1-4 迷い人の証
「ここが私の家です」
サラに案内された家は木造建築というよりは、丸太を組み合わせて建てられたログハウスのような構造をしていた。自然と一体化しそうな外観は、自然に囲まれたレールの村と調和が取れているように窺えた。
勇斗の勝手なイメージでは、異世界というと、高度に発展した都市が魔法という不思議な力を利用して社会を運営しているというものだった。しかし、勇斗の勝手なイメージはどうやら思い違いだったみたいだ。サラの家に連れて行ってもらう際に村の中を少し歩いたが、勇斗が歩いてきた道のりから判断するに、レール村は田舎という言葉がぴったりだと感じた。
勇斗の地元も下宿しているところも結構な田舎だったので、異世界という割にはレール村を歩いている間も居心地の悪さを感じることはなかった。むしろ以前、東京という大都会を歩いたときのほうがよっぽど居心地の悪さを感じたと思う。
「うん、でも、こっちの方が俺としては落ちつくかな」
面と向かって言うのはさすがに失礼だと思うので、勇斗はサラの後ろで、サラに聞こえないように独り言に留めておいた。
「おねえちゃーん、ただいまー!!」
サラは勢いよく玄関の扉を押し開けて、飛び上がるようにして玄関へと入った。
「おかえりなさい。今日はちょっと遅かったのね……」
サラの声を聞いて、廊下の奥からゆっくりと女性の姿が現れた。細身で整った顔立ちの女性は、一歩踏み出す度に絹のような長い黒髪が揺れる。
身長は勇斗よりも若干低いものの、なぜか見上げているような気分になるという、不思議な空気を纏っている女性だった。
「あら? そちらはどなたかしら?」
唇に指を上げて小首を傾げる姿は、大人の魅力がふんだんに詰まっており、すらっとした綺麗な長い足は長いズボンに覆われていてもまったく隠し切れていない。
切れ長な瞳の色は、ブラックホールのように人を吸い込んでしまいそうなほど真っ黒だ。
ミステリアスな雰囲気を持つ女性だが、一つだけわかったことがある。
それは、勇斗が今まで出会った女性の中でも上位どころかトップを掻っ攫うほど、目の前の女性は魅力的だということだ。
「聞いて、お姉ちゃん! 私ね、やっと迷い人に出会えたの!」
サラが嬉しそうに言うと、サラの姉は警戒半分と好奇心半分、といった表情でこちらに目を向けた。
どう反応してよいのかわからず、勇斗はとりあえず軽く会釈した。
サラの姉は美人系の顔つきであり、サラは年相応に可愛らしい顔つきをしている。二人が醸し出す雰囲気は少し異なるが、それでもこの姉妹は目元がそっくりだった。
サラももう少し年齢を重ねれば、姉のように美人な女性へと変貌するのかもしれない。
「この人は迷い人の勇斗さんだよ。いきなり知らない世界に飛ばされたわけなんだから、私たちでお世話しないとだめだよね!」
ウキウキとした様子のサラが、いったん言葉を切ってこちらを振り返ったので、ここが自己紹介をするタイミングだろうと察して、勇斗はもう一度サラの姉に頭を下げた。
「はじめまして、日野勇斗いいます。正直な話、俺もあんまり事情がわかってないんですけど、どうやらこの世界は俺が今まで暮らしていた世界とは異なるらしいです」
後半はどこか曖昧で他人事のような説明になってしまったが、勇斗自身が自分の置かれている立場というのを明確に把握できていないのだから、きちんとした説明ができるわけもない。
「ふふっ、私はアイナ・アルバート。この子の姉よ。あなたは本当に迷い人なの? 見たところ、普通の男の子とそんなに変わってるようには見えないけど」
柔らかい口調だが、アイナは警戒心を緩める様子はない。
突然、妹が見知らぬ男を家に連れ込んできたのだから、その相手である勇斗に対して警戒を抱くな、というほうが無理があるだろう。
その背景から考えると、警戒はしているものの拒絶はしないという、アイナの対応はむしろかなり優しいものだと思う。
「いやあ、自信を持って、『はい。そうです』とは言えないです。なにせ、でかい穴に落ちたと思ったら、いつの間にか、サラちゃんの前に倒れてただけなわけですから……」
アイナは勇斗の話を聞いて、顎に手を当てて少し考える素振りを見せたが、すぐに何かを思いついたように人差し指を立てた。
「そうね。そういえば、あなたを迷い人かどうか確かめる方法があるのよ。ちょっとそこで待っててちょうだい」
アイナはそう言い残し、サラと勇斗をその場に残して、家の奥に引っ込んでいったしまった。
取り残された二人は、どうしようかと、互いに視線を合わせたが、とにかくアイナが戻ってくるのを待っているしかないだろうと、その場で待っていることにした。
そのまましばらく無言のまま待っていると、アイナが剣のようなものを手にして戻ってきた。
「ちょっと、見ていてちょうだい」
そう言って、アイナが剣の柄と鞘に手を掛けて思い切り引っ張って見せるが、その剣が鞘から抜ける気配もなく、びくともしなかった。
「この通り、私じゃどうやってもこの剣を抜くことはできないのよね」
アイナは力を緩めて、手にしていた剣を勇斗に差し出してきた。
「これは、我がアルバート家に代々伝わる代物で、この鞘を抜けるのは迷い人だけと言われてるわ。というわけで、もしあなたが本当に迷い人なのだというのなら、この剣の鞘を抜いて、その中の刃を私にみせてくれるはず」
まっすぐに勇斗の目をのぞき込みようにして見つめるアイナから、勇斗はその剣を受け取ろうとしたのだが、その瞬間、可愛らしい小さな手が間に割り込んできてそれを奪い取った。
「ちょっとお姉ちゃん! 私、こんなものが家にあるなんて知らなかったんだけど! どうして今まで黙ってたの!?」
不満そうに頬を膨らませるサラは、剣を胸の前に抱えて抗議をした。
「ふふっ、まあね」
アイナが優しく微笑みながら、膨らんだサラの頬を両手で押すと、サラの口から、「ぶふぅー!」っと空気が飛び出した。
「お姉ちゃん! 何するの!」
唸るように喉を鳴らしてアイナを睨むサラ。それとは対照的に心底楽しそうに笑顔を浮かべているアイナ。
微笑ましい姉妹の光景に勇斗の頬も自然に緩んだ。
「サラ。それを勇斗君に確かめてもらわないと、事は進まないのよ。それを勇斗さんに渡しなさい」
「むう……」
諭すようなアイナの声に、サラは不満そうに唇を尖らせていたものの、素直に勇斗に渡した。
その二人のやりとりを眺めていた勇斗だが、美人な女性に君付けで名前を呼ばれるということに、なんだか背中がムズムズするような微妙な気分にだった。
勇斗はサラから剣を受け取り、今度こそ剣を手にした状態で、一度アイナと視線を交わした。
「それじゃあ、気を取り直して……。勇斗くん、これを抜いてみて」
勇斗は柄に左手をかけ、鞘に右手をかける。
どうでもいいことだが、こういう長い棒状のものを持つと、野球の素振りをしたくなるのは勇斗が野球経験者だからなのだろう。
「じゃあ、いきますよ」
アイナとサラが緊張したような面持ちで勇斗の挙動を見つめているため、勇斗もその緊張感に釣られて自然と緊張してしまう。
アイナとサラも固唾を呑んで見守る中、勇斗はふう~っと息を吐き、思い切り力を込めて左右に引っ張ってやった。
「…………っ!!」
その勢いのまま、鞘がすっぽりと抜けた。なんの抵抗力も受けなかったので、拍子抜けするほどであった。
そして、抜けた柄の先から刃が顔を――出さなかった。
「あれ? 抜けたけど、刃がないんですけど……、もしかして、鞘と柄の部分が、接着剤かなにかでくっついてただけで、元から刃なんてないっていうオチですか?」
本来の剣であれば、柄の先に刃がくっついているはずなのだが、その剣に刃はついていなかったのだ。
「これは、どうしたら……」
三人の間に流れる微妙な空気に耐えきれなくなった勇斗は、サラとアイナの顔を見回して訊ねた。
――その時。
「――っ!」
突然、柄と鞘が目を覆ってしまうほどの目映い白い光に包まれたのだ。
「ちょ、これ、なんかやばそうなんですけど!」
不穏な変化に、思わず目を背増してしまう勇斗だが、握っていた鞘と柄は決して手放さなかった。
サラは目を輝かせてその光を見つめ、アイナはとくに表情を変えることなく、その光を見つめていた。
やがて、その光は直視できるほどの明るさまで弱まると、そのまま徐々にその光は小さくなっていき消失する。
そして勇斗が手にしていたはずの剣は、まったく別のモノへと変形していた。
「えーっと、これ金属バットなんですけど……。こんなんになっちゃったんだけど、大丈夫なんでしょうか……?」
二人の反応を確かめるように言う勇斗。
どういうわけか、あの光が消失した後、柄の部分は銀色の金属バットに、そして鞘の方は黒いバットケースへと変形していた。
「私もわからないわ。でも、おそらくそれが本来の姿ということなのでしょう」
とくに疑問を抱く様子もなく、小さく頷くアイナ。
「まあそれとして、言い伝えが正しければ、あなたが迷い人であることはこれで証明されたということになるわ。ようこそ、この世界に。私はあなたを歓迎するわ」
アイナはニッコリと微笑み、右手を差し出してきた。その表情にすでに警戒の色はなく、友好的なもので満たされていた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
アイナから差し出された右手を掴むと、その手のひらが妙なほど柔らかくて、彼女に触れている自分の手のひらを妙に意識してしまう勇斗であった。
「あー!! お姉ちゃんだけずるいっ! 最初に会ったのは私なんだよっ!」
抗議の声を上げたサラは、勇斗の横から抱きついてきた。ちょうど胸の高さにあるサラの頭を勇斗は優しく撫でる。
無邪気なその笑顔を見て、勇斗はもしこの世界に来て初めて会ったのがサラじゃなかったらどうなっていただろうかと考えて、少しぞっとした。
こうして、自分がこの状況を楽観視していられるのは、間違いなくこの少女のおかげだろう。そう考えると、彼女には感謝してもしきれない。
とりあえず、いつまでも金属バットを手にしていても仕方がないので、都合よくもう片方の手に握られていたバットケースにしまうことにした。
つい先ほどまで、剣というファンタジー世界の象徴である形をしていたはずのものが、勇斗にとって、とても身近な存在である金属バットへと変貌してしまった。そのことに、なんとなく拍子抜けしてしまったような気もする。それと同時に、見慣れたものがこうして目の前に現れたことに対する安心感みたいなものを覚えたのも事実だ。
「それじゃあ、勇斗さんが使う部屋まで案内するんで、私について来てください!」
サラに右手を掴まれ、勇斗は引っ張られるままについていく。
「…………」
サラに右手を引っ張られた時に、以前痛めた右肩の古傷が少し痛んだが、取り留めるようなほどの痛みではないので、黙っていることにした。
アイナはそんな二人の後ろ姿を、口元を緩めて眺めていた。
「この部屋を使ってください」
サラに案内されたのは、六畳ほどの広さの部屋だった。
勇斗が普段住んでいる部屋が六畳なので、同じくらいの広さといえるだろう。それでも、自室に比べてものが少ないため、こちらのほうが広く感じる。
部屋をぐるっと見渡すと、隅っこにある大きな本棚にはびっしりと本が並べられていた。
「ねえサラちゃん、この本、ちょっと読んでみてもいい?」
「いいですよ。好きなモノを手にとって下さい」
本棚全体を眺めて、適当にその中の一冊を手に取って床に腰を下ろすと、サラが肩口からひょっこりと顔を出して、のぞき込んでくる。
見知らぬ世界の見知らぬ書物はどんなものだろうかと、勇斗は好奇心を振るわせながらページをめくると、そこには見知らぬ文字列が並んでいた。
「う~ん、俺の世界で使われている字とは違うみたいだ。俺にはちょっと読めないな」
こうして文字が読めないという現実に直面して、改めて自分は異世界という地に足を踏み入れていることを実感した。
今まで意志の疎通にも困らなかっただけに、ちょっとしたショックだった。
「うわ~、字も読めないとかカッコわるーい」
「――ん?」
この部屋には勇斗とさらしかいないので、その声もサラのものかと一瞬だけ思ったが、サラはそんなふうに人を小馬鹿にすることを言うような子ではないだろうし、そもそもその声自体がサラのものとは異なっていた。
咄嗟に勇斗は手に持っているバットケースを見る。確かにここから声が聞こえたのだ。
「ねえサラちゃん、今何か聞こえなかった?」
「いえ、なにも……。どうしたんですか」
きょとんと不思議そうに小首を傾げているサラを見て、これだけ近くに居るサラにも聞こえていないのだから、どうやら自分の空耳だったのだなと、勇斗はさっきの声のことは忘れてふたたび本へと視線を落とした。
「その本には迷い人のこと、すなわち勇斗さんたちのことが書いてあるんですよ」
「へえ~、なるほどね。それはちょっと興味あるけど、字が読めないんじゃあなあ……。どうしようもないか……。ま、異世界で言葉が通じるだけでもよしとするか」
どうして言葉だけはしっかりと通じるのかは多少疑問ではあるものの、どのみち答えなんて見つかりっこないので、そのことを考えるのはすぐに辞めた。
「遥か昔、この世界を救ったのは、違う世界からやってきた住人だった」
朗読するような穏やかな口調で語り始めるサラ。
「それは何?」
「この本の最初に書いてあることですよ」
サラは本の一ページ目を開き、序文と思われる場所を指でなぞった。
「魔族と人間の戦争。それは、今から五百年以上前にこの世界で起きた悲劇。その戦争に決着をつけたのが他でもない迷い人」
「ほお~、それはすごい」
スケールの大きな話に、勇斗はただ驚くことしかできない。
まったくの見知らぬ他人といえど、自分と同じ存在だった人が偉大なことを成し遂げているということが、なんとなく誇らしくあった。
(まあ、俺がそんな功績を成し遂げられるとは到底思えないだけどさ……)
「迷い人は魔族を退けた後も、この世界に残って戦争で傷ついた人びとを導きました」
サラが文章の最後まで指をなぞり終えた。
「すっごい人だなあ。俺は人の上に立ったりするのは無理だからなあ。ところで、俺みたいにこの世界に迷い込む人って結構いるのかな?」
「そうですね。私が実際会ったのは勇斗さんが初めてですけれど、迷い人っていうのは、このときを最初にして、それからも何度かこの世界に現れているみたいです。出現する場所もレールの村だけじゃなくて、いろんな場所に現れるらしいですよ」
「なるほど、俺は落っこちた先がこの村でよかったよ。そうじゃなかったら、すぐに野垂れ死んでたかもしんないし……」
「私は、昔にあの森の中で迷い人が出たことがあるっていう噂があったんで、その噂を信じて、あの場所で勇斗さんを待ってたんです」
その後も、サラに読み聞かせてもらいながら本を読み進めていると、
「ふたりともー!! 夕食のじかんよ!」
アイナの綺麗で高い声が家中に響き渡った。
「はーい。今行きまーす」
サラが答えたところで、勇斗は本を閉じて本棚にそれを片付けた。
そのまま部屋を出ようとした勇斗だったが、その直前でサラに呼び止められた。
「あ、あの、もしよかったら、明日、勇斗さんに村の中を案内したいんですけど……、いいですか?」
サラは右手と左手の人差し指をつんつん合わせてもじもじとしながら、小さな声で言った。
「ホントに? 俺はこの世界っていうか、レールの村のことも何も知らないし、そもそも文字が読めないからさ。案内板とか地図とかがあっても読めないだろうし、そうしてくれるとホントに助かるよ」
勇斗の言葉に、サラはぱあーっと笑顔を輝かせた。
「はいっ! それじゃあ、張り切って案内させていただきますね!」
気合いを入れるようにして、サラは両手の拳を握りしめた。
ちょうどその瞬間、サラのお腹から、ぐう~、と可愛らしい音が鳴り響いた。
「えへへ……、その前にとりあえず夕御飯ですね」
照れくさそうに顔を染めるサラは、小動物のように愛らしかった。
「うん、そうだね。どんな料理が出てくるのか楽しみだ」
「お姉ちゃんの料理はおいしいですから、勇斗さん、覚悟してくださいね」
なぜか挑戦的な目つきをしているサラに従って、勇斗も部屋を出て居間に向かった。