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第三章 変わらない結末

棗と羽月は手持ち無沙汰に已織理の帰りを待ち続けていた。

時刻は既に午前〇時を過ぎ、邸内を静寂が満たしていた。

とにかくすることがないのである。

誰も事の概要を教えてはくれないし、事態がこれといって動くこともない。

已織理が動いた以上、水面下では色々と進行しているのだろうが、表出してこなければ、どうしようもなく、暇なのだ。

『暇ねー、なんか面白い番組はないの?』

念動力による高速チャンネル変えをしながら羽月が言うのに、

「そうですねぇ。テキトーなバラエティを見るしかないですかねー」

棗もダラケきった態度で卓袱台に突っ伏しながら言う。

そこへ優子が遠慮がちに声を掛ける。

『あの、こんなにのんびりしていて良いのでしょうか?』

「いいんじゃないかな。師匠が動くときはすべてに片が着くときだから」

お茶の準備をしていた棗は、唐突に振り向くと玄関に向かい歩いていく。

その後ろ姿は心なし嬉しそうに弾んでいる。

羽月は静かに微笑むと、念動で急須から湯呑みにお茶を注いでいく。

なぜお茶を入れているのかというと、羽月はその気になれば実体を持つことすら可能で、数分程度なら何の制約もなく肉体を構築できる。

数分あればお茶を飲むくらいはどうとでもなる。

『なっちゃんもあの人の気配を感知するのは早いわねぇ。あそこまで透明な気配、普通は近くに居ても気付かないのに』

自分で注いだお茶を美味しそうに飲みながら、羽月はやはり嬉しそうに呟いた。

事の推移に着いていけない優子が困った顔で羽月を見たとき、

「お帰りなさい、師匠」

玄関から棗の声が響いた。



已織理が帰ったのを確認し薫子はヘッドセットから、矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。

驚くべきことに地図上に御神薙の家は載っていなかったのだ。隣接するビルに向かわせた部隊員の報告でも、ビルとビルの間に建物は存在しないとのことで、ビル間の隙間は二メートルに満たないそうである。

これで上からの強襲は不可能になり、背後は別のビルに遮られて侵入することすら出来ない。ちなみに御神薙宅の裏手に建つビルから見ても、隙間は皆無である。

「ターゲットの帰宅を確認。突入時刻〇〇三五時に変更とする。隔離、隠蔽、各班は術式展開」

『ラジャ』

「続いて偵察、救護班は現状のまま待機」

『ラジャ』

「強襲部隊は私と突入する」

『ラジャ』

一拍の間を空け、

「各員、時計を合わせろ。三、二、一。現時刻をもって通信を終了する。装備のチェックを怠るな。以上だ」

全域帯で指示を出し通信を切る。

薫子はミラーシェイドの位置を直すと、黙々と装備を確認していく。

上下黒の戦闘服は首元までカバーする対刃繊維で創られ、その上から防弾ベスト、レッグアーマーを付帯する。アーマーグローブ、コンバットブーツに至っては甲冑といって差し支えなかった。

だがこれで終わりではない。

投げナイフが六〇本とテイザー付きのリストワイヤーが八式、これらに無明眷神刀・燐螢を足したのが薫子の全装備である。

防具には(けん)(れい)処理(しょり)を施し、武器は(れい)()導帯(どうたい)で表面を覆っている。

どれもがべらぼうな金を注ぎ込んだ最高ランクの霊格を持つ品ばかりだ。

嫌霊処理とは読んで字の如く、霊的な力と反発する特殊素材、霊力を分散させ散らしてしまう繊維の編み方、霊力の指向性を狂わせるコーティング等の、手間の割には効果は薄く、だからといって施工していないのとでは雲泥の差という保険的要素の高い処理をさす。

嫌霊処理が処理という言葉の割に物理的な側面が強いのに対し、霊衣導体は武器に組み込まれる電子回路のような役割を果たす。武器に対して『柔らかい鋼』という矛盾を孕んだ金属を表面に刻み付けることで、霊力を循環する回路を形成する。武器に自らの霊力を通わせて技や攻撃そのものの威力を底上げするのだ。

武器に付加した柔らかい鋼が描き出す霊力の流れが霊力を纏っているように見える様からそれは霊衣導体と呼ばれている。

そして呪具にとって終始最大の要素が霊格である。霊の格。一概に格付けというだけでもないのだが、基本的にこれが高ければ高いほど霊的に強固で強大な力を発揮する。

神の加護を得るとか神に下賜されるといった現代社会ではまず有り得ない設定を除けば、霊格の上げ方は大別して三つある。

一つは簡単。ただそこに在ればいい。

霊格とはつまるところ存在の重みだ。現世に於いてどれだけ永く存在してきたかだ。古いというのはそれだけで力になる。古きも行き過ぎれば器を変質させるほどの力を集め、付喪神や物神として個を獲得するにまで至る。刻を重ね、年を経る、たったそれだけの事が格を上げる。

もう一つは倫理に悖る外道魔道の方法論。壊せばいい、殺せばいい、死山血河を築けばいい。死と破壊、恐怖と怨念、骨肉血臓に塗れて得る呪われた邪法に他ならない。残念な事にこの方法は海外の扮装地帯では未だ平然と行われている。

だがそれを待ってはいられないし、古物を核に据えることも難しい昨今、人は別の方法で霊格を上げる手段を模索した。

試行錯誤と研鑽研磨の末に確立した方法がもう一つ。

それは手間を掛けること。ただそこに在ればいい。

霊格とはつまるところ存在の重みだ。現世に於いてどれだけ永く存在してきたかだ。古いというのはそれだけで力になる。古きも行き過ぎれば器を変質させるほどの力を集め、付喪神や物神として個を獲得するにまで至る。

刻を重ね、年を経る、たったそれだけの事が格を上げる。

もう一つは倫理に悖る外道魔道の方法論。壊せばいい、殺せばいい、死山血河を築けばいい。他の存在を喰らって自らの格を引き上げるのだ。

死と破壊、恐怖と怨念、骨肉血臓に塗れて得る呪われた邪法に他ならない。

残念な事にこの方法は扮装地帯などの人の死が日常的に訪れるような場所では常道的に行われるポピュラーな方法だった。

だがそれを日本でやるわけにはいかないし、妖威霊威に効果を示すために何十年も待ってもいられない。古物を核に据えることも難しい昨今、人は別の方法で霊格を上げる手段を模索した。試行錯誤と研鑽研磨の末に確立した方法が最後の一つ。

それは手間を掛けること。それも尋常ではない程の手間を、だ。素材の一つ一つを等級分けし、その等級に応じてプロの鍛冶師が一工程、一作業、一動作に至るまで全身全霊を以って鍛え抜き霊力を指に、道具に、引いては己の作品に乗せていく。

一つの呪具が完成するのに数カ月ないし数年掛かる場合すらある。一般的な武器でも約半年ほど掛かるのが通例だ。

そうして出来た最高位の呪具でさえ、上の下位の霊威に対応するのがやっとである。

これらの技術を複合的に使用して、夜塚は成功を収めてきたのだ。

燐螢を除いた装備一式で億の金が消える。薫子が用意した人員の内、強襲、偵察部隊には基本装備として薫子と同一の物が支給されている。個人装備の差異を加味せずとも二〇億は軽く上回る。ちなみに燐螢はそれ単体で、数十億の金が飛ぶ。

これだけでも夜塚という力の一端が垣間見えるだろう。

薫子は最後に燐螢を腰に括り準備を終える。

突入までの残り時間は五分を切っていた。



万事屋の前には薫子率いる強襲部隊が集い門に貼られた貼り紙に青筋を浮かべていた。

突入に際し扉を破壊しようとした途端、扉から浮き上がる様に、

『壊さないでね? 開いているからご自由にどーぞ』

というふざけた内容の紙が現われたのだ。

書かれている通り門は開く。

「完璧に読まれているか。ならばその罠、乗ってやる」

 そうは言ったが薫子達は張り紙にそのまま従う気にはなれず、けっこうな悪足掻きをしていた。というか、燐螢以外のあらゆる呪具を使用して壁、門、その上に至るまで攻撃したのだ。

のだが、それは悉く失敗した。

 ハンドガンからバズーカまで撃った。ダイナマイトどころかプラスチック爆弾も使った。呪具による火炎、水流、氷弾、雷撃、岩石、突風、樹槍、振動等々、四大属性を網羅しつつバリエーションに富んだ具現魔術も行使した。

 壁の上に登って中に入ろうとすれば透明な壁に遮られ、結界透過、結界破壊、結界偽装、思いつく限りの結界破りを試した結果これも失敗。

 それほどに御神薙宅に張り巡らされた術式は鉄壁かつ、強固だった。周辺一キロ圏内を完全に押さえた薫子達に手段を選び、手心を加える必要などない。

 銃声が響こうが、爆発が起ころうが、近隣住民が気付くこともなければ警察が駆け付けて来ることもない。夜塚の隔離隠蔽は人の出入りをほぼ完璧にコントロールしていた。

 だから、遠慮などしなかった。それはもう盛大に、夏の花火に負けないほどの爆音を轟かせた。

 結果。無傷。傷の一つ。焦げ目はおろか汚れ一つ付かなかった。付けられなかった。

 その結果を踏まえた上で、先の言葉は吐かれたのだ。

 一言でいえば、負け惜しみ、だ。

 色々やってみたけれどダメでした。などと口が裂けても、絶対に言いたくないし認めたくもない。薫子達はその体裁とモチベーションを保つためにも、無理にでも強がっていなければいけなかった。

 薫子は両手に投げナイフを手挟み、

「各員、武器を取れ。屋内に居る者は全て化け物だ。殺す気で掛かれ!」

命令と共に已織理邸へと突入していく。

もちろん、玄関も開いていた。



屋内に薫子達が侵入したのを確認し、棗と羽月は二手にというか上下に別れて、お出迎えを開始した。

今の已織理では薫子以外の人間を殺しかねないので、丁重に待機してもらっている。

お出迎えチームの仕事は簡単で、薫子以外を殺さずに戦闘不能にすること、である。

棗は大きめの布、いわゆる霊布を一枚何気なく持ちながら廊下を堂々と歩いていき、羽月が気配を消したまま床下を移動する。

「夜塚の実働部隊です。その辺の雑魚とは違いますよ」

『分かってるわよー。これでも生前は強かったのよ?』

(今でも掛け値なしに強いですよ、貴女は)

『あっ、来たわよ。五人だから三人は任せちゃていい?』

羽月は言いつつ前進しているのか、念が遠ざかっていく。

「分かりましたけど、待って下さいよぉ」

霊布に霊力を透し、足音を殺――パタパタパタパタ――普通にスリッパで走る。

なんというか緊張感なさ過ぎだが、動き自体は物凄く機敏だ。

棗は一気に廊下を駆け抜けると、敵に肉薄し霊布を一閃する。

ドゴン、という激しい衝突音を伴い男が壁まで吹き飛ぶ。

「ん? やっぱ硬いなぁ。良い装備使ってるわ、さすが夜塚」

壁に寄り掛かる戦闘員は装備に一切の損傷がなく、単純に衝撃だけで気絶したらしいことを確認し、棗は獰猛な目でノルマ二人を睨み付ける。

過酷な訓練、実戦を重ねてきた戦闘員がその瞳に僅かの間硬直する。

「ごめんね。あたしの得物ってほんとは太刀なんだ。だから、怪我させちゃっても恨まないでよ?」

走り出すと同時に左右二方向から投げナイフが飛来する。

狙いを絞らず相手に手傷を負わせるために分散投擲したのだろう。その狙いの甘さが回避を困難にし、次動作を遅らせる。

それでも、棗は余裕を持って霊布を使い、打ち払い、落とし、撥ね上げナイフの悉くを捌き切る。

霊布は注ぎ込んだ霊力量に応じて硬度、強度を自在に変え、その威力をも変える。

しかし、霊布はしょせん加工前のただの布。ナイフ等の刃物に対して非常に弱いはずなのだ。ましてや人一人を殴打出来る強度なんぞ得られないのが普通で、棗の威力こそ異常なのである。

が、そんなもろもろを霊力で圧倒し、棗は細く丸めて棍のようにした霊布を一振りする。

『まぁ、頑張んなさい』

そんな棗をにこやかな笑顔で見つめ、羽月は掴んだ二人の男を壁に優しく預ける。

羽月は早々に奇襲をかまし、戦闘員を気絶させていた。戦闘員は驚いたか、それとも何が起きたかも解らなかったかのどちらかだろう。

なにせ突然床下から現われた腕に足首を掴まれ、瞬時に気絶させられたのだから。羽月の周囲でビチッ! パチッ! と静電気に近い放電が起こっていることを考えると、霊気を雷気にでも変換し、己をスタンガンとしたのだろう。

それを見た棗のギアが跳ね上がる。大幅なタイムロスは、円満な家庭環境の妨げになるかもしれない。已織理大好きな棗が、羽月と良好な関係を築けるかが新婚ライフを左右しかねない。

もちろん、まったくの杞憂だが、俄然やる気になった棗は、棍でナイフを迎撃しつつ左足を軸に後ろ回し蹴りを放ち、牽制と同時に履いていたスリッパを相手の顔面に向けて飛ばす。半円を描いた右足が地面に着くと蹴りの回転力を保ったまま即座に左足を振り上げ、後方に迫るもう一人にもスリッパを蹴り飛ばす。

スリッパは左右とも綺麗に両断されるが相手の視界を遮る事には成功する。

その幾許かの間隙に棗は振り上げた足を床に叩き付け、相手の喉元に霊布の棍を押しつけると震脚と共に押し込んだ。

直後、棍自体は微動もせずに、棗の姿だけがブレる。二重にも三重にも見えた棗の姿が元に戻ったとき、顔の至る所から血以外のあらゆる体液を撒き散らして戦闘員は倒れる。

そこへ後からもう一人がナイフによる突きを放つ。

が、棗の反応と技はそのさらに上をいった。

背中を向けた体勢で棍を突っ返棒のように相手に触れ合わせる。今度は棗ではなく戦闘員がブレ、前者と同じように色々と垂らしながら倒れ臥す。

視線でそれを眺めやり、棗は廊下の隅に見るも無惨に切り裂かれたスリッパを発見し、

「あぁ~、あたしのスリッパー! お気に入りだったのにー」

戦闘中であることも忘れ、絶叫した。



先に送り込んだ五人の気配が瞬く間に消え、薫子は正面からの突破を即座に断念する。

スリッパ云々という元気な叫びからも先行させた五人が棗達に手傷を負わせられなかったのは明白だった。

薫子は已織理の術で厳重に封印された窓を燐螢で切り取り、

「進路を変更する。我々はここより屋根伝いに御神薙已織理の元へ向かう」

窓枠に手を掛け素早い動きで潜っていく。

中庭に出て直ぐに薫子は庭の中央に佇む已織理を発見する。

「よう。何しに来たんだ?」

(くっ!? こいつ本当に人間か?)

驚愕し、息を呑み、

「散開、取り囲め」

渇いた咽喉でなんとか指示を出す。

黒色の着物に身を包んだ已織理が纏う雰囲気の違いに戦慄する。

昼間のこの男はこんなにも殺伐とした雰囲気ではなかった。

捉え所のない気配は変わらないのだが、その質が違う。違い過ぎる。

例えて言うなら微風と吹雪、どちらも無形の事象なれど、それらから受けるイメージは掛け離れている。

今のこの男からは死のイメージしか想起できない。

薫子達が目の前に居ることが本当に理解出来ないのか、

「本気で何しに来たんだ?」

已織理は冷淡に声を掛ける。

その声に、殺気にすら至らないその気配に、已織理を取り囲む屈強な男達が悲鳴を上げ、指示すら待たずに各々の武器を手に攻撃を仕掛ける。

「やめろっ!! 殺されるぞ」

薫子の制止の声も届かず、無数のナイフが乱れ飛ぶ。

已織理を取り囲む十一人中十人が半狂乱の体で敵に攻撃を行ったわけだ。

これまでも自分達より強い敵と何度も戦ってきた生え抜きの猛者共が只の一人に我を無くし襲い掛かるなどあってはならないことだった。

それでも訓練を積んだ部下達は的確な狙いで已織理に投げナイフを放つことには成功した。

投げナイフはタイミングを合わせた符術の火炎と共に已織理に向かって殺到する。

「殺った」

歓声を上げる男達の喜びを、

「無理だな」

両手に手挟んだナイフを扇状に広げた已織理が一蹴する。

灼熱の業火に炙られながら、その着衣は煤けてもいない。

「何がしてぇのか知らねぇが、お前等もう寝とけ」

そう呟くと已織理が、十人に分かれた。

どうやっているのかもまったく解らないが、已織理は実体を持って十人に分裂したのだ。

十人の已織理はそれぞれ違う動作で戦闘員の前に立ち、握った扇子を打ち、突き、払い、一撃の下に気絶させる。

「なあ、お前んとこのジジイから電話とかなかったか?」

仲間達を倒した男は薫子にそんなことを訊ねる。

「なんの事だか知らないが、仲間の仇は討たせてもらう」

「いや、殺してねぇよ?」

薫子は燐螢を抜き放ち、ミラーシェイドを胸ポケットにしまう。

睨み付ける薫子の瞳は緑に輝いていた。



夜塚の追撃がないことを不審に思った棗達が中庭に到着したとき、庭にはピクリとも動かない男達と一方的に已織理を睨み付ける薫子、というある意味最悪の光景が広がっていた。

「まさか死んでませんよね?」

『なんとも言えないわね。確認してくるから、ちょっと様子見ときなさい』

なかばおろおろ半泣きの棗に、眉一つ動かさない冷静な羽月が言い聞かせ、ふよふよと一番近い男の方へ飛んでいく。

『誰も死んでないわ。死ぬ危険もないわね。キレイに気絶してるだけよ』

軽い診察(観察)を終えた羽月は直ぐに棗の隣に戻ってくると、

『で、あの子は何? 刀も瞳も特別製ね。バカみたいな力が溢れだしてる』

率直に問う。

「夜塚攻式宝具、無明眷神刀・燐螢と浄眼の亜種で夜塚の紫瞳(しどう)です」

『あれでも浄眼なの?』

「もとは同じモノですから、どれか一つが浄眼にカテゴライズされた場合ほかの瞳も浄眼認定されるんですよ」

『なるほど、じゃあ彼女の能力っていったい?』

「紫瞳は幾何学的魔法陣の構築とその使用様式の無効化。燐螢は高速移動補助、及び隠蔽を主とした各種暗殺技能強化」

『ん~、微妙』

「見れば解りますよ。薫子ちゃんと燐螢の組み合わせがどれだけ厄介なのか」

棗の言葉が終わるか終わらないかのところで薫子が已織理を中心に円を描くように走りだす。

薫子は何度かの跳躍と投げナイフでの攻撃の後、

「繋がった! 出でよ炎獄の使者。其は輝けし迅雷の射手。……招来。炎獄の弓者」

弓を番えた炎の化身を召喚する。

『アレ、どうやって出したの?』

引き絞った弓から無数の火球を放ち、―弓の形意味ないんじゃないだろうか?―炎の化身が已織理の周囲を爆炎に染め上げる。

「あれが紫瞳と燐螢の同時発動の結果ですよ」

言う間に薫子の振るう燐螢が光を放ち、

「揃った! 出でよ轟雷の王。其は鳴り響く紫電の繰り手。……開門。紫電の王」

雷光を纏う紫電の化身が顕現する。

炎と雷の化身、そして薫子が息吐く暇もない攻撃を已織理に加えていく。

已織理はその攻撃を躱し続けているが、秒間一〇〇にも上ろうかという手数の多さに最初ほどの余裕はない。

『もう滅茶苦茶ね。同一魔法陣の上書きで別属性、上位ランクの化身召喚。確かに厄介だわ』

「紫瞳が形創る魔法陣を燐螢が隠蔽するんですよね。さらに高速移動や攻撃の軌跡にパスを通して陣構築に利用しているんで手が着けられませんよ」

棗は戦闘を見詰めながら呆れたように言う。

『それが本当ならとんでもない空間把握能力ね』

「そうですね。それでも師匠は無傷なんですけどね」

『そーね』

已織理を見た二人は揃って乾いた笑みを浮かべた。



薫子は攻撃する已織理への手応えのなさに辟易していた。

まるで雲か霧にでも攻撃しているような気がしてくる。

已織理は最初こそ驚いた表情を浮かべていたし、回避動作も大きかった。

だがこちらの手数が上がれば上がる程、速くなればなる程、その回避動作は小さくなっていくのだ。

それは無駄が抜け落ちていくように洗練されていった。

「くっ! 出でよ颶風(ぐふう)の皇。其は吹き荒ぶ蒼空の紡ぎ手。……解放。蒼空の皇」

苦し紛れに完成させた陣から風の化身を呼ぶ。

「……それ以上は止めとけよ? キャパを超えた召喚は精神を壊すぞ」

三体の化身が真空の刄を、火球を、雷撃を放ち、しかしその全てを避けられる。躱しながらこちらの心配まで已織理はしてくるのだから、実力の差は歴然としていた。

それでも限界以上の速度で薫子は攻撃を続ける。

攻撃を捌いていた已織理は唐突に、

「燐螢は儀式刀なんだな。周囲から霊力を供給し術者に円滑な儀式を行わせるための――高速移動、隠蔽どれもそのための不随効果に過ぎない」

薫子に聴かせるというよりは自身の考えを確認するように呟く。

「そうだ。燐螢は暗殺用の小太刀ではない。単純に機能が暗殺に向いているだけの儀式刀だ」

薫子は一瞬で已織理の背後に回り、斬り掛かる。

已織理は斬撃を難なく扇子で受け止めると、

「時間もおしてることだし、少し待て」

器用に片手で携帯を取り出し何処かへリダイヤルする。

「バカにしているのか!」

そんな態度に苛立ち、苛烈な攻撃を加えるもその悉くを防がれる。

携帯が繋がったらしい已織理は、

「クソじじい。てめぇどういう積もりだ? 伝言じゃなく直接乗り込んだ方がよかったか! あ?」

ガラ悪く怒鳴る。

そして薫子に携帯を差し出し、「変われってよ」と不機嫌そうに言う。

ちなみにこの間も攻撃の手は緩めていないのだが……

怪訝に思いながらも携帯を耳に当て、驚愕する。

「お爺さま!?」

電話の相手は夜塚現当主、夜塚正厳その人だったからだ。

『あ~、薫子や。今回の依頼は中止じゃ。いくら調べても依頼人の素性が分からんでな。さすがにそんな依頼は受けられん。でわな』

それだけを言うと正厳は少し慌てて電話を切った。

「っ、あのじじい逃げやがったな」

已織理は怒りに任せて三体の化身に一枚ずつ呪符を放ち、「送」の言霊で送還してしまう。

「んなっ!?」

三体の化身はそれなりに高位に位置する神に近しい存在だった。それを一挙動ですべて送還するにはどれ程の霊力が必要になるのか想像も出来ない。

已織理は目を細めると、

「五望、逆五望、二重円に正方形、ね。よくこれだけの簡易魔法陣であんなもんが応えたな。信じらんねぇ」

薫子の術式を解析していく。

「目を凝らさなきゃ陣も見えんし、よく出来たもんだ。すげぇな」

あの電話のせいで疲れた薫子は、已織理の称賛など気にするでもなく踵を返す。

各班に連絡を取り、作戦の中止と撤収を指示し、医療班には屋敷中の一五人の搬送を命じる。

「それでは引き上げさせて頂きます」

そう言って帰ろうとするのだが、

「結末を見せてやる。ちょっとだけ付き合えよ」

にやりと笑った已織理に止められる。

「なんの、です?」

「復讐」

口の端を吊り上げた已織理に薫子は心の底から恐怖した。

その申し出を拒否することなど、薫子には出来なかった。



薫子の運転する高級セダンに乗ること数十分。

已織理達は綿貫邸に到着していた。

棗、薫子、羽月、優子が地面から敷地をカバーするように立ち上る光の壁を見上げ、顔を引き攣らせる。

「なんだか物凄い結界が張ってありますけど、あれは……」

「ああ、俺が張った」

棗の疑問に已織理は平然と答えるが……

綿貫邸に張られた結界はとんでもない代物だった。シェルターでいえば核、発電所でいえばやっぱり核、霊的、物理的な強度とパワーを考えてもそれは破格の結界だろう。

「ずいぶん力を注いだんですね師匠」

棗が見た限りだが、たぶん巡航ミサイルも防げるんじゃあなかろうかという、そんなレベルだ。

「いや、ちょっと気になることがあってな……」

已織理は無造作に門を開け、綿貫邸に入っていく。

「あっ! 待って下さいよぅ」

それに続いて邸内に入った女性陣が見たのは崩壊した邸宅だった。

基がどれだけ凄かったか覚えてもいないが、まあ僅かばかり残った外壁と大量の瓦礫の山から昔を思い出すのは無意味というものだろう。

数時間前を昔と言うかは疑問だが、掘り返されて穴ぼこだらけになった庭と瓦礫の山の丁度真下ぐらいに転がっていたはずの人間の事が少しだけ気になる。

「……おかしいな? 紆余曲折あって二〇人ばかり転がしといたんだが」

『そーなの?』

「ああ、その内の二〇人は死に掛かってたが、死んだか?」

「それは全滅というのでは」

薫子の冷静なツッコミにも、

「本命は壊しただけで置いてきたからな。なんもなきゃ生きてんだろ」

どう見ても何もない訳ないのだが、無慈悲な言葉が返るだけだ。

そうこうするうち已織理は面白いものでも見つけたのか、瓦礫の山へと歩み寄ると、

「なんだ、人間辞めたのかよ。ゲストも連れてきてやったんだ。出て来い」

瓦礫に扇子を打ち込んだ。

「えっと、師匠なにを……」

「直ぐに分かる」

已織理の言葉通り結果は直ぐに出た。

いや、出て来たと言った方が良いか、瓦礫が爆発するように弾け飛び、身体中を糸と呪符で被った茶褐色のミイラ擬きが立ち上がったのだ。

身の丈なんと七メートル、もちろん人ではありえない大きさだ。

「あん? なんか混ざってんのか?」

「ああぁぁぁ、おおぉぉぉままぁぁえぇぇはははぁぁああ」

調子の狂った高音と低音を同時に発し、たぶん悦っぽいモノは已織理に襲い掛かる。

肥大した身体と関節のない四肢、そして冗談のように浮き出た三つの顔。

その三つの顔を見た優子の表情が激的に変化する。

已織理の術を以てしても、優子に、その魂までに刻み込まれた憎悪を消せはしない。騙せもしない。

三つの顔は優子を殺した者共、悦と綿貫親子の醜悪に歪んだ顔なのだから……

優子はそれでも動かない。凍える程の無表情でその瞬間を待ち侘びる。

已織理はそんな優子を見ると、腕を振り翳す悦に鋭い視線を投げ掛ける。

二十数人を糸針で縫い留め、繋ぎ合わせて強制的に動かしているのだろうが、地面との接触面や屈曲に使われる関節部からは、骨が砕け磨り潰される鈍い音が響いてくる。

「チッ、えげつねぇことしやがって」

已織理は呟くと、跳び退いて悦との距離を取る。

「お前の相手は俺じゃあねぇ。言ったはずだぜ」

そのまま直立した已織理は、

「契約の下、焔は燃える。相原優子、汝の枷は我が掌中。解き放て、全ての責は我が負う」

扇子を悦に突き付け、呪を括る。

『ああぁぁははははははあああぁぁ』

已織理の霊力を存分に受けた優子が哄笑を、狂笑を上げて悦の前に躍り出る。

狂った戦いが始まった。



響いて来るのは笑声に彩られた凄惨な戦いの音。

その声と様相は、見る者の胸に濁った澱みだけを増大させていく。

「何故だ! 貴様の力ならあの程度の化け物、潰せるはずだ。なぜ彼女にやらせる」

その澱みに耐えきれなくなった薫子が憤怒の表情で已織理の胸ぐらを掴み、壁に叩き付ける。

「……俺がやることじゃねぇからさ。棗っ!」

「はい」

棗の目が淡い青の輝きに彩られ、優子に実体が備わっていく。

悦と優子の戦いに血と苦痛が混ざり合う。

「棗まで何をやっているんだ。苦しみ抜いて死んだ人間を何故死して尚苦しめる?」

『必要なことだからよ』

壁に押し付けられた已織理ではなく羽月が答える。

肉打ち、骨砕ける音に鮮血の散る湿った音が重なる。

『があああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

「ごおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

獣同士の戦いは技や術を持たない殴り合い。剥き出しの殺意が、肥大した憎しみが、力任せの暴力として振るわれる。

優子は血塗れの体で獰猛に唸りながら悦に飛び掛かり、悦は内側から染み出した血に赤く色付いた腕を振り回す。その人間四人分位の右腕を優子は細腕で受け止めると、それを握り潰す。

信じられない膂力を発揮し優子は直ぐ様、悦の左膝に拳を入れてこれも破壊する。

薫子は顔を背け、耳を塞いで頭を振る。

「もう止めてくれ。こんな意味のない事は……。狂っていると分からないのか!」

「そうだな。俺達には何の意味もないし、価値すらもない。だがな、薫子。狂ってようが間違ってようが、俺達にそれをどうこう言う権利はねぇんだよ」

 たとえこの場に居ようが、已織理達は部外者なのだ。物事の決着の着け方など人それぞれに違うように、優子が望む終焉は優子だけの権利であり選択だ。

 それに口出しすることは、誰にも出来はしない。

「そうかもしれない。だがだからといって復讐を焚き付けて良い訳がない」

二肢を失いバランスの崩れた悦を優子が渾身の力で殴り飛ばす。

薫子達の足下まで滑った悦は苦しげに呻きを上げながらも起き上がる。

さらなる一撃を見舞おうと近付く優子に、

「満足したか?」

已織理は一言で訊ねる。

それに優子は首を横に振る。

「ならもうこんな事はやめろ。お前がこれ以上傷付く必要はない」

薫子の願いにも優子は首を横に振る。

已織理は優子の正面に立つと、

「諦めは、着いたのか?」

最後通告でもするように呟く。

「――はい」

優子はしっかりと頷き、拳を固める。

「なら、決めてこい。契約の下、焔は消える。汝の力は我が力。瞬く最後の激しさなれど、開け火の華」

優子の胸元に刻まれたファイアパターンが一際強い輝きを放ち、消える。胸元から発生した真っ赤な炎は優子の全身に広がり燃え盛る。

優子は炎の衣に身を包み、悦の顔面に全力の拳を叩き込んだ。

炎は悦の糸針に燃え移り、巨体を燃やし、優子までを燃やしていく。

炎の中で優子は淡く笑うと、

『娘を、悠を、お願いします』

そう言って深々と一礼したまま、燃え尽きていった。薫子は優子が消滅した瞬間、已織理に掴み掛かると思い切り殴り付けた。

已織理はそれを甘んじて受ける。

薫子は涙を流しながら、已織理を殴り続けた。

先程の喧騒が嘘のように静まり返った庭に薫子の啜り泣く声だけが響き渡った。



薫子たち女性陣を帰し、瓦礫の庭に立った已織理は、何とも言えない微妙な表情で天を仰ぐ。

「別に、苦しませたかった訳じゃあなかったんだが、すまんね」

それが優子へか、それとも薫子へなのかは分からない。もしかすると両者への台詞なのかもしれない。

「後始末はしてやるよ」

袖口から有りったけの符をばら撒き、

「接、獄、王、話、幽、実、交、同」

普段より長めの言霊で術を起動する。

符は朱の□を形作り、已織理の前に簡易スクリーンを形成しノイズ混じりの映像を映し出した。



已織理が立つ庭を囲う外壁の上には、何故か帰ったはずの薫子、棗、羽月の三人が座っていた。

「なんでこんなとこにいるんだ、あたしは」

薫子は声に出してジト目で棗を睨む。

「いやー、だって師匠の格好良いとこ見たいじゃない」

この三人が此処に居るのは棗が、最後まで見届けたいとごり押ししたからに他ならない。

「あんなののどこが良いんだ」

『ん~、仮にも元旦那を目の前でコキ下ろされるのって微妙ねぇ』

などと言いつつ已織理の動向から目は離さない。

スクリーンが何処かに繋がったらしく、

「元気そうだな? 仕事は順調かよ」

けっこう偉そうに語り掛ける。

『儂にそんな口を利く奴はお前以外にはおらんぞ、已織理』

その声を聴いた途端、羽月がビクリと身体を震わせ、

『……閻魔、だわ』

と、ぼそりと呟く。

「「は?」」

何かの聴き間違いであって欲しかったのだが、羽月の態度を見る限り声の主は閻魔大王に相違ないらしい。

「単刀直入で悪いが、そっちに相原優子って魂が入ったはずだ」

『ちょっと待て』

一秒と間を空けず、

『あぁ、来てるな』

と答えが返る。

「いやに早ぇな」

『二二人分の魂を引き摺って来たんだ。名前の照会だけで済む』

「ふん、そういえばそうか。なら、取り引きだ」

にやりと笑う已織理は悪徳高利貸しそのままの口調で、

「俺の呪が縛ってるその二二人分の魂をくれてやる。代わりに優子の魂を獄界から外せ」

閻魔に対し取り引きを持ち掛ける。

「棗、あんたの師匠が閻魔様にタメ口利いてるわよ」

「羽月さん?」

『非常識だとは思ってたけど、閻魔を脅迫する程とは思ってなかったわよ』

薫子の目の前で不遜の極みである取り引きは続く。

「悪い条件じゃあないだろう?」

『……いいだろう。どいつもこいつも二桁は殺してる極悪人だ。その条件を呑もう』

頷き合った已織理と閻魔は、

「断、これで呪は切った。その魂はあんたらのもんだ」

『まったくお主ら夫婦は愉しませてくれる。この儂に対してその態度、その言葉、不遜の極みよ』

豪快に笑い合う。

「不遜とか言われてますが」

薫子のつっこみに、

「夫婦って括りになってますけど、何したんです?」

棗の疑問に、

『生身で地獄に乗り込んだり、幽獄の門とかいうのを半壊させたり……etc』

羽月は指折り数えて考えだす。

薫子達は羽月の上げ連ねる事例に顔を青くして已織理の方へ向き直る。

確か幽獄の門とは這い出ようとする亡者を抑えるための物だったはずである。

そんな門を半壊させたらどうなるかなど考えたくもない。

薫子が見たのは術を解除し、朱の紙吹雪の中に立つ已織理だった。

不思議と已織理に対する嫌悪感は、薄れていた。


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