4-12 神父のたたかい
「リヒトさん、おはようございます。どうかしたのですか? そんなに血相変えて?」
いつもと変わらない様子のロッドは、リヒトが息を切らしながら全身汗だくで教会に駆け込んできた姿を見て小首を傾げた。
「はあ、はあ……。少しロッドさんに話がありまして」
「なんでしょうか? それよりも、どうしたのでしょうか。こんなに取り乱しているリヒトさん、私は初めて見ましたよ」
そう言って、ロッドはリヒトの顔を見て微笑む。それは、いつも通りの彼女と変わらない優しくて柔らかい笑みだった。
今でもリヒトは正直信じられない気持ちで一杯だった。確かに、犯人と接触していたサラの口から真相を聞かされたのだから、おそらくはそれが真実なのだろう。
でも、こうしてシスターの名に相応しいような優しい笑みを浮かべている彼女が、村を襲撃した犯人だとはどうしても思えなかった。
――いや、リヒトは思いたくなかったのかもしれない。
「昨日まで何度も起きた、魔物騒動。それは全部あなたの仕業だったのですか? どうしてこんなことを……?」
けれど、真実から目を背けるなんて出来るわけがないリヒトは、その事実を彼女に突きつけた。
たとえ彼女を信じたいという気持ちがあったとしても、リヒトには果たさなければならない使命があるのだから。
「そうですか……。もしかしてサラさんから、それとも勇斗さんから聞いたのですか?」
とくに動揺することもなく、ロッドが問い返してきた。
ここで彼女がきっぱりと否定の言葉を述べてくれたら、リヒトはどんなに気が楽だったろうか。
いや、この場で彼女に否定されたところで、サラという証人から確証を得ている以上は、彼女に対する容疑はどのみち晴れることはなかったかもしれない。
「…………」
「沈黙は肯定とみなします。リヒトさんが嘘が苦手だということは、私がよく知っていますからね」
「…………」
それに対しても、リヒトは何も答えず彼女の話の続きを待った。
「うふふ、サラさんにかけた魔法がそんなに早く切れるとは思いませんでしたよ。予想外ではありますが、別に構いません。今さら私の正体が知れたところで、何も問題はないのですから」
リヒトの目の前にいるのは、リヒトのよく知っているはずのロッドなのに、リヒトは彼女から感じる冷たい気配を察して背筋が冷たくなるのを感じた。
「ロッドさん……、それじゃあ、本当にあなたが……」
うわごとのようにリヒトが呟くと、
「うふふ、私はわざわざその問いに答えるつもりはありませんよ。それについては、あなたのほうで勝手に解釈して下さって結構です。私の口から真実を話すのは先着一名様だけなんですよ。さっき勇斗さんが来て、彼に話してしまったので、今回は残念ながら売り切れです」
「勇斗さんが……?」
「ええ、そうです。なんとも滑稽な話ですが、どういうわけか彼は私が魔物に狙われていると勘違いしたみたいなんですよ。おかしな話でしょう? 魔物騒動の元凶を捕まえるために動いているのに、騒動の元凶を守ろうとここに駆けつけたわけですからね」
おかしそうに口に手を当てて嘲笑するロッドは、もはやリヒトが知っているロッドとは、あったくの別人になって見えた。
「勇斗さんはどこにいるのですか……?」
「いちおう迷いの森に向かいましたけど、もうこの世にはいないでしょうね。リール様が直々に手を下すそうですから」
「そのリールっていうのが、君を騙している魔物なんですね。いや、魔族かな――?」
「騙しているですって? 馬鹿なこと言わないで!」
リヒトの言葉がロッドの琴線に触れたのか、ロッドは目を剥きながら唾をまき散らすように喚いた。
「かつて、私を救ってくれたのはリール様だけだった。神様なんてのはなんの頼りにもならない。とにかく縛られた身であった私を自由にしてくれたのは、リール様だった。私にとっては、リール様こそが信仰対象であり、神様に該当するんです。あなたも、リール様ではないにしろ、神に仕える身。だったら、我が主たる神のためにだったら、なんでもしたいという気持ち、なんでもやらないといけないという気持ち。これはあなたにもわかるはずでしょう」
ロッドは身振り手振りを混ぜながら、布教活動をする教祖のようにリヒトに語りかけている。
「いえ、私には、ロッドさんの気持ちはわかりませんよ」
肩を竦めて言葉を返すと、ロッドは意外そうな顔をした。リヒトは解答の補足をするために言葉を続ける。
「私が仕えている神、いえ、まず前提として、私自身は神様になんてお会いしたことはありまませんから、結局は私が神という存在を勝手に想像しているに過ぎません。そして、私が想像している神様は、神様を信じている者のみを救うわけではありません。どのような存在の方に対しても、全員を等しく救ってくれます」
リヒトはそこで一旦言葉を切って、ロッドの反応を確かめた。彼女は反論を口にしたそうにしていたものの、口を結んで黙っていた。
「そしてその中から、神によって自分が救われていると心から思えた者が、私のように神を信仰するのです。都合のいい時だけ神にお願いする『神頼み』っていうのがありますよね。まあ、本質的にはそれと一緒なのかもしれませんね。ちなみに、神が私の意に背くことを私に強いることがあれば、その時は私は迷うことなく神と離別するでしょう」
一片の迷いもなくリヒトが言葉を言い終えると、ロッドは感情をむき出しにしながら反論を述べた。
「神が全員を救うだと……? ふざけるなッ! だったらどうして私は、救われなかったんだ!」
「あなたの事情をしっかりと聞いたことがないので、詳しいことは言えません。そのリールさんとやらが、どんな方かは存じないのですが、実際にはその方があなたを救ってくれはしたのでしょう」
「当然です。リール様は、私の神様なのですから」
リヒトが素直にリールの存在を認めたことで、ロッドは平静を取り戻して胸に手を置いて呟いた。
ロッドの情緒が不安定になっていることはリヒトも感じていたが、ここでそれを指摘するつもりもない。
「だけど、あなたじはリール様とやらに依存してしまっている。依存と信仰は似ているように見えますが、実際はまるっきり別物なのですよ。あなたは自分の意志を持って、こうして村に襲撃をかけたのでしょうか? 本当のところは、リール様の命令だからと、その方の言いなりになっているだけではないのですか?」
その言葉には、彼女に対してそうであってほしいという、リヒトの願望も含まれていた。
ただ実際の真偽はともかくとして、その言葉が彼女を揺さぶったのは事実だった。
「ちっ、違う。私は私の意志を持って、リール様に仕えているのだ。人間を滅ぼすのも、魔物をけしかけるのも、すべて私の意志によるもの……」
頭を押さえながら、ロッドは自分自身に言い聞かせるように言葉を並べる。ふらふらしながら、ぶつぶつと呟く様は、夢遊病患者を連想させた。
「ロッドさん、あなたは――」
心配になったリヒトが、ロッドに声を掛けようとしたその瞬間、教会全体が大きく揺れた。それに加えて、何か巨大なものが建物の外壁にぶつかり、鈍い音も一緒に聞こえてきた。
「おや、始まってしまいましたか。どうやら、もう猶予はないみたいですね……」
そう言って、リヒトは周囲の状況を観察するためにあたりを見回す。ここに魔物がやってきたということは、おそらく昨日と同じように村中にも魔物が放たれているということだろう。
リヒトは一刻も早く、村人たちの避難の手伝いに駆けつけなければならない。ここでもたもたしている時間などないのだ。
「もう手段を選んでいる場合じゃなさそうですね」
諦めるように呟いて、リヒトは勇斗を刺し殺すはずだった短剣を、懐から取り出した。
目の前にこの騒動の元凶がいる以上は、彼女を放っておいてこの場を離れるわけにはいかない。
そうしているうちに、入り口のドアを蹴破ってトロルが礼拝堂に侵入してくる。トロルはその手に、大きな身体に見合うほどの大きなハンマーを携えて、にやけた笑みを浮かべていた。
「この手であなたを殺します」
短剣の切っ先をロッドに向けて、リヒトは弱い自分を奮い立たせるように宣言した。
「うふふ、あなたに私が殺せるの? 結局ビビッてしまって、迷い人を殺すことすらできなかったあなたがっ!」
歪んだ笑みを見せながら、ロッドは吐き捨てるように言う。もはや彼女は、迷いを通り越して、正気を失っているかのようであった。
「殺せます。私は覚悟を決めてきました」
迷いを振り切ったリヒトは、ロッドの心臓めがけて銀色の短剣を突き出したのだった。