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迷い人  作者: ぴえ~る
第二章 不吉な予兆
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2-13 雨の日の朝

 次の日の朝、空一面が雲に覆われていた。朝一だというのに、もうすぐ夜がやって来そうなほどに暗い。空からは雨が降り注ぎ、地面に水たまりを作っていた。

「雨かあ~、あんまり好きじゃないんだよね」

 テーブルの前に並べられている木の椅子に腰かけた勇斗がぼやいた。勇斗の前にはアイナ朝食としてが用意してくれた卵焼き、サラダ、スープとパンが並べられている。

 ――昔から雨は嫌いだった。

 雨が降れば野球は中止になるというのが、主な理由だった。

 小雨だと強行的に試合を遂行することもあったが、その時は、スパイクの裏に土が溜まってしまって、そのせいで足が重くなるので、いつもよりも倍くらい自分の動きが鈍くなる感じがするのだ。あの感覚が本当に嫌いだった。

 野球を辞めてしまった今でも、その名残として、雨は嫌いなままだ。

「雨の日は、家でのんびり読書だね」

 サラがパンをかじりながら言った。

「あれ、学校は?」

 勇斗が尋ねるとサラは不思議そうな顔をした。

「雨の日はね、仕事も学校もだいたい休みになるんだよ。商店街の人たちも緊急の用事とかだったら店を開けてくれると思うけど、すごく嫌な顔されると思うよ」

 サラは当たり前のことを告げるように勇斗に言った。

「それはいいね。俺の世界でもそうなってくれるといいんだけどね」

 昨日の配達の仕事のときもそうだったが、こちらの世界――もしかしたらレールの村が特殊なのかもしれないが――の人間は、勇斗の世界とは労働における様々な基準がことなるのだろう。

 そんなことを考えながら、勇斗はアイナに用意してもらった朝食を平らげた。

 とりあえず仕事に向かおうかと立ち上がって、玄関に向かおうとした瞬間、勇斗はとある事実に気がついた。

「あれ? ひょっとして俺の仕事も今日休みだったりする?」

「ええ、もちろんよ。倉庫に行っても、きっと誰もいないと思うわよ」

 そう言って、向かいに座るアイナはスープに口をつけた。スープが唇につき、唇がきらりと光って艶めかしさを感じさせる。

 こんな簡単に仕事が休みになっていいものかと思ったが、休めと言われてわざわざ働くほど仕事に命を懸けているわけでもないので、こちらの世界の基準に従うことにした。

「私はもう少ししたら出かけてくるけど、勇斗クンは、こっちに来てから色々とバタバタしっぱなしだったし、今日くらいは休んでおくといいわ。そうそう、勇斗クン、もし雨の中を出かけるなら、一番大きいレインコートがあるから、それを使ってね。おそらく昼は帰ってこないから、昼食はふたりでなんとかしてちょうだい」

 アイナはそれだけ言って、部屋の中に引っ込み出かける支度を始めた。

 五分足らずで戻ってきたアイナは、リビングに戻ってきて一言告げた。

「あ、そうそう。勇斗くんに今まで言い忘れてたことがあるんだけれど、私がいないからって、私の部屋はゼッタイに、覗いちゃダメよ……、ウフフ……」

「あっ、はい……」

 言葉から底知れぬ恐怖を感じた勇斗は、絶対にアイナの部屋には入らないことを決意した。

「お姉ちゃん、私も部屋の中に入れてくれないんだよ。いったい、何があるっていうんだろね? そうだっ、お姉ちゃんがいない間に、こっそり覗いちゃおっか?」

 サラは興味津々といった感じで、イタズラっぽい笑顔を浮かべて、勇斗の意向を伺っている。好奇心が身を滅ぼすというのはこういうことをいうのだろう。

 好奇心の大きさには自身のある勇斗だが、それでもこの場においては好奇心よりも恐怖心が勝った。

「いや、俺はやめといた方がいいと思うけどな……」

 それは。動物が自分の命を危険から守る時に発動する防衛本能から、自然と口に出た言葉だった。

「勇斗さんがそう言うならやめるよ」

 とくに残念といった様子でもなく、サラはあっさりと引き下がった。

「さて、今日はこれから何をしよっか?」

 勇斗が言うと、サラは少し考えてから答えた。

「じゃあ、私は勇斗さんのこといっぱい聞かせてほしいかな。前から言ってたことだけど、のんびりお話する機会ってあんまりなかったからね」

「まあ、それもちょうど良い機会だね。こっちに来てからは、ずっとドタバタしてたし。それに、会話をして自分の状況を振り返れっているうちに、何気ない会話の中に元の世界に帰還するためのヒントが隠されているかもしんないしね」

「え~、勇斗さんが帰っちゃうかもしれないなら、お話は中止にしよっかな」

 サラが頬を膨らませて、かおをぷいっと背ける。

 もちろん、その仕草は彼女なりの冗談からくる行動なのだろうが、その姿は見た勇斗は、思わず頭をなでてやりたいほどに愛らしいな、と思った。

「なんてね、冗談だよ。きっと、勇斗さんのお父さんとお母さんが、急に姿を消した勇斗さんのことを心配してるかもしれないしね」

「いや、それはどうだろうね。俺は親といっしょに暮らしてたわけじゃないからさ。もともとそんなに連絡を取ってたりしていたわけでもなかったし、そもそも俺が元々の世界から姿を消したことにだって気づいていないんじゃないかな。まあ、一人暮らしをしている息子に対する心配は、いつもしてくれてると思うけどね」

「そっか~、お父さんとお母さんは元気にしてる?」

「元気だと思うよ。しばらく実家に帰ってないから、直接会ってないけど、体調崩したっていう連絡も来てないしさ」

「うん、元気にしてるんなら、それはとてもいいことだよ……」

 そう呟いたサラの横顔からは、淋しさという感情が透けて見えていた。

「勇斗さんは気づいてると思うけど、私のお父さんとお母さんは、この家にいないんだ」

 それは、勇斗も最初から気になっていたことではあるのだが、複雑な事情があるのだろうと、勝手に解釈して、勇斗のほうから聞き出すつもりはなかった。

「お父さんは三年前くらいに急に旅に出ちゃってね。お母さんは二年くらい前に村の外で魔物に襲われたんだ。命はなんとか助かったんだけれど、治癒魔法を受け付けないほどの重傷だったの。それで、レールの村じゃ治療の設備とかも整っていないってことで、今はここからとても離れた街で療養してる」

「ふたりとも、早く元気な姿で帰ってくるといいね」

「うん、そうだね」

 しっかり者のアイナが、きっちり面倒を見てくれているとはいえ、やはり年ごろの少女にとっては両親がいない淋しさというものがあるのだろう。それでも不満を言うことなく健気に生活を続けているサラは、やはり強い子なのだな、という思いを抱いた。

「ねえ、どうして勇斗さんは、お母さんたちと暮らしてないの?」

「う~ん、なんて言えばいいのかな……」

 スポーツ特待生として、野球の強豪校にスカウトされて越境入学した、といっても、おそらくサラには伝わないだろう。だから少し抽象的に説明することにした。

「俺が元々住んでいたところだったら、俺が本当にやりたいことができなかったんだ。だから、そこから引っ越しをして、ひとりで暮らし始めた。これがざっくりとした理由かな」

「う~ん、なんとなくわかるよ……。この村でも、上級学校に通うために村を飛び出す人もいるからね。そもそも、お姉ちゃんがそうだったし。私もあと二年して、上級学校に行くんだったら、この村から出て、向こうの寮で暮らさないといけないし……」

「でもさ、去年の今ごろかな。大きな怪我をしちゃって、やりたいことがやれなくなっちゃったんだ。それからは惰性でひとりぼっちで過ごしてた。まあ、その怪我もサラの魔法のおかげで治ったんだけどね」

「ふふっ、私、勇斗さんのお役に立てたんだね。これで元の世界に戻った時にやりたいことをまたやれるんだね」

「ああ、そうだね」

 屈託のない笑みを見せられた勇斗は、その笑みに答えることができずに曖昧な言葉にするのが精一杯だった。

 体が万全の状態に戻ったからといって、自分はまた野球に戻るのだろうか。

 普通に考えれば、自分が野球をやめたきっかけが右肩の負傷であり、その怪我が完治したのだから、なんの心配もなく復帰することができるだろう。もちろん高校三年生の夏、ということで、今さら野球部に復帰ということは難しいが、それでも野球に復帰する機会は今後もいくらでもあるだろう。

 ――野球に対する情熱。

 一度自分の手で手放してしまったものを、再度その手につかみ取ることは難しいことなのだろう。

 自分がもう一度野球をやっている姿が、うまく想像できなかったのはきっとそのせいだ。

 それから勇斗とサラは、腹時計が昼食の時間を告げるまで、のんびりおしゃべりを続けたのだった。

 それは勇斗の親の話であったり、サラが小さいころの話であったり、それからアイナの話でったりと様々な内容だった。

 その中で勇斗は、この世界と勇斗の世界における違いについて、少しずつ理解を深めることができた。

 しかし、その話の中で、元の世界に帰る手がかりになりそうなものは何もなかった。

「お腹もすいてきたし、そろそろ昼食にしない?」

 勇斗がそう言うと、サラは複雑な表情を作って答えた。

「うん。だけど……、勇斗さんは料理得意? 私はあんまり得意じゃないだよね」

「俺も微妙かな。一人暮らしだから、料理まがいのことはたまにすることもあったけれど、人に食べさせるほどの代物が出来上がったためしはない」

 勇斗が普段料理をするときは、基本的にどんぶりの上におかずを乗っけるという、ある意味では男らしいスタイルである。

 あまり品がよくないことは自覚しているので、自分で食べるぶんには構わないが、やはり他人様に出せるような代物ではない。

「じゃあ、勇斗さんと私で、力を合わせてふたりで頑張って作るしかないよね?」

「まあ、必然的にそうなるよね」

 お互いに不安な気持ちと、できるだけ相手を頼りにしようという気持ちを抱えたまま、料理に取りかかったのであった。


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