2-2 命名
(さすがにあれだけずっと寝てたら、当然寝れないよな……)
その日の夜、布団に入った日野勇斗は、目を瞑ったまま眠ろうと努力していたのだが、三十時間以上もずっと眠っていたせいもあり、いつもなら襲ってくるはずの睡魔がいっこうに襲ってこないという状態だった。
家の中からは物音ひとつ聞こえないので、サラもアイナも静かに眠りについているのだろう。
「なに? もしかして、寝れないとか? そりゃあ、あんだけ寝れば当たり前よ。ねえ、どうせなら、アタシとおしゃべりしない?」
部屋の壁に立てかけられているバットが、弾んだ声音で話しかけてきた。
こいつは勇斗が家に帰ると、今と同じ状態で、部屋の壁に立て掛けられていた。
「まあ、別にいいよ。どうせこのまま布団に入っていても、しばらくは寝られないだろうしな」
「やたっ! それじゃあ、まず、アタシの名前考えてくれない?」
「――は?」
「『は?』じゃないわよ。アタシの呼び方を決めてくれないと、アンタも困るでしょ」
「バットでいいじゃん。それのどこが不満なの?」
「当たり前よ! いーい? アンタだって、自分のことを『おいそこの人間』って、呼ばれるのは嫌でしょ? アンタがアタシのことをバットって呼ぶのってそれと一緒のことなのよ。そういうわけだから、アタシに相応しい感じの固有名詞を付けて欲しいの」
「わかったよ。ちなみに、どんなふうに呼んでほしいとかあるの?」
「アタシじゃなくてアンタが決めるの。なんだったらあだ名みたいなのでもいいよ。っていうかそっちの方がいいね」
いろいろと面倒なやつだなあ、と思いながら、勇斗は腕を組んで、考えるフリをする。
きちんと考えてますよ、というアピールをしているだけで、実際はほとんど考えてはいなかった。
「名前ねえ……。じゃあ、ミズノ、ゼット、ローリングス、ナイキとか。このへんから選んでいいよ」
「ちょっと! それじゃあ、メーカーの名前じゃない!」
「――って、なんで、おまえがそんなこと知ってんだよ」
「べっ、別に知ってたっていいじゃない。とにかく他の候補を挙げなさい」
勇斗が今上げたのは、野球道具の有名なメーカーの会社だ。勇斗が知らないだけで、それらのメーカーの野球道具が異世界にまで幅を利かせているのかと、ほんの一瞬だけ考えたが、アイナが野球のことを知らなかったことを思い出して、その馬鹿馬鹿しい想像を打ち消した。
「そうだな~。あっ、そうだ。ホープっていうのはどうだ?」
「ええ! それいいじゃない」
嬉しそうなバット改め、ホープの調子に、自然と勇斗の気分も高鳴ってくる。
「当たり前だ。俺が初めて買ってもらったバットに同じ名前を付けていたんだからな。いや~、それにしても、なつかしいな。まあ、なんでその名前にしたのかは覚えてないけどね」
勇斗はしみじみと当時のことを思い出す。
(あのバット、めっちゃ大事にしてたんだよなあ。あのバットどこにしまったっけ……)
「それはそれで、正直言って、なんか気持ち悪いわよ」
ホープがドン引きしているようだったが、今の勇斗がそれを気にする様子はない。
あまり深く考えずに、テキトーに名前をつけようと思っていた勇斗だったが、いざ「ホープ」という名前を付けたら、このバットにも愛着が沸いてきた。
「さて、ホープ。どうせ今日は寝れそうもない。俺からもいろいろと聞きたいこともあるし、今夜は語り明かすとするか」
布団から起き出た勇斗は、壁に立てかけられていたホープの前にどかっと胡座をかいた。
「ええ、いいわよ。そうだ。ひとつ、この間アンタが気絶してた時のことなんだけれど、そのときにおかしなことがあったのよ」
「おかしなこと?」
「そう。アタシの言葉がサラちゃんに届いたのよ。間違いない。これは本当のことよ」
「気のせいじゃなくて?」
「本当よ! アタシの励ましがなかったら、サラちゃんの魔法が成功することもなかったはずなのよ。アンタが今こうしてアタシとお話できてるのも、アタシのおかげなのよ。感謝するがいいわ」
得意そうに言うホープ。外見上は無機質な金属バットにすぎないが、彼女がドヤ顔で胸を張っている様子が目に浮かぶようだった。
「でもね、アタシが思うに、きっと神様が勇斗を救うために起こしてくれたのだと思うわ。神様も、あの場で勇斗を死なせるわけにはいけないと思ったに違いないわ」
「くくっ、そうかい。だったら、俺も少しは神とやらの存在を信じてみることにするよ」
勇斗自身は無宗教だし、これまで都合良く神に祈ったことはあっても、神を信じたことはなかった。
ホープの言い分がどこまで信じられるかはわからないが、こうして無事でいられたこと。そして何よりも、右肩が完治したことは、奇跡のような何かが起こったとしか思えなくて、それだけで、勇斗にとっては神という存在を信じるにたる材料になりえた。
「ふふん、神様は偉大なのよ。アタシも昔神様に……。やっぱこの話はなし。気にしないで」
気にしないで、と言われると、余計に気になるのだが、あまり聞かれたくない話なのかもしれないと気を使って、勇斗も問い質すことはしなかった。
「そういえばさ。俺ってば、リザードマンとかいう魔物にボッコボコにされたじゃん? そんでサラちゃんの治癒魔術のおかげで一命を取り留めたんだよね?」
「ええ、その説明はもうサラちゃんから聞いてるでしょ。そのときのアンタってば、身体中ボコボコで、もう色んな意味でマズイ状況になってたわよ。それで、今さらそれがどうかしたの?」
「いや、そのあと気絶してベッドの上で目覚めたときに、俺が昔に負った右肩の痛みが消えてたんだよね。これもひょっとして、サラちゃんがかけてくれた治癒魔術のおかげだったりするのかなあ、ってさ」
「まあ、アタシだって、確かなことは言えないけれど、そう考えるのが妥当でしょうね。アンタがリザードマンに負わされた傷だって、その右肩の古傷だって、同じように傷なわけでしょう。だから、サラちゃんの魔法はどちらの傷も治癒対象だと認識して、その右肩もついでに治してくれたんでしょうね」
「ははっ、魔法ってすげーんだな、って、俺は思い知らされたよ」
その後、ふたりは語り合い、太陽が昇り始めるころになって、ようやく勇斗は布団に潜り、夢の世界へと度だったのだった。