4-1 迷い人の使命
その後、勇斗は眠ったままのサラを病院まで運んで、空いている病室のベッドに彼女を寝かせた。
魔法で眠らされているということが何を意味するのか、勇斗にはわからなかったが、リンカの様子から察するにあまりよろしくない状態であることだけは理解できた。
今勇斗はバジルともに、負傷者の手当てや病院への搬送を手伝った後に、サラが眠っているベッドの前に立っていた。
リンカとは学校で別れ、彼女は別の場所で負傷者の手当てや搬送を手伝っている。
「それにしてもリヒトさんが、おまえを殺そうとするなんてな」
勇斗の隣に立っていたバジルは、納得できないような表情で首を捻っている。
魔物が現れる直前にリヒトに襲われた件について、勇斗がバジルに話したわけではない。確かに、勇斗がバジルに命を狙われたのだが、こうして今はぴんぴんとしている。それに、魔物の襲撃によってうやむやになってしまったものの、リヒトが勇斗を殺すという考えを改めてくれたみたいだったので、勇斗としてもそれ以上問題にするつもりはなかった。
じゃあバジルはどこからその情報を仕入れたのかというと、その発信源はロッドらしい。だとしても、どうしてわざわざロッドがその話をバジルにしたのかはわからない。
「いろいろあるんだよ。リヒトさんにも……」
しみじみと呟いた勇斗は、ベッドで眠っているサラのおでこをそっと撫でる。
「リヒトさんが何か言っても関係ない。勇斗は確かにこの村を守ったんだ。これは事実だからな。あんまり深く考えすぎるなよ。おまえは、自分でも知らないうちにこの村に迷い込んだってのに、おまえが原因で村が滅びるからもしれないから死ね、なんてのはあまりにも理不尽すぎるだろ。おまえが村を守ろうとしてくれる限りは、俺もおまえのことををゼッタイ守るからな。なんたって、村の住人を守るのが俺の役目なんだからな。勇斗ももう村の住人の一人だろ」
「ははっ、ありがとうな。俺もその思いに応えられるように俺も頑張るよ」
その時、遠慮がちにドアがノックされた。
「はい」
勇斗が返事をすると、ドアが開かれ、扉呑むこうからリヒトが姿を見せる。
「こんにちは。勇斗さん。バジルさんもこんにちは」
リヒトは相変わらず、人形が浮かべるような不自然な笑みを浮かべている。
しかし、これまで不気味としか思えなかったその笑みも、その表情の奥にはなにかが吹っ切れたような清々しさを感じた。もちろん、ただの勇斗の思い違いで、気のせいである可能性も否めない。
「ロッドさんから聞きましたよ。リヒトさん、あんたは村の人を守るために勇斗を殺すんだろ。だったら、俺は勇斗という村の人間を守るためにアンタと戦う」
バジルが喧嘩腰に、勇斗を守るように勇斗の前に立つ。
「そうですか……、彼女が……」
リヒトは息を吐いて、肩を竦めた。
「そのことですが、やっぱりやめました。私はこれまでに、色んな汚れ仕事をしたことがありますが、人を殺したことは一度もないんですよね。仮にですよ。あなたを殺して村が平和になったとするじゃないですか。だけど、その平和になった村の中で私は殺人という罪を犯したという十字架を背負っていかなければならなくなるんですよね。そう考えたら、私みたいな矮小な存在では、勇斗さんの十字架に耐えられる気がしませんでした」
リヒトの笑みは相変わらず人工的な印象を与えるものであったが、それでも彼にとってはその笑みこそが自然な笑みなのだろう。その表情の奥に隠された感情を読み取った勇斗は、そう思った。
「私は迷い人が出現したら、その人がどんな人であろうと、問答無用に闇に葬るつもりでした。だからこそ、サラさんには、迷い人が本当に現れたら私に教えてくださいと言っていたのです。でも、私は結局迷い人を殺すことを躊躇ってしまいました。覚悟を決めていざ剣をあなたに向けても、途中で邪魔が入ってしまいましたしね……。きっと神様が勇斗さんには手を掛けるな、と告げてくれたのではないのかな、と勝手に解釈することにしました。けれど、それは私の中で勝手に納得しただけに過ぎませんし、あなたに刃を向けた事実は決して覆りもしません。あなたを殺そうとした私に対する罰はなんでも受けますし、その覚悟もあります」
黒衣の神父は、直立不動の状態で、神様からの審判を待つ人のように胸に手を当てて目を瞑っていた。
「ははっ、そういうのはやめてください。リンカも同じようなこと言ってましたけど、人に罰を与えるとかそういうの得意じゃないんです。いや、そんなんが得意な人なんてそうそういないと思いますけど……。それに、リヒトさん俺を殺そうとしたとき、手が震えていましたよね。心の底では、俺を殺したくないって、気持ちが伝わって来てましたよ」
「ふう……。あなたにはバレバレだったんですね。どうやら、私の心はあなたに読み取られていたようだ」
「そんな大層なもんじゃないですけどね。洞察力には少し自信があります。以前にいろいろと鍛えられる機会があったもんですから」
「そうですか……」
リヒトは、そこで話を切り替えるために一呼吸置く。
「今回の騒動は、これで終ったわけではありません」
「ど、どういうことですか!?」
これまで黙っていたバジルが、口の中に入っている唾をまき散らすような勢いで驚いた。
それに対して、勇斗は特に驚いた表情を見せなかった。
サラの身体に異変をもたらした黒幕が、きっとどこかにいることはなんとなく予期していたからである。
「私は迷いの森の奥にある廃墟で、転送装置を見ました。勇斗さんも一緒に見ましたね?」
「はい、覚えています。あの赤い水晶と緑の水晶ですよね」
「そうです。確かに、今回はあの転送装置を使うことで、結界を介すことなく魔物が村の中に侵入してきました。だけど、それを聞いて、一つ何かおかしな点があると思いませんか?」
「…………」「…………」
バジルは首を捻って考えており、勇斗は自分なりの考えがあったものの、話が進まなくなりそうだったので、黙ったままリヒトの続きを待った。
「その転送装置は、誰があの場所に設置したのでしょうか」
「あっ……」
バジルもリヒトの言おうとしていることに思い至ったのか、小さく声を漏らした。
「何度も言うように、魔物は普通の手段では結界に阻まれて村には入れませんから、あの装置をあの場所に設置できるわけがありません。というわけで、魔物に手を貸して、あの装置を置いた『人間』が確実に存在するはずなのです」
「そ、それは本当のことなんですか? でも、俺は、今日一日商人同士の仲介で門のあたりにいましたよ。頭に血が上った商人が……なんてことも考えられるかもしれないですけれど、その商人たちはそもそも村には入れてませんし、だいたいその商人が文句を言っているうちに魔物が現れたんですよ」
自分の記憶を確かめるように、バジルは一気に吐き出した。
「犯人には心当たりがありますよ」
勇斗が横から口を挟んだ。
「本当ですか?」
驚いた顔をしたリヒトが、期待を込めた眼差しで勇斗を見つめる。
「そんな期待されても困るんですけれど、残念ながら俺自身が犯人を知ってるわけじゃないです。ただ、サラは魔法で誰かに眠らされたのですから、サラはきっと何かを見たんじゃないでしょうか? それで、口封じのためにサラは眠らされたと思ったんですよ」
「なあ勇斗、でもそれってかなり不自然じゃないか。こう言っちゃなんだけど、本当に知られたくないことを知られたんだったら、眠らせるだけに済ますはずがねえだろ。しかも、相手は村に魔物を放つような外道なんだからな。人の命をなんとも思ってないようなやつだろ」
「でも、サラは実際にこうして、魔法という手段を用いて意図的に眠らされている。その理由が他にあると思うか……」
「それは……」
口ごもってしまったバジルの横から、リヒトが言葉を挟んだ。
「バジルさん、こう考えるのはどうでしょうか? その犯人はサラさんに好意を持っていて、自分の手で殺すのが忍びなかった。それで、殺すのではなく眠らせるのにとどめた」
「う~ん……、それなら納得できないこともないですけど……。村の中に魔物をばらまいたやつの心理なんて知りたくないですけど、魔物の手で村の人も滅ぼすつもりだったのに、村の人間のひとりであるサラちゃんを見逃すってのは、行動として矛盾してると思いませんか?」
「まあ、そうですね。でもなんとなく気持ちはわかりますよ。この犯人は目の前で血を吹いて死ぬサラさんを見たくなかっただけなのかもしれません。自分の目につかないところで魔物が殺せば、それは間接的には自分で手を下していることになるからもしれませんが、直接手を下すのことにはなりませんからね。ある意味では他人事になるわけです」
リヒトが言うと、今度は勇斗がサラの顔を見ながら答える。
「そうですか、その犯人にどういう考えがあったにしろ、サラが無事で俺はよかったです。もちろん犯人は絶対に許せないですけれど……」
静かな怒りを湛えながら、勇斗は眠っているサラに微笑みかけた。
「今回の襲撃では、こちらの被害も大きかったですが、魔物側の被害もかなり大きかったはずです。次の襲撃がいつやってくるかはわかりませんが、いつ来ても大丈夫なように、備えておく必要はあると思います」
そう言った黒衣の神父からは、固い決意がひしひしと伝わってきた。
「ちきしょー、あいつら好き勝手やりやがって。ぜってー、俺がこの村を守ってやる」
バジルは自分の掌に拳をぶつける。
「さて、そういうことですので、二人は準備を怠らないようにおねがいします」
少しの沈黙が流れ、リヒトは話が一段落したことを確認すると、別に話を始めた。
「それとここから先は、魔物襲撃の話とはあんまり関係ない話になるのですが……。迷い人に関する話です」
リヒトは大きく深呼吸すると、本を語り聞かせるような口調で語り始めた。
「昔、人と魔族との戦争があった時に英雄となった迷い人の話です。その迷い人は魔族を滅ぼした後、姿を消したと言われています。念のため補足をしておきすと、魔族というのは魔物の上位種で、魔物たちを従える存在だと考えていただければ結構です」
「でも、サラが読んでくれた本には……」
「ええ、伝説の迷い人は、歴史を見ると、この世界に残ってこの世界の人間を導いてくれたとされています。ですが、この世界に残ったというざっくりとした記録が残っているだけで、人魔戦争以降の迷い人に関する具体的な記述はいっさい存在していないんですよね。最近では歴史の研究も進んで来て、研究者の間では、英雄となった迷い人は人びとを救ったことで役目を終え、元の世界に帰ったのではないかとされているのです」
「じゃあ、俺が元の世界に戻るには」
「そうですね。勇斗さんの役目がなんなのかははっきりと申し上げることはできないですけれども、伝説の迷い人の例に当てはめるのなら、この村で起きている異変を解決するというのがあなたの目的となるのかもしれません。正直言って、私はこれまでこの新説をまったく信じていませんでした。だからこそ、迷い人という異分子を排除しようとしていたのです」
確かにその説明ならば、魔物と迷い人が歴史の中で深く関わってくるという話にも納得がいく。魔物によって、平和が脅かされると、どこからともなく迷い人がやってきて、その平和を取り戻すということになるのだろう。
その節が真実ならば、平和が脅かされるのは迷い人のせいなんかではないということになる。
順序関係を考えると、魔物によって人間社会が脅かされたあとに迷い人が現れるということになるからだ。
「その説が間違いだったとか、本当のことだったとか、そんなことはわかりません。だけど、私は勇斗さんという迷い人を信じてみたくなったのです」
「あはは、そこまで言われるとなんだか照れくさいというか……」
期待をされるのは嫌いじゃないが、それでもこんなにも真っ直ぐな期待を向けられると少し恥ずかしい。
これ以上持ち上げられるのは敵わないので、勇斗は話を変えることにした。
「個人的にひとつ聞きたいんですけど。仮に本当は、伝説の迷い人が元の世界に戻ったとして、どうして歴史では迷い人をこの世界に残ったことにしたんでしょうか?」
「ふむ。これは個人的な考えになるのですが、戦争の後に、迷い人という英雄を掲げることで、民衆をひとつにしようと考えたのではないでしょうか。魔物という敵がいなくなると、今度は人間同士のいざこざが生まれることでしょう。それを想定して、迷い人という象徴を設置することで、人びとを導いた、こんなところだろうと私は考えています」
「そうですか……、まあとりあえず、これで俺の帰り道が示されたわけですよね。前にも言ったかも知れませんけども、俺は赤の他人のために自分の命を懸けるたくありません。だけど、これからは自分のために、自分が元の世界に帰るという目的のために、命を懸けてこの村を守りたいと思います」
バジルとリヒトは、勇斗の言葉を聞いて口元を上げてにこりと笑うと、三人は三つの手を重ねた。
「私たちの村を守りましょう!」
「俺は自警団の一員として、誰も傷つけさせませんっ!」
「俺だって、負けませんっ!」
新たに覚悟を決めた三人は、声高らかに宣言をした。