【9】-精霊司-
陽は、その姿を隠しつつある時間。
空は、大切な彼女の、どこまでも柔らかく真っ直ぐな瑠璃の髪と同じ色彩に。
森は、眠ることを知らぬように、その木々の間から淡く白い光を放ち、まるで、そこに光を放つ何かがいるようだが、その光は、何かが光っているのではなく、ただ、光だけがほのかに存在している。
大樹モズモの幹に腰掛ける少女。
その体は淡いオレンジの光を放っている。
紅い瞳は、真っ直ぐに南東の空を見据える。
精霊である少女は白に近いクリーム色の髪を風になびかせ、守護するべき精霊司の姫の気配に心を澄ませる。
怪我をした。守らなければいけなかったのに・・・自分が彼女を防衛する為に張った結界は、存在しないかのように攻撃の刃を通してしまった。それ程に破壊力のあった攻撃。
彼女はその攻撃から自分の身を守ることを全くせず、余波から森を守る為にだけ全力を注いだ。結果、森は傷一つなく守られ、彼女は深い傷を負い、あまつさえ他族の集落へと連れ去られてしまった。
少女は下唇を噛み締める。
悔しい。なんと力のない自分。
他族の集落に連れ去られることまで全てが姫の思惑通りなのだ。
つまり、あの場面で自分が彼女を守りきれずに、彼女が深手を負う事さえ、彼女の思惑通り。力のない自分を思い知らされ、少女は固く瞳を閉じた。
精霊の力は、至極弱いもので、その力は精霊司の力を補助する時に初めて発揮される。
この森で、姫と精霊が同じ対象に同じ力を発したならば、その力は無敵に近いものになった。
しかし、あの時、互いの力は守りの力であったけれど、その対象は違った。
「・・姫君のくせに、すぐに自分が先陣をきっちゃうんだから・・・」
彼女は民に大事に守られるだけのお姫様ではない。
彼女は、民を守り、民のために自らを犠牲にする。
「信じて待っててと言われたから・・・そうするけれど」
心配。
すっかり暮れた南東の空を再度見上げ、テティスは深いため息を漏らした。
時を同じくして、大樹の立つ湖を次元の扉とし、封じられた都の、どこまでも自然に重きを置いた出で立ちの城にも、己の無力さを許せない少年が唇を噛み締めていた。
「ルキオ。お前はきっかけに過ぎない。お前があの時あの場所にいなかったとしても、アシュラ様は、他の『きっかけ』を探して、あの戦士の部族に入り込んだのだ」
窓辺で、黄昏から瑠璃へと色彩を変えていく空を見上げながら、沈む少年の傍らに立つ、イルミオラの老臣は、優しい皺を浮かべ、少し困ったように、少年の肩に大きな手を置いた。
「そうかもしれないけれど!・・・俺は、何も出来ない俺を許せない」
もしも、自分があの場所にいなかったら、ではないのだ。実際、自分はあの場所にいて、戦士の部族に声をかけてしまった。そうして、大切な姫長を、他部族に連れ去られる結果となったのだ。
確かに、レンのいうように、いずれにしても姫長は、あの部族に何らかのコンタクトを取ったに違いない。
イルミオラは特別な種族とされている。その生命力は他のどの部族よりも強く、そして世界を支える力を有する。
自然なくしては、如何なる生物も生きて行くことは不可能。その自然、そして元素さえ、司る種族がイルミオラ。万に一つ、イルミオラが滅びるようなことになれば、世界を構築するバランスは損なわれ、その先にあるものは無でしかない。
それ故に、大樹に護られた森の奥で、精霊と共に暮らし、世界の頂点に立ち、その安寧を守る皇王からも、特別に待遇されている。
しかし、結果、イルミオラの多くは、森から出ることなく、その永い生涯を送る。心のどこかで多種族を見下し、自分達だけの社会に閉じこもっているのだ。