2-5 幼なじみのふたり
それから、商店街を抜けると、今度は道から雑草が伸びているような足場の悪い道を進むことになる。
荒れた道の上を、リアカーで運ぶのは中々に骨が折れたが、それでも、リンカとのお互いの呼吸も掴んできて楽にリアカーを運ぶことができた。
「リンカは、毎日こうやって荷物運んでるだよね?」
とてもじゃないが、いくら元気が溢れているとはいえ、さすがに女の子一人でリアカーを運ぶのはしんどいだろうと、勇斗は思った。
だが、彼女からの返答は実にあっさりしたものだった。
「へへっ、まあねえ。おかげさまで健康な体ができ上がってしまうわけだよ」
勇斗自身、最近はサボり気味だったとはいえ、長い間体育会系に所属して身体を鍛えてきたため、体力には自信があるほうだった。にもかかわらず、勇斗がしんどいと思い始めている荷物運びを毎日のようにこなしている少女が目の前にいる。
単純に凄いと思うと同時に、勇斗の中に眠る負けず嫌い的な何かにチクリと刺さった。
「そういえばさ、配達で村の外とかには行くこともあるの?」
「いやいや、私たちのお仕事は、村の人宛のものを運ぶだけだよ。そういうわけだから、村の外に出向くことはないかな」
「ふ~ん、そうなんだね」
リアカーを引きずりながら会話を続ける二人。だんだんと太陽の位置も上がってきて、二人を照らす光が徐々に強くなってきた。
「そういえばさ、俺たちって、今からどこに荷物を運ぶんだ?」
「ありゃ、言ってなかったっけ。村の入り口にある門までだよ。そこにいるヤツにこの荷物を届けるのが、わたしたちの最初の仕事だよ。ちなみにこっちの大きな箱のほうを渡すからね」
「ずっと思ってたんだけれど、随分と大きな荷物だよね。中には何が入っているのかな」
「ああ、これね。これはね、バジルっていう男宛で、村の武器屋で売っている剣やら鎧の類だよ。ったく、こんな平和な時代に自分の装備ばかりに気を配ってどうすんだか」
勇斗が振り返ると、どこか遠くを見つめ、憂いを帯びたような表情を浮かべるリンカは、そのバジルという人間を思い浮かべているようだった。
きっとそのバジルという男に対して、リンカは何か思うところがあるのだろう。それだけは察した勇斗だったが、深く聞くような問題でもないと思ったので、なんとなく気にはなったものの、口を噤むことにした。
「バジルっていうのは、自称、レールの村の自警団を務めている男だよ。今日はたまたま門番をやってるからアイツの家じゃなくて、門まで直接届けてやろうかと思ってね」
「いえ、俺はとりあえず自称って言葉に引っかかりを覚えたんだが……」
「ああ、それね。自警団と名乗っているけれど、自警団なんてバジルしかいないんだけどね。だから、この村に公式に自警団ってのは存在しなくて、そもそも組織でもなんでもないの」
辛辣な言葉だが、その言葉の裏からは、バジルという男に対する愛情のようなものが見え隠れしていた。
「なんていってもここは平和を絵に描いたような村だからねえ。この村にある武器屋って見た?」
「ああ、見たよ」
「あれだってね、村に何かあった時のために、念のため村の中に武力を確保しておこうってことで造られたんだよ。だから、武器屋のおっちゃんってば、商売相手のほとんどが外から来る商人なんだよね。村の中じゃほとんど売れないから。個人的には武器屋なんていらないと思ってるんだけど、バジルみたいに変なのもいるし、おっちゃんもそれなりに儲かってるんじゃないかな」
「ふ~ん、なるほどねえ」
武器屋なんて存在は、勇斗にとってはRPGの世界にしかないものであり、実物を目にした今でも、その存在にピンと来ていなかった。
「まあでも、門番とかをやるんだったら、武器とかは必要になるかもしれないかな――そうそう、門番は村の男の人が交代で務めることになっているから、勇斗君にもそのうち当番が回ってくるかもね」
「そんときは頑張るよ」
「あはは、別に頑張る必要はないよ。さっきも言ったけれど、この村は平和な村だし、門番の仕事なんて、村の悪ガキを外に出さないようにするくらいなんだからさ」
そう言って、リンカはケタケタと笑ったが、先日村の中で魔物に襲われた勇斗としては、リンカと一緒に笑うことができなかった。
「ただ、バジルだけは真面目に門番をやってるよ。真面目というか、その前に『クソ』という修飾が付くんだけれどね。ははっ」
「そのバジルっていう人とは、どれくらい長い付き合いなの?」
リンカは少しだけ、どう答えるか逡巡を見せたが、すぐに手をひらひらとさせて軽そうな調子で答えた。
「そうだね~。小さいころからの腐れ縁みたいなもんだよ。こう田舎だと同じ世代の子はだいたい仲良くなるもんだからね。勇斗くんもこれから仲良くしようね」
リンカは弾むような声で勇斗に向かって言った。
「うん、いろいろと面倒掛けると思うけど、こちらこそよろしくね」
リアカー越しに、改めて挨拶を交わす二人。
「実はね、わたし、今日から同い年くらいの男の子と一緒に働くって、ギルさんから聞いてさ。勇斗くんがどんな人なのか、とっても楽しみにしてたんだよね」
閉じられた狭いコミュニティの中で、新しい友人ができるのはとても貴重なものになる。
いつまでこの世界に滞在するかは定かではないものの、こうして出会った縁を大切にしたいと思った。
リアカーを漕ぎ続け、二人は民家と民家の間を抜けていく。
さらにしばらく歩くと、三日前にサラといっしょに来た、村の門にたどり着いた。
門の前には勇斗よりも一回り大きめの男が立っていた。
男は少し老け気味の顔立ちをしてはいるが、おそらくは勇斗と同年代くらいだろう。髪型は、坊主頭だったものが、剃らずにいたために少し伸びてしまったような感じだった。野球部だった勇斗にとっては、その髪型が何よりも見慣れていたので、勝手に親近感を抱いていた。
重そうな銀製の胸当てを身につけている男は、勇斗とリンカを見つけると、こちらに駆け寄ってきた。
「よう、リンカ。今日もご苦労様。それで、こっちの見知らぬやつは誰だ?」
男は眉を寄せ、鋭い眼光で勇斗を睨む。
これまで勇斗が会った村の人たちは、よそ者の勇斗に対してもかなり好意的に接してくれていたが、目の前の男だけは明らかな敵意を勇斗に向けている。
一触即発の雰囲気――男が一方的に勇斗を睨んでいるだけだが――が漂っている中、リンカはめんどくさそうに手をひらひらとさせて、勇斗と男の間に割り込んだ。
「ひっどーい、勇斗くんは、あんたの馬鹿みたいに重い荷物をここまで運んできてくれたんだよ。それなのにそんな言い方するの? ちょっとさ、修行のしすぎで、礼儀ってもんがなってないんじゃないの?」
リンカの言葉に、男は気まずそうに勇斗から目を逸らして、後頭部をさすった。そのやりとりを見ただけでも、二人の力関係が察することができた。
いきなり睨み付けられたときは戸惑ったが、なんだかこの男とは仲良くなれそうな気がする勇斗で会った。
「俺は日野勇斗です。最近この村に来て、リンカと同じ職場で働かせていただています――」
「同じ職場だと……!」
恨めしそうな表情で、男は歯を食いしばりながら、勇斗を鋭い目でふたたび睨みつけた。
「バジル――?」
リンカの呆れたような声音に、男はリンカが目を細めて自分を睨んでいることに気づいて、無理矢理表情を崩した。
かなりぎこちない笑みではあったが、それでも笑顔を作ろうという意志は伝わってきた。
「俺はバジル。バジル・マニングってんだ。村の平和を守る役目を担ってる。よろしくな」
バジルが右手を差し出し、勇斗もそれを握る。
バジルの手は勇斗と比べても一回り近く大きくて、こんなに大きな手でピッチャーを務めたら、変化球が投げやすそうだな、と勇斗はなんとも珍妙な印象を抱いた。
「リンカと同じ職場って……、リンカは大丈夫なのか……?」
バジルはぶつぶつとつぶやいていた。バジルとしては、誰にも聞こえないように呟いたつもりだったのだろうが、彼の意図に反して勇斗の耳には完全に届いていた。
ただそれに反応してしまったら、いろいろとややこしいことになりそうな気がしたので、勇斗は聞かなかったことにした。
「そんじゃあ、バジル。さっさと、リアカーに積んである荷物を下ろしちゃってよね」
「おっとっと、そうだった。さあーってと、今度の俺の相棒になるやつはどんな奴かな?」
バジルは、リアカーから大きめの木箱を取り上げた。
バジルはその中身を開け、感嘆の声を漏らす。
「うっひょー、やっぱりいいね。男だったらこれくらい大きい剣を振り回さないと」
木箱から取りだしたのは、バジルの足よりも太い大剣だった。
バジルはそれを背負うようにして剣を収める。背中から剣を取りだしては、さわり心地を確かめながら、それをうっとりした表情で眺め、剣をしまっては眺めを繰り返している。
なんていうか、バジルの行動は不気味極まりないものではあったが、金属バットという日常に近接した武器を扱っている勇斗には、大剣というファンタジーらしい武器に憧れる気持ちもなんとなく理解できた。
「さて、バジルの荷物は無事に届けたし、それじゃあ、次の目的地に向かいますか」
そう言うと、リンカは軽くなったリアカーをひとりで引っ張り、さっさとバジルの前から去ってしまう。
「リンカ、ちょっと待てよ。昼くらい食っていったらどうだ?」
バジルが小さくなっていくリンカの背中目がけて声をかけるが、彼女は立ち止まらないどころか、振り返りもしなかった。
「私、仕事だからじゃーねー」
とりつく島もないといった感じで、リンカはどんどん先へと進んでいく。
バジルに同情の念を覚えながらも、勇斗はその場にバジルを残してリンカを追っかけたのだった。
勇斗がリンカに追いつくと、リアカーを引っ張る役を交代した。
荷台が軽くなったことで、二人で運ぶ必要もなくなり、今度は勇斗がひとりで引っ張ることになった。
リンカは案内役兼おしゃべり役として勇斗の横に並んで歩いている。
「次はどこに行くの?」
リアカーの取っ手を腰の前に持ってきて、それを両手で握る。
「んーっとね、とりあえず、さっき通った林を戻って、その途中で右に曲がった先に丘があるんだけれど、そこが次の目的地だよ」
リンカはスキップするかのような軽い足取りで勇斗の隣に並んでいる。
「……それにしても、バジルがいろいろと失礼な態度を取ってゴメンね」
申し訳なさそうな表情で、リンカは勇斗の反応を確かめるようにこちらの顔をのぞき込んでいる。
「いや、別に構わないよ。俺は気にしてないし」
間違いなく、その原因の大半はリンカにあるのだろうが、当の本人であるリンカにはその自覚がないらしい。
さっきのやりとりを傍から眺めていただけのリヒトでさえ、リンカに対してバジルが抱いている気持ちがぼんやりと理解できたというのに。
「というか、同世代で、同性の人と会えて、なんかほっとした気分だよ。バジルが俺のことをどう思っているかはわからないけれど、俺個人としては、バジルと仲良くなれると思ってるよ」
「えへへ、そう? それならよかったよ。あのね、私と同じくらいの年齢でこの村に残っている人って、勇斗くんが来るまではバジルしかいなかったんだよ。みんな上級学校に行っちゃうからねえ。ま、仮にその人たちが帰ってきても、大した数にはならないんだけどね……。片手で数えられちゃうくらいだし」
「そうなんだ……。リンカたちは上級学校に行ったりしないの?」
(そういえば、サラも上級学校に行くかどうか迷ってる、みたいなことを言ってたっけ)
勇斗はまだこの世界における教育が、社会にどのように影響しているかなんてことはもちろん知らない。上級学校の立ち位置も把握しているわけではないが、勝手に勇斗の世界における高校や大学のようなものと認識していた。
勇斗にとっては、高校まではなんの疑問もなく進学し、これといってやりたいこともないが、いちおう大学進学も希望している。だからこそ、初級学校を卒業したのに上級学校に行かないという、リンカの言葉に多少の疑問を覚えた。
「うん、私は行くつもりはないよ。最寄りの上級学級で王都だからね。さすがにレールの村からは通えないよ。バジルも同じ。村の中に上級学校があったら通ってたかも知れないけれどさ。これといって、学校で学びたいこともないし、そもそも村の外に行くのって、ちょっと抵抗があるんだよね」
リンカは遠いところを見つめ、寂しそうな顔をする。どうしてそんな顔をするのか気になったが、追求するのはやめておいた。
「まあ、そんなつまらない話をしても仕方ないしさ――」
無理矢理話題を変えようと、少しぎこちない笑みを浮かべるリンカから、彼女にも人に言えない何かを心の内にしまっているのだな、と勇斗は感じた。
「今度さ、勇斗君とバジルと私の三人で、どっか遊びに行こうよ。河原でバーベキューとかきっと楽しいと思うよ」
同じように笑みを浮かべたリンカだが、その表情からはぎこちなさが消えていた。
空に浮かぶ太陽に負けないくらい明るい彼女の笑みを見て、なるほど、バジルがリンカに入れ込む理由が少しわかった気がする。
勇斗は思わずリンカと目を合わせるのが照れくさくなり、彼女から視線を外した。
リンカはそんな勇斗の態度をすぐさま察したのか、勇斗を見つめる瞳が、獲物を見つけた猫のようになった。
「そういえばさ――私って、勇斗君との賭けに負けちゃったんだよね。私、まだ賭けの代償を支払ってないよね。だからさ、勇斗くん、私にしてほしいことをなんでも命令してみせて」
不敵に口元をつり上げながら、リンカは勇斗の耳元に口を近づけた。
「私、なんでもしちゃうよ……。だってこれは罰ゲームなんだから」
リンカは、勇斗の脳髄を直接揺さぶるように囁いた。
勇斗は生唾をごくりと飲み込み、本能的名何かが働き、リンカの全身を嘗め回すように見てしまった。
白くて眩しい太ももがスパッツ越しにはっきりと見え、さらに視線を上に向けると、今度は白いTシャツからはうっすらと下着が透けて見えていた。
「にゃふふ。勇斗くんってば、私のどこを見てるのかな? さっきと同じような目になってるよ。け・だ・も・の、だね」
リンカは勇斗の鼻に人差し指を、ぴとっ、とくっつけた。
勇斗が顔を真っ赤にすると、リンカはその反応がうれしかったのか、腹を抱えて大笑いする。
いい加減、今度こそ見返してやろうと考えた勇斗は、狼狽えながらも言い返した。
「うっ、わかったよ。そっちがその気なんだったら、あんまりからかわないでよ。本当にエロいこと言うよ?」
「うん、敗者が勝者のはけ口にされるのは当たり前だもん。いいよ、私はその覚悟が出来てるから……」
恥じらうように頬を染めたリンカは、何かを諦めたように、目を潤ませながら唇に手を当てて、体をもじもじさせた。
口では言ったものの、勇斗はその欲望をリンカに向けるつもりはいっさいなかった。にもかかわらず、彼女がどこまで本気かはわからないが、彼女はそれを受け入れようとしている。
勝負をしているわけではないが、引いた方が負けという空気が漂っていた。
そして、どっちが引くかというのは、言うまでもないことだった。
(うっ――)
この人には勝てない、と勇斗は、胸中でため息をついて、彼女への敗北を認めた。
そもそも、女の子とのやりとりにおいて、勇斗が上位に立ったことなど人生において一度としてないのだが、今回も敗色濃厚だ。
リンカという幼なじみであるバジルも、おそらくはこんなふうにからかわれているのだろうな、と勝手に同情する勇斗であった。
「ま、まあ、それに関しては、今度考えておくよ。だから、今回は保留ということにしよう」
「ふふん、んじゃあ、楽しみにしてるよっ。こういうのを考えるのも、センスがいるんだからね。あんまり詰まんないものを提案してきたら、勇斗君もいっしょにやってもらうからね」
それは理不尽じゃないか、と抗議しようと思ったが、その抗議はどう考えても無駄に終わりそうなのでやめておいた。
その後も、ふたりは実のない話に花を咲かせながら目的地へと向かった。