1-6 一方その頃
「すいません。何から何まで面倒みてもらっちゃって」
勇斗は、サラの家で夕食をご馳走になったあと、さすがに何もせずにご飯だけいただくのは申し訳なかったので、せめて片付けだけはやろうと申し出たのだった。
客人として勇斗をもてなしてくれるアイナは、勇斗の申し出を最初は断ったものの、何もしないのは勇斗がかえって気を使うということを理解したみたいで、今はテーブルの前の椅子に腰掛けて、勇斗の様子を眺めている。
「いいのよ。気にしなくて。困っている人がいたら助けるのは常識でしょう。きっとこの世界だけじゃなくて、アナタの世界でも、それは常識なんじゃないかしら?」
アイナは足を組み、テーブルに肘を乗せる。両手でチューリップの形を作って、その上に顎を乗せている。
「ははっ、まあ、それはそうですね」
勇斗の返しに、アイナは満足げに口元を綻ばせた。
「最初にサラちゃんと出会った時に、異世界がどうの、とか言われた時は、もちろん驚きましたけど。それでも、まあ、なんとかやっていけそうな感じもしますし、とりあえずは安心しました」
どうやったら元の世界に戻れるのか、など、問題は山積みだが、とりあえず窮地に立たされているわけでもないので、のんびりやっていこうと思う。
可愛い少女や綺麗な女性とこうして一つ屋根の下で夕飯――しかも手料理にありつけたのだから、今はその役得を楽しみたいという下心があったり、なかったり。
勇斗も健全な男子高校生なのだから、その程度の欲求は持っていて当然だろう。
「ふふっ、それならよかったわ。ねえ勇斗くん、私ね、ひとつだけ勇斗君に聞きたいことがあるの」
アイナは妖艶に口元を歪めると、
「はい。なんですか?」
「どうして私には敬語なのかしら? サラには敬語なんて使ってないわよねえ。私に対しては妙に余所余所しい感じがするのだけれど」
さっきから表情がまったく変わっていないはずなのに、アイナを取り巻く雰囲気が何やら妖しいものに変化したように見えた。
「いやあ~、そんなことないですよ。あははははは」
勇斗は笑ってごまかすが、アイナはそれを許さず、綺麗な瞳で真っ直ぐに勇斗を見つめながら追随してくる。
「誤魔化しても無駄よ。敬語以前にあなたが私に対してどれほどの距離感で話しているかなんて、すぐわかるものよ」
そのプレッシャーに耐えきれなくなった勇斗は、アイナから視線を逸らし、場を誤魔化すかのように水道を捻って食器を洗い始める。
「私と勇斗くんって、そんなに年齢が変わらないはずよね。それとも、『さん』付けで呼ぶって事は、私のことを年寄り扱いしているのかしら?」
背中を向けているはずなのに、アイナの視線が背中に突き刺さっている様子が背中にひしひしと伝わってくる。
「い、いや、そんなことないですよ……。いや――いや、そんなことない……よ」
すぐさま言い直すと、背中から感じるプレッシャーが軽減したので、勇斗はほっと一息ついた。
勇斗の背後では、アイナはニヤリと笑みを浮かべ、唇をぺろりと舐めていた。新しいおもちゃを見つけたかのような、嫌らしい感じの笑みを浮かべていたのだが、背中を向けている勇斗はその表情に気づかなかった。
「そうよ。それでいいの。ちなみに私は今年で二十歳になるのよ。勇斗くんから見れば、多少年上かもしれないけれど、この年で年寄り扱いされるなんて心外だわ」
アイナはいじけたような声を出した。
「わかりまし、わかったよ」
アイナの持つ大人びた雰囲気から、もう少し年が離れていると勇斗は考えていたのだが、当然この場でそのことを口に出せるわけもなく、それは墓まで持って行こうと決意した。
「でも、『さん』づけだけは勘弁して。近い年齢の女の人を呼び捨てにするのはちょっと……」
勇斗は食器を洗い終え、タオルで手を拭いて、アイナの向かい側に座った。
「そうね。そこは勘弁してあげるわ。ところで、勇斗君は何歳になるのかしら? 私も言ったのだから、勇斗くんも教えてちょうだい」
「今は十七だよ。もう少ししたら、誕生日が来て十八になる」
「ふ~ん、それじゃあ、勇斗くんはサラよりも私とのほうが年齢が近いことになるのよね。サラはまだ十歳だし」
「まあ、そうなるのかな」
「なーんか、返事が曖昧な感じがするのが気になるけど、まあよしとしましょう。それじゃあ、話は変わるけど、私、勇斗くんに剣をあげたじゃない? あれのことなんだけれど、端的に言ってあれはなんなのかしら? 勇斗くんは見覚えがあるみたいだったけれど」
「あれは野球ってスポーツに使う道具なんだけど……」
右肩を怪我して以来、バットもボールもいっさい触らなかったが、こんな形で野球道具に触れることになるとは思ってもいなかった。
すでに気持ちは吹っ切れているつもりなので、過剰に反応するようなことはないが、それでもかつてのことを思い出して、なんとも言えない気持ちになった。
「スポーツねえ……、ってことは、あれで相手を殴ったりするのよね。確かに、言われてみれば、結構攻撃力ありそうな代物だったわね」
「えっ――」
アイナの言葉に、勇斗は思わず噴き出しそうになった。
「ち、違うよ! っていうかこの世界で、スポーツと相手を殴ることは直結するって意味がわからないって」
「あら、違うの?」
「あれは、バットと言うもので、あの棒で拳より少し大きいくらいの球形のボールを弾き飛ばすんだ。あの爽快感は一度味わったらやみつきになるよ」
「なるほど。それは面白そうね。そのボールを遠くに飛ばした方が勝ちなのかしら?」
「ちょっと……っていうか、だいぶ違うけどね。でもまあ、きちんと説明するとかなり長くなるから、とりあえずそんな認識でいいと思うよ。時間があったら、きちんと説明からさ」
「そう。それは楽しみにしてるわ――さてと、それじゃあ、今度は真面目な話に入ろうと思うのだけれど――」
真面目な話と前置きしたところで、アイナは顎から手を離し、姿勢を正した。それに釣られて、勇斗も自然と背筋を張ってしまう。
「勇斗くんはこれからどうするつもりなの?」
「どうしましょうか? なんも考えてないし、何をすればいいのかもさっぱりっす」
「ま、それもそうよね。とりあえずは、しばらくの間、ここを拠点として暮らしてくれて構わないわ。元の世界に帰るにしろ、この世界で暮らすにしろ住む場所は必要でしょ。それに、サラもあなたになついているみたいだし、面倒見てあげてね」
「了解っ。そうだ、俺にできることがあったらなんでも言ってよ。いちおう男だから、力仕事なんかもそれなりには手伝えると思うからさ」
「それじゃあ、勇斗君には世界を救ってもらおうかしら」
アイナはいたずらっぽい笑みを浮かべながらとんでもないことを言い出したので、勇斗は今度こそ噴き出した。
「じょ、冗談だよね? 俺も昔の迷い人の話は、サラちゃんから少し聞いたよ。確かに、俺はずっとスポーツをやって来たから、同い年の一般男子と比べたら多少は体力がある方かもしれないけど、それだけだよ。世界を相手に戦うどころか、そのへんを歩いている喧嘩自慢の不良にすらボコボコにされる自身があるよ」
「ふふっ、冗談よ。でもね、勇斗くんが迷い人だということを村の人たちが知ったら、いい意味でも悪い意味でも、村の中で一目置かれる存在になるかもしれないわ。それが嫌だったら、自分が迷い人だってことは極力隠しておくことをおすすめするわ」
「なるほど。それじゃあ、そうするよ。変な目で見られるのは、嫌だしなあ……」
とはいっても、まだまだこの世界の常識を知らない勇斗にとっては、この世界に馴染む方法がわからない。
そういうわけなので、少しでも早くこの世界に馴染む努力をしようと決心すると、浴室のほうが騒がしくなり、床をぺたぺたと歩きながらサラが戻ってきた。
「お風呂あいたよ~」
サラはお風呂上がりのためなのか、ぴょこんと跳ねていたツインテールはほどかれており、水分を帯びた金髪が腰のあたりまで伸びている。
髪をほどいているだけでも、なんとなくその人の持つ雰囲気が変わって見えるから、女性というのは、つくづく不思議な生き物だと、勇斗は思う。
「なんの話してたの?」
言いながら、サラはアイナの隣に腰掛けた。
「大人の話よ」
「またそうやって、わたしを子供扱いする~」
アイナがさらっと言うと、サラは抗議の声を上げ、頬を膨らませるが、先ほどと同じように、サラの頬に溜まった空気は、アイナの手によって呆気なく潰されてしまった。
「そうね。今日はひとりで初めて髪を洗えたみたいだし、サラも少しは大人になったのよね」
「うんっ、ちゃんと洗えたんだよ――って、あああああああああ!!」
隣の家まで響きそうなほどのサラの叫び声に、勇斗の身体が思わずびくっとなった。
「サ、サラちゃん、どうしたの?」
勇斗が問いかけると、どういうわけか、サラは顔を真っ赤に染め上げていた。
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん! 空気を読んでよ! せっかく今日はひとりで洗ったのに、お姉ちゃんがばらしちゃったら意味ないじゃない」
サラは隣に座っている姉の耳元に口を寄せて、抗議の言葉を並べていた。ひそひそ話をしているのだろうが、向かい側に座っている勇斗にその内容は丸聞こえだった。
「あらあら、私は事実を言っただけよ。それに私は、ひとりで洗えて偉いねって、サラを褒めたのよ。非難される筋合いはないわ」
妹の抗議を気にする様子もなく、アイナは平然とした様子だ。
「そ、そうだけれど……。だって……なんか恥ずかしいもん……。十歳にもなってひとりでお風呂に入れないなんてさ……」
サラがぼやくように言うと、アイナはその姿を見て小さく笑う。
「だったら、今度は勇斗君に髪を洗ってもらえばいいじゃない」
「えっ――」
姉妹のやりとりをのほほんと眺めていた勇斗だが、思いがけない爆弾が飛んできたおかげで、声を上げてしまう。
「それいいかもっ! ねえ勇斗さん、今度お願いできますか?」
サラは落ち込んでいた表情を一変させ、ぱあっと満面の笑みを浮かべて、勇斗の顔を見つめている。
「えーっと、まあ、俺はいいんだけどさ……。って言うか、サラちゃんこそいいの? 俺は見ての通り男なんだけれど?」
「問題ないです。お願いします」
サラはずいっとテーブルを乗り出して、勇斗に顔を寄せる。勇斗はその勢いに、少したじろいだが、無邪気なサラの様子を見て、断るわけにもいかないだろうなと、了承することにした。
「それじゃあ、勇斗くん。次お風呂入っちゃっていいわよ」
話が一段落したところで、アイナからの提案があり、勇斗はそれに従って、浴室に向かった。
身体を洗っている最中、勇斗は激動の一日を振り返っていた。
元々あまり深く考えたりはしない性質の勇斗は湯船に浸かりながら、今回のこともいずれなんとかなるかな、と楽観的な様子だった。
(元の世界に戻ったところで、今の俺にやらなければならないこともとくにないしな……。のんびりしていても、問題ないだろう)
そんなことを考えながらも、日課となっている、湯船の中での右肩のマッサージは忘れない。
――いつの日か、自分の右肩が元通りになることを信じて。