【5】
カランカラン……と、今日は涼やかなベルの音がやけに空しく切なく響いた。お店にやってきたはいいが、今日はどうしても楽しい気持ちになれずいつもの席に座ってただぼーっとしていた。メニューを開いてみても全く頭に入ってこなくて、気がついたらいつも通りのオススメティーセットが目の前のテーブルに置かれていた。のろのろと手を伸ばし、カップを手に取る。カップに口をつけるとふわっと爽やかな香りが鼻腔をつき、一口含むとジャスミンティーの味が口いっぱいに広がった。そしてケーキを一口もそもそと頬ばる。
――甘い……。
こんな時でもケーキの美味しさはわかって、私を癒してくれる。
「――ん?」
もう一口、とケーキを口に運ぶと。甘いけれど、苦さが際立った。そこで初めて目の前にあるケーキをよく見てみるとドーム型のそれは表面は食紅で色を付けたのか赤い糖蜜でコーティングされており、その上をまるで雪の結晶のように黄金色の蜂蜜がかけられていた。次に白い林檎のムースがある。そしてその更に中には栗とビターチョコのミニケーキがタルトの上に乗っていた。苦さの正体はこの栗とビターチョコだったのだ。
「ふふ。秋らしい一品ね」
華やかな、季節感を感じさせるケーキに思わず笑みが零れる。表面の赤と黄金、中の黒と茶色。白はこの双方を調和させながら、それぞれの色を際立たせている。さっきまで落ち込んでいたのに、ケーキの甘さに癒されるだけではなくその見た目の美しさに楽しくなっていた。けれど落ち込んでいた原因を思い出してしまい、重い溜息をついてしまう。すると静かな足音が聞こえ視線をケーキから足音の方へ向けると、目の前にイサナさんが立っていた。その左手にはアロマキャンドルらしきものが握られている。
「どうかしましたか? 今日は少し、お疲れのように見受けられますが」
「……ううん、何でも、ないです」
心配してくれているのだとありありと分かる、影の落ちた表情で優しく問いかけてくるイサナさん。そんな優しさに対して暗い気持ちを追い払うように軽く頭を振り、苦笑いかもしれないがイサナさんの方を頑張って笑みを作りながら言った。
「じゃあ途中ですけどお話し、しますね」
そして一つ、物語を話し始めた。
〝ある処に一人の少年がいました。彼はごく普通の家庭に生まれ、ありきたりな人生を歩んでいました。両親と一人の弟がいて、今ではなくなったものの、前までは弟とよく喧嘩をしたり親とは対立したり。そして学校では友達を作り、遊んで、勉強して、時にはイジメにも遭い。それなりに様々な経験をしていました。それでもごくごく普通の、どこにでもいるありきたりな少年で。特別なものはありませんでした。
けれどある日、人が生きていく上では当たり前な。けれども少年にとっては初めてで、特別な感情が生まれました。
それは「恋」です。
少年はある一人の少女に恋をしたのです。その想いはまだ淡く、けれど何よりも熱く少年の心を焦がしたのです。初めての感情に戸惑いつつも歓喜し、少年は確かにその心を大切にしていました。彼女の笑顔に嬉しくなって、彼女の涙に胸が痛み、彼女の些細な仕草に胸が高鳴り、ともに在れるだけで幸せで。
たった一人の人間の些細な言動に一喜一憂する自分。
そんな新しい想いは困惑と共に甘美な毒をもたらし、その身も心も侵していきました。
しかしそんな甘く幸福な時は、残酷な鐘の音と共に打ち破られたのです。
ある日、少女が嬉しそうに男の人と一緒に腕を組んで歩いているところを目撃してしまったのです。少年はとても驚きました。そして、胸が今までにないほど激しく痛み思わずその場にうずくまってしまいました。熱く激しく胸を締め付ける、狂おしい痛み……。
少年は思い切って少女に自分の想いを伝えました。
……しかし、少年の想いは彼女に伝わることは叶っても。想いが成就することは、ありませんでした。
少年は大きな悲しみと苦しみを味わい、大粒の涙を流し泣き叫びました。その声は少年の悲痛を如実に表していて、その魂の叫びを聞き届けたものにも大きな悲しみを味あわせたのです。
そして少年の初めての恋は、いつ訪れるかわからない次の恋が来るまで在り続けたのでした……〟
「……」
「イサナさんはどう思いますか? ……報われない、叶わない恋をするのは愚かなことなのでしょうか」
わからない。この気持ちが。
「――どうでしょう。私には解りかねますが……」
「だって、どうせ時間が経てば忘れる程度の想いなのに」
「それは人それぞれ、だと思います」
イサナさんは少し困りながらも、そう言う。けれども己の中に未だ消え去ることのない、解消されることのない想いが強く疼き。さらに皮肉な、幼稚で根暗な言葉を紡いでしまう。
「それでも人は忘却を持っているでしょう? いくらその時には大切で、かけがえのない想いでも離れてしまえば時間が記憶を薄れさせてしまう。傍に居ても最初の頃のような熱い想いは継続できないものでしょう?」
別れたらきっとそれでお終い。
「時間さえ経てば、なかったことにできるのかな……」
この想いも―――。
「……」
「……」
しばし二人の間に沈黙が落ちる。
話し終え嫌な思いを吹っ切るように、イサナさんの左手に握られたままのアロマキャンドルに話を振った。
「あ、その手に持っているのって、アロマキャンドルですか?」
「ええ、そうですよ。今度、お店に出してみようと思いまして。どうでしょうか?」
イサナさんも私の考えがわかったようで、あえて急な話題転化に突っ込むこともせず。問われたまま答えてくれる。そして自分が持っていたアロマキャンドルを差し出す。差し出されたそれをそっと受け取ると、自然な甘い香りが鼻腔をかすめた。
「――素敵な香りですね。色合いも綺麗ですし」
鮮やかな赤と緑のアロマキャンドル。下半分は緑、上半分は赤の透き通ったそれは癒しと力強さを感じられる。
「実はほかにも種類がありまして、少しお待ちいただけますか?」
そう言って店の奥へと消え、数分後には色とりどりなキャンドルを手に戻ってきた。
「綺麗、ですね」
そう自然と言っていた。まるで宝石のように様々な色を見せるアロマキャンドルに、思わず魅入ってしまう。青と黒、濃紅と白、黄色とオレンジ、紫と紺碧。などの様々な色の組み合わせがそれぞれに綺麗で、どれもほしくなってしまう。
「もしよろしければ、お一つ差し上げます」
「え、でも。お店に飾るんじゃ」
私の表情から気持ちを察したのか、イサナさんは優しい笑顔でそう提案する。
「試供品としていろいろ種類を作っているものばかりなので、大丈夫ですよ。雪華さんさえよければ頂いて下さい」
「え、えっと……。じゃあ、お言葉に甘えて、この、ターコイズとクリアのものを……」
「これですね」
イサナさんから手渡されたそれは手に取ってみても綺麗で、アロマキャンドルとして使うのがもったいなくなる。
「この色は、自分の感情に関する問題を明らかにしようと。自分の深い過去と向き合った上で、閉じこもった状態から喜びと一緒に抜け出そうとしている。そんな意味があるんですよ。雪華さんはきっと今、前へと進もうとしているんでしょうね」
「……そうだと、いいですね」
笑顔なイサナさんに対し、苦笑を浮かべることしか今の自分にはできない。自分の深く、奥深い場所にある過去の記憶。できれば思い出したくないけれど、ちゃんと見詰め合わないといけないのは自分でもわかっている。
夢のお話。今は届かぬ温もり。
……貴方の優しさが好き。 ……貴方の温かい声が好き。
それも今は儚い夢。夢は夢、お伽噺。優しい過去を振り返っては、涙が止まらない。
早く貴方以上に好きになれる人をみつけたい――。




