1-17 あのときの感覚
中学三年の夏、県大会の決勝、勇斗の所属する野球部は全国大会まであと一勝まで迫っていたときのこと。
当日、勇斗は風邪を引いてしまった。
それまでの全試合で四番を任されていた勇斗だったが、その日のスタメンに日野勇斗の名前はなかった。
勇斗抜きで試合は最終回ツーアウトまで進み、勇斗たちのチームは三点差で負けていたが、満塁という、ホームランで逆転という場面だった。
そのとき、ベンチで試合を眺めていた勇斗だったが、周りの制止を押し切って、代打として打席に向かった。
打席に入った勇斗は、重苦しい疲労感と気だるさで身体がぼーっとしていたが、感覚が研ぎ澄まされていくのを感じていた。
そして、初球。
球種、球のスピードは、いっさい覚えていない。
だけど、この時の感覚と、バットがボールとぶつかったときの感触は、今でもはっきりと覚えている。
ピッチャーの手から離れたボールは、スローモーションとなり、勇斗へと向かってきたのだ。
ボールが止まって見えた、という打撃の神様の言葉があるが、それに近いものを感じていたと思う。
勇斗は力みのない綺麗でシャープなスイングで、ボールを振りぬいたのだった。