2-1 目を覚まして
「ん……? ここは……」
次の日、勇斗は、リザードマンとの戦闘の後遺症のせいで、丸一日ベッドで眠ったまま過ごした。
そして、その翌日の昼過ぎ、村の中にある病院のベッドの上で目を覚ました。
勇斗が目を開けると、そこに広がっているのは見知らぬ部屋で、白を基調とした無機質な雰囲気の空間が広がっていた。
ベッド以外のものがその場から排除されてしまっかのように殺風景な部屋だった。
病院独特のどよ~ん、とした空気を感じた勇斗は、自分が病院のベッドで寝かされていたということに気づき、この独特の雰囲気は世界を超えて共通なものなのか、と感心していた。
「すう~、すう~」
勇斗の足のあたりでは、サラ・アルバートがベッドの脇の丸いすに座りながら、勇斗の布団に突っ伏して、かわいい寝息を立てて眠っていた。
サラの瞼の下が、勇斗が気絶する前に見たときよりも若干はれぼったくなっているように見える。
「…………」
(……あのあと何が起きたんだ?)
勇斗にはリザードマンを倒した後の記憶がいっさいない。
どうやってここまでたどり着いたのかもわからないし、ボロ雑巾のようにボロボロにされた体もとくに不具合もなさそうだった。
(まずは、そのへんを見て回るか)
サラを起こさないように気をつけて、そーっとベットから下りて、白い床の上に立った。
屈伸や前屈をこなして、体の機能を確認する。
「…………あれ?」
そのときに、ひとつだけ違和感を覚えた。
いや、この場合は元々あった違和感がなくなっていた、と表現したほうが正しいかもしれない。
その違和感を確かめるために、勇斗は右腕をゆっくりと大きく回してみる。
どこにも痛みが走らず、簡単に腕を一回転させることができた。
「え、マジ? 治ったってこと……?」
そのまま右手に野球ボールを握っているイメージで振りかぶって、架空のキャッチャーめがけて架空のボールを投げ込んでみる。
「いたくない……!!」
半分の力も込めなかったが、以前はボールを投げる仕草をするだけで、肩に激痛が走ったにも関わらず、今回は投球動作をして、まったく肩が痛まなかった。
それは勇斗にとって、かなり衝撃的なことだった。
肩を痛めて野球をやめてから、ボールには触れなかった勇斗だが、ふとしたときに鏡に向かってボールを投げる真似は何度もしてきた。
そのたびに、痺れるような痛みが肩に走り、自分は野球ができない身体になったことを自覚していた。
勇斗は自分の肩を反対の手で握りしめる。そして、ベッドの脇ではサラが眠っていることも忘れて、ドタバタと音を立てて飛び跳ねながら喜びをかみしめていた。
「いや~、ま、なんで治ったのかわかんないけど、深く考えないようにしよう。もしかしたら、どっかの博士が知らないうちに直してくれたのかもな。これで科学の発展のために散っていった仲間もようやく浮かばれるな……、なんてな。あはは」
自分のボケに対して自分でツッコミを入れるという、絶対に他人には見られたくない一コマ。
「どうやら、具合はよくなったみたいですね」
「――わっ! 誰!?」
突然現れた気配に対して、勇斗は驚いて横に跳び、声の主から距離をとる。
その前の恥ずかしい一コマを見られていたかと考えると、自然と構えてしまう勇斗。
その男は全身真っ黒の法衣を身に纏っていた。神父なんてものを、これまでの人生で目にしたことはなかったが、この男が神父であることは一目見て理解した。
帽子を被ってはいるが、その隙間から銀色の髪がちらりと見えていた。
「驚かせてすみません」
ほとんど表情を変えないまま、平坦な調子で告げる男。
「えっと……、どちらさまですか?」
男に対してイマイチ距離感が掴めない勇斗は、様子を探るような目つきで問いかけた。
「ああ、すみません、自己紹介がまだでしたね。私はレールの村の教会にて、神父を務めていますリヒト・エドウィックと申します」
リヒトと名乗った男性は勇斗にお辞儀をする。
「ご丁寧にどうも。俺は勇斗です」
「もちろん存じております。迷える人間を導くのが私の役目ですからね。迷い人の勇斗さん」
「ああ、なるほど。俺のことを知ってるんですね」
教会の神父から連想して、以前にサラが神父に迷い人の情報を聞き出そうとしていたことを思い出した。
「そういえば、サラが神父さんなら元の世界に帰る方法を知っているかもしれない、って言ってたんですけど、神父さんは心あたりがありますか?」
「ふむ、そうですね。決して情報がないわけではないのですが、如何せん私が持っている情報については、信憑性が定かではないところがあるため、もう少し待っていただけますか?」
その含みを込めた言い方から察するに、間違いなくリヒトは迷い人に関する何かを知っているのだろう。
しかし、勇斗はそのことを問い詰めるつもりはなかった。
なぜならば、勇斗は自分が持っている情報を渋る人間には二通りいることを知っているからだ。
ひとつは、こっちが頼み込むことに快感を覚え、「しょうがねえな~」と言いつつ、結局全部話してくれる人間。もうひとつは、こっちがどれだけ頼み込んでも、「なんでもありません」の一点張りで、最初の情報以外何も教えてくれない人間。
勇斗の経験上、リヒトは後者に分類される気がした。だからこそ、これ以上問い詰めたところで、リヒトから情報を得られる可能性はかなり低いため、その話を掘り下げることが建設的でないと判断した。
「そうですか。まあいいっすよ。俺、まだしばらくこっちでのんびり暮らすつもりなので。ところで、ここが病院だってことはなんとなくわかるんですけど、俺って、どうやってここまで運ばれてきたんですか?」
「おや、どうして私がそのことを知っていると?」
「いや、俺が迷い人だってことも知ってたみたいだし。何より、目覚めて最初に会話した人間があなただったので、とりあえず聞いてみただけですよ」
「ふむ、そうですか。あなたがあの後どうなったのかは、私ではなくサラさんに直接聞くとよいでしょう、と言いたいところだったんですけど、この様子じゃあ聞けそうもないですね」
だらしなく口を開けながら眠っているサラは、世の中を浄化してしまいそうなほどに、幸せそうな寝顔を浮かべていた。
とてもじゃないが、そんなサラを強引に夢の世界から引き戻すなどという悪行を、二人は犯すわけにはいかない。
「それじゃあ、あんまり大声で話してサラさんを起こすのは可哀そうですし、ちょっと部屋の外に出ましょうか」
「そうですね」
リヒトに続いて病室を出て、そのまま廊下を歩き、二人はロビーの長いすに隣り合わせに腰をかける。
「こうしてついてきてもらってなんですが、これといって話すようなこともないんですけどね。ちなみに君とサラさんをここまで運んだのは私ですよ。私があそこに訪れた時、ふたりとも気を失っていましてね。さすがにそのまま寝かせておくわけには行かないだろうと思って、ここまで運んできたんですよ」
「そうですか、迷惑かけてすみません。それにしても、リヒトさんはどうしてあんなところにいたんですか?」
「魔物があなたたちを森の外に出さないように、結界を使っていたでしょう。その結界ってのは、中々異質なものでしてね。私はその異質な気配を感知して駆けつけたというわけですよ。とはいえ、急いで向かったつもりだったのですが、間に合わなかったみたいですね。感謝します。村を救っていただいて」
勇斗を安心させるように優しく微笑んだリヒトだが、その笑みはどこか作り物のように感じ、なんとなく不気味な印象を抱いた。
「あ、そうだ。キミは昨日丸一日寝てたんですよ。サラさんは昨日のうちに目を覚ましましたが、キミのことをかなり心配してましたよ。まずは彼女に元気な顔を見せてあげてください。それと、キミが持っていたあの銀色の棒はサラさんの家に返しておいたのでご安心を」
「ありがとうございます」
「最後にもうひとつ、病院まで運んだのは私ですが、君の命を救ったのは、紛れもなくサラさんですよ。彼女の治癒魔法がなかったら今ごろ君は空の上にいたでしょう」
「そうですか、サラちゃんには頭が上がらないですね。ははっ」
「さて、だいぶ元気になったみたいですし、私のほうはこれにて失礼します。レールの村にいる限り、また会うこともあるでしょう。その時はよろしくお願いしますね」
リヒトはそれだけ言い残し、病院から出て行ってしまった。
一人になったロビーで、勇斗は椅子から立ち上がって大きく伸びをする。
(あっ! そういえば、ロッドさんはどうなったんだろう? サラちゃんには聞きにくいし、今度リヒトさんに会った時かな……)
とりあえず病室に戻って、幸せそうなサラの寝顔を拝むことにしよう。
勇斗が病室の扉に手を掛けて、扉を開けた瞬間、泣きそうな表情を浮かべているサラが、恨みがましそうな瞳でこちらを見つめていた。
どうやら、勇斗が席を外している間に夢の世界から帰還していたようだ。
「うっ……、ゆ、勇斗さん……、無事で、よかった……」
勇斗と目が合った瞬間、サラは目からポロポロと涙を零しながら、勇斗に抱きついてきた。
「ごめんなさい。私のせいで……」
勇斗の胸に顔を埋めたサラは、懺悔するように言った。
「ううん、俺も悪かったよ」
勇斗自身も、不用意な一言でサラを傷つけてしまったことに、自分に非を感じていた。
「あのとき、なんか急にね、お姉ちゃんに勇斗さんが取られる気がしたの。私の子供っぽい嫉妬で困らせてごめんなさい」
サラは勇斗に顔を見られないようにと、勇斗の胸に顔を押しつけながら言葉を並べている。サラの涙によって、勇斗の服に染みが広がってゆく。
「嫉妬ってのは決して悪いことじゃないと俺は思うよ。あいつに負けたくないっていう気持ちから来るものだから、嫉妬自体が悪と決めつけるのはどうかと思うよ。ただね、それを他人にぶつけてしまうのが問題なんじゃないかな。サラちゃんはアイナさんに嫉妬した。それはサラちゃんがアイナさんに、負けたくないって気持ちがあったから」
「…………」
「だから、今度は負けないようにと、努力することになる。それはもちろん成長につながる。歪んだ嫉妬なんてもんもあるかもしれないけど、嫉妬自身はは人を成長させるものだと俺は思うよ――まあ、そんなことよりも、とにかく、サラちゃんに心配掛けちゃって、本当にゴメンね」
「ううん、勇斗さんが無事でよかった。でもね、やっぱり嫉妬で周りを嫌な思いにさせるのはいけないことだよね?」
「それはそうかもしれないね。まあ、過ぎたことを気にしても仕方ないよ。それよりも、さっきリヒトさんから聞いたんだけど、サラちゃんが俺を助けてくれたんでしょ。なんか俺はサラちゃんに助けられてばっかりだね。あはは」
「ぐずっ、勇斗さん、わたし……、わたし……、勇斗さんを助けられてほんとによかった……。わたしも勇斗さんに守られた……から」
嗚咽を漏らしながら泣き始めサラは、涙で言葉が途切れ途切れになりながらも、必死に言葉を紡いでいる。勇斗は彼女の一つ一つの言葉を噛みしめるように耳を傾けていた。
「それじゃあさ、お互いに相手のお願いをひとつ聞くってのはどう? 俺もサラちゃんに迷惑掛けたし、サラちゃんも俺に迷惑を掛けたと思っているかもしれないけれど、それで、お互いの願いを聞き入れたら、今回の事はチャラってことしよう」
「えへへ、それ、いいですね」
ようやく泣き止んで、勇斗の胸から顔を離したサラは、嬉しそうに笑みを浮かべながら、ごしごしと手の甲で涙をふく。
「じゃあ、サラちゃんからでいいよ。できれば、実現可能な範囲で頼むよ」
「いいの?」
目を赤く腫らしたサラは、確認を取るように小首を傾げた。
「それじゃあね――」
どうやら、サラが勇斗にお願いすることは決まっていたようだった。
「あの、私のことを、ちゃんと名前で呼んで!」
重大な告白をするかのように、両手で拳を握りしめながら叫んだサラ。
「えっ、俺、ちゃんと呼んでるよ。サラちゃんって」
サラの意図は勇斗に伝わらず、勇斗は困惑の表情を浮かべていた。
「違う、そうじゃないの! 『ちゃん』づけは禁止ってこと。ちゃんと『サラ』っって、呼び捨てで呼んでほしいの!」
声を荒げたサラの迫力に、勇斗はたじろいでしまう。
「わ、わかったよ。サ、サラ、改めて、助けてくれてありがとうね」
「えへへ、こちらこそありがとう。勇斗さん」
理屈はわからない勇斗だが、サラはにへらっと幸せそうに笑ってくれたので、これで良かったのだと思った。
「じゃあ、次は勇斗さんの番ですね。私なんでもしますよっ」
サラはえっへんと胸を張った。
今の調子だと文字通りなんでもしてくれそうだったので、下手なことは言えないな、と思う勇斗であった。
「う~ん、そうだね。どうしよっかな」
勇斗が手を顎に当てて考えている間、サラは期待のこもったまなざしを勇斗に向けていた。
「それじゃあ――」
勇斗が自分の願いを口にすると、期待していたものとは違ったのか、サラは少しだけ不満そうな顔をした。