3-6 危険因子
それから十日間、勇斗とバジルはパトロールと剣術の稽古を続けた。
パトロール中に村の人たちとすれ違う時には、自然とあいさつをしたり、ちょっとしたおしゃべりをするなど、いつの間にか勇斗はレールという村に馴染んでいた。
さらに合間に続けた訓練のおかげで、勇斗の剣術はまったくの素人から剣術初心者という程度まで上達した。
ついでにこの十日間でちょっと変わったことといえば、サラが自転車に乗れるようになったことである。
リンカからもらった自転車を乗り回している勇斗を見て、それに興味を示したサラだったのだが、最初のうちは何度も転倒を繰り返しては膝や肘に擦り傷を作っていた。それでも彼女は負けん気の強さを発揮し、勇斗とともに訓練を繰り返しているうちに、ついには自転車に乗れるようになったのである。
(こうして一人で出歩くのも随分と久々な感じがするな……)
今日のパトロールは、勇斗ひとりで行っていた。
村の門付近で商人同士での揉めごとがあったらしく、バジルはその仲介に駆り出されているのだ。争い自体が滅多にないことらしく、バジルはぼやきながら現場へと向かった。勇斗も付いていこうとしたが、いつも通りパトロールをしていてくれ、と頼まれたので、いつも通り村を歩き回っているわけである。
すでに歩き慣れたと言ってもよいパトロールコースを歩いて、昼頃にはいつもと同じように教会の近くを歩いていた。
そういえば教会といえば、この十日間の間に一つ報告しなければならないことがある。ロッドのことについてだが、彼女は昨日のうちに何事もなく教会に帰ってきた。
元気な姿の彼女を見て、勇斗はようやく心のつっかえが完全に取れたようなすっきりした気分になった。
ともあれ、これにて、勇斗が見たがあの光景が幻影だったことが完全に証明されたのだ。
「あっ、リヒトさん。こんにちは」
教会の前で箒を持って掃き掃除をしていたリヒトに、勇斗はペコリと頭を下げて挨拶をする。
空はかなり晴れ渡っていて夏の熱気が漂っているというのに、リヒトは相変わらず暑苦しそうな真っ黒の法衣を全身に身につけている。
勇斗を見つけたリヒトは、ほんの一瞬だけ顔をしかめたように見えたが、すぐにいつもの作り物のような笑顔に戻る。
「勇斗さん、こんにちは。少々お時間よろしいですか?」
「……? ええ、いいですよ。パトロールはここで一段落ですし、今日はひとりなんで訓練もできませんからね」
何か言い知れぬ不安感が勇斗を襲う。リヒトから伝わってくる妙な気配に、勇斗は自然と身構えた。
「そうですか」
と言うと、リヒトから作り物の笑みが消失し、無という表情を浮かべて勇斗を見据えた。その表情を垣間見た勇斗は、全身を絡め取られたかのように背筋がぶるっと震えた。
「…………」
明らかに異常な気配を醸し出しているリヒトに対して、勇斗にできることは相手の出方をうかがうことくらいだった。
「私はこの村の人を守りたい」
静かに力強く宣言したリヒトは、懐から短剣を取り出した。綺麗な銀色の刃先に太陽の光が反射して、勇斗の目を焼くようにきらりと光った。
「…………それで、いったい何をするつもりですか?」
本能的な何かがすでに警笛を鳴らしているが、勇斗はリヒトの視線に射竦められその場から動けなかった。
「ええ、ちゃんと説明しますよ。それだけの義務が私にはありますから。それじゃあ、順を追って説明しましょうか。ところで、君はカルマンという街を知っていますか?」
「いいえ、知りません。そもそも僕は迷い人ですから、この世界の地理についてはさっぱりです」
「まあ、そうでしょうね。カルマンというのは、この村の遥か南、海を越え、山を越えた先にあります。いえ、あったという表現のほうが正しいですね。そこは夜ですら誰も眠らない賑やかなところでした。街の空気や治安はあまりよくなかったので、私みたいな聖職者の間では評判ははっきり言って最悪でしたけどね。それでも、私はその街が好きだったんです。けれど、ある日を境に、その街は永遠の眠りにつきました。理由は魔物の大群が街を襲ったからです」
「……………………」
どこかで聞いたような話だなと思いながら、勇斗は言葉を挟むことなくリヒトの話に耳を傾けていた。
「本来ならば結界の力によって、魔物は街に入れないはずなんですよ。にも関わらず、カルマンは魔物に襲われた。どうしてだと思いますか?」
「……結界が破られたとか?」
「いえ、実はそうではないんです。私は魔物の襲撃が去った後、当然、私も結界が破られたものだと思って、結界を調べてみました。けれど、結界には傷一つ付いていなかったんですよ。きっと今に至っても、その結界は住人のいない街を守っていることでしょう」
バジルやリンカの故郷であるパラニアも魔物に滅ぼされたと言っていたが、パラニアの場合は結界が壊されてその隙に魔物がなだれ込んできたと言っていた。カルマンもパラニアも魔物に滅ぼされたという結果は同じだが、そこに至るまでの過程は異なっている。
「それじゃあ、魔物は何らかの手を使って結界を突破したということですよね」
「まあ、そうなりますね。ですが、魔物が街の外から街の中に進入したという痕跡自体がないんですよ。まるで、街の中から魔物が溢れてくるようでした……。ところでですが、結界が張っているのに魔物が進入してくるということに心当たりはないでしょうか?」
「心辺り……あっ」
「もちろんお気づきですよね。この村だって、結界が作動しているはずなのに、ここ数日で何度か魔物が出現している。入り口の門には常に誰かが立っているから、あそこから魔物が進入しているようだったら、門番が第一発見者になるはずなんです。だけど、ここ数日で現れた魔物について、門番からの目撃情報はまったくありませんでした」
リヒトはそこで一旦言葉を句切って、小さく息を吐いた。
「すなわち、村の中から魔物が沸いて出たと考えるのが自然でしょう」
「カルマンが滅んだときと同じように……ですか?」
「そうですね。その可能性が低くないと考えています。でもですね、そういう不思議な事が起こる前には、必ず兆候というものが存在するんですよ。カルマン街が滅ぶ数日前のこと、綺麗な女性が街に移民しました。なんともミステリアスな雰囲気を纏った女性だったらしいです。綺麗な女性だったらしいですから、町民は彼女をかなり歓迎したみたいですよ。その後に街を滅ぼす張本人であることも知らずにね……」
リヒトは憎々しげに鼻を鳴らして唇を歪める。
「私は彼女を直接見たわけではありませんが、彼女に関して生き残った同僚からの証言がありましてね。なんでも『彼女が魔物を率いてる姿を見た』とのことです。さて、最近この村で変わったことがありましたよね。それこそ普通に生活していては起きないことがありました。勇斗さん、私がなんのことを言っているかわかりますよね」
「…………」
勇斗は無言を貫いた。リヒトが何を言おうとしているのかは、当然わかっている。
リヒトは、勇斗のことをカルマンが滅ぶ数日前に現れた女性と同じように、この村に災いをもたらす人間だと考えているのだろう。
ましてや勇斗は迷い人という存在。この世界に住人にとっては、得体の知れない存在に他ならない。リンカに拒絶された今となっては、自分がこの世界において異分子であることも十分に理解している。
「当然、キミがこの世界、レールの村にやって来たことですよ」
困惑の表情を浮かべている勇斗に対して、リヒトは肩を竦めてため息をついた。
「ふう……、もう回りくどい言い方はやめますか……。正直に言いますよ。最近、この村に現れている魔物について、その根幹に君が関わっていると睨んでいます」
「そんな……、俺は」
「君にその自覚はないかもしれない。でもですね。迷い人と魔物っていうのは、歴史の中で必ずと言って良いほど、セットになって登場するんです。魔物の歴史で迷い人が出てくることはあんまりないですが、迷い人の歴史だと必ず魔物が登場します。キミ自身に悪意はないかもしれないですけれど、それでもキミが危険な存在ということに変わりはない。バジルさんとリンカさんがいた町のことを知っていますか? 彼らの町は迷い人が原因で滅びました。迷い人は魔物を惹きつける存在なのです」
「俺をどうするつもりですか?」
「もしかしたら、今回の魔物騒動とあなたは無関係かもしれない。しかし、少しでも関わっている可能性があるならばその可能性を私は排除しなければならない。カルマンの悲劇を二度と繰り返さないために……!!」
短剣を勇斗に向け一歩踏み出す。
「結局、聖職者なんてこんなもんなんですよ。命を天秤にかけて少ないほうを切り捨てて、多いほうを救うしかできないんです。だからこそ、私はキミを殺して村の人たちを救ってみせます!」
そう言って、表情を歪めたリヒトの表情は、これまでの作りものじみたものではなく、勇斗に初めて見せる人間らしい表情をしていた。
「納得はできませんが、リヒトさんの言いたいことは理解できました。けれど、わからない点がいくつかあります。俺がリザードマンに殺されそうになってた時のことです。あなたは、傷ついた俺を病院まで運んでくれたんでしょう。あの時だったら、俺は気を失っていたわけですし、俺を殺そうと思えば簡単に殺せたはずですよね。どうして、あのときに俺を助けたんですか? それとも、あの時はまだ、俺が迷い人だってことを知らなかったんですか?」
「いえ、知っていましたよ。その日の昼間のうちにアイナさんに会って、話を聞いていましたから。キミはあの時、魔物を退けて村を救ったという功績があった。そんな英雄に対して、いきなり後ろから刺す真似はできません」
「でも、今日は堂々と刺すことができるんですね」
皮肉を言って、リヒトは唇を噛みしめる。眉をしかめるリヒトは勇斗の皮肉に反応したのか、それとも別の要因があるのかはわからない。
「私には、これしか思い浮かばないんですよ。君がいなくなれば、この村に起こるかもしれない悲劇は回避できるんだッ!!」
リヒトがまた一歩勇斗に近づくと、勇斗もリヒトを迎え撃とうと、ケースからバットを取り出して両手で握りしめる。
一度ならず二度までも命のやり取りを経験した勇斗には、自分がどのような状況に立たされているのかを冷静に分析し、どのように行動するべきかを考える能力が備わっていた。
「俺もまだこっちに来て日が浅いかも知れにですけれど、この村に対する思い入れはあります。みんな平和に暮らしてほしいと願っています。だけど、そのために自分が死ぬのは嫌です。ましてや、平和になる確信じゃなくて、可能性のために殺されるなんてまっぴらごめんです」
勇斗が気合を入れてバットを絞るように握ると、全身の力みがすうーっと消え、体重という概念が存在しないかのように体が軽くなる。
まず、リヒトが無造作に左手を前に出すと、そこから勇斗に向かって火の玉を発射させた。勇斗が体をひねってかわすと、火の玉は地面に着地する直前に消えた。
今度はリヒトが虚空に向かって無造作に左手を振ると、勇斗の目の前に粉塵が舞い上がった。粉塵が勇斗の視界を覆い、リヒトの姿が見えなくなってしまう。
粉塵の向こうからリヒトが攻撃を仕掛けてくるだろうと予測した勇斗は、バックステップで粉塵から離れようとする。
――その瞬間。
リヒトがものすごいスピードで粉塵をかき分けながら勇斗の前に現れ、右手の短剣は勇斗の心臓めがけて突き出してきた。
「――くっ」
勇斗は苦し紛れにバットを前に出して、なんとか短剣の切っ先を受け止めた。
――キンッ、と鋭い金属音が周囲に響き渡る。
武器が交錯し合った状態のまま、二人は制止し、お互いの武器越しに相手を睨みつける。
リヒトは懸命に葉を食いしばり、必死の形相をしている。これまでの作り物っぽい雰囲気はなく、感情をむき出しにしていた。
(…………)
そんなリヒトの表情を目の当たりにして、勇斗の脳内に一つの疑念が沸いた。
――リヒトのその形相は、彼の中に生まれている迷いを打ち消すものためのものではないのだろうか。
それに気づいたのは、ただの直感なのか、それとも今まで積み重ねてきた経験による洞察力の賜物なのか、それは勇斗自身にもわからなかった。