【7】
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あんなに通っていたのに、あの日から足が遠ざかってしまっていた。そして今日は、何日かぶりにカフェにやってきていた。
「いらっしゃいませ」
扉を開けるとまず目に飛び込んできたのは、ふわふわと揺れる蜂蜜色。そしてその下から現れる、透き通った濃い青の双眸。
「久しぶりじゃん、雪華!」
「あはは、そうだね。ウィルは相変わらず元気そうで」
この店の中で最年少のウィル。初めて会った時は、まるで太陽の子犬だと思った。きらきら輝く蜂蜜色の髪と、明るく子犬を思わせる愛らしい雰囲気がとても綺麗で可愛かった。
「オレはいつだって元気だよ! 元気だけが取り柄っていつも言われるぐらいだし」
「だね」
「そこは否定してもいいのに……」
しょぼん、と頭に垂れた犬耳が見えそうになるほど項垂れる姿も愛らしく。思わず抱きしめて頭を撫でまわしたくなってしまう。
「ごめん、ごめん」
到底自分より年上には見えない。彼が敬語も使わなくていい、普段友達に接しているように接してくれればいいと。気さくに年上ぶらないというところも理由の一つだろうが。気分は落ち込んでいても、癒されるものを目にすると目の前にあるものが最優先事項となってしまう。表情には一切そんな思いなど出さず、冷静にいつも通り注文する。
「いつも通りオススメティーセットで、今日は紅茶をオリジナルブレンドティーに変更でお願い」
「かしこまりました」
一礼して去って行くウィルの姿をしばし目で追った後、中庭をみる。今日は珍しく照明が少し強めにされており、店内は明るい。照明が強いのは、今日は外が曇天で雨が降っているせいで陽射しが店内に射しこまないからだろう。まるで私の憂う心を映したかのように空は厚い雲に覆われ、美しい命の源の雫を地上に降り注いでいた。
「……泣けない私の代わりに泣いてくれているの?」
まだ「十一日」と聞くと、体が心の怯えに反応して震えてしまう。
「――あの時に、帰れたらなぁ」
刹那に願う、過ぎ去りし時に未だ置いて来たままの心を取り戻したい、と……。
注文した特製のオリジナルブレンドの紅茶が運ばれてきた。しかし持ってきたのは注文を受けたウィルではなく、初めて接客してもらうフォードだった。
「……」
「……」
ネイナスは無口で感情をあまり表には出さないが、それでもちょっとした変化はみられるし。纏っている空気が優しくて、言葉はなくても一緒にいて息苦しくなることもなく安心できる。だがフォードはネイナスと無口なのは一緒だが、明らかに私に接するときは空気が刺刺しい。ピリピリと「寄って来るな」「話しかけるな」。そんな言葉が直接言葉にしなくても伝わってくる。
(――仮にも接客業なのに、これでいいのだろうか)
はっきり言って、フォード以外の三人は雰囲気も柔らかいし。どことなく馴染みやすい空気を持っていて、このお店のスタッフとして見劣りしない。が、このフォードだけは違和感を感じて仕方がない。顔立ちはいい、紅茶色の髪もはっきり言えば好きな色だ。でも、この態度はどうだ?
「……ありがと」
と思考を巡らせている間にも、フォードは黙々とテーブルにセットを置いて行く。とりあえず小さい頃からので、お礼は言うがそれに対しても何かの変化がみられるわけでもなく。さっさと足早に去って行く。
「何か、王子様の中に一匹狼が紛れ込んでいる感じがするんだよね」
もう店の奥に入って見えなくなったフォードの影をみながら、心の内を言葉に出して呟いていた。
「……美味しい」
紅茶を一口、ケーキを一口。変わらず美味しいその味に癒されていた。オリジナルティーは、何種類の茶葉を合わせたこうなるのだろう、と思ってしまうほど深い味わいなのに甘く後味はさっぱりしている。そして今日は珍しく二種類のケーキがお皿に乗っていた。一つはサツマイモと林檎のパウンドケーキ。もう一つはカボチャのスコーン。パウンドケーキにはごろごろと黄金色のサツマイモと林檎の実が入っていて、二つの自然な甘みが美味しい。もう一口。今度はスコーンを食べてみると、カボチャの甘さがぎゅっと詰まっていて、もう一口。と、ついつい手が伸びてしまう。
「――!!」
今まで食べて来たケーキも美味しかったが、これはトップ三に入るほど美味しい。フォードやその他諸々の嫌なことを忘れてしまうほど、美味しかった。
「お久しぶりです、雪華さん」
「あ、イサナさん。お久しぶりです」
心の底からケーキに舌鼓みしていると、イサナさんがやってきた。
「フォードのことなんですけど、彼にも悪意があるけじゃなくて。どうも根本的なところから、こうなんて言うんですか……そう! 今どきの言葉でツンデレ? っていうんですかね? 貴女のことを嫌っているわけではないので、どうか許してやって下さいませんか?」
「い、いえ。気にしてませんから……」
まさか、イサナさんの口から「ツンデレ」などという俗世の言葉を聞けるとは思ってもみなかった。外見は完全な王子様なため、あまりそういったこととは縁がない気がしたのだが……。やはり王子様などいないのだと、実感した。
「いやぁ、あれもあれで中々可愛いところがありましてね。確か三年ほど前、フォードが散歩と称してサボリに外へ出るのはいつものことなんですけれど……」
「おい、イサナ。何を勝手にベラベラと喋ってんだ」
まるで父親が我が子のことを語るかのように、いつもよりも笑みを深くしながらイサナさんがまさに話はこれから、というところでフォードの声が入り込んできた。しかし、イサナさんは動揺することなく、いつも通りの完璧な笑顔で返答した。
「何も」
「――ふぅ」
これ以上何を言っても無駄だと知っているのだろう、フォードは一つため息をついた後、無言で背を二人に向けた。
「そうそう。一つ、教えておきますと。貴方が今までに食べたケーキは、実は全てフォードの作ったものなんですよ」
「えっ!?」
思わず去ろうと背を向けたフォードを凝視してしまった。フォード自身の背中からは、明らかに怒りが感じられる。一匹狼なだけに、きっと遊ばれるのも恥ずかしいし相当嫌なのだろう。
「――」
「!!」
視線を感じたのか振り返り、般若の様な形相と一人ぐらい射殺しそうな視線を向けられた。まさに蛇に睨まれた蛙の様に、微動だにできずにいるとイサナさんが苦笑しながら間に入ってくれた。
「ほらフォード。君が行かないと、誰が行くんだい?」
いつもと変わらない笑顔で、しかし有無を言わせない圧倒的なオーラで、フォードの反論を口にする前にイサナさんに封じられる。見込みのない戦いに、狼は挑まないものだ。誰だって命は惜しいはずだから。
「――っち」
不本意極まりないと、その舌打ちだけでも十二分に伝わって来る。そして店の奥へと消えて行ったフォード。一連の出来事に、心の中でイサナさんへ感嘆の拍手を送っていた。
「すみません、本当に不器用で」
「いいえ。私も失礼なこと、してしまいましたし」
「本当は誰よりも優しいんですけどね。態度があれな分、誤解もされやすくて」
「大丈夫ですよ! だってフォードにはイサナさんたちがいるじゃないですか。きっとここにいるのだって、この場所が心地いいからですよ」
談笑していると十分もしないうちにフォードが帰って来たと思ったら、何故かいつもの制服から煌安時代ごろに栄えていた、権力を持つ貴族たちが召していたような服を着ていた。表は深紫の生地に支子色の線が縁を彩り、黄櫨染色の布が袖や襟もとから見えている。そしてフォードの紅い髪がそこに更に美しさと気品、オーラからは威厳も感じられ。そんなフォードを前にして、ただ呆然と彼を見つめるだけしかできなかった。思わず見惚れてしまった、と言ってもいいかもしれない。
「おい。お前の失くしたを見つけに行くぞ」
「え!?」
そう突然フォードは言うなり手を握り、引っ張って椅子から立たせどこかへ向かう。
「ちょ、フォード!?」
左手首をつかむ力が強くて振りほどくことができず、引きずられるように連れてこられた場所は中庭だった。他のスタッフたちと違って、今まで一度だって話したこともないフォード。一方的に私が見てしまったことはあるけれど……。それだって気がつかれていないはずだ。少なくとも気は動転していたが、あの場所から去るときは細心の注意をして出て行ったのだから。物音だってしなかった……筈だ。
こんなことをされる理由がわからず、机の上に置き去りにせざるをえなかった紅茶とケーキへの未練。そして扱いが少々雑なこともあり、イラッときていた。そのせいで言葉には棘がある。
「中庭に連れてきて、いったいなにするつも……」
「思い出せ。お前が、アイツと初めて出会った時のことを」
フォードは掴んでいた手を放し、今度は両手を私の両肩にそれぞれ置き、痛いほどの力をこめて肩を掴んでくる。目は真っ直ぐと私の視線を捕らえて離さない。
「なに、を……」
私は困惑とは反対に、何故かフォードに見つめられ続けるうちに勝手に脳裏ではあの日のことが鮮やかに甦り、駆け抜ける。




