旅行(1)
「旅行?」
日差しの下、カフェテラスで飲み物が入ったコップを机に置きながら、キリオ・ラーフラは俺に聞き返した。
今日のキリオの格好は水色のシャツに白いパンツ姿、と相変わらずお決まりの服装だ。いまだ俺はキリオのスカート姿をおがむことができない。
もっとも、履いたら履いたで違和感が拭えないのだろうなあとは思っている。まあ、こんなことはどうでもいい。今はいかにこの話を成功させるか、だ。
「うん。ここのところ外征ばっかりで忙しかったけど、ようやく一息つけそうでさ。休みも取れそうだし、旅行でもどうかなって」
実際、地下迷宮の事件でペースに行った時はキリオを連れていけなかったし、剣聖の事件でイスウに行った時もそうだ。唯一、羅針盤の事件の時は一緒だったが……あれを旅行とはとても言えない。
つまり、心穏やかにキリオと遠出したことが俺にはないのだ。
だからこそ、今回、キリオとともに出かけることにした。唯一不安があるとすれば、それはキリオが行けるかという点なのだが。
「どうかな?」
「よりによってこのタイミングだとねー。うぅ、正直厳しいかも」
タイミング……ああ、そうか。
思い出すのはイスウで起きた剣聖の事件、あの時、キリオの上司であった宮廷医師、アルルも殺害されてしまった。彼女がいなくなったことでその業務の受け持ちやらなんやら、キリオにまわってきてしまっている仕事も多いのだろう。
「あー、ごめん。そりゃ忙しいよな」
むしろ、上司の死を思い出させてしまったぶん、無神経な提案だったかもしれない。これはうかつだった。
そんな俺の気持ちが顔に出てしまったのだろう、キリオがかえって心配そうな目で俺を覗き込んできた。
「ヴァン、もしかして気にしてる? 心配いらないわ。むしろ、ヴァンの方から一緒に旅行へ行こうだなんて嬉しいに決まってるじゃない」
キリオの慰めが心にしみる。
とはいえ、実際キリオの方で休みが取れないんじゃどうしようもない。
「あくまで厳しいってだけよ。最近忙しかったのは確かだけど、裏を返せばなかなか休みがなかったってことだし。当初ならまだしも、今なら申請すれば通るかも」
「え、マジか!?」
キリオの笑顔に俺もつられて頬が緩む。良かった、言ってみるものだな。
飲み物を飲み干したキリオは、名残惜しそうにコップを揺らすとこっちに向き直る。
「で? 旅行先はどこに行こうか決めてるの?」
「あぁ、俺が考えてるのは、ちょっと遠いんだけど」
俺はカバンから持ってきた紙を広げる。
その紙には大きく「エルワ森林公園」と書かれている。その下には森を歩く人の絵。この世界には写真がないため、代わりに絵を使って情景を伝えている。
へぇー、と彼女は俺が出した紙をしげしげと眺める。
興味を持ってもらえたようで、キリオは晴れやかな顔で質問を続けた。
「ここ、聞いたことあるわ。山と森に囲まれた場所で、たくさんの種類の植物が自生しているそうじゃない。薬草とかも生えてるかしら?」
「そりゃあ、あそこの植物は多種多様らしいからね。あると思うよ。というか、それがここを勧めた理由の一つ」
「あら、気がきくわね。これはよけい行きたくなったなー」
医術については知識欲の塊のようなキリオのことだ。薬草についても勉強しているだろうし、実際のものを見られるとあってはこの場所に行くことにも乗り気になってくれるだろう。
エルワ森林公園。
そこはシャーク国の東の方、さらに山岳地帯に位置している。キリオが言ったとおり、森林公園は山々の間の盆地のような立地であり、行くためには広大な森を抜けるか、相当な高さのある山を越えるか、または山を掘って作られたトンネルを抜けていくかのいずれか、である。
ディガーによって掘られたトンネルのその先には観光客が泊まる宿をはじめ人の手で整備された区画があるが、その先は完全に自然のままだ。
実はかつて、あの地域では大きな山火事があったという。火事のせいで一部は焼けでしまったそうだが、その灰などが肥料となったためかその跡は植物が育つのにちょうどいい土壌となっていたらしい。
結果として、現在は火事があったとは思えないほどの植物が生えており、その種類は大層豊富らしい。
「しっかし、ずいぶんと遠くを選んだのね?」
「え?」
考え込んでいた顔を上げると、じっとこちらを見るキリオと目があった。
ついとっさに逸らしてしまった俺は悪くない。
「どういうことかな?」
「いや、私にここを勧める理由はわかるんだけどさ。ここってたしかかなり遠くじゃない。そりゃあ国を出てないぶん遠くとは言えないんだろうけど、わざわざここを選んだのはほかにも何かあるんじゃないの?」
「うっ」
す、鋭い……。
確かに、俺が行き先をこのエルワ森林公園に選んだのは理由がある。
「そうだよ、よくわかったな」
「ヴァンごときが私に隠し事なんて百年早いわ」
得意げな顔をする彼女に俺はため息をつくしかない。
やれやれと首を振ると、俺は話の続きをした。
「俺の名前、わかるか?」
「はあ?」
「いや、わかりきった質問だとは理解してる」
コイツ何言ってんだ? というような顔をされたので弁解をしつつ話を進める。いやしかし、本当にあんな顔されると、少しへこむ。
気が狂ったようなものでも見る顔をされたからな。
「ヴァン・ホームズでしょ。革命児ヴァンと名高い探偵の」
「うっ、後半は余計だ」
革命児ヴァンという呼び名は未だになれない。
確かに、俺とレオで書いたあの本で、あの考えで、世界を変えてしまったことは理解している。特に、羅針盤の事件ではそれを改めて思い知った。
それは確かに革命と呼べるのだろう。
けど、やはりその呼ばれ方は好きじゃない。
「学生の頃まではただのヴァンだったのにな。まあ、名字をもらって、俺ははれて貴族の仲間入りをしたってわけだ」
「それがどうして今回の話につながるのよ」
「貴族ってのは、領地を持つものだろ?」
そこまで、ようやく合点がいったような顔を彼女は見せた。
まあ、説明は回りくどかったよな……確かに。
「っていうことはなに? あの辺は」
「そう、ホームズ領、ってことになるね。一応」
領地かー。
俺が貴族になったのは、もともとはヴィクティー姫の事件の口止めによる影響が大きい。急に宮廷探偵団副団長補佐という今の役職に就くことになり、そのための格付けということだろう。
俺が与えられた領地は、かつてのバアル領の一部。
さすがにそう大きな領地ではないが、やはり元バアル領というだけあって重要、とまでは言えずともそれなりに注目されている場所はいくつかある。
その中の一つがエルワ森林公園というわけだ。
「領地の中から旅行先を選んだってこと?」
「まあ、そうだな。領地にどんなところがあるか見ておきたかったっていうのもあるけど」
「つまり、打算含む、ってわけね」
打算、というつもりでもないんだがなあ。
まあ、確認ついでに旅行しようという気持ちがあったことは否定できない。
「まあ、提案としてはこんなとこかな。時間が取れるかが心配だけど」
「そのあたりは少し時間をちょうだい。安心して、ちゃんと旅行に行けるだけの休みは取れるよう調整してみるわ」
まあ、いきなりの話だったから、今日だけで決定できるわけもないよな。
話はこれくらいにして、俺もキリオも席から立ち上がる。気がつけばもう夕暮れになっており、時間的にも頃合だった。
「じゃあな、キリオ。いい返事を待ってる」
「ええ。こちらこそ楽しみにしてるわ」
数日後。
キリオは無事休みを取ることができたようで、満面の笑みで報告をしてくれた。俺の方はそこまでスケジュール的にきついこともなかったから、キリオが休みを取った日に合わせてスケジュールを調整し、俺も時間を作った。
そして、さらにひと月たった今日、念願の旅行の日がやってきた。空は晴れて雲一つない青空が広がっており、いい旅日和と言えた。
「それじゃあ行きましょうか、ヴァン」
「ああ。行こうか」
本日はここまでです。
登場人物紹介の字数が足りなくて、慌てて「観光客」を多数付け加えたのはここだけの秘密。
更新遅くなったらごめんなさい。せめて第一考の完結はさせます。
これからもよろしくお願いします。