大人子供
これはあくまでフィクション…だといいね
正しい大人、なんてものが実在するかというのは、子供にとっては重要な命題だ。
だが、正しくない大人である俺が敢えて言おう。正しい大人なんて存在しない。いつも正しい道を選べる人間などいない。いわんや、ただ年を重ねただけで人間が"正しい"存在になれるものか。そして、己が正しい、と声高に主張する人間は概して碌でもない人間だ。己の間違いを認めないし、そもそも認識していない。己がただ年を取っただけでなく、正しい道を選ぶ為の有意義な経験を積んできたのだと思いこんでいる。どんな時どんな場合でも適応できる万能な法則なんてないのに。
正しい大人がその判断で子供を守り導かねばならない。成程、御立派な事だ。で、あんたの正しさは誰が保証してくれるんだ?それはあんたの勝手な主張、好き嫌い、思いこみじゃないって証拠は?
そう問えば、大抵の"正しい大人"は怒り出す。ちゃんと答えてくれるのは"まともじゃない大人"の方だ。だって、人は図星を突かれると怒るものだから。"まともじゃない人"は説明しないと他者に理解してもらえない事を知っているから(説明しても理解してもらえない事さえあるけれど)。"正しい大人"は自分の正しさは絶対的で説明するまでもないと思っている。自分は他の大人に説明責任!とか言う癖に、自分は子供に説明する気がない。
そりゃあ、子供より大人の方が長く生きている分経験を積んでいるというのは確かだろう。本当に大人の判断があっている事だって相応にあるはずだ。でも絶対じゃない。この世界に絶対の者はない。あるとして、それは神々の領分だ。只人の手が届くものじゃない。
何より、全く同じ一時が来ることなどないのだから、過去の経験は絶対的な判断材料には成りえない。別個の人間が別の思いを持ち別の事情で別の判断をするというのは全く持って当然の事だ。現代人と100年前の人間の考え方が違うというのは理解できるのに、昔の子供と今の子供の考え方が同じだと何故言い切れるのだろう。まあ、同じ部分もあるのだろうけど、社会が、取り巻く環境が変化した分、そちらも変わったと考えてしかるべきはずだ。
大体、昔は間違っていたのだ、ということが色々判明してきているのに(逆に昔の方が正しかったとわかることもある)何もかもその昔を元に判断するというのがおかしいのだ。昔はこうすれば大丈夫だった?そんなのは美化された懐古主義と視野狭窄だ。気付いていない事にすら気付いていないだけだ。
世論が何だって?それはあんたたちが作ったものだろう。都合の良い意見だけ取り出して、都合のいい事を言っているだけだ。或いはそれを同調圧力という。この国の人間は仲間外れを恐れ、人と同じ事を好み、それを相手にも強いる。"世間"ってのはその集大成だ。実体と乖離した幻想。まあ、実際"世間"を実体化した様な人間もいるけれど。
その根拠も含めて明文化出来ない理論なんて碌なものじゃない。つまり、俺の論理も碌なものじゃないが、それを自覚してるかしてないかってのは駄目なポイントが違う。俺の論理は胡散臭い。アイツらの論理は独善的。どっちが良いかといえば、多分五十歩百歩みたいなものだろうが。
大人と子供の関係で言うなら、大人が先回りして何でもかんでも取り上げるというのは賢明な判断とは言えない。転んだ事のない人間がどうして転んだら痛いのだと理解できるだろう。致命的でない失敗、危険は寧ろ敢えて経験させてやるくらいの気概でいた方が余程子供は色々学んで"正しく"成長できそうなものだが。大人がサポートするのは転んで立ち上がってから、或いは転んだまま立ち上がれない時で十分なんじゃないのか。
自分たちが選択肢を取り上げておいて、最近の若者にはやる気がないだの、若者の何とか離れだの、ちゃんちゃらおかしいね。子供から性を遠ざけておいて少子化がーって言ってるのも馬鹿だよね。なんだかんだ今の子供/若者をこうしたのって大人だもん。牙をもいだのは自分たちの癖に、この狼には牙がない、って言ってるようなものだ。統合失調症か何かなの?
態度の一貫性がない人間は信用されないってのは誰にだってわかるだろうに、"大人"ってどうしてこうなんだろう。俺が思うに多数決を取りすぎた結果だろうけど。その時々で要求する事は違って、一貫していないから、全体で見ると矛盾してくるんだ。つまり、現状どうしようもないってことになるわけだけど。
お前、一体何と戦ってんの?