2-4 仕事仲間との出会い
アイナに連れられて行った先は、サラの家から徒歩で二十分くらい歩いたところにある小さな倉庫のような場所だった。
倉庫といっても、港の倉庫街とかで並んでいるような大きなものではなく、普通の平屋を倉庫として利用しているようだった。
「ここよ」
倉庫の前に立って、アイナがそれを手で示すと、タイミングを図ったかのように、入り口から男が出てきた。
「おや? アイナちゃん、そいつが昨日話してた親戚の子かね?」
だみがかった声を発した男は、年の頃が四十代から五十代といったところだろうか。頭頂部がはげ上がっていて、その代わりというわけではないだろうが、鼻の下と口元にはヒゲを生やしている。さらに、中年太りなのか、腹もでっぷりと肥えている。
これに加えて、一升瓶でも手にしていたら、勇斗の抱いている中年のイメージに完璧に合致するような容姿をしていた。
「まあ、狭苦しいところだが、中に入ってくれや」
アイナとともに入り口の扉をくぐると、そこには、所狭しと荷物が積み上げられている様子が窺えた。
「おはようございます。ギルさん。こちらは私の親戚の勇斗君です」
「あ、はじめまして勇斗です」
勇斗は深くお辞儀をすると、ギルと呼ばれたおっさんは黄ばんだ歯を見せて笑う。豪快だが、どこか人懐っこくもある笑みは、勇斗に緊張することを忘れさせてくれた。
バイト経験もなくて少し不安な気持ちを抱いていた勇斗だが、この男の下ならやっていけるかもしれない、と直感的な何を感じた。
「なかなか、戦力になりそうな兄ちゃんじゃねえか。これから、よろしく頼むぜ」
勇斗へと歩み寄ってきたギルは、腕を捲って、右手を差し出した。
「はい。こちらこそ、よろしくおねがいします」
差し出された右手を握り返すと、ギルの手はずいぶんとゴツゴツとしているな、という印象を抱いた。その手つきは、ただの太った中年のおっさんの手つきではなく、明らかに鍛錬を欠かさずにいる者の手つきだった。
その手に触れた後に、改めてギルの全身を確認し見ると、腹は出ているが、腕周りや首はがっちりとしていて頼もしい印象を受けた。
「んじゃあ、さっそく今日から働いてもらおうかね」
「ま、そういうわけだから、私は帰るわね。勇斗クン、頑張ってね」
アイナはそれだけ言い残すと、綺麗な黒髪と長いスカートをふわりとなびかせて、倉庫から去って行った。アイナという清涼剤が消えたことで、倉庫の中にはには男二人が残され、なんともむさ苦しい絵面になった。
しかもアイナが扉を閉めていってしまったので、密閉した空間に二人ということもあり、むさ苦しさを助長させる空間になっている。
「それじゃあ、仕事を始める前に、いろいろと紹介することがあるから、ちょっとばかり表に出ておいてくれや。俺はちょっとこのへんを整理したらいくからよ」
「わかりました」
ギルの言いつけ通りに、とりあえず外に出ようとした勇斗は、入り口の扉に手をかけた。
――その瞬間。
「おはよーございまーすっ!!」
扉の向こうから女の子の声が聞こえたと思ったら、勇斗目がけてに向かって勢いよく扉が開かれた。
扉の攻撃範囲にいた上に、完全に無警戒の状態だった勇斗は、扉の攻撃をモロに鼻に食らってしまう。
「――あでっ!」
衝撃でよろめきながら、勇斗は扉から少し離れて押さえる。痛みがあったが、鼻血は出ていないようだった。
「おりょりょ~? ひょっとして私やっちゃった? ね、ねえ、大丈夫……だよね?」
扉の向こうから現れたた少女は、オロオロとした様子で、うずくまっている勇斗の肩をポンと叩いて、彼女の持つエメラルドグリーンの瞳で勇斗を覗き込んだ。
「だ、だいじょうぶれすよ」
若干涙声にはなっているものの、勇斗は左手を挙げて少女に無事を伝えた。
「いや、申しわけないっ。どうかお許しを!」
勇斗の前で正座をした少女は、心底申し訳なさそうに、両手を合わせている。
髪型は茶色いポールテールで、白いTシャツと膝上までの長さの黒スパッツは、とても健康的な印象を与える少女だった。もっとも、このやりとりだけでも、少女の元気が有り余っている様子はよくわかると思う。
小柄だが、顔の作りから判断すると、年齢は勇斗と同じくらいだろう。
「平気っすよ」
「おろ? もしかして、君が噂の新入りの子だね?」
少女はくりん、とした瞳を丸く輝かせ、興味深そうに勇斗を見つめる。なんとなく、猫っぽい印象を抱かせる女の子だった。
噂になっているのかは知らないが、とにかく勇斗が新入りなのは間違っていない。
「はい。今日からここで働くことになった日野勇斗です。え~っと……」
「私はリンカだよ。リンカ・エンカルシオン。よろしくね」
リンカが差し出してくれた手に捕まって、勇斗は立ち上がる。
「おうリンカ、来たか。よし! 決めた。おまえを新入りの教育係に任命する。新入りだって俺みてえなおっさんに教育されるよりも、若い女の子に教育された方がいいだろ?」
がはは、と言って、豪快に笑うギル。その大きな身体は、倉庫内に散在している荷物の影に隠れてしまっている。
「あはは……」
どうかえすべきかわからず、勇斗はとりあえず愛想笑いをしておいた。
「おやっさん。了解だよっ! 私こと、不肖リンカ、勇斗君の教育係に任命されましたっ!」
ビシッと敬礼のポーズを取って、リンカは声高らかに宣言する。
「それじゃあ、後はそっちでよろしくやってくれ」
ギルはそう告げると、荷物の仕分けに戻ってしまった。
「うむ、そんじゃあ勇斗くん、さっそくはじめよっか」
「はい。よろしくお願いします」
「おっと、勇斗君、ちょっと堅苦しぎるかな。先に言っておくけれど、そういうのはここでは禁止だからね。もっと砕けた感じじゃないと、勇斗君には仕事教えてあげないんだからねっ」
ツンデレキャラのテンプレのように、リンカは腕を組んでそっぽを向いた。果たして、この状況において、彼女の取った行動が正しいのかは誰にもわからない。
勇斗は彼女の行動に戸惑いながらも、彼女の言うとおりに砕けた感じで挨拶をし直すことにした。
「あはは、わかったよ。それじゃあ、よろしくね」
リンカとは年齢が近そうなので、距離感も掴みやすく、自然と砕けた感じの言い回しができたと思う。
「うんうん、その調子だよ。じゃあ、とりあえず、わたしに付いてきてね。今度こそしゅっぱーつっ」
リンカは人差し指をドアの向こう側に向けて宣言した。
外に出て倉庫の横に回り込むと、そこには一台の自転車と二台のリアカーが置いてあった。
中くらいの大きさのリアカーには、大小の荷物が積み込まれていた。もう一台のほうのリアカーは空で、荷物は何も入っていない。
「このリアカーの中に入ってる荷物を、適切な届け先に渡しに行くって寸法だよー」
リンカは間延びした声で言って、荷物が入っているリアカーの取っ手に手をかける。
「横にある自転車は使わないの?」
自転車のほうは、街中のどこででも見かける、銀色のフレームのママチャリだった。ママチャリの後ろにリアカーの取っ手をくっつければ、簡単に運べるのではないだろうか、と考えた。
「ん、自転車ってのは、このバイクのこと? いや~、勇斗くん、これはね、実は乗るのがすっごいむずかしいんだよ。以前に、レールの村に行商にやって来た人から、移動に便利だからとそそのかされて、買ったのはいいんだけれどね……。もう全然乗りこなせなくて、諦めちゃった。もし、こんな危険な乗り物を乗りこなせる人がいたとしたら、それはもう人間じゃないね」
大げさに頷いてみせるリンカ。それに対して、勇斗はママチャリに近づいて、足でスタンドを蹴り上げる。
「ちょ、ちょっと危ないよ。悪いことは言わないからやめといた方がいいって」
リンカは猫のように素早く勇斗の右肩に手をかけ、心配そうな表情を浮かべている。
勇斗はつい最近まで触れられるだけで痛んだ右肩を叩かれ、咄嗟に彼女の手を払いのけようとするが、痛みが走らなかったのと同時に右肩の痛みが治ったことを思い出したので、払いのけるのを思いとどまった。
変な態勢で見つめ合ってしまった二人の間に、微妙な空気が流れた。
「まあ、俺がいたところじゃ、これが乗れないのは小さな子供くらいなもんだよ」
その区分だと小さな子供という区分けになってしまうリンカは、むっと頬を膨らませる。
「へえ~、そう? じゃ、そんなに言うんだったら、乗って見せてよ。その代わり乗れなかったら、勇斗君にはなんでも言うこと聞いてもらうから。私のことを小さな子供呼ばわりした罪は重いからねっ」
「わかったよ。でも、それじゃあ、俺にメリットがないじゃん。もし、俺が乗れたときには、リンカさんも――」
「リンカさんじゃない。リンカ!」
「そ、そう……。じゃあ、俺が乗れた時、リンカはどうするの?」
勇斗はリンカの勢いに押されて、彼女の名前を呼び捨てで呼んだ。
年齢が近い女の子を呼び捨てで呼ぶことに抵抗があったが、一度呼んでしまえばたいしたことじゃないな、とこの時の思った。
それは、リンカの持つ雰囲気が友人のように親しみやすいものだったからかもしれない。
「そん時は私だってなんでもするよ」
リンカは腰に手を当て、ぐいっと大きめの胸を突きだした。
男の本能とも言えるべき部分が働き、勇斗はTシャツ越しに見える、リンカの形の良さそうな胸に目を奪われた。
改めて、まじまじとリンカの全身を眺めた。
男勝りな性格だというのがリンカに対する第一印象だった。
だけど、こうしてよく見ると、スタイルもいいし、顔立ちももかわいらしいことに気づく。
「…………」
思わず唾を飲み込んだ勇斗は、なんでも言うことを聞く、というリンカに対して、どんなお願いをしてやろうかと、脳内で下卑た妄想を繰り広げてしまった。
とはいっても、その妄想を口に出すほどの勇気がないのは、勇斗自身が一番知っている。
「さっすが思春期真っ直中の健康男児! ずいぶんいやらしい目で人の体を見てくれるじゃないのさ?」
やはり女の子というのは、男子のそういう視線には敏感なのだろう。意地が悪そうに笑みを浮かべているリンカには、勇斗の桃色妄想ワールドが覗かれていたようだ。
「いや、そんなこと……」
勇斗はしまった、という顔をして、口ごもってしまう。
「うんうん、まあ、それはキミが男の子である以上は、仕方ないことなんだよね。それが生物としての本能なんだから……」
かなり失礼なことを言われた気がするが、実際に失礼な妄想をしてしまっていた勇斗には返す言葉もない。
「勇斗君が勝ったら私の体はどうなっちゃうのかしら……、およよ……」
リンカは泣き崩れるようにその場にへたり込んで、手の甲で目元を拭うが、涙はいっさい流れていない。
これ以上、リンカのペースに乗せられてしまえば、何も話が進まなくなってしまう。ついでに、自分の不利な空気を払拭するために、勇斗は泣き崩れている(フリ)をしているリンカを無視して自転車を押して、倉庫の前の小さな通りに出た。
「それじゃあ、自転車に乗ってみせるから、とりあえず見ていてよ」
通りの地面は平坦ではなく、土が盛り上がっていたり、石が散在していたりもするのだが、自転車の運転に慣れている勇斗には、とくに苦にするほどの障害にはならなかった。
自転車をまるで自分の体の一部であるかのようにスルスルと操り、地面に小さな円を描くように自転車を滑らせる。
勇斗が自転車をこぎ出した瞬間、リンカはなんだかんだ言いつつも、勇斗が転んで怪我をしないようにフォローに入ろうとしていた。しかし数秒後、彼女はその必要がないことを悟り、自転車を乗りこなしている勇斗を、羨望と尊敬の眼差しで見つめていた。
「すごいっ」
キラキラとした目で、リンカは素直な称賛の言葉を述べた。
「えーっと、ありがとう……」
勇斗にとって、自転車とは凄く身近なものであり、こうして乗り回している事が当たり前のことだった。その当たり前のことを見せただけなのに、こうもまっすぐに褒められると、なんだか逆に戸惑ってしまう。
「とりあえず、もういいかな?」
ブレーキをかけ、自転車を止める。
「すごい、すごい、すごーい! これ乗りこなすなんて、もしやあんた人間じゃないね。それにしてもすごいよ。今度私に乗り方教えてよ!」
リンカは目をキラキラと輝かせ、勇斗の右手を両手で包み込むように握りしめる。
「ま、まあ、練習すれば、すぐ乗れるようになると思うよ」
積極的な彼女のスキンシップに、思わず声が裏返ってしまう勇斗。
「ほんとに? 前にね、何度か練習したんだけれど、その時は体中に痣を作ってやめちゃった。たはは」
女の子としてその行動はいかがなものかと、勇斗は思ったが、それを口にするには、リンカに対する友好度がまだまだ足りていない。
「まあとにかく、練習したいんだったら練習には付き合うからさ。そろそろ仕事に移った方がいいんじゃないの?」
勇斗の提案に、リンカはすっかり忘れていた様子で、手のひらをポンッと叩いた。
「おっと……、それもそうだね。それじゃあ。さっそく始めよっか。最初だし、今日はいっしょにやっていこうね。手始めに、荷物が入っていたリアカーがあったでしょ。それを届け先まで運ぶからね」
勇斗は指示されたリアカーの取っ手をつかむ。その中には大きめの木の箱と小さめの木の箱がひとつずつ積まれていた。
「勇斗君、これから配達に行くときは、そのバイクを自由に使って構わないけれど、今日はいっしょに行くから歩いて行こうね」
勇斗が前からリアカーを引っ張り、リンカが後ろからリアカーを押していく。ひとりでも持ち運べるほどの重量だったため、それをふたりで持ち運ぶとなると、ずいぶんと楽だった。
とはいえ、道中はそれほど整備が施されているわけでもなく、デコボコとした道が続いているので、少しだけ苦労もあった。
太陽が燦々と輝いているが、それほど暑いというわけでもなく、仕事をするには絶好の天候だった。肌から溢れる汗も、なんだか心地よい感じがする。この快感こそが、労働の尊さなのだろうと、勇斗は勝手に解釈することにした。
そのまま二人は商店街の通りに差し掛かり、通りの真ん中を突き進んでいく。このあたりは人通りも多いおかげで、道がしっかりと踏み固められて平坦となっているため、リアカーも動かしやすい。
「おっ、今日もやってるね。頑張れよっ!」
通りに並ぶ店の店主が、こちらの姿に気づくと、大声を上げて手を振ってきた。勇斗はどう返すべきだろうかと逡巡した、申し訳程度に会釈だけしたが、リンカは店主に負けじと大声を上げて大きく手を振っていた。
さらに、すれ違ったおばちゃんからは、「ちゃんと水分を取るんだよ」と、水の入った水筒を手渡された。
戸惑いながらもらった勇斗だが、だんだんと村人たちのお互いの距離の近さに慣れつつあった。