2-9 教会にて
村の教会は、数日前に訪れたときと変化することはなく、相変わらず周囲を見下ろすようにして佇んでいる。
勇斗は、そんな建物を見上げながら、その脇に自転車を止めた。
入り口の扉を開けると、相変わらず礼拝堂の奥にある大きな十字架は、大きな存在感を示しており、勇斗が礼拝堂に足を踏み入れた瞬間、嫌でも目に飛び込んできた。
内装は以前サラと一緒にやってきたときとまったく同じで、礼拝堂の椅子に一人の人間が腰掛けているという点も同じだった。
ただ、そこに腰掛けている人間だけが、以前と異なっていた。そこにいたのは、修道服を纏った美しいシスターではなく、不思議な雰囲気と法衣を纏った銀髪の神父だった。
その他には誰もいない。
ふと、この教会の人たちはどうやって毎日の生活費を稼いでいるのだろう、と勇斗は疑問に思った。
(村の人から寄付でも募っているのかな……)
荷物を持ったまま入り口で立ち尽くしていた勇斗が、あれこれと考えを巡らせていると、リヒトが椅子に座ったままこちらを振り返った。
「おや? 勇斗さんですね。こんにちは」
相変わらず、リヒト・エドウィックは作り物の人形が見せるような笑顔を浮かべており、勇斗は得体の知れない不安感を覚えた。
「こんにちはリヒトさん、教会宛ての荷物ってことで、倉庫から持ってきましたよ」
「勇斗さん、わざわざ申し訳ありませんね」
リヒトは立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。法衣がぶわっと舞い上がり、勇斗にちょっとした威圧感を与えた。
「さて、それじゃあ、わたしの部屋まで運びますね。勇斗さん、もし多少お時間があるようでしたら、わたしの部屋で少しお話しませんか?」
「ええ、いいですよ」
実際は、勇斗は仕事中の身であるのだから、仕事を終えたらすぐにでも倉庫に戻るべきなのだろう。しかし、リヒトに話したいことがあった勇斗は、彼の誘いに乗ることにした。
リヒトに案内されて連れられた彼の部屋は、文字通り何もない部屋だった。
ロッドの部屋も大概殺風景だったが、それよりも何もない。布団も家具もなく、生活感を排除してしまったかのような部屋だった。
「教会に勤めてる人って、もしかしたら、しきたりとかで、部屋を殺風景にしないといけない決まりでもあるんですかね? このまえ、ロッドさんのお部屋にお邪魔させてもらったんですが、ロッドさんの部屋も大概でしたし……」
「ははは、まさか。もちろん、そんな決まりはありませんよ。私もロッドさんも、あまり派手なのを好みませんからね。自然とそういう心情は部屋に現れるものなのです」
派手とか質素とか、そういった次元の話ではない気がしたが、いちいち話の腰を折るのは悪い気がしたので口を噤んだ。
「とはいっても、礼拝堂はかなり派手なんですけどね。ただ、あれは私たちの趣味とかではなく、礼拝堂として、あれが相応しい形なのです」
「なるほど。それにしても、リヒトさんは本当にこの部屋で暮らしているんですか? ロッドさんの部屋は、さすがにもう少し生活感がありましたけど……」
「私はほとんど料理をしませんから。今もロッドさんが作ってくれた料理で飢えをしのいでいますし」
「あっ、そうだ! ロッドさんですよ。ロッドさん今、どこに行るんですか?」
話が唐突になってしまったが、それを切り出すタイミングが掴めなかったので、思い切って訊ねることにした。
勇斗の本来の目的は、ロッドの安否をリヒトに確認することである。あの状況を考えると、かなり絶望的だということは理解できているのだが、それでも念のため確認しておきたかった。
「……? ロッドさんだったら、確か三日前に出かけるって言ってましたよ。ちょうど、キミが魔物に襲われた日ですね」
取り乱した様子の勇斗に対して、リヒトは「何を慌てているのか」とでも言うように、冷静に言葉を返してきた。
「その日、俺とサラが昼間は来た時はリヒトさんが不在でしたが、ロッドさんはいましたよ。僕は昼間、ここでロッドさんに昼食をごちそうになったんです」
少しずつあの時の映像が、鮮明に脳内に流れてくるのと同時に声が震えてきた。
「私が戻ってきたのが夕方前だった気がしますが、その時にはいなかったと思いますよ」
リヒトは事もなげに言った。
「お、おれみたんですよ。俺とサラがリザードマンにに襲われる直前の話です。森の中でロッドさんが倒れてるのを見ちゃったんです……。いや、倒れてるのとか、そんなレベルじゃないです。間違いなく、死んでいたと思います」
「…………」
勇斗の発言を聞いたリヒトは表情を変えることなく、勇斗の言葉の真理を探るかのように、こちらをまっすぐに見つめていた。
「その話は本当ですか? なにか、別のものと見間違えたとかいうことはないでしょうか?」
決して見間違えたはずはないとは思っているのだが、そのときの映像があまりにも衝撃的すぎて、脳内の記憶が少し曖昧になってしまっている。
そのせいもあり、見間違いだったらいいな、という感情が、もしかしたら見間違いだったかも、という感情へと変化しつつあった。
それでも真実から目を逸らすまいと、そのときの状況を詳しく思い出そうとするのだが、やはり映像がぼやけてしまう。
その後に魔物と戦ったせいで、生首を見た印象が少し薄くなっていることも原因のひとつかもしれない。
「そ、そういわれると、ちょっと自信が……、でも、赤い髪の毛の女の人が……。しかも首から下が切断されていて、その人の顔も見たんです……」
「ふむ。リザードマンに襲われる直前に見たということは、その死体を見た場所というのも、森の中ということですよね」
「はい、そうですね」
「私が、廃墟で倒れていたキミたちを運ぶ時にあの森を往復したという話は、以前にしましたよね。しかし、死体なんてものは見ませんでしたよ。ただでさえあの森は普段から人の出入りがほとんどなくて、人の気配が希薄です。仮に、そんな場所に死人がいるとなると、死という匂いに敏感な私の鼻に匂いが伝わってくるんですよ。まあ、これは職業柄とも言えるでしょうね。不幸なことに、私の鼻は死という存在に敏感になっているんです……」
「そうですか……」
「あのとき、勇斗さんは魔物が作った結界の中にいましたからね。結界ってのは、その使用者のテリトリーみたいなものですから、その所有者が空間内の支配者になるわけです。よって、魔物が勇斗さんを怯えさせるために幻影を見せたのかもしれません」
「そ、それは……そうなのでしょうか」
確かに、勇斗にはあのとき見たロッドの死体が幻影だったかどうかなんて、見極める術はない。それにロッドとは僅かしか言葉を交わしたことがない間柄とはいえ、知り合いが生きている可能性があるのなら、そっちの可能性に賭けたいという思いがあった。なので、あのときに見た映像は幻影だったと思い込むことにした。
それに、ここまできっぱりと言い切るリヒトの言葉には、それが真実なのだろうと思わせる何かが込められていた。
「彼女に関しては、まあ心配しなくて大丈夫ですよ。たまに、ぷらーっと村の外に出ることがあるんですが、いつもは十日くらいで帰ってきます」
「そ、それならいいんですけれど……」
それでも、やはり彼女の元気な姿を見るまでは、半信半疑といった思いが抜けなかった。
「まあ、その話はこれくらいにして、私からあなたに質問があります。あなたはこの村をどう思っていますか?」
急に話題を変えられた上に、唐突で漠然とした質問を投げかけられて、リヒトは一瞬狼狽えた。
質問の意図を聞き返そうとしたのだが、思いの外リヒトが真剣な表情を浮かべていており、質問すら許さない、というような雰囲気だったため、とりあえず自分の考えを答えることにする。
「個人的には、のどかでいい村だと思いますよ。俺が住んでいた村もここと同じくらいの田舎でしたけど、この村ほど、人びとの繋がりが強くはなかったです。まだたった五日しか滞在してないですけど、暖かくて、優しい雰囲気を感じました。もしかしたら、最初に出会ったのがサラだったというのも、この村の印象がよくなった原因かもしれませんけどね」
目を瞑っているリヒトは、勇斗の言葉を噛みしめているかのようだった。その間、なぜか二人の間には糸が張り詰めたような緊張感が漂っており、勇斗は何も言葉を発することができなかった。
しばらくそのまま何かを考えていたリヒトだったが、小さく頷いてからようやく言葉を発して、緊張感という名の結界を解いた。
「なるほど、わかりました。私もこの村はとてもいい村だと思っています。ですので、私は何があってもこの村を守りたいと思っています。もし今後、何かあったときは、よろしければまた勇斗さんのお力をお貸しください」
「はい、任せてください」
勇斗は少しだけ嘘をついた。
この間は、自分にとって親しい人間であるサラが危険に晒されていたからこそ、自分の命を賭けて彼女を守ったのだ。
しかし、いくらこの村が好きになってきたとはいえ、危険に晒されているのが、名前も知らない村の住人だったら、勇斗はその人を助けただろうか。
その答えはわからない。
身内以外の人間に対して、無条件で命を懸けて守る、と自信を持って言えるほど。勇斗は善人ではない。
だって勇斗は物語の勇者のように、万能でもなければ、正義感に溢れる男というわけでもなく、ごく普通の男子高校生なのだから。
「ふふっ、心強い味方ができて、私は嬉しいです」
リヒトが微笑んだ。
彼の笑みを目の当たりにした勇斗は、なんだか考えを見透かされているような感じがして、背中がゾクッとした。