【10】
「お疲れ様です」
風の旅を終えて中庭からカフェにの中に入っていくと、いつものスタッフが温かく出迎えてくれた。
「ありがとうございます、イサナさん」
「席、用意してるから。そこでゆっくり休んで」
「ありがとう、ウィル」
イサナさんとウィルからは温かい言葉を。イサナさんの手にはブランケットがあった。思いあがりじゃないけれど、きっとこれは私の為に用意されたものだったのだろう。でも私の肩には今、フォードのジャケットが掛けられている。イサナに視線を向けると、「良かったです」と言われてるような優しい眼差しが返って来た。
「あ……」
足元がおぼつかなくて転びそうになったところを、大きく力強腕が抱き止めた。
「あ、ありがとうございます。ネイナスさん」
「ん」
皆に囲まれながら入った店内の照明はキャンドルに変わっていて、柔らかな光が辺りを照らしている。そして店内を満たす、甘く優しいアロマキャンドルとは別の香り……。
お客様は私だけ。素敵なスタッフも美味しいお茶とケーキも全部独り占め。子供っぽい独占欲が私を満たす。今日は時間もしがらみもすべて忘れて、みんなで一緒においしいお茶とお菓子を食べて楽しい時間を過ごした。
「ねえ、今更だけど……。これからも、カフェに来てもいい?」
「ああいいぞ。お前がきたいのなら、いつでもくればいい」
「ありがとう」
ふわっと笑った時の心境はまさに春のやさしい木漏れ日のようで、きっと今までで一番きれいな笑顔だったと思う。今になって、フォードのこと言動がいちいち気になったのも、あの日。中庭で彼の涙を偶然見てしまって、逃げ出すほど見たくなかった理由がわかった。
――彼は、私に似ていた。
表面的な私じゃなくて、中心の、根本的な部分の私に……。
あの、誰も寄せつけないようなオーラ。誰にも触れられたくない、近寄らないでほしい。他人を嫌う態度。表面的には取り繕っても、毎日が息苦しくて仕方がなかった。
涙なんて、もう枯れ果ててしまったと思っていたから。だからあの時、フォードの涙を見て逃げ出したんだ。無意識のうちに自分と似ていると、同じだと思っていた彼が泣いている。それがとても悔しくて、嫉妬心が生まれて、どうしようもなく苦しくて、逃げ出すほか道を知らなかったから。とにかくあれ以上あの場所にいたくなかった。あんな綺麗なものを見たくなかった。自分には彼と違って何もないのだと、幾万の飾り立て、薄っぺらい言葉よりも雄弁に、思い知らされるのが嫌で……。
でも、私にもまだ涙はあった。誰かを強く、大切に想う気持ち。涙の泉を圧し止めていた枷を自分の意志で取り除き、全てを吐きだした。今まで泣けなかった分、それはとても酷いものだったけれど、心も身体も軽くなった。一人じゃ無理だったけれど、傍にフォードがいてくれた。独りじゃなかった。枷が外れると、色々な想いの奔流に戸惑うこともあったけれど。それでも全てが私の気持ちで、吐き出したかった。そのすべてをフォードは黙って受け止めてくれた。それがとても嬉しかった。
――悔しかった。寂しかった。切なかった。苦しかった。好きだった……。
そんな想いたちがやっと見つけた出口を求めて集まり、一気に吐き出された。それはとても苦しかったし、目や喉は焼けるように痛かった。頭は刺すようにいたかったけれど、とても嬉しかった。楽になれた。
(――ごめんね、ありがとう)
直接言葉にするのはちょっと恥ずかしくて、心の中でそう呟く。勝手に自分と比べて、負い目を感じて、理不尽な八つ当たりをしてしまった。今思い返すと消し去りたいほどに恥ずかしい、居た堪れない。
「? なんだよ」
「ううん。何でもない」
「――変なやつ」
無意識にフォードを視線で追っていて、それに気がついたフォードは振り返る。相変わらず口は悪いけれど、そこにはもう、棘はない。
「そろそろ帰ります」
そう言って夢の時間から、現実へと目を向けた時には、空は既に星と月が煌めく紫紺から。朝陽が射しこむ清涼な蒼に移り変わっていた。微かに聴こえて来る、鳥の鳴き声。
「では、お見送りいたします」
「ありがとうございます」
立ち上がる時には、イサナさんが慣れた動作で手をすくうように取って立たせてくれる。この時ばかりは平凡な私も、特別なお姫様。
「じゃあな」
「うん、またね」
「気をつけてな」
「ふふ、ありがとう。」
そしてみんなが見送る中、店から去って行く。去って行く時は初めて見せに訪れた時とは打って変わって、しゃんと背筋を伸ばして、前を見て、堂々と、晴々とした気持ちで歩いている。五mほど進んだとき、ふと足を止めて振り返った。
「私、今度はフォードみたいな人を見つけて好きになるから!」
「!?」
「ふふふ」
急に大声でそう宣言されたフォードはハトが豆鉄砲でもくらったかのように、大きく目を見開き珍しく口も開けてポカンとしている。そんな新鮮なフォードの反応が面白くて、楽しい気持ちでいっぱいになり自然と笑みが零れた。フォードの隣では、仲間たちが冷やかしたり意味ありげな視線を送っている。
私は結局知ることのなかった疑問を叫んで問いかけた。
「ねぇ! あのカフェの名前、教えて!」
「あぁ、あのカフェは……」
フォードが何かを言った時、悪戯な秋の風が吹き抜けた。




