4-9 魔族
そのころ、勇斗は迷いの森の廃墟で化け物と向き合っていた。
向き合っているだけでも、化け物の持つ異様な気配はひしひしと伝わってきて、勇斗の手のひらは緊張から汗でびっしょりとなっていた。
しかし二人の間は、一触即発という雰囲気ではなく、化け物のほうはあくまで勇斗に対して、どこか友好的な態度を見せている。
「せっかく、こうして顔を合わせることができたんだしよ。お互いに自己紹介といこうじゃねえか。俺の名はリール。魔物たちを指揮する魔族だ。おまえの名前は……? おっと、その聞き方は、少し間違っているな。おまえらの名前はなんという?」
リールは、楽しそうに口元を歪めて、虚空に染まった瞳を勇斗と勇斗の手に握られているホープへと向けた。
リールの意図はわからないが、出方がわからない以上は、相手に従ったほうが良いと考えて、勇斗は素直に答えることにした。
「俺は勇斗。それから、こっちはホープだ」
自分の名前を名乗ったあとに、ホープを掲げてホープのことを紹介すると、リールは声を出して笑い始めた。
「キハハハハ! 勇斗、俺が一つ教えておいてやる。おまえが手に握っている銀色の棒のことなんだけどな。残念ながら、そいつはホープなんて名前じゃない」
「どういう意味だ……?」
問いかけるが、リールは勇斗の質問には答えずに勝手に話を進める。
「なあ、一つ聞きたいことをあるんだけどよ――おっと、勇斗、おまえにじゃないからな。俺が聞きたいのは、勇斗の手に握られているそいつにだ。今はホープって名乗ってるんだっけか。なあホープ、おまえはどうやって村の中に侵入したんだ?」
「おい、なんの話をしてるんだ」
話に付いていけない勇斗が、声を上げて問いかけると、リールはめんどくさそうに後頭部をぽりぽりとかきながら勇斗のほうを見た。
「はあ……。おまえ、もしかして勇斗に何も教えていないのか? まあ、そりゃあそうだよな。おまえの正体を知ったら、人間がこうして友好的になるわけないもんな」
「や、やめ――」
勇斗の手に握られているホープが、唸るように声を上げるが、その声はリールまで届かなかった。あるいは、届いていたのかもしれないが、リールにその願いは聞き入れられなかった。
「なあ、魔族エストリット。俺はもう一度質問するぞ。魔族であるおまえは生身の状態じゃ、村の結界に阻まれるはずだよな。まあ、その状態が生身と呼べるのかは疑問だけどな。とりあえず、魔族であるおまえがこの場に居られる理由はなんだ? 俺だって、こうして村の中に入るまでは、かなり苦労したんだぜ」
「なっ、何を言ってるんだ……?」
勇斗が驚愕している様子を見て、リールは鼻を鳴らした。
「ふっ、そのまんまの意味だ。おまえが手にしている棒は、俺の元同僚なんだよ。エストリッド、残念ながら、おまえがどんなに姿形を変えようと、おまえに染みついている匂いを俺が嗅ぎ取れないと思ったのか?」
「ふう……、いつごろわかったの?」
ホープは観念したように、ため息をつきながら言う。すると、リールはまたしても鼻でふふっ、と笑った。そのやりとりを見て、勇斗はようやくホープの声が自分だけでなく、リールにも届いているのだとわかった。
「勇斗が神父に殺されそうになった時、ロッドが止めに入っただろ。そん時だな。それにしてもよ、あの神父といったら、近くにいた俺のことにまったく気づかずに、魔物の気配がどうとか語り始めたときは笑いもんだったぜ。まあ、あんときはロッドの中に、気配を決して姿を隠してたから気づきようがなかったんだけどな。ヒャハハハハ」
「そうね……。アタシの声があんたに届いてるってのは中々に意外だったわ。でもね、アタシはもう魔族じゃないのよ。だから、アタシは結界に左右されることもないというワケ。ごめんね……、勇斗、アンタのことを今まで騙してきて」
ホープが申しわけなさそうに言うと、勇斗はバットを握る手を強める。
「そろそろいいか? 要は、おまえを倒せば全部丸く収まるんだろ」
このままリールと話を続けていても、何も解決することはない。元凶が目の前に現れているのだから、勇斗がこの場ですべきことは最初から一つしかない。
ホープの出生がなんであろうと、今は目の前の魔物を退治する仲間であることには変わりはない。だからこそ、勇斗は気合いを込めて、自分の弱さに負けないように、リールを睨み付けた。
「ま、それもそうだな。そろそろ始めるとするか。おまえらの力、俺が見てやるよ。せいぜい俺を失望させないでくれよ!」
勇斗は息を吐いて、手にしているバットを振り上げながら、リールへと向かっていく。
勇斗はリール目がけてバットを振り下ろすが、それに対してリールは、勇斗の攻撃を見切っているかのように最小限の動きだけで、勇斗の攻撃を躱した。
勇斗はそのままバットを返して追撃を試みるが、今度はリールに片手で受け止められてしまった。
「最初にこの村を襲わせたリザードマンがやられたっつうから、わざわざ俺が出向いてきてやったんだ。この程度で終わらせるなよ。勇斗、エストリッド!」
勇斗たちを挑発するように言うと、リールはバットを掴んで、一本背負いをするかのように勇斗を放り投げた。
そのまま空中で一回転した勇斗は、頭から地面に着地して、地面を転がる。
全身が土と埃まみれになりながらも、勇斗はすぐさま立ち上がる。まだそれほどダメージを負っているわけでもないのに、いつもよりも体が重い感じがした。
「勇斗! アタシ、アタシ……」
勇斗の手元でホープが何か叫んでいるが、その間にもリールが一歩ずつこちらに歩み寄ってくる。
「ホープ、今は目の前のことに集中しろ。打席に入った時に守備のことを考えてる奴は、絶対にヒットを打てない、それといっしょだ」
わざとらしく足音を立てながらリールが近づいて来たかと思うと、お互いの間合いの少し外で、リールの姿が視界から消えた。
「……なっ!」
「こっちだよ」
声に反応して右を見た瞬間、勇斗の横っ腹に激痛が走る。その痛みの正体が、リールの蹴りであるということに気づいたのは、その衝撃で地面にダウンした時だった。
「――ぐふっ!」
全身が痛覚に支配されているような感覚に陥るも、勇斗はそれを堪えながら、地面に手をついて立ち上がろうとしている。
そんな勇斗に対して、リールはすぐに距離を詰めてきたかと思うと、つまらないものを見るような表情で、勇斗をつまらなそうに見下していた。
「はあ、とんだ期待外れだな……。おまえひょっとして追い込まれて初めて力を発揮するタイプか? キハハ、それなら安心しろ。おまえを追い込む手段はたくさん用意してあるからな」
そう言うと、リールは背後に控えていた赤い水晶に手をかざす。すると、水晶の前の空間が歪み始めたかと思うと、中からトロルが出現した。
「さて、まずは一匹目だ」
「やめろっ!」
この空間に現れたトロルが、今度は緑の水晶に触れると、この場から姿を消した。
「さて、トロルは果たしてどこに行ったのでしょうか? 本気を出すんなら早くした方がいいぞ。こいつらは、まだまだ増えるからな。それに、今日は人間の気配のするところを狙って送り込んでやるからな」
「くそっ! やめ――」
「んじゃあ、ついでにもう一個やっておこうか」
リールが青い水晶に手をかざすと、この森全体が甘ったるいような、どろんとしたような、嫌な感じの空気に支配された。
「これは……」
勇斗はこの感覚に覚えがある。前にリザードマンと戦った時にも、森全体にこれと同じような空気が充満していた。
おそらくはあのときに、リザードマンが用いていた結界と同じようなものを、リールが発動させたのだろう。
「ククク、これでもう、おまえはこの森から逃げられない。村の中の魔物を倒したかったら俺を倒せ。そろそろ本気を出せ」
バットを杖にしながらゆっくりと勇斗が立ち上がると、勇斗は自分を鼓舞するかのようにバットの先をリールに向けながら宣言する。
「はあ、はあ……。おまえには、ぜってー、負けねえからな! 覚悟しろよ」