二・遅かったな
食後の酒を酌み交わしていると、部屋にヴァンが入ってきた。ヴァンはアベルの姿を見つけ、軽く驚いた。
「アベル師もおいでだったんですね。ちょうどよかった、尋ねたいことがあったんです」
「儂も実はお主に会いに来たのじゃよ、ヴァン。いろいろと聞きたいことがあってのう」
「遅かったじゃねえか。もうみんな食い終わっちまったぜ? 座れよヴァン」
「大丈夫ですよ。ヴァンさんの分はちゃんと熱々のまま取っておきましたから」
「え? いや……冷めていた方がありがたかったんだが……」
「そんなこと言いますか? じゃあ、お水で薄めてあげます!」
慌てるヴァンの様子は一同の笑いを誘った。
「ヴァンよ、儂に話とはどんなことじゃ?」
「ああ、ここの魔術師たちは射出の呪文を覚えているかどうかを聞こうと思っていたんです」
「射出とな? なるほど。裏切り者の鎧対策か。それは思いつかんかったわい」
「裏切り者の鎧?」
「先生、後で説明するよ。あの黒い鎧のことだけど、他にもいろいろ聞いたから」
「ありがとな、パティ。射出はマナの消費の割に欠点ばかり目立つ呪文なので、覚える者はあまりいないようです。ですが、その鎧には有効です」
「そうじゃな。儂の魔導書にもない呪文じゃて、お主さえよければ魔術師たちに伝授してやってくれぬか?」
「お引き受けしたいところではあるのですが、オレはまだ信用されているとは言いがたい。師に最適化した呪文文章だけお伝えして、それを広めていただくという方法は採れませんか?」
「ふむ。確かにそれがよいかも知れんのう。心得た」
「オレの話はこれくらいです、今のところは。アベル師のお話とは?」
「お主らがここへ来た理由を知りたかったのじゃ」
「なるほど。それは……」
ヴァンは順を追って丁寧に話した。
ニーズの街で偽竜という魔法生物が暴れ、戦ったこと。偽竜の出所を探ったら、里のほぼ真上にある要塞遺跡と分かったこと。持ち帰った遺跡潜りの腕は偽竜を手に入れられる水準と思えなかったこと。遺跡を探索してみたところ、偽竜が置かれていた部屋は入手の障害となるものがすべて無効化されていたこと。
これらを包み隠さず話したのである。
「そのあと追われているライチを見つけ、妖魔と一戦交えた後に罠で落とされたんです」
「ふむ……なるほどのう……」
「この里の人々は遺跡を探索することはないのですか?」
「ないのう。そんなことをしているときに里を攻められたら危険じゃて。稀に地上に用のある者や、日の出、正午、日の入りを知らせる交代の空見が出入りするくらいじゃ」
「空見、ですか?」
「訓練の最終段階の若い者が交代でつく役目じゃよ。地下空洞の天井からの光は一日中、変化せぬからの。時と日を知るためにはどうしても地上を見る必要があるのじゃ。地上への階段は長く急じゃから、体力があり、それを伸ばしたい時期の若者を使う。空見は自分の担当する時の区切り……正午に昇ったら日の入りを見てから降りて来て鐘を鳴らす、それを聞いて次の者が昇るといった具合じゃ」
「先生、敵はどうなのかな?」
「妖魔族が遺跡探索か……その可能性も確かにあるな……」
「爺い、先月くらいからじゃなかったか? 空見が遺跡で妖魔の集団を見るようになったってのは」
「うむ。儂も思い出しておった。話と考え合わせるに、まず間違いないじゃろう。ヴァン、その仕掛けを無効化したのは、恐らく妖魔族じゃ」
「心当たりがあるんですね?」
「ある。妖魔族の総数はよく分かっておらぬが、里の人間の数倍いると思われとる。ゆえに、連中の断続的な侵攻は、時間稼ぎ、と見られぬこともないのじゃ」
「なんのための時間稼ぎですか?」
「遺跡探索じゃよ。何かを探しておるというのは、空見が遺跡で妖魔族を目撃していることと合致するしの。勇敢な偵察兵の卵がひとりで妖魔族を尾行したことがあっての。遺跡の外に出て、別の遺跡に入っていき、そこで何かを持ちだしたのを確認しておる」
「無茶をしますね……」
「まったくじゃ。当然、見つかって追いかけ回されたそうじゃ。逃げおおせてなによりじゃった。お陰でその話も伝わったしのう」
「ていうことは、その前までの攻め方となにか変わったの?」
「うむ。気取られぬようにしとるのじゃろうが、攻め手が緩くなった。これまでより送られてくる兵の質が落ちたように感じておる」
「……なぜそれ以前に、全力で攻めなかったんでしょうね?」
「さあてな。時間かけて削る腹だったのかもしれねえし、戦力としてはこっちが思ってるほど充実してねえのかもしれねえ。まあ、頭働かせようったって予想するしきゃねえんだ、本当のところは分かんねえさ」
「そうじゃの」
「確かに。何を探しているのかについては、もちろん分かりませんよね。オレが調べてきましょう」
アベルはゆっくり食事の残りに手をつけた。
「そういや、ヴァン、武器を造ってたんだろう? もうできたのか?」
「いえ、まだ少し時間がかかりそうです。慎重にやる必要があるので」
「ほう、武器とな? お主は射出には頼らんのか?」
「はい。石の剣というのを造っています。お断りしておきますが、これを増やすつもりはありません。強力であるだけに、使い手が多いほど対策も早く立てられると予想されますし、何より付与の材料が足りませんので」
「そいつはいいんだが、どんな代物なんだ? それくらい教えてくれたっていいだろ?」
「……鎧に当たるとわざと壊れて、壊れたことで得られる力を破壊力として敵に叩きつけるというものです。魔力は力の誘導にしか使いませんから、この攻撃が鎧で無効にされることはありません。鉄の剣を使って試しました」
「一回使っただけで壊れんのか?」
「三十回くらいはすぐ直ります」
「お主も面白いものを考えるのう。いろいろ聞けて楽しかったわい。そろそろ帰らぬと娘夫婦がうるさいからのう。お暇する」
「射出の呪文文章をお渡しします。ホッグ、悪いんだが適当な紙を持ってきてくれ」
「出しっぱなしだからあたしの持ってくるよ」
パティが持ってきた紙に、筆記の呪文で文章を浮かび上がらせる。
「元の呪文と少し変えてあります。魔力による威力増加を省いて簡略化したのが最大の変更ですが。文章は簡単になり、射出の速度と破壊力はやや向上しているはずです」
「ありがたいことじゃ。あの鎧で最も泣かされたのが魔術師じゃて、喜んで覚えるじゃろう。明日にでも招集して訓練開始じゃの。儂は今夜、徹夜になりそうじゃが」
「オレが伝えたことは伏せておいた方がいいかと」
「儂が思い出したことにしよう。では、またのう」
***
ヴァンたちが部屋に戻ると、パティもついてきた。
「どうした? まだ眠くなくて勉強したいか?」
「だってルーシャさん、マナがざわざわしてるんだもん」
「……そうか」
「先生、ルーシャさんとなにかあったの? 喧嘩したの?」
「……喧嘩みたいなもんだな、確かに」
「仲直り、できない?」
「すぐには無理かな。すまんな、居心地悪い思いさせて」
「いいよ。慣れてるもん」
実の両親のことだろう。パティの父親は彼女を山賊に売った。そんな親のことを、どんな気持ちで思い出しているのだろうか?
「先生、射出の呪文、教えて」
「アベル師が明日、魔術師たちを集めて教えると言ってたろう? そこで覚えてきてくれ。今、呪文文章を教えても使うことはできないから、どのみち練習は里の魔術師たちと一緒にすることになる」
「どうして?」
「オレがあの呪文を持ち込んだと知られたくないんだよ。敵意をこれ以上、集めたくない」
「そっか」
「さてと、ふたりとも、頼んでおいた話を聞かせてくれ」
ふたりの話を総合して把握するのは少々骨が折れたが、いくつか質問を交えつつ、なんとか理解することができた。
「そうか……ひとつ、疑問が出てきたな。ムゼッカはどうしてここに来たんだ? 迷い込んだと言っていたが……ムゼッカの過去について知りたいな……」
「あれ?」
パティが何か感じ取ったようだった。今では無意識に静心応魔を使っているらしい。
ヴァンも同じく静心応魔に集中してみた。やけに小さくしか感じられないが明らかに人型生物のマナが三つ感じられる。侵入者なのは明らかに思えた。恐らく妖魔族の。
「……パティ、ホッグ、ここにいるんだ。こいつらは強い。作りかけの石の剣を隠しておいてくれ」
「へ、へい!」
「先生……気をつけて」
「……ああ」
扉を閉めてから防護の呪文をかけようとし、思いとどまる。
侵入者のうちひとりでも例の鎧を着用していたら、それによって簡単に魔法の守りは消されてしまうかもしれない。
迷っている場合ではない。マナの気配はひと塊で動いている。そちらに向かおうとして──
「ルーシャ……」
「行くんでしょ?」
「……行こう」
言葉を交わすまでもなく、ルーシャが敵の気配を感じ取ったことが分かった。多くを語らず共に戦いの待つ方向へ急ぐ。ところどころに燭台があるとはいえ、石壁の通路は暗かった。
「歩きながら呪文使える? できたら支援の呪文が欲しいの」
「鎧に触られたらすぐに消えるかも知れないが、幾つかかけておこう。ナイフを出してくれ」
魔法に抗うための精神賦活、受ける傷を軽減する中級防護、武器の威力を増す刃研ぎ、それに動きを捉えにくくする幻影で白兵戦を有利にする重ね陽炎、これらの呪文を使う。
小ぢんまりとした里の家々の中では大きめなムゼッカの家だが、地上の家屋を基準に考えれば小さめの部類に入る。そもそもが最低限の部屋数しかなく、ひと部屋も狭く、一階しかない。
侵入者のマナは最初、食事をした部屋にあったが、どんどん奥へ進んでいた。その方向にはふたつのマナが感じられる。ムゼッカとライチだ。食堂の窓が開け放たれている──というよりは、外されていた。その奥に、ムゼッカたちの寝室がある。
全知で壁と扉も脳裏に展開させてみると、敵は錠前を外そうとしているところだった。そして三体とも感知できた。鎧を着ている者はいないようだ。
視界に入らないように身を隠して近づいてから、さらに細かく、敵ひとりひとりの姿勢と動きまで感知してみる。こちらを警戒中がひとり、扉のそばで屈み込んで作業している──錠前を解いているのがひとり、武器を構えていつでも中へ飛び込める用意をしているのがひとり。
解錠までもうしばらくかかることを確かめると、ムゼッカの位置を調べて心話を使う。
(ヴァンです。心話の呪文で話しています。気づいていますか?)
(おう、来てくれたんだな。今ライチを隠れさせたとこだ)
(解錠されたら斧を持った大男が突っ込んで来るはずです。部屋の外にいる二匹のうちどちらかでも倒れたらオレも突入します。敵に金属鎧はいません)
(分かった。オレは長く戦うとなると体力に不安があるから、早めの援護を頼むぜ)
(はい)
あの達人にも弱みがあったのかと驚くと共に納得する。先の戦においてムゼッカはなかなか姿を見せなかった。敵の大将がはっきりするまでは。
さほど待つこともなく解錠は終わり、扉を開け放つと斧を持った妖魔が中に踏み込んだ。残る二体は部屋の外にいる……両者ともに魔法使いなのかも知れない。
ルーシャが目線を向けたので頷く。すぐさま彼女はどこから取り出したものか、ステッキを手に入口近くの妖魔に肉薄し殴りつけた。軽い炸裂音と共に響く怒号。
ステッキの先端には火薬か魔術か分からないが小規模な爆発の仕掛けが仕込まれていて、その力で無数の針玉が撒き散らされ、敏感な顔の皮膚を裂いたのだ。
本人は間に一瞬、厚めの布を広げて防いでいた。それを振り上げ前方に投げると瞬時に投げナイフに変化し、もう片方である弓使いの右腕に刺さった。
ヴァンも物陰から姿を見せ、深睡の呪文で二体を眠らせようとした。しかしその考えを撤回する──敵の正体が分かったからだ。
「影妖魔か!」
影妖魔……闇のマナで守られた妖魔族で、見た目は漆黒の人型。平面化して影の振りをすることもできる。もっとも恐ろしいのはこの能力を活かした尾行からの暗殺だ。もうひとつの特徴は、闇のマナの影響で極度に魔法に強いこと。傷を与える呪文はまだしも、ただ深い眠りに陥らせる深睡のような、反発されると一切の効果を失う呪文では相性が悪い。
ヴァンは炎縄蛇締に切り替えて両者を攻撃した。ルーシャが殴った方は呪文に耐え、炎の縄がちぎれながら体のあちこちに貼り付いて焼き始めた。
弓で室内を狙っていた方は呪文が完全にかかり、全身が炎の縄でがんじがらめに縛られた。こうなると体を動かすのにも支障が出る。
ルーシャはいつの間にか逆手に握っていた二本の投げナイフで、最初に殴った方の目を炎の隙間を縫って斬りつけた。辛くものけぞって避けたが、完全に姿勢が崩れた。ルーシャがその足を払うのと敵が黒魔法を使うのとほぼ同時だった。
黒雷の呪文で発された漆黒の稲妻は、ルーシャとヴァンの体を貫通した。マナが強制的に燃やされて数秒間体が炎に包まれる。当然火傷を負わされることになる。魔族の力を借りる黒魔法らしい呪文と言えた。
ヴァンはその魔力の強さに驚いた。ふたりともマナを活性化して何とか不完全な効果に押さえ込んだが、ルーシャは支援魔法をかけていなかったら危なかっただろう。
弓を持っていた方が武器を小剣に持ち替えて、側方を向けているルーシャを狙おうとした。ヴァンは威力を増強した見えざる拳の呪文でその右脇腹を攻撃する。強烈な一撃を受け壁に叩きつけられる妖魔。意識は完全に絶たれていた。
契約者の方はルーシャに任せることにして、ヴァンは部屋の入口に走り、一歩踏み込んだ。
「よお、遅かったな」
ムゼッカの戦いの決着は、すでについていた。最後の妖魔の断末魔がその言葉に重なった。