【4】-流浪-
生ける森の奥。大きく静かな湖の中心に、湖の底に根を張る大樹がそびえる。
その幹は大人10人でも手が届くか否か。
大樹の名はモズモ。
森を見守る、古き礎。
強く、優しく、何万年もの間、森の生き物を見守って来た。
今、大樹の幹に両手を当て、静かに瞳を閉じている娘がいる。
その娘の足下は、水面にあり、ゆるく水面に波をたたせている。
白磁の肌、すらりと伸びた手足は細く、夜明けの空のような瑠璃色の長く真っ直ぐな髪は、高い位置で結い上げられている。動きやすい、丈の短い淡い橙の装束に身を包んでいる。美しく整った顔は、優しげで、伏せられた長い睫毛、紅をひいているわけでもなく、赤い唇は、聖女を思わせる程に可憐である。
一陣の風が舞い、水面を揺らした。
娘の白く長い指先がピクリと震えた。
「姫さま。侵入者です」
風と共に現れた年老いた男が娘の後ろに跪く。
「ええ。川と湖を目指している。私達を探しているのね」
昨夜、森に侵入の気配を感じた。その気配は1人のもので、何をするわけでもなく、少しして森から出て行った。しかし、それが偵察であることはわかっていた。
だから、侵入の気配のすぐ後から、娘は大樹に触れ、森隅々まで視ていたのだ。
彼女は、アシュラ・アンレイリオン。
唯一、精霊を従えることの出来る民、イルミオラの長。
その力は先代のどの王より勝り、温かく思いやりのある姫長に民の信も厚い。
「侵入したのは、流浪の民のようだわ」
年老いた男の眉間に皺が寄る。
森を守り、森に守られるイルミオラは、森の中での戦いに非常に有利だが・・・
流浪の民は戦闘民族。その戦闘力は軽視できない。
それまで、表情を変えることのなかった姫長が、表情を曇らせた。
伏せられたいた長い睫毛が上げられ、深い藍の双眸が開かれる。
「レン・・・彼らの行く手に、子供がいる・・・あれは、ルキオ」
ルキオは、アシュラがイルミオラの都で手がけている孤児院の少年で、年は10つになる。気性の荒いところもあるが、年下の少年少女の面倒をよく見る、優しい少年だ。その彼が、流浪の民の進む先で、木の実を集めている。
早朝、実を結ぶチロは栄養が高く、1粒で1日必要な栄養が全て補える。
ルキオは、孤児院の弟妹の為に実を採りに来たのだろう。精霊の住まう森は、精霊を従えるイルミオラにのみ、その森の実りを与える。多種族の手でもがれた実や、すくわれた水は、たちまち毒となる。
「誰か向かわせましょう」
レンがその見た目の年齢からは想像出来ないような、早さで腰を上げ、その場を離れようとするのを、姫長が目で静止した。
「私が行くわ。皆は都から出ぬようお願い」
くるりと身を翻し、装束と同じ淡い橙のストールで頭から目以外を素早く覆ったアシュラは、了解の意で再度跪いた老臣の横を駆け去った。