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02 女王の衛士

「44歳にして中学生……参ったなぁ」

 三上正行は自分の置かれた状況に呆然としながら、始業のチャイムを聞いていた。

あの事件からたった3日後に、彼は久迩宮学園中等部2年生へと編入されていた。

3日前まで体の各所にガタをきたした中年だったのに、今は世界の全てが若草色に見えるところにいる。

 男も女も新品で、くたびれた肉体労働者の野郎も、化粧を忘却の彼方に飛ばした主婦もいない。

混じりっ気のない黄色い声が、全身の神経をくすぐる空間に1人座っていた。


『ミラン・イーラ』

 手渡された真新しいリングパソと、制服につける名札。

アルファベッドで書かれた文字の下にカタカナの名前が、44歳の中年が転生した少年の名前。

新しい人生を行く名前だった。

「くすぐったい……というかいきなりキラキラネームをぶっ飛ばして厨二ネームってのが恥ずかし過ぎる」

 正直な感想だった。

もし結婚していたとしても子供にそんな名前はつけないだろうと、ため息がでた。

「そもそも俺って日本人なのに……」

 だが今は違った、正確には3日前からシュメール人という世にも変わった種族になった。

「シュメール人ってなんなんだよ。俺これからどうなるんだよ。あの学者先生たちも何がなんだかだよ……」

 日本人ではない体。

死にぞこなった体から、若々しい美少年の体に引っ越したはいいが、アメリカ人でもなければフランス人でもドイツ人でもない、およそ聞いたことのないシュメール人。

「古代人っていうけど、どんな種族なのかね?」

 オッサンだった頃黒髪黒目というなんの変哲もない典型的とも言える日本人だったのに、今は違う。

出っ張った腹も短い足もない、あるのは長い手足に細い体。

薄くなった髪に代わり、豊かで柔らかい金髪。

どこを取っても似たところのない真新しい体は、おとぎ話に出てくる小さな王子様。

そういって差し支えない小柄な体格に、艶のある肌、長い睫毛に何より整った美しい顔。

 編入初日の今日、先生に連れられて挨拶。

何十年かぶりのむず痒い経験は、外国人の転入生を見る子供たちの目線に茹で上がるほど照れた。オッサンのままで来たら、速攻で警察を呼ばれるような場所だと色々と余分なことを考えながら席に着いた。

 44歳、人生の四半世紀を過ぎ半分間近だった中年男三上正行は半強制的に新しい人生のスタートを切っていた。

あの日の後にあった馬鹿騒ぎを思い出しながら。





「動かないで……すごいぞこれは」

 若き天才科学者ショーン・ビィーンは興奮をまったく抑えられていなかった。

事件からまだ5時間しか経っていない。

荒事で被った汗水を拭う事を後回しにして、汚れた白衣のまま研究室でウサギのように跳ね回っている様子からもあきらかだった。

 ここは久迩宮総合学園の地下室。

シェルタールームと呼ばれるそこは、四方の壁を白色に塗りつぶした長方形の広いスペースだった。

天井はパネルの一つ一つが光を発するという新しいタイプのもので、決まった形の照明は見当たらず、代わりに壁は襖のように開く事で各種の機材がラックのまま取り出せるようになっている。

 円形に囲むように並べられた機材の中で正行は立っていた、息苦しそうに。

「あのぉ……、えっとぉ……」

「ダメだって、動かないで。引き続き視聴覚テストとかやっていくから、検査機外さないでね」

「老眼は治ってますよ」

 思わず答える。44歳になった春に急に近々の物が霞むようになったが、新しい体では全てが一新されているのか遠くまで良く見える。

「それは良い事、視力検査の結果だと2.5以上は確実なんだ。もっと鍛えると透視ができるようになるかもね」

「えっまじですか?」

「まじだよ!!」

 おかしな会話が続く。

 弾ける科学者ショーン博士は、あれこれと計測器を持って踊っている。

正行をリラックスさせるために悪ふざけをしているという向きもあるが、正行にはふざけた会話よりもっと聞きたい事があった。

「あの、さっきの銃持った人たちってなんなんですか」

「うーん、あれはテロリストだね。最近多いし」

「テロリスト?! 危ないじゃないですか!! 俺が狙われていたわけじゃないですよね」

「違うよー、気にしたら負けだよ。その変はおいおい話すから緊張しないでね」

「気にしますよ!! 教えてくださいよ!! 警察とか動いているんですか?」

「動いてるよ、心配しないで」

 知りたい事はいっぱいだ。

あの激しかった戦闘でみたものはなんなのか、映画みたいなガンアクションで済まされるものではなかったはず。

そこらじゅうに遠慮なく散らばったガラスと、弾丸によって散り散りにされた本。

何よりも撃たれた人間の姿に卒倒し、その中に自分の体ががいた事にパニックを起こした。

そこからここに来る間血だらけだった自分の体を心配する美少年になった自分というおかしな図のまま、今現在籠の鳥となって各種検査を受けている。

「先生、俺の、あの元の俺の体はどうなったんですか」

 縦型のケージ、パイプで囲われた筒型検査機の中に正行は立たされていた。

ここについた時に別室に運ばれた自分本体が気になっている事を目の前に座ったエヌム博士に尋ねた。

「ああ心配だよね、わかっているよ。君の元々の体は集中治療室に入った、一命は取り留めたけど残念な事に結構な重症でね」

 自分の周りで跳ねるショーン博士ではなく、白髪のエヌム博士はしっかりと着替えた姿で検査ルームのドアを割って入ると簡単に正行の「元の体」の状況を報告した。

「鎖骨部分に1発と、腹部に2発。鎖骨の方は骨を折って背中に抜けてるからそれほど問題じゃあないのだけど、腹部の2発のうち1発がすい臓に怪我させている、もう1発は背骨付近を傷つけているため……難しい説明を省くとして、まぁ重症だね」

 ずいぶんと軽い言い方、思わず身を乗り出し噛み付いてしまう

「ちょっと!! ちょっと、それで治るんですよね!! 一応国保の範囲で……」

「国保ってのはよくわからないんじゃが、ああ、ああ心配しない、治療は始めているよ」

 検査中のカゴから飛び出しそうな正行を抑え、老眼メガネを下げた顔でエヌム博士は相槌するように大丈夫を確認してみせた。

正行は、外人だらけの部屋で居心地悪そうな顔を見せていたが、とりあえず自分の本体が生きていた事と治療を受けている事に安心した。

 儲かっていた頃に国民健康保険を払っておいたのは間違いじゃなかったと。

月々50万近くもらっていた頃、国保の高い支払いに腹を立ててきた。

風邪さえほとんど引かない丈夫な体を持っている事に起因したが、丈夫さを持ってしも弾丸は止められなかった今となっては、支払いは無駄でなかったと言わざる得ない。

 しかし正行にとって心配事はこれで半分解決したに過ぎなかった。

「それで俺……今どうなってるんですか、なんでこの少年の体の中にいるんですか?」

「やっとそこにきたかね」

 エヌム博士は、データをパッドで見ながら柔和な笑みをみせた。

「日本人はシャイな人が多くてなかなか本題を切り出せないと聞いていたが、自分の元の体の心配より普通は今現在の状況を心配しないあたりなんか、そのせいなのかね」

「いやいや!! めっちゃ心配してますよ!!」

 一つずつ問題をかたずける。

「早速ですけどこれはどういう事で?」

 正行は手足を動かして自分の胸を叩いて聞いた。

中年太りの親父の手とはちがう色の白いみずみずしい手、事件の時は気がつかなかったが膝丈の半ズボンのせいで見えるまぶしいふくらはぎ。

すね毛なんて一本もないすべすべした触りごごちはまったく自分の体とは別物である事を如実に表していた。

「うん、それはバビロニアの女神ティアマトを祀った神殿の衛士である少年の体よ」

「はい?」

 問いに答えてくれたのは、飛び回るショーン博士でもなければ初老のエヌム博士でもなかった。

白衣から弾けだしそうな二つの果実を目の前に、豊かな女らしい凹凸激しいグラマラスなラインをみせる姿の女だった。

「こんにちはシュメールの美少年、私はメアリー・アンブロー。考古学を趣味とする生物学博士よ」

 絵に描いたような女教師面。

ブルネットの髪を適当に抑えたバレット、ほつれ毛をみせるアンダーリムの赤メガネ。

息が香水と思えるほど甘い匂いで、正行の顔を見つめる。

「どっどっどうも……えーとスメルってなんですか?」

「シュメール。紀元前3500年頃に舞い降りた超古代文明、メソポタミア文明の祖。学校で習わなかった?」

 万年筆を片手に長いまつげのメアリーの悩ましい目で近づく。

こなれた女の仕草を特に気にしない正行は不服そうに答える。

「なんで急に、そんな昔の事言われても」

「うーん、そこには動揺しないと……なるほど、今は美少年だけど中身は44歳だものね。落ち着いてるわ」

「そこですよ!! 俺が聞きたいのは。どうしてこんな事になっているのか教えてくださいよ!!」

 とりあえず生きているという不思議な現象。

死にぞこなっている自分という肉体とは別に、自分の意識だけが少年の体の中にある。

なぜこんな事になったのか、なっているのかをすぐに知りたい。

ケージから飛び出しそうな正行をメアリーは整えられた爪の手で押し返した。

「慌てない、それを今私たちは調べているのだから」

「今調べてる?」

「そうなんだ、こんな事になったのは初めてなんだよ」

 同じように飛び出した正行を抑えた手、ショーン博士は満面の笑みで答えていた。

「今までこんな事なかったんだ。君が今入っている体は殉葬体といって、そもそもは神殿に祀られた女王ティアマトに殉じた少年の体、遺骨から発見された記憶素子(ウンサンギガ)から抽出して作った、所謂クローンなんだ」

「くっ……クローン?」

「そっ、全身クローンは珍しいけど、部分クローンは最近医療でも使っているでしょ」

「確かに、はい……」

 昨今少なくない話だった、再生医学。

44歳のオッサンであっても少なからず聞いたことのある話だった。

人間生きていれば必ず経験する老化、鍛えていない人間なら40歳は肉体的に大きな曲がり角で、それまで出来た事が突然できなくなったり、何より体の部位の欠損を味わうこともある。

 その顕著なものが歯だった。

御多分に洩れず40歳を越した44歳の正行も歯周病で前歯を失っていた。

歯磨きはしていたが、歯肉を守れるような良い効果は得られず、ある日突然は歯は顎の骨から外れフラフラになって惨めにこぼれ落ちた。

熟れたひまわりの種がポロッと落ちるようにだ。

 その時再生医療というものを必死に学んだ。さすがに口を開けたら前歯がないというのは恥ずかしいと感じたからだ。

学んだといっても学術的にではなく、再生医療でかかる費用を中心とした知識だったが、現在医学の花形である歯科医はそれができるようになったことを嬉々として語ってくれていた。

 歯茎と歯を再生することができる。

「クローンには色々規則はあるし、うるさい宗教もあるけれど。君の場合はまぁ現代人を再生しているわけじゃないからいいんじゃないってことよね」

「つまり古代人のクローン……」

「飲み込みが早くていいね!! 君は古代シュメールの少年の中に魂として宿ったということさ!!」

「いやいや、おかしいでしょ!! おかしい!! そんな体になんで俺が入っているのか訳は!! クローンなのはわかったけど」

 クローンの肉体はわかった、どうやって魂を写した?

まったくわからない仕組みに慌てる正行を科学者たちは両手を挙げたお気楽スタイルを見せていう。

「それを今調べているのさ!!」

 陽気なショーン博士の姿だからこその、不安がうなぎのぼりになる。

一番の核心がわかっていないことに顔が歪む。

「結論は? 俺は元の体に戻れるんですよね?」

 一番大事なところだった、若い体に入り中学生としての生活をしばらく送るのも悪くはない。

正直そういう思いもあったが、生活の基盤を持っているのは44歳の自分だ。

「入れたのだから戻れるよ!!」

 ショーン博士はどこまでも陽気で、人の苦労などなんのそのでデータとダンスして言った。

メアリーもまた子供の正行を抱きしめてなだめるばかりだった。

「だから、一緒に調べようってことよ」と。





 久迩宮総合学園の教室は、姿勢に見る普通の学校とは大きく違っていた。

普通の学校は長方形の建物に1本通った廊下、そこから長方形を分割したように教室が並ぶというもっとも簡素にして建築業界としては面倒のない作りになっているものが多い。

 久迩宮学園のそれは、学校自体がそういうスタンダードな形から少し逸脱したものだった。

そもそも久迩宮学園自体が少しばかり小高い丘に作られた学園だった。

丘陵の下層に面するところにメインの校門である大ゲートが作られているが、出入りは完全管理で大型のステーションのようになっている。

校門が隣接するリニア駅とつながっていることもあり、外から通う生徒は出入り口で学園パスポートを通さなければ入れないという仕組みだ。

 丘陵の持つ階層を利用した学園は、中央広場を大きくとった四方に学年区分がされ、四方向の中間さらに斜の方向にそれぞれの研究室などが作られていた。

階層が上がると建物自体も上がるが地下施設は下階と同じ位置からずっと続くことになるので移動は比較的簡単で、中等科以上になれば構内を移動するための「カーゴ」という乗り物を使用することもできる。

 総合学園を銘打ってるため、学園内、特に中庭から上の階層には大人も多く研究員や博士号を持つものたちの個人研究室も多数作られている。

 数十年前に学校を卒業して以来の三上正行こと「ミラン・イーラ」には物珍しいものばかりだった。

「正直疲れた……衣食住は保証する、今日からこの学園が俺の家……てか」

 通学1日目となった今日、授業の内容より今後のこと現在の自分のあり方をどうしていいのか、体の中にとぐろを巻く不安を除くことができなかった。

「若返りってのとも違うし、なにより俺じゃないってのをどう理解したらいいのかね」

 素直に喜べばいい。

ショーン博士は夢みたいなことを言っていた。

「普通だったら44歳ななんて先の見えた人生を楽しいとおもえないでしょ」と

「まーね、44歳から先っていったら確かに、楽しいこと見つける方が難しいけど、金があればそれも忘れられたんだと思うんだよね……って」

 夢のない自分、金に頼って堕落した人生。

正行は頭を小突いた。

戻る方法もあるらしいし、本物の自分の体も治療されている。

費用の心配もいらないし、自分は久しぶりに仕事から解放されて子供気分を味わえる。

だけどそれが終われば……

「ダメダメダメだなぁ、やっぱり心の老化はふせげねーよな」

 ついて回るのは現実の自分だった。

このまま子供のままで、ここで保護されて、なんとか楽して生きたいという怠惰が擡げる頭を叩く。

「ダメに決まってるだろ、そんなこと。そういうふうに楽な方に流されてこんなことになっちまったわけで……」

「ミランくんそれともイーラくんって読んだ方がいい?」

 突然の声は少女のものにしては固く、尖った印象を受けた。

「へっ……俺?」

「教室に貴方しかいないのに、誰に聞くの」

 夕日がさす教室に正行の前に立っていたのは、長い黒髪を持った少女だった。

久迩宮学園中等部、同級生のブレザー、下はタータンチェックとオーソドックスな制服に包まれた美少女は不機嫌そうな眉で正行の胸にかかった名札を見を見ていた。

『ミラン・イーラ』

「えっと……ああ、俺か、俺だよね、変な名前だよね、呼びやすい方でいいけど」

 少女に見つめられるという44歳の男だったら犯罪になりそうな中で、自分が別の人間であったことを思い出した。

今は15歳、それを演じないといけない。

「ミランだとサッカーチームみたいだけど、イーラはなんかイライラしてそうだし。呼びやすくて、そっけない方がいいんだろうけど」

「ミランもイーラも意味はあるわ、あなたの名前にはちゃんと意味があるでしょ」

 少女の物言いは極めて冷たかった。

笑いもしない口元が鋭利なナイフの輝きに見えるほど、静かに構えた姿から威圧さえ感じる

「意味……、意味か、俺にはわからないけど、名前に意味あるのかな?」

「あるわよ、ティアマトの翼という言う意味が。こんにちはミラン……そしてさようなら!!」

 至近弾、風の音が聞こえるような鋭い蹴りが正行の頭をかすめた。

目の前に飛び出した彼女の足が残像となって歪む、見えていた、だから椅子から転げ落ちるように避けることはできた。

「何する……」

「3日前に撃たれたのに、のんびりしているのね。世の中甘くみすぎてない!!」

 低空にある彼女の顔、転んだ自分の位置にあるのは攻撃のため、しゃがんんだところから回し蹴り。

伸びやかで綺麗な足が低空を切り裂いて迫る。

一瞬を無駄にすることなく前へハンドスプリング、向かってくる側に跳ねて立ち上がる。

体は3日前の時と同じように、攻撃的に鋭く動く。

それを不可思議と考える時間はまたもない、動きに従ってこの窮地を脱するしかない。

 互いが夕日の中に顔を晒していた。

 青い目を尖らせたミランという名を持った正行と、涼やかにして黒曜石のごとく輝く瞳の彼女。

夕日が闇に落ちていくグラデーションの景色をみせる窓に、二人の影はにらみ合う。

 正行は距離を測るように聞く。

「殺しに来たってやつ?」

「そうよ、殺しに来たのよ!! 女王の衛士さん!!」

 黒い刺客は走っていた。




話を組み立てるという作業は大変だと知った今日この頃です

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