4-8 眠り姫
サラは真っ暗な世界を彷徨っていた。
――誰もいないひとりぼっちの世界。
その世界は、まるでかつてのサラの心の中を映しだしているかのようだった。
今は傍にいない両親。
それでも姉はいつでもサラに優しくしてくれたが、天才である姉に対して、サラは無意識のうちに壁を作っていた。
自分が独りぼっちだと思っていたサラは、そんな淋しさを埋めるために迷い人という存在を求めたのかもしれない。
(勇斗さん、私……)
周囲の闇がサラの体内に取り込まれるかのように、サラの不安が増していく。それでも前に進まなければいけないという使命感から、サラは手探りのまま進んでいく。
やがてサラの視界の先に、光が宿り、その光の中には人影が見えた。
「勇斗さんっ!」
サラがその人影の名を叫ぶと、人影はこちらに振り返り、驚いたような顔をして手を上げた。
しかしその視線がサラと交錯すると、彼はサラという存在を全面的に受け入れてくれるかのようにニッコリと笑った。
心細い闇の中で、知り合いと出会えたという安心感。しかも、サラが一番会いたいと思っていた人物が目の前に現れたのだ。
思いを抑えきれなくなったサラは、勇斗の胸元目がけて懸命に駆け出した。
勇斗は手を広げてサラを受け止めると、柔らかい笑みを浮かべながらサラの頭を撫でてくれた。
勇斗の手のひらはどこまでも暖かくて、どこまでも安心できるような、そんな不思議な力を帯びている手のひらだった。
もしかしたら、勇斗が持つ特有の魔法なのかもしれない、サラはそんなことを考えた。
「勇斗さん、私、怖かったよ……。ひとりぼっちでこんな真っ暗な中に置いてかれて」
勇斗の顔に埋めたまま話すサラは、涙が零れそうになるのをなんとか堪えていた。
「そっか、怖かったね。でも、ここには俺がいるから安心だよ。サラは何も心配する必要はない」
サラを安心させるように、勇斗は子どもをあやすかのように穏やかな口調で言う。
――大事なことを忘れている気がする。
「ねえ、勇斗さん?」
サラは勇斗を見上げ、蒼色の瞳で勇斗の黒目をのぞき込む。その瞳の奥からも、彼の優しさをひしひしと感じることができた。
だからこそ、ここで勇斗に甘えるわけにはいかない。だって、サラはいつまでもワガママばっかり言っているような子どもではないのだから。
「勇斗さんはずっと、私と一緒にいてくれる?」
「当たり前だよ。俺はサラちゃんを置いてどこかに行ったりしない」
「そっか……」
諦めたように呟いて、サラはそっと勇斗から体を離す。
目の前の勇斗はサラの願望が創り出した都合の良い妄想であり、幻影にすぎないのだ。サラにとって都合がいいように書き換えられている勇斗であって、本物の勇斗ではない。
「ありがとう勇斗さん、でもそれは駄目なんだよ。私、勇斗さんと約束したんだから、勇斗さんが元の世界に戻れるように協力をするってね。だから、私がいつまでもここにいちゃいけないんだ」
「ははっ、なるほど。それじゃあ、俺はサラに振られちゃったのかな?」
目の前にいる勇斗は、言葉とは裏腹に満足そうに笑みを浮かべている。
「私、勇斗さんのことが大好き。私を助けてくれてありがとう。でも、私は大事なことをみんなに伝えないといけないから。いつまでもここに留まっているわけにはいかないの」
すると、サラの目の前にいた勇斗の形をしたモノは、穏やかな笑みを浮かべながらゆっくりと消えていった。
それと同時に、真っ黒だった世界に光が差し、サラの視界に世界の色が広がってゆく。
ゆっくりと目を開けると、視線の先に映ったのは真っ白な天井だった。
「…………」
見覚えのある天井に、サラは自分が今、父の病院で寝かされているのだとすぐに気がついた。
窓から差し込んでくる太陽の光がサラの瞼を焦がす。爽やかな朝の一幕に、普段は寝覚めが悪いサラも、今日に限っては目がパッチリと開いていた。
壁に掛けられている暦と時計を見てみたが、今はサラが眠ってから次の日の朝ということらしい。
(って、こんなのんびりしている場合じゃないよっ!!)
目が覚めたことで、脳も一気に活性化を始める。それと同時に、自分が眠らされる前に見た出来事を思い出して、自分がしなければいけないことを自覚する。
とりあえずベッドから足を投げ出して、周囲を見回すと、ベッドの横に丸いすが置いてあり、そこではリヒトが眠っていた。
相変わらず、真っ黒の法衣に病院という組み合わせはなんとも不吉な感じがするが、それでも数年間にわたって、サラの父に代わって病院の責任者を引き受けてくれたこともあり、病院に黒の法衣という光景も見慣れたものになってきた。
「リヒトさん! 起きてください。大変なんです!」
「ん……、いったい、なんでしょうか……。あっ! サラさん、目が覚めたんですか?」
リヒトは寝ぼけ眼をこすりながら目を覚ますが、自分を起こしたのがサラだということに気づいた瞬間、目を丸くさせてサラの両腕をがっちりと掴んだ。
「はい、見ての通りです。それよりも大変なんです。ロッドさんはどこにいますか?」
「ん? 彼女なら教会にいると思いますよ」
なぜそんなことを聞くのか、という表情をしていたリヒトだったが、聞き返すこともなく質問に答えてくれた。
「リヒトさん、今すぐ教会に行きましょう。ロッドさんが、村に魔物を呼び寄せた犯人だったんですよ」
「え、なんだって……?」
信じられないといった表情で、間抜けな声を上げるリヒト。
「時間がありません。ロッドさんを止めるんです! 早くしないとまた魔物が村に襲い掛かってくるかもしれないんですよ」
「いや、ちょっと待ってください。それよりもロッドさんが犯人ってのは、どういうことなんですか?」
「説明は向かっている最中にします。とにかく時間がないんです。今日にも、同じように魔物の襲撃があるかもしれないんですよ」
「そ、それは本当ですか? そんなに早くまた襲撃が来るとは……。わかりました。とりあえず、サラさんに言うとおりに教会に戻りましょうか」
まだ納得がいっていない表情をしていたリヒトだったが、それでもサラの言い分を受け入れてくれたようだった。
そうして、リヒトとともに病室から出ようとした瞬間、サラの前に一つの影が立ちはだかった。
「サラ、あなたは行っては駄目よ」
険しい表情をしているアイナは、サラを威圧するように見下ろしている。
「サラの話は聞こえていましたので、とりあえずリヒトさん。あなただけでも教会に向かってください」
「はい、それでは失礼します」
リヒトは普段の冷静な顔つきとはほど遠いような切羽詰まった表情をしながら、アイナの横を前のめりで通り過ぎていった。サラもアイナを無視して、リヒトのあとに続こうとしたのだが、やはり姉の大きな影が立ちはだかった。
「サラ、あなたは本当に戦うつもりなの?」
アイナが妹を気遣う姉の目つきでサラの顔を見つめている。
「うん、私だって戦えるんだからっ!なんていっても、勇斗さんの命を救ったことだってあるんだからね」
サラが言うと、アイナは諦めたような表情でため息をついた。
「そうね、サラがそう言うのはわかっていたわ。でもね、さすがにその状態のまま行くわけにはいかないでしょう?」
アイナの視線とサラの視線が、サラの腕に装着されている腕輪へと注がれる。
「手を出しなさい。その腕輪外してあげるわ」
「お姉ちゃん……」
ようやくサラはアイナという偉大な存在に認められたような気分になって、感極まってしまうほどに嬉しかった。
「約束しなさい。絶対に怪我しないこと。それと絶対に無茶しないこと」
「うんっ! 絶対約束するっ!」
そう言って、サラが右手を差し出すと、アイナはサラの右手に巻かれている腕輪を両手で優しく包み込んだ。
サラの手首が小さな光に覆われると同時に、サラの手首を締め付けていた腕輪がすっぽりと外れる。
「私はね、昨日の大魔法のせいで、魔力がスッカラカンなの。そんなわけで、今日また魔物の襲撃があったら、正直言って戦力になれそうもないわ。だからね、サラ、私の代わりに、この村を守ってね。大丈夫、あなたならきっとできるわ。なんて言っても、サラは私の妹なんだから。とは言っても、やっぱり無茶だけは、絶対にしないでね」
「うんっ!」
アイナの言葉からは、サラに向けられる期待や優しさ、その他様々な感情を言葉の節々に感じ取ることができた。
サラの返答も、思わず声が上擦ってしまっていた。
「それじゃあ、教会のほうはリヒトさんに任せるとして、私たちのほうは、また魔物が押し寄せてくるってことを、みんなに知らせに行きましょう。サラ、絶対に私たちの場所を守り抜くわよ」
「うんっ! 私、頑張るよ」