1-14 忍び寄る影
いつもと同じように、サラはひとりで森の中を進む。
いつもと違うのは何かから逃げるように駆け足になっていることと、心の中を重りのように重たい何かが取り巻いていることだった。
走るスピードが徐々にゆっくりになり、自分でも気づかないうちに、いつの間にか足を緩め、歩くようなスピードになっていた。
「なんで、あんなこと、言っちゃったんだろう……」
走っているうちに頭が冷えたところで後悔の念がサラを襲い、目の端には涙がたまっていた。
悲しみと自分への情けなさから歯噛みする。
「…………」
自分の幼稚さが嫌になる。
昔から、サラは自分より十も年上の姉と比較され続けてきた。いや、比較されたというのは少し違うかもしれない。サラとアイナを比較していたのは、誰でもないサラ自身だったからだ。
天才肌のアイナは、サラと同じくらいの年のころには、大人たちも含めて、村の中で誰よりも勉強ができていたらしい。
しかもその後、初級学校を卒業して上級学校に進学した後も、彼女は天才呼ばれる才能を遺憾なく発揮して、飛び級、そして首席で卒業した。
それからは、王都の研究機関などから、スカウトされたりはしたものの、それらを断ってサラのような子供たちに魔法を教える立場に就いた。
確かに、サラは同じくらいの年代の子と比べると優秀かもしれない。学校の周りの子たちと比べると、テストの点数がよかったりもする。
だけど、それだけだ。
一番身近な存在であるアイナと比べると、自分の持っているものが、どれだけちっぽけなモノかを、サラ自身が感じていた。
サラはアイナが大好きだ。
自慢の姉であり、大切な家族だ。しかし、だからこそ、自分の身近な人間に負けたくないという気持ちがあり、彼女は身近な人間に対して劣等感を感じていた。
年を重ねるうちに、アイナの凄さ、偉大さに気づくようになって、ほとんどの分野でアイナに勝つことは諦めた。
だけど、一つだけ、自分が待ち焦がれた人である勇斗に対する思いは負けたくなかった。
(嫉妬……)
そして、勇斗までもがアイナに取られるかもしれないという醜い嫉妬から、サラは勇斗に対してあんな幼稚な言動をしてしまったのだ。
自分の感情を分析することに嫌気が差して、意識を内から外に向けると、サラはいつの間にか森の奥にある廃墟の前に立っていた。
(私、絶対に勇斗さんに嫌われたよね……)
あんな言い方をされて、腹を立てない人間はいないだろう。
「帰りたくないな……」
ぼつりと呟いた一言は、空の浮かぶ夕焼けに届くこともなく、途中で空気の中に溶けていった。
家に帰れば勇斗に会ってしまうので、今日はこの廃墟の中で過ごすのもいいかな、とぼんやりと考えていた。
――その時。
「キシシシ、おいしそうな獲物、はっけーん」
「…………っ!」
背後から掛けられた声に振り返ると、そこにはトカゲをそのまま大きくしたような生物が立ちはだかっており、無機質な赤い瞳でサラを見下ろしていた。
全身緑色をしたその生物は長い舌をぺろりと見せつけ、二本足で立っていた。
身体の大きさは大きさは勇斗よりも少し大きいほどだろうか。
実際に目にするのはこれが初めてのことだが、サラはその生物が正体を知っている。
リザードマンという魔物だ。
歪んだリザードマンの口元に、言い様のしれない恐怖を覚えたサラは、後ずさろうとして、思わず尻餅をついた。
「な、なんで魔物が……」
結界の守られているはずの村の中で、どうして魔物と遭遇したのかはわからない。
それでも、自分が命の危険にさらされていることはすぐに理解できた。
恐怖によって、身体全体がすくみ上がっている。
この後自分がどうなるのか、すぐに予測できてしまう。
だけど、どうしてもその結末を受け入れたくない。
「だ、だれか! たすけて!」
返事なんてないのもわかっている。
この廃墟には、人通りがいっさいないことは、他の誰よりも、サラが一番よく知っているからだ。
「キシシシ、まずは、じっくりとその肉を楽しませてもらおうかな」
リザードマンは腰に添えてあった棍棒を、両手で構える。
「い……いやっ! やめ、やめてっ!」
サラの必死の懇願も、リザードマンの嗜虐心を煽る効果しか生み出さない。
「シシシ、その顔だよ、その顔。恐怖に歪んだ顔をってのは最高だ。久しぶりの人間だってのに、極上のモンに出会えたぜ」
リザードマンは一歩、また一歩とサラに近づく。
サラもリザードマンから逃れようと、後ろに下がろうとするが、リザードマンの歩幅のほうが大きく、すぐに距離を詰められてしまう。
「シャーーーーー!!!!!!」
リザードマンはサラに棍棒の間合いに入ると同時に、棍棒を大きく振りかぶった。
これから自分の身に起きるであろう出来事に耐えきれずに、サラは目を瞑り、両手で頭を抱えた。
(助けて、誰か助けて!!)
無力なサラにできることは、精一杯助けを呼び続けることだけだった。
「助けてっ! 勇斗さんっ!」
リザードマンが、棍棒をサラに向かって振り下ろした。
すると、キィィィン! という鋭い金属音が、あたり一面に空間に響き渡る。
予期しない音が聞こえてきたので、サラがおそるおそる目を開けると、
「勇斗さんっ!」
リザードマンが振り下ろした棍棒は、勇斗が一日中肌身離さず持っていた剣によって、防がれていたのだった。