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迷い人  作者: ぴえ~る
第4章 帰るところ
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4-19 クリスの過去

 当時七歳だったロッド――クリスは引き取られた先で、表向きは使用人として働くこととなった。

 ただノービス家の主人――ノービスは、わずか一代で平民から成り上がった実力者であり、貴族という存在に対して、そんな男だからこそ、嫌悪の感情を抱いている男だった。

 強盗からクリスを引き取ったのも、いけ好かない貴族の娘のプライドをこの手でズタズタにしてやりたいという、歪んだ感情から来たものだった。

 決して、クリスの両親と面識があって、クリスに手を差し伸べようとしてクリスを引き取ったわけではない。

 ノービスは温室育ちのクリスがさっさと音を上げることを期待していたのだが、それに反して、クリスは仕事を押しつけても、何一つ文句や不満そうな顔をすることなく、馬車馬のごとくしっかりと働いた。

 ノービスも含めて勘違いをしていたことだが、貴族の子どもというと、一般的にはワガママで横柄なイメージがあるとされているが、実際はそのまったく逆なのである。

 子どもであっても貴族は貴族。公の場にでることもしょっちゅうなので、その場におけるマナーも含めて、徹底的に親から教育される。もし、子どもが失礼な行動をしでかすと、その一族全体が白い目で見られることになる。だからこそ、いくら小さな子どもであっても、常に謙虚さと誠実さが求められる。

 そんなわけで、クリスも両親から他人と接するときのマナーや仕草に関しては口酸っぱく言われてきた。立場が変わろうとも、その教えはクリスの中に残り続けていたのだった。

 しかし、嫌な顔一つすることなく奉公に準ずるクリスの行動はノービスにとって、意にそぐわないものだった。使用人としての働きを期待してクリスを雇ったわけではないのだから。

 それでもクリスの気持ちをへし折ろうと、ノービスは事あるごとにロッドに執拗な嫌がらせを課してきた。

 具体的には、屋敷の外にある、体全体すら満足に入らない犬小屋のようなところで寝泊まりさせたり。ご飯はパンがたった一欠片の時もあれば、犬らしくしろ、という命令の元ででドッグフードを食べさせたりすることも一度ならずあった。

 それでもクリスは、文句一つ言わず耐え続けた。もちろん、そんな生活が楽しかったわけではない。

 一度、隙を見て逃げ出そうとしたこともあったが、ノービスに捕まってぼこぼこにされ、元の顔がわからなくなるくらいに腫れ上がったこともあった。

 クリスを痛めつけている時のノービスは、ロッドが今まで見た中で最高の笑顔を浮かべていた。それでも罰と称した拷問の最中、クリスは声一つあげることなく必死に耐え続けた。

 クリスにひどい仕打ちをしたのは、何もノービスだけでない。ノービスの行動を見た家族全員が、クリスには何をしてもいい、という認識を持つようになり、クリスに対する嫌がらせは日に日に増していった。

 ノービスの妻は何か気に入らないことがあれば、クリスにまったく関係ないことでも、クリスを呼びつけて当たり散らしていた。それでも暴力を振るわれないだけ、それに関してはまだマシだったのかもしれない。

 他にもノービス家には子どもが三人いた。

 すべてクリスと大して年の変わらない男の子で、最初のころは武術の訓練という名目で、サンドバッグを相手にするかのようにクリスに暴力を振るってきた。

 しかし、その家で何年も生活を続ける上で、子どもたち三人の嫌がらせの質が変化してきた。年齢を重ねて、異性という存在を意識するようになる頃の話である。

 クリスは、三人から直接暴力を振るわれることはなくなったものの、今度は女性として男性を悦ばせるような行為を強要されるようになった。

 ノービスに暴力を振るわれたときのことよりも、息子たちを悦ばせているときの惨めさや彼らの下卑た笑いはクリスという名を捨てた今でも、トラウマとしてはっきりと記憶に刻まれている。

 ノービスや彼の妻、そして屋敷の他の使用人たちも、常軌を逸した息子たちの行動を知ってはいたものの、誰一人としてそれを咎めることはなかった。

 それどころか、他の使用人からは、「クリスが自分の身体を使って、ノービス家の息子たちに取り入ろうとしている」「クリスのほうから迫ったのではないか」という噂が流れ出たほどだった。

 屋敷内には誰一人としてクリスの味方はいなかった上に、他の使用人に娼婦だと罵られても弁明するわけでもなかった。最初から一人ぼっちだったクリスは、いつか転機が訪れると信じて、地獄のような日々を堪え忍び続けた。

 そして、クリスの念願通りに契機が訪れたのは、ある三日月の夜の日のことだった。

 ノービス家全員で隣町までパーティーに出かけた帰りのことで、使用人であるクリスも彼らに同行していた。ノービス家全員が悪い意味でクリスを特別扱いしているため、身の回りの世話はすべてクリスが担っていた。

 暗い夜道を一頭の馬が風を切り、闇を裂くように走っていた。馬は馬車を引き、その中にはノービス家五人と、それに加えてクリスの六人が乗っていた。その他にも馬を操る御者の男が、馬車の外で馬を操っている。御者の男もまた、ノービス家に馴染みのある男である。

 ノービス家が参加した今回のパーティでは、使用人も参加するのが習わしで、そのため同行していたクリスも参加することになった。

 みすぼらしい服を与えてクリスに恥をかかせようとしたノービス一家だったが、パーティでは使用人もその一族の顔となる。よって、明らかに浮いた格好をしていたクリスは、ノービス家の顔の一部として周囲に認識され、その後ノービス家全員が白い目で見られるようになってしまったのだ。

 結局、恥をかいたのはノービス一家のほうであり、あいさつもそこそこにして、逃げ帰るようにパーティからさっさと逃げ出したのだった。

 元貴族のクリスにとっては、自分たちの身内を精一杯着飾らせることは常識的なことだったが、成り上がりのノービス家はそんなことも知らなかったのだ。

 結局、怒りの矛先はクリスへと向くことになり、馬車の中ではクリスに対するひどい仕打ちが続いていた。

「貴様があまりにも出来損ないだったせいで、俺たちまでこのザマだ。どうしてくれるッ!」

「申しわけありません。申しわけありません。私が至らないばかりに、うっ!」

 主人が声を荒げながら、ロッドの身体を足蹴にする。お腹の底からこみ上げてくるものを感じながら、ロッドはそれでも謝り続けた。

(そっちが勝手に私の服を用意したのに……)

「そうよ! 本当だったら私たちが、あのパーティの主役になるはずだったのに。主役である私たちを除け者にするあんな低能パーティーに興味なんかないけど、あんたには少し教育が必要なようね。ホント、いつまで経っても使えない使用人なんだから」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなんさい」

 今度は主人の妻が吐き捨てるように言う。ロッドは壊れた人形のように、ひたすら床に頭をつけて謝り続けた。その頭をノービスが思い切り踏みつける。

「父さん、そのへんにしておいてよ。奉仕してもらっている時にさ、痛々しい傷が見えると、萎えちゃうんだよね」

「あ、ああ……」

 長男が言うと、ノービスは言われたとおりにクリスから足を下ろした。

「くくっ、それじゃあ、今日はどんなことをしてもらおうかな」

 長男が嫌らしい笑みを浮かべながら、クリスの髪を引っ張って無理矢理顔を上げさせて、思いっきり顔を近づけてくる。

「けど、俺も今日は鬱憤が溜まってるんだ。今日はいっぱい頑張ってもらうからね」

 耳元で囁くように長男が言うと、クリスの全身から汗が引き寒気がする。

「…………」

 このとき、クリスの身体の奥で何かが壊れる音がした。

(こんなのが続くんだったら、魔物に食われた方がマシ……)

 ――その時だった。

 地平線の手前に街が見えているというところで、突然馬車がガタンッ、と揺れて、馬がわなないた。

「な、なにごとだ」

 怪訝な顔をしたノービスが馬車の窓から外を覗き込むと、視線の先には異形の生物が浮かんでいた。

 それは人間と同じようなシルエットをしているが、それでいて人間とはまったく別の気配を醸し出している生物だった。

 つまり、分類上は魔物と言われている生き物である。

「うああああああ! ま、まもの。な、なんでこんなところに……」

 恐怖で震え声を発しながら、ノービスは窓から離れようとして尻餅をつく。

「キヒヒヒヒ、いい反応するじゃねえか。とりあえず、全員下りて来いよ」

 馬車に乗っていた全員が、顔を見合わせて戸惑いの表情を浮かべていたが、ここは言うとおりにしようということになって足を震わせながら馬車から外に出た。

 御者を務めていた男も含めて、七人の人間が地面に降り立つと、魔物は一人ひとりをじっくりと見比べた。

「まあまあ、いきなり取って食うような真似はしねえよ。そうだなあ、この中でひとりだけでいい。そいつを俺に捧げろ。残ったやつは好きにして構わねえ。俺はそいつ以外を殺したりしねえし、手を下すこともねえ。それと、一つだけ訂正しておきたいんだが、俺は魔物じゃなくて魔族な。まあ、おまえらにとっちゃ、魔物も魔族もあんまり変わんねえかもしんねえけどよ。ヒャハハハハ」

 目の前の魔族が大声を上げて笑うと、恐怖に染まった馬は大きな鳴き声を上げて、誰も乗っていない馬車を引きずりながら走り去ってしまう。

 生け贄を一人出し出せと言われて、誰に白羽の矢が立ったのかは言うまでもない。その場にいた全員が、一人の使用人に視線を注いだ。

「こちらの使用人なんか、どうでしょうか? まだ若いですし、働かせてもよし、取って食べるもよしだと思いますが、他の人だとちょっと、あなたの好みに合わなさそうなんて……」

 ノービスが魔族の機嫌を伺うようにが手もみしながら言うと、

「ああ、まあいいだろう。これで契約成立だ。それじゃあ約束通り、他のヤツには手出ししねえよ。ゆっくりと夜を過ごすんだな。まだまだ夜は長えからな。キヒヒヒヒ」

 魔族が愉快そうに笑うと、ノービス一家と御者は一刻も早く恐怖の象徴から離れようと、一目散に遠くに見える街の門に向かって駆け出した。

「…………」

 あっさりと自分の命が売られたことに対して、クリスはなんの感慨も沸いていなかった。どこか他人事のように感じ、自分がここで命を落とすことをなんとも思っていなかった。

 なぜならば、たとえここで死ぬことになろうとも、あの屋敷であのまま暮らすよりはマシだと考えたからだ。

 そう思うと、目の前の魔族が、あの生活から自分を救い出してくれた救世主みたいに見えてきた。

「ひでえやつらだな……。おまえもそう思わねえか?」

「…………」

 問われた質問に対して、クリスは何も答えなかった。

「なあ、おまえはあいつらが憎んでいるか? 殺してやりたいほどに憎んでいるか?」

「……わかりません。ただいなくなってしまえばいいのに、とはいつも思っています」

 少し躊躇したが、クリスは自分が考えていることを素直に話した。別にこれが最後なのだから、最後くらいは素直な気持ちを口にしてもバチは当たらないだろう。

「じゃあ、俺がその願いを叶えるために少しだけ力を貸してやるよ。それをどう使うかはおまえの自由だ。あとは煮るなり焼くなり、おまえのやり方で好きにするがいい」

「……はい。お願いします」

 クリスはは小さく頷いた。

 この時は、本当に一家全員を殺してしまおう、などとは考えていなかった。いつもやられているようなことをやり返して、あの人たちにクリスの痛みを理解してもらって、謝ってもらおうと考えていただけにすぎなかった。

「キシシ、契約成立だな」

「――――――っ!!」

 魔族が人差し指でクリスのおでこに触れると、身体の底から負の感情がわき上がり、クリスの理性が吹き飛んだ。

 殺したい、恨みを晴らしたいというという欲望が、体の内からあふれ出している。

(殺す。あいつらを殺す。憎い。この気持ちをぶつけてやる。私の苦しみを思い知れっ!)

 クリスは荒い呼吸を繰り返しながら、こちらに背中を向けて必死に走って逃げているノービス一家の方を眺めた。

「言ったろ。俺は約束通り、おまえらに手を出さねえからな。そう、俺はな」

 狂気に染まったクリスを見ながら、魔族は愉快そうに口元をつり上げてつぶやいた。

 クリスは獲物を見つけた肉食獣のように、一直線にノービス一家に近づくと、無駄のない動きで、獣のように伸びきった爪でまずはノービスの心臓を抉り出した。

「…………!!」

 声にならない悲鳴を上げた瞬間、ノービスは命乞いをする暇もなく、糸が切れた人形のように呆気なく地面に倒れた。おそらく、彼は自分の身に何が起きたかすら理解できなかっただろう。

 次いで、ノービスの妻は、彼女の旦那の姿を見て甲高い不快な悲鳴を上げた。目障りで耳障りだったので、クリスは彼女顔面を引き千切ってやった。

 厭らしいことばかりを考えている卑しい子どもたち三人は、上半身と下半身をバラバラに分解させた。とくに下半身については、原型がなくなるほどに何度も何度も念入りに引き裂いてやった。

 残った御者の男も、ついでに同じように全身を引き裂いてやった。

 思考が正常に戻った時、クリスは六人の死体と、六人分の血液が流れ出た事によって生まれた血の海に立っていた。

 ――それからのことはよく覚えている。

 クリスは自分を助けてくれた、解放してくれたこの魔族についていこうと決めたのだ。

 そのときに新たな自分になる、という願いを込めて、両親に付けてもらったクリスという名前を、忌まわしき記憶とともに封印して、ロッドという名前を名乗ることにした。

 ――こうして、クリスという少女は死を迎え、彼女は「ロッド」として新たな人生を歩み始めることとなったのだった。


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