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【1】

「はぁ……」

 天気は晴れ。十月にしては湿度も低く気温も穏やかで清涼な風が吹き、至って過ごしやすい気候。少し強めの日差しは暑いが、それでも爽やかな風が吹いてそれほど暑くは感じない。

 ……おおよそ、重い溜息をつくような天候ではない。その要素も今のところ見受けられない。そんな中、一人の少女というには大人びて、大人の女と言うには少し幼い感じの残る女性が一人。大きくため息をついていた。



 ―――さま……?



「お客様?」

「へぇ?」

 声に呼ばれてそちらのほうへ意識をむけると、いつの間にか見知らぬ建物の中で椅子に座っていた。そして目の前には見目麗しい人物が。

「大丈夫でございますか?」

 自分と同じはずの黒髪はやけに艶めいていて、グレーの瞳はまるでグレーパールのように柔らかく煌めいていて、とても美しかった。

「あ、あの、ここは……?」

「美味しいお茶とお菓子が自慢のカフェでございます」

「カフェ、ですか……」

 いったい自分がいつ、ここに、どうやって入ってきたのかも、座ったのかも分らない。身に覚えが全くない。

「あの……変なことを言うなぁ、と思うかもしれませんけど……。一つお聞きしたいことがありまして。――あの、私は自分でここに来ましたか?」

「? ええ、ご自分でいらして下さいましたよ。お一人で」

「そう、ですか……」

(……やばい、どうしよう。全く身に覚えがないんだけど!)

 一人全く記憶のない出来事に、焦ってパニックを起こしていると、あの優しい笑みを浮かべたスタッフが静かに声をかけてきた。

「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「あ、飯塚雪華(いいづかせつか)、といいます」

「雪華さん、ですか。素敵なお名前ですね」

 ふふ、と嫌みなく、月並みの表現だが、綺麗に笑う。それにこの人が言うと、本当に自分の名前が特別で素敵なもののように思えてくる。

「ありがとうございます。でも、雪が降る夜に生まれたから雪華なんですよ? ありきたりでしょう」

 俯き自嘲気味に嗤った後、ふと視界に映った窓に何気なく視線を映してそう言った。素直に賛辞を受け取れられない。難儀といえばまだ聞こえはいいが、卑屈な、歪んだ性格のせいでまた、こんな態度をとってしまう。きっとこの人も気分を害しただろう……と思ったが、相変わらず優しく微笑んだままで、こんなことを言う。

「でもきっと、ご両親は自分たちの目の前のを綺麗だと思ったからそう名付けたんですよ。白くて淡くて綺麗で、初めて腕に抱いたわが子の姿を重ねて……。名づける内の一つの大切な理由、由来だと思います」

「六花、ですか?」

「はい」

 聞き覚えのない、「六花」という言葉。ただ単に知らない言葉への小さな興味から、その意味を尋ねてみた。

「その、六花って何ですか?」

「雪の別名が六花、といいますからね。雪の結晶が六つの花弁のように見えることからそう名付けられたそうですよ」

「そうなんですか」

「はい。……とは言っても、結晶の形は様々ですからね。すべてが同じ、ということではないのですが」

 私の問いかけにも淀みなく、サラっと応えてしまえる彼には容易にそれなりの豊富な経験と知識を得ているということがわかる。

「物知りなんですね」

「いえ、それほどでも」

 朗らかな笑顔、通る声に優しい言葉づかい、落ち着いた物腰。彼の身にまとう雰囲気は何よりも穏やかだった。

「ああ、ご紹介が遅れましたね。私はここのカフェのスタッフのイサナ、と申します。どうぞお見知りおきを」

「あ、い、いえ! こちらこそっ」

 慌てて自分も頭を下げて挨拶するが、それよりも結構重要なことがあった。

(何この人! かっこよすぎる!!)

 最初に惹きつけられた時は髪や瞳と、顔を形成している部分を個々にしか認識していなかったが。髪と瞳の美しさもさることながら、はっきりとしてきた頭でその顔を見てみると。顔立ちはまるで人形のように完璧に整っていた。そう。まるで少女が夢みる物語の中に出てくる、美しく煌びやかな王子様そのもので。

「何かご注文されますか?」

 笑顔でこんな風に優しく言われてしまったら、何が何でも注文したくなってしまうだろう。やはり、人に好意を持つ中で外見も重要な位置をしめるものなのだと再認識した。

「え、えっと……」

 手渡されたメニューを慌ててパラパラめくるも、どれも美味しそうなのと、傍に王子様が自分を「待っている」という緊張で中々決まらない。

(……名前だけでも、どれも美味しそう。―――て、あれ?)

「値段が、載ってない……?」

 じーっとみていて何か違和感を感じたその原因は、どこにも値段がかかれていないことだった。もしかして、かなり高いお店なのかな――。

(ここのスタッフのイサナさんがこれだけレベルが高いんだものね。そりゃあ、イサナさんをみるくるだけでもここに来る意味は、お高めのお金を使う値打ちはあるわよね)

 っと、少々不安になっていると。ああ、と何か思い出したのかイサナさんが手を合わせた。

「ああ。ご来店は初めてでしたね。ご説明が遅れてしまって申し訳ございません。ここのカフェではお客様はご注文いただきましたお品物に対する代金請求はしておりません。その代わり、お客様にはあることをして頂きます」

「ある、こと……?」

「はい。注文を受けたスタッフに、一つ。話をして頂きます」

「話し、ですか?」

「ええ。それはお客様ご自身の身の上話でも構いませんし、昔聞いた童話や寓話、昔話でも何でも構いません。何か一つ、お話をスタッフにして頂きます」

「それだけ、ですか?」

「はい」

 そう返すイサナさんのにこやかな笑顔に、無意識に強張っていた空気が安らぎ、頬が緩む。

「ここのスッタフは私を含めて四人です。皆、物好きばかりで趣味を兼ねて、このカフェを経営しております。全員に共通するのが、人の話を聞くことが好きな所なのです。ですので、代価としてお客様にはいつもお話をしていただくことにしているのです」

「そうなんですか」

「そしてお客様の笑顔。それが私たちには物語にも勝る、一番の代価ですから」

 なごやかなムードの中、突然ズイっと目の前に差し出された白いカップ。中には綺麗に透けたオレンジ色の液体が入っていた。甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「……」

「……?」

 突然何かが注がれているカップを差し出してきた彼は、何も言わないままで。

「……」

「あ、あの……」

 戸惑っていると、イサナさんが助け舟をだしてくれた。

「サービスだそうですよ。どうか受け取ってやって下さいませんか?」

 戸惑っていると、イサナさんが助け舟をだしてくれた。苦笑しながらそう勧めるイサナに促されるままカップを手に取り、恐る恐る口に含むと、甘い香りと爽やかな風味が口いっぱいに広がった。砂糖の甘さじゃない、果実の自然な甘さ。

「……あ、美味しい」

「……」

 彼は変わらず無表情で雪華のその言葉にも何の反応も示さず、キッチンの方で手元を見ながら何か作業をしている。

「――ふむ。マスカットとグレープフルーツですか。中々良いものを選んだな」

「あの……イサナさん」

「はい?」

 男性が雪華に出した紅茶の香りを嗅ぎ、その紅茶を満足そうに頷いていたイサナさんを呼び。こそこそっと、イサナさんに近づいてもらって耳打ちをした。そして恐る恐るキッチンの方を向いて、さっき教えてもらった名前で呼んだ。

「あの、ありがとうございます。ネイナスさん」

「……ん」

 彼はこちらにちらっと視線を向けた後、小さくうなずいた。

「では、コレは私から」

 クスクスと笑ったあと、イサナさんはキッチンの方へ行って何か作業をしたかと思うと手に何かを持ってきた。持ってきた白い平べったいお皿の上には、オレンジ色の透明な。中に何か濃いオレンジ色の個体の入ったゼリーが。

「蜂蜜とオレンジを使ったゼリーです。中にはオレンジの果肉と柔らかく煮詰めた皮を凝縮しましたゼリーが入っております。お口に合えばいいのですが……。どうぞ、お召し上がりください」

「ありがとうございます」

 スプーンで綺麗なオレンジ色のゼリーを一口すくい口に運ぶと、ふわっと蜂蜜の甘さとオレンジの爽やかな味が口いっぱいに広がった。

(……あ)

「――美味しい……」

 一瞬周りが見えなくなるほど美味しいゼリーに、ふっと頬の筋肉が緩み無意識に笑っていた。

「では、私は失礼致します。どうぞごゆっくり」

「あ、ありがとうございます」

 いいえ、というふうに微笑みながら、イサナさんは優雅に店の奥に去って行った。

 もう一度、紅茶を口に運ぶ。温かく良い香りの紅茶が口を楽しませた後、喉を通り身体を温める。優しい気持ちになれる、そんな紅茶。


 ふと、改めてゆっくり店内を見回すと自分以外にも数人客がいた。店内は全体的に白と茶を基調に青や緑、植物といった自然色が彩っている。床はフローリングで、艶効果などはされておらず。木の温もり、優しさが伝わってくる。テーブルはガラス張り、イスはガラス張りではないもののテーブルと同じデザインで。葉や蔓をアルミ製の棒でイメージしたそれは美しい。イスの冷たさを直接触れずに済むように、厚めのこちらも白いレース布が掛けられている。そして白い壁に包まれた中、丁度ここからは店の中庭だろう場所が窺えた。そこだけは中庭が見えるようにとの配慮なのだろう、ガラス張りになっている。中庭も含め店内には自然の優しさ、温かさ柔らかさが満ちている。入口の木枠に嵌められたステンドグラスや、中庭の植物の隙間から差し込む陽射しも全てが調和していて落ち着く。



「あの、今日はご馳走様でした。お茶も、とても美味しかったです」

 荷物を持ちカウンターの方へ行きペコリと一礼して、入口へはあのイサナさん案内で向かった。そして扉の前に来た時、イサナさんが小袋が綺麗に敷き詰められた透明のケースを差し出してきた。

「これは当店にお越し下さった感謝の意を込めて、お客様が初めていらして下さった時に全員にお渡ししているものです。良かったらお好きな物をお一つ、受け取ってください」

「……ポプリ、ですか?」

「はい」

 ケースに綺麗に並べられたそれは、華やかな香りを放っている。しばらく透明なケースにいくつも並んでいる綺麗な小袋を眺めた後、雪華は一つを取り上げた。

「あれ、少し何か重い感じが」

「ポプリの中に、一つお守りをいれてあります。私たちが作ったのですが、香りも一つとして同じものはありませんし、中に入っているお守りもそれぞれ違います。そして何にどれが入っているかはわかりません。一度作ったら口が開かないようにしていますから。だからどれを選ぶか、どんなものがお客様の手元に行くのかはお客様次第なんですよ。一つの運命です」

「……運命」

 手のひらに乗るサイズの甘くさわやかな香りを放つ、橙色のポプリをぎゅっと胸の前で握りしめた。

「この香りが貴方を癒し、お守りが貴方を護らんことを……。またのお越しを、心よりお待ち申し上げております」

 イサナさんに見送られながら不思議な高揚感と安堵を覚えながら店を後にした。

「わぁ……」

 カフェを出ると、そこには思わず見上げて佇んでしまう程美しい、茜色に染まる空があった。





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