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迷い人  作者: ぴえ~る
第4章 帰るところ
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4-16 夢の舞台

 地鳴りのような歓声、リズミカルな吹奏楽の演奏、肌を焦がすような蒸し暑さが勇斗の意識を覚ます。

 その場所では大観衆のすべてがグラウンドを見下ろし、選手の一挙手一投足に対して、歓喜の声を上げたり、悲鳴を上げたりしていた。

 勇斗が目を開けると、視界一日兄全身真っ黒に日焼けした男が映った。彼は、勇斗の顔を覗き込んでいたようだったのだが、相手との顔が近かったせいで、勇斗は思わず身を引いてしまう。

「おい勇斗、何やってんだよ。ぼーっとしてる場合じゃないぞ。おまえの打順なんだから、早くいけよ」

「あれ、内藤? なにしてんの? こんなところで」

 見覚えのある男――内藤というチームメイトの名前を呟いたところで、だんだんと自分が置かれている状況に理解が追いついてきた。

 自分の全身を眺めると、見覚えのあるユニフォームに袖を通している。いつの間に着替えたのかわからないし、そもそも今まで自分が何をしていたのかすらも思い出せない。

「は? もしかして、寝ぼけてるのか? いやいや、さすがにこんな緊迫した場面だってのに……、日野勇斗君は大物ですなあ」

 勇斗と同じユニフォームに身を包んでいる内藤は、呆れた様子でため息をついた。

『四番――、日野君』

「ウオオオオオオ!」「いけええええ!」

 勇斗の名を告げるアナウンスが場内に鳴り響くが、大歓声にかき消され、所々しか聞こえなくなってしまっている。

「おい、この場面はおまえにかかってるんだぞ。頼むからな」

 内藤が勇斗に懇願するように言うと、彼はヘルメットとバットを手渡してくれた。それを受け取って、ベンチを出ると、灼熱の太陽と熱気が勇斗の全身に襲いかかる。

(どうしようもなく暑いけど、この感じ。俺は嫌いなじゃない……)

 打席に向かう途中、バックスクリーンのスコアボードを横目で眺め、ようやく自分が置かれている状況を完全に理解することができた。

 高校野球全国大会の決勝戦が甲子園球場で行われているところであり、勇斗は選手として出場していた。そして、今はチームの四番である勇斗に最初の打順が回ってきたところだ。

 打席に入る前に、勇斗は大きく息を吐いて、無駄な力を体外へと分散させる。そのときにそっと肩の状態を確認したが、痛みがないどころか、普段よりも調子が良さそうに感じた。

 勇斗が打席に一歩踏み入れると、歓声がひときわ大きくなり、勇斗の全身がビリビリと震えてしまうほどだった。

 ホームベース上を、トントンと二回バットで軽く叩き、肩幅くらいまで足を広げてバットを肩に担ぐ。

 マウンドにいる相手ピッチャーが、勇斗を威嚇するように睨みつけてきたが、勇斗もそれに負けじと、双眸を鋭いものへと変換させて、相手を睨み返す。

 サインの交換を終えたピッチャーがゆったりと足を上げて、第一球目を投じた。勇斗は、ボールの軌道を目線で追いかけて、その軌道に合わせるように軽くバットを振る。

 すると、球場の歓声をかき消すように鋭い金属音が鳴り響き、ピンポン球のように打球が飛んで行く。

 そのまま打球はぐんぐんと失速することなく伸びていき、レフトスタンドの中段で一度バウンドして大きく跳ねた。

「………………」

 一拍の沈黙の後、グラウンド内で起きた光景を理解した観衆は、悲鳴のような歓声を上げた。

 その歓声を全身で浴びながら、勇斗は誰にも邪魔されることなくゆっくりとダイヤモンドを一周する。ホームベースで待ち構えていた次打者とハイタッチを交わしてから、ベンチに戻るとチームメイトたちからの手荒い祝福が待っていた。

(ああ、これだ……。これが俺の求めていたもの……)

 勇斗が毎日のように布団の中で妄想していた光景。それがこうして勇斗の目の前で繰り広げられている。実際に体験してみると、妄想していたときと比べて興奮度は段違いだった。

 その後、試合は進んでいくのだが、回を重ねるにつれて、勇斗の中に一つの疑念が沸き始めた。最初は点のように小さかった疑念だが、時間が立つにつれて、波紋のように勇斗の脳内を侵食し始めた、

 やがてその疑念が勇斗の全身へと広がっていった時、勇斗は自分が立っている世界が、現実とは別の世界、つまりは夢の世界であるという事実に勘付いた。

 この夢は、まさしく勇斗が望み続けた夢の集大成だった。

 右肩を怪我して、野球を辞め、甲子園を目指すことを諦めた。それなのに、今目の前には自分がずっと望んできた舞台が広がっている。

 これが儚い夢に過ぎなかったとしても、この舞台に立つことに対する興奮はそう簡単には押さえられそうもない。

(そもそも夢から覚める方法なんて知らないし。俺はもう少し甲子園という場所を満喫しよう)

 夢の世界だろうと、この舞台が甲子園であることには変わりない。勇斗は興奮を抑えることも忘れたまま、左手にグローブを嵌めて、グラウンドに立ち続けた、

 さらに回は進み、いつの間にか最終回になっていた。

 ずっとこのままこの世界にいられたなら、勇斗はこのままずっと野球を続けることができるだろうし、さらにはスカウトの目に止まって、いずれプロの選手にもなれるかもしれない。

(このままこの世界で暮らしていくのも悪くないかもな……)

 元の世界――勇斗の世界に戻っても、いくら右肩が完治したとはいえ、野球から随分と離れていた勇斗にとって、今さら野球に復帰するというのはやはり難しいものがあるだろう。

 高校三年の勇斗にとっては、本来であれば野球部を引退している時期だ。よって、今さら甲子園を目指すというのは、そもそもが現実的に不可能なことなのだ。夢でしかこの興奮は味わえない。

 そんなふうに気持ちが傾きつつあるなか、試合は最終回を迎えていた。

 九回裏現在、勇斗のチームは一点差で負けているものの、すべての塁がランナーで埋まっている状態だった。同点のランナーが三塁、逆転のランナーが二塁に控えている。

(俺が決めてやる――)

 そんな場面で打席が回ってきた勇斗は、胸中で自らを高ぶらせながら、勇斗は打席に足を踏み入れる。

(イメージしろ。俺はサヨナラヒットを打って、ヒーローになるんだ)

 勇斗は大きく息を吐いて、深自分が勝負を決定づける一打を放つイメージを作りながら、投手を睨み付ける。

 ――その時だった。

 奇妙な衝動に駆られた勇斗は、ふと視線を一塁側のスタンドへと向ける。

 本日は球場が満員になっており、どの座席も人で溢れかえっている状態だった。けれど、その中で一人、彼女にだけスポットライトを浴びせているかのように、彼女の姿が勇斗の目に焼き付いた。

 そこには、両手を合わせながら神に向かって祈りを捧げているサラの姿があった。

 試合に集中しろ、と自分に言い聞かすも、勇斗は文字通り視線を釘付けにされたかのように、サラから目が離せなくなった。

 必死に祈りを捧げていることに、理由がわからないものの、心臓がきゅーっと締め付けられるのを感じる。

(サラは、いったい何を必死に祈っているのだろうか……?)

 胸中で投げかけた質問に対して、誰かが答えてくれたというわけではないが、勇斗は一つの解を導き出した。

 その間にも試合はきっちりと進行しており、勇斗はいつの間にかツーストライクと追い込まれていた。

 ようやくサラから視線を外した勇斗は、その視線をマウンド上のピッチャーへと向けると、ピッチャーはゆったりとした投球動作で、渾身のストレートを勇斗に向かって投げ込んできた。

「…………」

 勇斗はそのボールの軌道を見つめて、ホームベース上を通過したボールがキャッチャーのミットに収まるまでぴくりともせずに平然と見送ったのであった。

 当然、審判は三振のコールをし、勇斗は呆気なく三振に倒れ、試合が終わってしまった。

「これでいいんだ。だって、俺は結局叶えることができなかったんだ。それが事実であり、現実だ。確かに、この世界には俺の夢がたくさん詰まっている。だけどこの場所は俺の居場所じゃないんだ」

 地面にバットを置いて、身体全身で甲子園特有の熱気を浴びる。ゲームセットになったばかりにも関わらず、球場全体はなぜか時が止まったかのように静まりかえっている。実際に、その瞬間は、この世界の時間が停止していたのかもしれない。

「今そっちの世界に戻るよ。サラ」

 呟きながら、勇斗は名残惜しそうに球場全体を見渡していると、相手キャッチャーがミットからボールを取りだして、持ち主にボールを返すかのように無言でそっとボールを勇斗に手渡してきた。

「ああ、この感触は……間違いなく野球ボールの感触だ。やっぱりこれはよく手に馴染む」

 勇斗は手のひら全体でその感触を確かめるように白球をこね、その間色に浸るためにめを瞑った。

 ボールをポケットにしまって、再び目を開けるとそこに広がっていたのはさっきまで様々な熱で溢れかえっていた甲子園ではなく、殺風景な真っ白の世界だった。

 どうやら、明らかに現実感が乏しい世界を見て、まだ現実世界に戻ったわけではないということを悟った。

「勇斗っ!」

「ホープか……? って、だれ?」

 無の世界の中でホープの声がしたので、そちらのほうへと振り向くと、見知らぬ女の子が宙に浮いていた。

 浅黒い肌に、ウェーブ気味に癖のかかった黒髪が腰の辺りまで伸びている。口元からは鋭い八重歯がちらりと見え、利発そうな切れ長の瞳。ふっくらとした頬にあどけない顔立ち。その容姿から推測すると、サラと同年代といったところだろうか。

 ぱっと見た感じは可愛らしい少女にしか見えないが、ただ一点だけ人間とは決定的に異なる部分があった。それは彼女の背中から生えている漆黒の羽である。

 黒い羽が背中でピコピコと動きながら宙に浮かんでいることから、おそらくは天然のものなのだろうが、それでも彼女の可愛らしい容姿と相まって、小悪魔のコスプレをしているようにしか見えない。

「さっきも言ったけど……アタシの魔族であって、これが本来の姿なの……。魔族として人間を殺し続けたアタシは、勇斗といっしょにいる資格なんかないかもしれない。だけど、アタシひとりじゃリールを倒すことはできないの……。勇斗、この時だけでいい。お願いだから、アタシに力を貸して」

 目の端にうっすらと涙を溜めたホープが、地面に降りたって、勇斗の手をがっちりと握りながら懇願してきた。

「それにしても――ホープが魔族ねえ」

 呟きながら、勇斗はホープの全身をまじまじと眺めてみた。

 魔族といえば、さっきまで勇斗を痛めつけていたリールのことしか知らないが、彼の場合全身から邪悪な気配があふれ出しており、自分とは違う種族であることをまざまざと感じさせられた。

 しかし、こうして目の前にいるホープからは、禍々しい気配を一切感じないし、それこそ背中の羽以外はどっからどう見ても普通の女の子にしか見えない。

「そうよ。だから、アタシはアンタといっしょにいる資格なんてないの……」

 諦めたような表情で涙を流すホープは、小さな子どもが駄々をこねている様子に見えてきた。

「そんなこと気にしてたのか……。俺のほうこそ、フォローしてやれなくて悪いな。まあ、こっちも、戦闘中はいろいろと余裕がなかったんでな」

 勇斗がホープの涙を拭い、癖っ毛の黒髪の上から頭を撫でてあげると、ホープははっとした表情で勇斗を見上げる。

「勇斗、アンタ何言ってんの! アタシは数えきれないほど人を殺してるのよ! 許される資格もアンタに気を使われる資格もないのよ」

 ホープは唇を噛みしめながら、おかしなものを見るような目で勇斗を見上げる。それに対して、小さな子どもを泣かせてしまったときのような罪悪感に苛まれた勇斗は、小さく息を吐いた。

「それじゃあ、俺にどうしろってんだ……。俺がおまえを裁けば、おまえは満足するのか? 言っておくが、俺は人を裁くような神様ではないし、ホープが以前に殺した人間たちとつながりがあるわけでもない。よって、俺にホープを裁く権利なんてないんだよ」

「だけど……」

 それでも納得がいってないような表情で呟くホープ。

「あのなあ、ホープがいなかったら俺は、とっくに命を落としてたんだぞ。言ってしまえば、ホープは俺の命の恩人になるわけだ。だからこそ、俺はホープにその恩を返したいと思っている。俺がホープと力を合わせる理由はそれで十分だろ。それでも、自分が今までに犯した罪を償いたいなら、それはまた別でやればいい。その中で俺にできることがあるんなら、俺も手伝ってやるからさ」

「勇斗……」

 ホープがこちらの真意を確かめるように、綺麗な瞳で勇斗の瞳をのぞき込んだ。身長差があるせいでホープは自然と上目遣いになっており、全身から愛らしさを醸し出していた。

 その仕草は、そういった趣味がないはずの勇斗ですら、少しドギマギしてしまった。その心情を悟られないようにと、勇斗は咄嗟に話題を変える。

「ところでさ……ホープって何歳なんだ? 昔っから、剣としてサラの家に置いてあったってことは、見た目通りの年齢じゃないんだろ」

「まあそういうことになるわね。具体的な数字はアタシも正直覚えてないけれど、少なくともアンタの軽く十倍以上は生きてるはずよ」

 少し得意そうに腕組みをしながら言うホープは、言葉の内容とは裏腹に背伸びをしている子どもみたいだった。

「マジか……」

 イマイチ信じられない話だが、ここで嘘をついてもしょうがないのだし、おそらくは真実なのだろう。

「よし、それじゃあ、さて反撃開始といこうじゃねえか。野球をやったことのないおまえは知らないかもしれないが、野球には九回ツーアウトからって言葉があってだな。どれだけ追い詰められていようと、試合が本当に終了するまで何が起こるかわからねえんだよ」

 勇斗は白い歯を見せて、目の前に立っている少女の頭を優しく撫でた。ホープはくすぐったそうに身をよじったが、勇斗の行為を受け入れて嬉しそうな表情をしていた。

「うん、そうね。あの余裕綽々の笑みをぶち壊してあげましょう」

 ホープが言うと、真っ白だった世界の景色が一変した。

 視界に映る光景がぐるぐると動き回り、視界が固定されるとそこには迷いの森の廃墟を背にリールが立っていた。

「よう、いい夢は見れたか?」

 口元を歪めたリールが腕組みをしながら、現実世界に帰ってきた二人に向けて言った。

「まあ、結局は夢だったわけだけどな。けれど、俺が今までずっと見たかった夢を、わざわざ見させてくれたんだ。それだけは感謝するよ」

 身体中からあふれ出る力を抑えきれない気分だった。

 今までは右手に握られているホープという存在を意識していたが、彼女と心を通わせたことでより二人の調和がより深くなり、自分たちが一つの存在となってしまったかのような錯覚を覚えるほどだった。

「ヒャハハ、それは何よりだ。そんじゃあ、今度こそ本当の最終決戦と行こうじゃねえか」

 勇斗は左手でバットを握ってリールを見据えたまま、おもむろに右手をポケットに入れる。右手の指先が慣れた白球の感触をなぞり、夢の世界で手渡された白球がポケットに残っていることを確認した。

「行こう勇斗! アタシたちの本当の力を見せてあげましょう」

「ああ、俺たちは絶対に負けないっ!!」

 ――迷い人と魔族の最終決戦が始まろうとしていた。


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