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【11】


        ❀ ✝ ❀


季節は巡り、再びあの季節がやってきた。

「……春、かぁ」

 それは柔らかい日差し、淡い花。優しい色に包まれた季節。花粉症は私には関係ない。

 ――そういえば、君は花粉症だったよね。

「ふふっ」

 ふと、そんな些細なことを思い出して笑みがこぼれる。少し、苦笑気味だけど。

 君と初めて出会ったのは、一月中旬。

 付き合い始めたのは二月下旬。

 そして君と連絡が取れなく、取りづらくなったのは三月上旬。

 君にメールを送ったのは四月上旬。

 全ての出来事が。春、なんだよね。


 今でも春は私の心を痛ませるけど、でも、あの頃より少しは成長したよ。

 ねぇ、君は今どうしてるのかな?

 今でも夢を追いかけてる? それても叶えたのかな?

 私は青い空を見上げては、ふと君を思い出してしまう。

 君はどうだろう? 少しは私のこと、思い出してくれた時はあったかな?

 君のことは忘れない。ううん、忘れられない。

 この先誰かに恋をしても、結婚しても、きっと生涯忘れない。

 私が最初で最後、初めて愛しいと思った君だから。

 だから、これは私のただの我が侭。キミに届くこともない願い。それでも思うだけは自由だよね?


 ――一瞬でもいい、ほんの一時でもいい。


 貴方がこれから生きてゆく人生の中で、僅かでも、儚い海の泡のような時でもいい。

 多くは望まない。だから……。

 少しでも永く、私のことを覚えていてください。



        ❀ ✝ ❀


 

 さわ……、


 

 と。木々が、草花が、風にそよぐ音が聴こえる。

 空が、大地が、風が、太陽が、命あるものが放つ命の息吹の匂いがする。春へと移り変わった、甘くも爽やかな花の香り。その香りに気がついた瞬間。思わず読んでいた本から目を離してその香りを確かめるかのように目を閉じていた。ふふふ。っと、不思議と優しい笑みがこぼれる。


 そしてふと視線を彷徨わせれば、そこには一人の男性が立っていた。

 彼は太陽の輝かしい光を木々の間から照らされて、とても眩しかった。そしてその光りにも負けず劣らない蜂蜜と真夏の輝く太陽の光のような。そして横顔から微かに見えた、まるで透きとおっているかのように綺麗なサファイア色の瞳にまるで雪のように白い肌。だが、空を見上げる彼の姿は決して「弱い」印象を与えない大人びた雰囲気。

(誰……?)

 昼時の散歩の人たちがくる時間ではない。ましてやこの並木に人はめったに誰も来ないのだから。大学に入って見つけた私だけの秘密の場所。この時間ぐらいまで、誰もいないここで一人読書をするのが密かに日課になっていた。この一人の静かな時間がとても好きで、いつも早く来ているのだ。

 時間の流れとその長さと儚さ、短さを知っているが故。ほんのちょっとの安らぎの時間を少しでも多く感じ、かみしめられるようにと。この幸せな時間を少しでも多く感じ、覚えておけるようにと。この儚いものを少しでも多く、と。

 だのに今、この時間。見知らぬ誰かがここにいる。佇んでいる。少し、自分の大切なものを奪われたような感覚に陥ったが、それもすぐに消えた。

 ――泣いていたのだ。

 頬を滑り落ちる雫。水晶のように光に当り煌めく様はとても美しかった。まさに絵画のごとき構図に目を奪われ、このまま時が続けばと思った。それに、なぜなのか。つい最近、似たような光景を見た気がした。綺麗な金髪に燃えるような紅が、サファイアの瞳にエメラルドがダブって見えた。だがそれも、風によってすぐに霧散した。

 もっと近くでその光景を見たかったが、しかし、静かな至福の時は打ち破られた。

 ふと、彼がこっちを向いたのだ。

 私に気がついたのか、こっちを向いたまま微笑んでいる。先ほどの涙が幻だったかと思うほど優しい笑みだった。

「何を、していたんですか?」

「……」 

 彼はただ微笑むだけで、何も答えない。

 答えを返してもらえないことに何故なのか不思議といら立ちを覚えることはなかった。むしろ彼のその美しい微笑みに見惚れ、無言のまま立っている彼の姿をもっとみていたいと思った。何か彼が喋れば、この時間が終わってしまうのではないかと……。

「あ………」

「えっ?」

 彼が何か呟くのが聞こえた。見えた。だけどそれもほんの一瞬で、次の瞬間にものすごい突風が襲ってきた。

「きゃっ!」

 思わず手が顔を風から守り、目を閉じた。

 突風が過ぎてから、そっと腕の隙間から彼をみた。相変わらず彼は微笑んでいて、こちらを見ている。そしてゆっくりと足をこちらに進めてきた。腕を伸ばせば届く距離までいつの間にか彼は近寄ってきていた。――そして、ふっとその腕が伸ばされ頭のほうへ伸びてきた。

「……、ついてる」

「あ、ありがとう、ございます…」

 その声はイメージに近く、その微笑みと同じように柔らかく甘く、だが少し重い。低い、声変わりを終えた男性の声だった。流麗な日本語で話すのだが、不思議と外見と違和感を持つことはなく耳に馴染んだ。

「いや」

「……」

「……」

 それからしばらく無言の時間が続き、視線をさまよわせれば上には青い空と葉桜が目に入った。

「……ら」

「え?」

「綺麗だね、桜」

「へ? ……あ、ああ桜。―――そうですね、綺麗ですね」

 美しく咲き誇る満開の桜の下で、見知らぬ人と二人っきりでそれをただ静かに見上げる。

「もう春、ですね」

「そうだね」

 再び二人の間に沈黙が流れる。でも、決して嫌なものではなかった。

 そしてどれほど時間が経ったのだろう。いくらか時が流れた時、彼から別れの言葉を口にした。

「それじゃあ」

「はい」

 それに対してただ一言返事をするだけ。

 静かに去っていく背中。

「……」

 佇むすぐ後ろで春を感じさせる満開の桜が風にそよぎ、数えきれない淡い花弁を揺らしては散らしている。淡い紅の花弁が舞い散るさまは、ふとすれば雪にも見え、まさに花吹雪。

「雪の花、かぁ」

 触れれば解けて、一瞬でこの世界から消えてしまう儚い存在。影のごとく、泡沫のごとく、響く音のごとく、無限の夢のごとく、それは素早く、儚く、淡く、短い……。そしてそれは、〝恋〟ともいえる。

「う~ん!」

 目一杯両手を組んで頭上に伸ばす、そして背伸びもして体全部を、頭から足の先まで思いっきり空に向けて伸ばした。

「ふぅ」

 そして一息、深呼吸をいれる。不思議とそれだけで心も体も少し、軽くなった気がした。そこへ新しい、まだ瑞々しい花弁が風に舞い落ちてきた。

「そっかぁ、もう春、なんだもんね」

 妙に清々しい気持ちで青い空を見上げる。

 ――慧さん。貴方が伝えてくれた気持ち。一つ残らず覚えてる。

 今はまだ少し、心のどこかが痛むけど。それでも貴方を想うと優しくなれるから。

 もう、貴方を想って泣くことはないと思う。

 貴方に誇れる私でいたいから。一秒でも、一回でも長く多く笑って居られるように頑張ります。きっと私を待っている、私だけの運命と出会えるように。この想いを胸に刻み、糧として良い恋愛ができるように。

「春なんだから、きっと新しい出会いもあるよね」

 春。寒くスノーブルーが世界を包む季節を耐え過ごし、力強く雪の下から芽吹く。

 新しい生活、新しい時間、始まりの時。

 期待と高揚感と同時に、不安がやってくる。

 終わりと始まりのある季節。

 出会いと別れ。その節目は切なく苦しいけれど、それでもきっと幸せなことだから。別れも前に進むためには必要なこと。悲しいけれど、乗り越えて。新しい出会いや自分と出会い、前へ歩んで行こう。諦めなければそこにはきっと、幸福が待っているから。


 〝……雪華〟


 これから先、世界にたった一つの私の名前を呼んでくれる声は、きっとまだ耳に残る声とは違うけれど。それでも私は、私なりの幸せをみつけるから。胸を張って幸せだと、あの時の選択が、今までの選択して来た道が間違いではなかったのだと、そう言い切れるように。一つ一つの出会いを大切に、そしてちょっとは素直になれるように頑張ります。

 あなたと過ごした日々は、切なく苦しかったけれど。それでも幸せだった。ささやかな出来事が嬉しくて、私に幸せを与えてくれた。


「ねえ、慧さん。あなたは――幸せでしたか?」



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