諭したつもりだが、思わぬ返し方をされて、一瞬、言葉を詰まらせたが、伝わってはいるようなので言葉を続ける。
「そ、それに関しては、私もそう願いたいよ」
誠心誠意の言葉に対して、応じておきつつ、次はないぞと釘を刺す。
とんだ問題児だと、橘は引きつった顔を隠す事が出来なかった。




