問答(2)
今回はいつもより長めです。毎度毎度遅くなってごめんなさい。
30分もしないうちに、キースが席を立った。
「俺は先に部屋に戻っている。アリアはどうする?」
「そうね……私はまだ残っておくわ」
そうか、と一言返事をするとキースは自分の部屋に戻っていく。それを目で見送りながら、アリアは皿を運んでいたメイラに声をかけた。
「あ、メイラさん。飲み物をもう一杯いただけます?」
「私も、頼もうか」
アリアのおかわりにビッカーソが便乗する。ついでにと俺もおかわりをお願いしておいた。出された飲み物はなにかの果汁だろう、甘くてとても美味しかった。
「あいよ。ミーシャ! アリアさん、ビッカーソさん、ヴァンさんに飲み物を用意しておくれ! 私はもうそろそろ裏に戻らせてもらうよ」
裏? というと厨房だろうか。皿洗いとか大変だろうな。
そんな事を思っていると、ミーシャがお盆にグラスを三つのせて、俺たちのところへメイラと入れ替わりにやってきた。飲み物を注文した三人へ丁寧にグラスを置いていく。
その後も、しばらく雑談を交わした。アリアさんが興味津々で俺とキリオの出会いなどを聞いてくる上、それをナガレがもてはやす。いやはや、ビッカーソさんが悪乗りしてこないのがせめてもの救いだった。
やがてカウンターにいたミーシャが、厨房の方へ何やら話したあと俺たち全員に声をかけた。
「母さんはそろそろ寝ますので、以降は私がご用を承りますね」
「え、もうそんな時間?」
キリオが時計を見ると、22時前。まあ早い気はするな。ましてや、宿屋の従業員のふたりなんだし。
そう思っていたが、話を聞いてみるとむしろ二人だから、らしい。
「夜の時間は、私と母さんが交代で睡眠をとることにしているんですよ。少なくともどちらかは起きていられるように」
「大変ッスねぇ……」
「仕事ですからね。夜遅くでも寝つけないからって飲み物をお願いする人はいたりしますから、最低一人は起きておく必要があるんですよ」
「なるほど」
「働き者よね、ほんと」
扉が開く音とともに、カーナの声がした。外から戻ってきたカーナはキョロキョロと辺りを見回すと、アリアに声をかける。
「あれ、もしかしてキースさんもう部屋?」
「えぇ、少し前にもう部屋に戻ると」
あちゃー、と頭をかくカーナ。いったいどうしたのだろう?
キリオは彼女が持っている薬瓶に注目した。さすが医術師というべきか。
「カーナさん、その瓶は?」
「あぁ、これ? キースさんに調合を頼まれていた薬だよ。夕飯の時にはまだ完成していなくてね、さっきできあがったから持ってきたんだ」
アリアが持っていこうかと手を伸ばすが、カーナは自分で持っていくと笑いながら断り、部屋を聞いてから階段をのぼっていった。
飲み物のおかわりはいるかと、俺たち三人以外にもミーシャが聞いてまわる。いや、約一名、聞かないほうがいい人もいるんだが。
「ヒック」
ローベルトさん、すっかり酔ってしまっている。これちゃんと家に帰れるんだろうか? まぁここは宿屋だし、ここで寝てもらう方法もあるんだろうけど。
本当に大丈夫なのか不安になってくる。顔赤いし。
「大丈夫ですよ、たぶん」
俺の視線に気がついたのだろう、ミーシャは笑いながら俺にそう言って、空になった俺のグラスをお盆に乗せた。
たぶんってなんだ、たぶんって。
「まだ飲み物は飲まれますか?」
「いや、もう俺はいいよ。そろそろ上がろうかな」
「え、ヴァン戻るの? じゃあ私も部屋にいくわ」
俺が立ち上がるのを受けて、キリオも立ち上がった。アリアもそろそろ戻ろうかなとつぶやきながら飲み物を飲んでいた。
階段を上りながらふと下を見る。ローベルトさんが少しフラフラしている気がして危なっかしいことこの上ない。
「おっと」
「あら、ごめんなさい」
二階にあがると、ちょうど階段へ戻ってきたカーナさんとすれ違った。しかし、ただ薬を渡すだけにしては遅かったな。まあ話をしていたとかだろうか?
そのあとはキリオと別れ、隣の部屋に入る。今日はあちこち歩いて疲れたし、もう寝てしまおう……。
横になったまま時計を見ると、時計は23時頃を示していた。
目が覚めると、まだ窓の外は真っ暗のままだった。疲れてぐっすり眠るだろうと思っていたが、意外と眠れないものだ。起きあがると、上着を羽織って下に降りることにした。寝付けない人に飲み物が出せるように、とミーシャが起きているはずだ。
下におりてみたら、ローベルトがいびきをかいて眠っていた。机につっぷして気持ちよさそうに眠っている。首にさげている鍵を見て、大事ならちゃんとした場所で寝ろよと言いたくなる。
「あら? ヴァンさん、どうかしましたか?」
「すぐ目が覚めちゃいまして。飲み物でももらおうかな、と」
「そうでしたか。でもこれで二人目ですよ、今夜遅くにおりてきた人は」
「え? ほかにもいるんですか?」
時計を見てみると1時を過ぎたぐらいだ。こんな遅くに起きている人がまだいたとは。ミーシャが飲み物を用意しているのを待っていると、外からポロン、ポロンと楽器の音がした。
「もしかして、ナガレさんですか?」
「そうですよ。夜風に当たりたいということで、楽器を持って行って外に」
ふむ。
せっかくだし、俺も外に出ようかな。
「じゃあ、俺も外に出ますよ」
「わかりました。彼女もヴァンさんと話をしたそうでしたしちょうどいいでしょう。風邪をひかないように気をつけてくださいね」
飲み物を俺に渡し、一礼したミーシャ。俺はいなくなると彼女はまたローベルトさんしか残らないここで待つ羽目になるのだが、そればかりは何も言えない。
暇なんだろうなとは思ったが、カウンターの奥に本が数冊積まれているのを見て、あれで暇つぶしでもするんだろうなと納得しておいた。
飲み物を片手に、俺は宿屋の扉を開ける。
「こんばんは」
「おろ? ヴァンさんじゃないッスかー。どうしたんスか、こんな遅くに」
宿屋を出てすぐ、広場に植えられた木の一つにナガレがよりかかっていた。扉を閉めると、俺は彼女の方に近寄った。
辺りは暗くなっていたが、ナガレはすぐ近くにいたため俺もナガレもお互いの事にすぐ気がついており、ナガレは座ると横をポンポンと叩いた。
「なんかすぐ目が覚めてしまいまして。それで下におりたら、ミーシャさんがナガレさんが起きていることを教えてくれたんです」
「なるほど。ウチもヴァンさんとは話をしたいと思っていたッス。ラッキーッスね」
「話、ですか」
確かにミーシャもそのような事を言っていた。しかし、一体俺に何の話があるというのだろう?
「ヴァンさんは」
考えるより前に、ナガレが口を開く。シンと静まり返ったこの外で、宿の明かりだけが俺たちを照らしていた。静かなだけに、彼女の声は通常以上に大きく聞こえた。
「なぜ、探偵に?」
「なぜと言われると……子供の時から、憧れていましたので」
「そうッスか。いまや“捜査と裁判は死んでいる”をはじめ、パンゲアの七探偵とまで呼ばれるほどになったんスから、その夢は大成したようなもんッスか?」
「いえいえ。俺はまだ若輩者ですから」
何かと思っていたが、ナガレの話は俺が探偵になったことについてだった。その後もなんで憧れたのか、とかどんな事件を扱ったのか、という話をさんざん聞かれた。吟遊詩人としていろんな話を聞きたいということだったが、それにしてはずいぶんと声に熱が入ってる気がした。
探偵に何か、思うところでもあるのか?
それとも、ほかに何か理由があるのか……?
途中で、ミーシャが温かい飲み物をふたり分用意して持ってきてくれた。俺もナガレもありがたくもらっておいた。いやはや、いろいろ話していて喉が渇いていたんだ。ミーシャも話に混ざるかとナガレが誘ったのだが、彼女はまだ仕事があると宿の中に戻っていった。
「とまあ、そんな感じでして」
「なるほど。ただ人数を使うだけでなく、その全員に捜査基準などを徹底させる、と。ウチはペース出身なんスけど、あそこは特に人海戦術がよく使われるッスからね。ヴァンさんの理論は特に効果的な気がするッス」
「えぇ。探偵個人の力一つじゃダメだと思ったんです。今までの杜撰さじゃ冤罪も未解決も溢れるばかりだ。犯人を探す上での証拠とかも妥当性が必要ですし」
今は、俺が発表した捜査に関する理論に話題が移っていた。
探偵制度の現状を知った、あの時の落胆。
そしてそれを変えようと奔走したことが、今ではひどく懐かしい。いや、今もまだ奔走している最中だな。
「より多くの事件を解決していけるようにしたいんです」
「より多く……ッスか」
あれ?
急に、ナガレの表情が暗くなった。顔を上げ、俺を見るその目はまるでなにか彼女の触れないところに触れてしまった、そんな闇を見せていた。
「ヴァンさん。答えて欲しいことがあります」
「なん、でしょう」
なんだなんだ。急にナガレの声が真剣になった。もしかして、これが本当に彼女が聞きたかったことなんじゃないのか?
「事件は、解決されるべきだと思いますか?」
「え?」
聞かれている意味がわからなかった。事件は解決したほうがいい、そうじゃないのか? だが、今のはうまく質問できたわけではなかったらしい。頭を振ると、彼女は再度問いかけ直した。
「いや、確かに、大抵の事件は解決されてしかるべきッス。だけど、その、解決しないほうがいい事件。それも確かに、存在すると思うんスよ」
うまく言い表せないのだろう。一言一言を噛み締めているし、なにより言葉遣いが元に戻っていた。
言いたいことはわかる。事実、初めて俺が出くわした事件で、俺は同じ問いを自分にしていた。
でも、俺は探偵だ。謎を解くのが仕事だ。だから、すぐに答えることができなかった。
「……そろそろ、俺は戻ります。ナガレさんはどうしますか?」
「……そうッスね。もう少しだけ、ここにいるッス。悪かったッスね、変なこと聞いて」
「いえいえ。俺こそ、上手く答えられなくてすいませんでした。ではおやすみなさい」
宿の中に戻ると、ミーシャではなくメイラが机を拭いているところだった。
「おやおや、やっと戻るのかい? ずいぶん遅かったじゃないか」
「話し込んでしまいまして。ミーシャさんは?」
「3時前に交代したのさ。今が3時6分だから、まあついさっきさね」
もう遅いから早く寝な、と急かされ、俺はミーシャからもらった飲み物の容器を返すと階段を登っていった。そのまま部屋に入ると、横になる。
ナガレの質問はどういうことなのだろう? 考えているうちに、すっかり、目が……。
これは夢だ。
場所は大聖堂。目の前にはあの日俺の前から姿を消した男。
「なんだ、ヴァン。何を迷っている?」
「どうすればいい?」
「どうすればって、犯人を指摘すればいいだろう」
「して、どうなる?」
「知ったことではないな」
こんな夢を見るのはきっと、ナガレの質問が心に引っかかっていたからだ。
あの日諭されたはずなのに、それでも、彼女の質問に答えられなかったからじゃないだろうか。
「そうだろう」
ヴァン――
「――殿! ヴァン殿!」
ドンドンドンドン! とドアを叩く音が響く。朝か。窓から入ってくる光がまぶしい。
「ヴァン殿! 起きてくだされヴァン殿!」
さっきからうるさいな。
目をこすって、体を起こしながら大きく伸びをする。この声はローベルトさんだ、さっきから一体何なんだ?
「なによ、騒がしいわね」
「あ、いえ、実は、その」
今の声はキリオだ。廊下が少し騒がしい。やっと意識がはっきりしてきた俺はドアを開けた。廊下には声の主であるローベルトとキリオがいた。
「なんだ、さっきから」
「こんな朝っぱらから、一体どうしたんですか」
騒ぎで目を覚ましたのだろう、ビッカーソやプラントも部屋から出てきた。ローベルトが一人汗をかいていたが、俺を見て顔を輝かせる。
「おぉ、やっといらした! さぁ、早く早く!」
「ちょ、一体何が」
俺の質問は無視され、ローベルトはそのまま走って下におりていった。
「おいおい、さっきからどうしたんだよ全く」
俺をはじめ、キリオ、そしてプラントも下におりる。下ではカウンターのメイラ、そして椅子の一つに腰掛けたロイがわけがわからないといった表情で今しがたローベルトが出て行った扉の方を見ていた。
彼の焦りからは、嫌な感じしかしない。あの時、大聖堂の扉を開けようとしたあの時の感覚。
宿から出ると、深夜俺たちが会話した場所で、ナガレがぐうすか眠りこけている。なんであんなとこで寝てるんだ。起こしたいのはやまやまだが、ローベルトはすでに森の方へ走っている。
「なんなのよいったい」
「どうかしましたか?」
森に差し掛かったところで、カーナとアリアが談笑していた。彼女たちを見てローベルトはさっきまでとじていた口をようやく開いた。
「あ、アリアさん! 外におったのですか、いや、それよりも早くこちらへ、大樹の方へ!!」
不思議そうだったが、ローベルトのただならぬ様子に質問することなく後を走る。何が、何が起きているっていうんだ。
森を駆け抜け。
橋を渡り。
そこからさらに走って、俺たちは壁に囲まれた大樹にたどり着く。
「……嘘」
「そんな、これは」
厚い壁の中ただ一つ存在する、内側に開け放たれた、門の向こう。そこには、昨日と変わらず堂々とそびえ立っている大樹が陽の光を浴びている。
皆、その中に入らない。立ち入れない。門の向こうのその光景を目の当たりにして。
大樹の下、入り口のそばで。
「ヴァン殿……」
目を見開き、口は開いたまま大樹を仰いでいた。その表情は苦悶で歪みきっており、いかにも強く押さえんばかりに右手が体の上に乗せられ、左手はだらんと横になっていた。
「なんで……なんで……」
横でアリアが崩れ落ちる。無理もない。医術師であるキリオや薬師で医術に心得があるだろうカーナだけじゃなく、俺もみんなも見てわかっただろう。
着いてきたプラントはあわわわと後退りを始め、俺はローベルト同様その場に立ち尽くしていた。
死んでいる。
キースが、大樹の下で仰向けに倒れていた。二度と何も見ることはないその目に、大樹の枝や葉を映しながら。
アリアの泣き声以外、何も聞こえない。俺たちは皆愕然とした表情でキースの死体を見つめるだけだ。
なんでこんなことになってしまったんだ。
楽しい旅行のはずだったのに。昨日までみんな楽く過ごしていたというのに。
ただ大樹が、何事もなかったかのように葉を風に揺らしていた。
大樹は、何も語らない。
ついに、事件発生です。
読者への挑戦も行う予定なので、皆様方、どうぞ参加してみてください。