1-3 二人の出会い
勇斗がなんとか着地に成功? し、顔を上げると、金髪ツインテールの持ち主で妖精のように可愛らしい外見をしている少女と目が合った。
年の頃は十才前後だろうか、少女は大きくて丸っこい蒼い瞳を、さらに大きくして、驚きと心配が混じったような表情で、こちらを見つめていた。そういった属性を持ち得ない勇斗だが、少女の持つ可憐な雰囲気に思わずドキリとしてしまった。
「……あ、あのっ、大丈夫ですか?」
可愛らしくもあり、それでいて、戸惑いつつも芯が通っていて凜とした少女の声。
「ん~、大丈夫……かな」
身体の具合を確かめるが、落下して地面に打ち付けた尻が少し痛むくらいで、それ以外におかしなところは何もなかった。
右肩が痛むのは前からなので、落下による衝撃とは関係ない。
「あれっ!? 俺、大丈夫じゃん! マジかっ。あんなに落下してきたのにほとんど無傷って、俺って滅茶苦茶強運の持ち主だったりすのか……?」
どれだけの間落下を続けていたのかは定かではないが、それでもほぼ無傷でいられたというのは運が良いという言葉では片付けられないような気もする。
ただそれ以外の要因が思いつかないのも事実だった。
「け、怪我がなさそうでよかったです。でも、あの……」
少女は、キョロキョロと視線を彷徨わせた後、どこか気まずそうに頬を染めていた。
ひょっとして彼女は自分に気があるのだろうか、なんて自惚れたことを考えるわけもなく、勇斗は目を逸らされる原因が自分にあるのではないか、と自分の身なりを確認する。
「…………あっ」
自分の格好を確認したところで、勇斗は言葉を失った。
それなりに鍛え上げられた上半身と下半身とが、完全にむき出しになっており、身につけているのはボクサー型のパンツのみだった。
自分の身なりを意識した瞬間、妙に肌寒く感じるようになるのだから、人間の身体というのは不思議なものだ。
とはいえ、今は人間の身体の疑問について議論できるような余裕はない。
「――えっ! なんで俺パンツ一丁なってんの……?」
勇斗自身もその現状に驚きを隠せなかった。
(待て待て、状況を整理しろ)
こういうときこそ冷静な状況判断が要求されるのだ。まずは自分の身に起きた出来事を順番に振り返ってみよう。
勇斗は大きな穴に落っこちたと思ったら、パンツ一丁で小さな女の子の前に立っていた。
――状況整理終わり。
そもそも情報が少なすぎて、状況整理ができないということに気づかされただけだった。それでも現在の自分が、どういう状況に立たされているのかは容易に察することができる。
「どういう状況? 俺、ひょっとして社会的にものすごいピンチに立たされている?」
年端も行かない女の子を目の前にして、パンツ一丁で立ち尽くす男の図。どれだけ好意的に捉えたとしても、誰かにこの現場を抑えられたら通報はまぬがれないだろう。
咄嗟に辺りを見回してみるが、少女以外に人間の姿は見当たらなかった。
とにもかくにも、自分の身を助けるために全力で脳みそをフル回転させていると、少女のほうから話しかけてきた。
「あ、あのっ! もし、よかったら、これ、着てくださいっ!」
震えた声を発した少女は、手に下げていたバッグを勇斗に差し出してきた。
戸惑いながらもバッグの中身をのぞき込むと、そこには衣類一式が詰め込まれていた。
「あ、ありがとう。えーっと、着ちゃっていいのかな? っていうか、これってキミの服なんだよね。そもそもサイズが合わないんじゃ……」
言いながらも、少女の行為を無碍にするわけにもいかないので、勇斗は少女からバッグを受け取った。
少女が右手を差し出した瞬間、右手首に巻かれている綺麗な銀色の腕輪が目に入り、あの腕輪いくらくらいするんだろうな、と勇斗は少しだけ余計なことを考えた。
「大丈夫ですよ。たぶん、あなたのために作ったものですから……」
どこか引っかかるようなものいいだったが、今はそれについて問いただせるような状況ではない。
とりあえずバッグから衣服を取りだしてみると、ひらひらとしたスカートタイプで緑色のワンピースが一着と、赤い半袖のシャツに黒いベスト、黒い長ズボンが出てきた。
ワンピースは除外するとして、そのほかの衣服については、サイズも問題無さそうだった。
「あっ、これなら俺でも着れそうかな。この格好のままいるわけにはいかなし、お言葉に甘えて着させてもらうよ」
「はいっ!」
なぜかとても嬉しそうに顔を綻ばせている少女を横目に、勇斗はバッグから取りだした衣服に袖を通す。
不審者から、普通の男子高校生にクラスチェンジした勇斗は、ほっとしたように息を吐いて少女へと向き直る。
突然、社会的ピンチに立たされていた勇斗だったが、こうして少女の協力もあってピンチを乗り切ることができた。
「いやあ、助かったよ。パンツ一丁で歩くわけにいかないからね」
改めて少女にお礼の言葉を述べると、彼女の笑顔がぱあっと弾けた。
「あ、あの~、私、サラ・アルバートって言います! あなたは、こことは別の世界から来た迷い人ですよね! 私、ずっと待ってたんですっ!」
サラと名乗った少女は勇斗の腕を掴んだ。
二人の身長差があるせいで、サラは自然と上目遣いになっていて、その挙動に勇斗は不覚にもときめいてしまいそうになった。
「別世界? 迷い人?」
聞き慣れない単語に思わず聞き返してしまうが、無邪気な少女が期待を込めてこちらを見て見つめている様子に、否定の言葉を返す勇気もなかったので、とりあえず返答は先送りにすることにした。
「よくわかんないけど、俺は日野勇斗。勇斗って呼んでくれ。っていうかここはどこなんだ?」
ようやく一息ついたところで辺りを見回す余裕が出来た。
あたりに広がるのは、廃墟のように風化してしまった建物群。当然、勇斗はその景色に見覚えがない。
「あの森の中にこんなとこあったっけ? いや、あのクソデカイ穴に落ちたんだから、ここは地球の裏側とかなのか? それとも、地下に潜んでいる国?」
「よ、よくわからないですけど、この世界はルードルフで、この村はレールといいます。地下にある国ってわけではないです。見ての通り、きちんと空もあります」
サラの言葉を聞いて、勇斗は空を見上げる。そこには、約十八年間見てきたものと同じような空が広がっていた。強いていえば勇斗が今まで眺めたどの夕焼けよりも輝いて見えたが、この場においてその問題はとても些細なことであると言い切ってもいいだろう。
さきほど勇斗が通ってきた歪んだ空間は、何事もなかったかのようにいつの間にか消え失せていた。
「うん、確かに空はあるみたいだね。それにしても、ルードルフってのも、レールってのも聞いたことないなあ……。まさか、ホントに、異世界に来ちゃったってことか? ここって日本じゃないってこと?」
「にほん? どっかで聞いたことがあるような……。そうだ! 昔、この世界に来た迷い人が日本っていうところの出身だったんです」
「ははっ……、なるほど……。ってことは、俺もその迷い人ってので、合ってるのかもしれないな。むしろ迷子っていう表現のほうがしっくりくるような気もするけど……。ははは」
場を取り繕うために苦笑いを浮かべるしかなかった。
訳のわからないことが立て続けに起こっているようだが、現状において状況を受け入れる以外のことはできないだろうと割り切って、勇斗はサラの話を受け入れることにした。
(いやあ、これからどうすればいいんだろ。まあ、なるようになるというか、なるようにしかならないもんなあ……)
異世界に放り込まれたというのに、あまり危機感を覚えていない勇斗だったが、人間というのはあまりに突飛な状況に立たされると逆に楽観的になってしまうらしい。
「あの~、もしよかったら私の家に来ませんか? 私もいろいろとそちらの世界の話を聞きたいですし、お姉ちゃんに言えば、きっといろいろともてなしてくれると思いますよ」
おずおずとこちらの様子を窺いながら、サラが提案する。
「それは……」
これ以上、サラに迷惑を掛けるわけにはいかないと感じた勇斗は、その誘いを断ろうかと一瞬考えたが、今は知らない世界に迷い込んで知り合いもひとりもいない状況である。
(ここは甘えるしかないよなあ……)
と、考えを改めた。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「はいっ! それじゃあ、案内しますね」
勇斗の言葉に、サラが心底嬉しそうに頷いた。無邪気な子どもが楽しそうにしている様子を眺めていると、こんな状況でもほっこりした気分になってくる。
先導するサラに続いて、勇斗は廃墟を後にしたのだった。
ふらっとやってきた近所の森の中でいきなり穴に落ちたと思ったら、永遠と思えるほど落下し続けた。そこから辿りついた先は異世界という、なんとも奇怪な状況に陥ってしまった。
これからのことはどうなるかわからないが、問題をひとつず片づけていこう、と勇斗は決意する。
それに今は夏休みなのだから、それほど焦る必要はないだろう。受験生にとって、高校三年生の夏休みという期間がどれほど大事であるかは、考えないことにした。
そのへんの事情はとりあえずいったん置いておくとして、勇斗にはどうしてもひとつ気になることがあった。
「異世界ってことは、もしかしてサラちゃん、魔法とか使えたりする?」
とんでもなくばかげた質問だが、異世界とはつまりファンタジーの世界のことであり、勇斗が思い描くファンタジーの世界とは、魔法という不思議な力が溢れている世界のことを指すのだ。
「ええ、まあいちおうは使えます。けれど、わたしみたいは小さな子どもは簡単に使ってはいけないことになってるんですよ。もし、勇斗さんがこの世界に長居するようでしたら、そのうち目にかかる機会があるかもしれませんね」
勇斗としては冗談半分の質問だったのだが、まさかの答えに胸が沸き立った。
「マジ? ホントに? それって、もしかして俺も修行とかすれば、使えるようになったりする?」
勇斗は、鼻息を荒くして期待をこめたまなざしでサラを見る。
「魔法は練習すれば使えるようになるはずですから、勇斗さんもきっと使えると思いますよ。でも、異世界の人が使えるかどうかは私にはちょっと……。もしかしたら、体質の違いみたいなのがあるかもしれないですから、一概には言えません」
勇斗の頭の中は魔法という魅力的な響きで満たされる。
異世界に放り込まれた不安とか、どうすれば元の世界に帰れるのだとか、そんな問題は魔法が使えるかどうか、という問題に比べたらとても些細なものなのだ。
「えへへ、勇斗さんおもしろい人ですね。私も勇斗さんが暮らしていた世界のことが知りたいです」
「そんなんでいいならいくらでもしてあげるよ。サラちゃんには服も借りちゃったし、これから迷惑をかけちゃいそうだし、感謝してもしきれないよ」
「いえいえ、私もあそこに現れるという迷い人をずっと待ってたんですよ。それにしても、よかったです。迷い人が勇斗さんみたいな人で」
サラは屈託のない笑顔でニッコリと微笑んだ。
幼い顔つきだが、少しだけ大人になりかけているその表情を目の当たりにして、勇斗の心臓が大きく跳ねた。
「それと、その服は私が勇斗さんのために用意したものですから是非もらってください。私からのプレゼントです。」
「ありがとうね。何から何まで面倒みてもらっちゃって」
サラの真っ直ぐな瞳で見つめられ、勇斗は申し訳なさやら照れ臭さとかが混じり合った感情から、右手で後ぽりぽりと後頭部を掻いた。
これが二人の出会い。
――本来なら出会うはずのない、違う世界で暮らしていたふたりは、こうして出会いを果たしたのだった。