三・待ってる
長老の家とやらは集落の最奥にあった。いや、正確には最奥の手前というべきか……というのも、さらに先には小高い岩山があり、その中へ通じる洞窟が大あくびをしたときのように口を開けているからだ。
ライチの後から長老の家に入ると、白髪の老人三人が炎の近くの敷物に座っていた。暖炉ではなく、部屋の中央の石床が軽く掘られていて、そこに火をくべてあるのだ。燃料の木の種類のせいか、煙が出たり激しく燃えたりはしていない。そして良い薫りが部屋中に広がっていた。香木なのだろうが、ヴァンの知識にはないものだった。
まず口を開いたのは、目付きの鋭い伸び放題の髭の老爺だった。
「ライチ、ここへは来ぬよう伝えさせたはずだが?」
「そう言われたらなおさら来ないわけにはいきません」
「サムソンよ、ライチより客人と話をしたいのじゃがよいかな?」
「何ゆえわざわざ伺いを立てる? 好きにすればよいアベル」
アベルと呼ばれた温厚そうな老爺は、編みこんだ灰色の髭を触るのをやめて声をかけた。
「客人よ、座っておくれ。地上と違って椅子がないので、敷物の上じゃがの」
老魔術師は言いながら杖を振り、部屋の片隅に折り畳まれていた敷物が五つ、浮遊して石床の上に敷かれた。大人しく従う。
「勝手に名乗らせてもらう。オレはヴァン、こっちがルーシャでこいつがホッグ、最後がパティだ」
「礼儀正しい若者じゃのう。儂はアベルじゃ」
「あたしはキ・ハ。キーハの方が呼びやすいからそう呼ぶ人が多いわ」
左に座っているのがキ・ハ、目尻の垂れた人が良さそうな老婆だった。植物や石を使った独特の装飾品を身に着けている。
「こっちの無愛想はサムソンよ」
「頼んどらんぞ、キ・ハ」
痺れを切らしてヴァンは尋ねた。
「話があると言われて来た。その話とやらを聞きたい」
答えたのはアベルではなく、またもサムソンだった。
「魔術師はお前だな?」
「そうだ」
「派手にやってくれたらしいな。おかげで四人死んだ。何か言うことは?」
「サムソン、責任のすべてが彼らにあるような言い方をするでない」
「黙れアベル。今喋っているのは儂じゃ」
「あたしが代わりに話すわ。あなたじゃこじらせるばかり」
「頼んどらんぞ」
「では儂が頼もう。キーハ、話してくれ」
「ありがとうアベル。さて……」
キーハは温厚な笑みのまま続けた。
「大規模な魔術を使ったそうですね。知らなかったでしょうが、敵の中には魔法が通じない者たちがいて、弱い兵が死に、その精鋭だけが残ったのです。突然、敵の前面が強いものだけになってしまったことに対処しきれなくて、聞いての通り、被害者が出ました」
「知らないこととはいえ、すまなかった」
「素直ではないですか。責めるのはやめにしましょう」
「待って」
口を挟んだのはライチである。
「キーハ様、ヴァンたちは善意で私たちの加勢をしてくれたんですよ? 非難ではなく、お礼を言うのが筋ではないでしょうか?」
「そうですね。ですが、戦況が悪い方へ傾いたのは事実。指摘しなければ遺族は恨みに思うことでしょう」
「ライチ、いいんだ。押しつけの善意で状況を悪化させたのは確かなんだ。ことを荒立てるつもりもない。咎められるなら甘んじて受ける。ただ……」
ヴァンは長老たちを見回した。
「ここに留まらせてもらいたい。同じ間違いはしないし、力を貸せることもある。せめてもの詫びをしたい」
完全に本心とは言い切れなかったが、偽ったわけでもなかった。と、そこへ初めて聞く声が響いた。
「ライチ! 心配したぞ。助けてもらったそうだな?」
達人、ムゼッカであった。気配が感じられなかったので、ヴァンは少なからず動揺していた。
「ヴァン・ディールにルーシャにホッグにパティだったな。礼を言うぜ。ここに留まりたいってんならオレが面倒見るから安心しな」
「ムゼッカ! お前にそのような権限があると思ってか! 思い上がりもはなはだしいぞ!」
「サムソン、オレは隠れ里の英雄様だぜ? それにあんたらに任せてたら、朝までかかるだろ」
「決まりね。あまり気は休まらないだろうけど、納得がいくまで逗留するといいわ」
「すまん」
「違うわ。そういうときは、ありがとう、と言うものよ」
「……ありがとう」
苦手な言葉を紡ぎだすと、キ・ハは柔和な笑みで頷いた。
***
ムゼッカとライチの家は、村の広場と長老たちの家の中間にあった。他の家々と同じく石造りの素朴な建物だ。家の中はあまりに整頓されていて、まるでいつ引き払ってもいいようにしているようだと、ヴァンは感じた。
「んで、ここが客間だ。一応ふたつ作っておいてよかったぜ。それから手製の寝台。信じられるか? ここの奴らは寝台も使わねえんだ。床に座るのは疲れるから、話をするときは寝台に腰掛けてしようぜ」
ムゼッカに促されるままに寝台に腰掛けた。あまり柔らかくはなかったが、座るにはかえって好都合だった。ヴァンが問いを投げる。
「ムゼッカさんも地上の生まれなんですね?」
「そういうこった。迷い込んだらなんか戦争してるから、手を貸したら英雄に祀り上げられちまってな。以来、ここが我が家だ」
「ねえお爺ちゃん、この人たち、ヘインさんを知ってるんだって」
「本当か? あいつ今何してんだ? どこにいる?」
ライチが口を挟んだことで、話題にしたくなかったことを語らざるを得なくなり、ヴァンは頭を痛めた。
「山賊の頭領をしていました。ニーズの街の東側で。ええと……隠してもしょうがないので言ってしまいます。オレが……殺しました」
「……本当、なんだな?」
「……はい」
空気が重くなるのを感じた。ヴァンはムゼッカと真正面から見つめ合っていた。目を逸らすのは失礼に当たると思いつつも、本心では視線を外したくて仕方なかった。ムゼッカの表情から感情は読み取れない。
と、思っていると、不意に破顔した。
「か~~~! こんの野郎! あいつはオレが殺すはずだったのによぉ! 畜生、老い先短い年寄りの楽しみかっさらいやがって!」
笑っていた。他の全員が唖然とする中で、ひとり笑いながら楽しそうに悪態をつくムゼッカ。一番先に適応したのはルーシャだった。ムゼッカに気楽な調子で尋ねる。
「ねえ、ヘインとはどういう知り合いだったの?」
「あいつかぁ? いけすかねえ奴だったぜ。まあ、昔馴染みの仲間ってことにしといてやるが。いつも澄ました面しやがってよぉ、それがまた年頃の娘たちには受けがいいんだから憎たらしいだろぉ?」
ひとしきり笑うと、ムゼッカは気にするなという素振りでヴァンに話しかけた。
「よく殺せたもんだ。大した奴だなおめえは。ますます気に入ったぜ。困った事があったら何でも言いな。言うだけならただだからな!」
「ありがとう……ございます」
「畏まるなよヴァン、オレにそんな大げさな言葉遣いすんな。呼び方もムゼッカとか爺さんとかで構わねえよ」
「あの、ムゼッカさ……ムゼッカ、聞きたいことが……」
「おう、何でも聞きな」
「あなたの戦いを見てました」
「見てたな、空の上から」
「あの技……あの魔術は、誰に学んだんですか?」
「アベルの爺いと同じこと言いやがる。あれのどこが魔術なんだ? 呪文のひとつも唱えてねえんだがよ」
「呪文を使うのに必ずしも詠唱は必要じゃありません。無詠唱という技術があります……けど、あなたの技術は恐らくそのさらに先の……」
「わーったわーった。あの技はな、自分で編み出した。十何年かけてな」
「自分で……?」
「最初は気休めくらいの効果しかなかったが、工夫してる内にどんどんいい感じになってった。ヴァン、オレの手を握ってみな」
「?」
不可解ながらも差し出された右手を握り締める。
「弱いだろ?」
「え?」
「オレは今、力の限り握り返してるんだ。笑っちまうくらい弱いだろう?」
「……どうして?」
「体質って奴だ。生まれつき手足の指の力が弱い。赤ん坊より少しましって程度だ。こんな奴がある日、女友達に誘われました。ねえ、わたし遺跡潜りになることに決めたの。あなたもなってくれるでしょ? と来た!」
「……薬や魔法は?」
「飲んだ薬は数えきれないほど、回った神殿は実に三桁。同じ数だけ侘びの言葉を聞いた……いや、そんなことはねえか。でまあ、こんなオレにも遺跡潜りとしてできることを探したわけだ。手先が器用だからって業師の技を学ぶことにした。ところが戦闘術が含まれてたんだなあ。どんな腕利きも匙を投げたぜ。話にならんってな。何しろ短剣ひとつまともに持ってられねえんだ。だから、自力で鍛えるしかなかったんだよ」
片手をおずおずと上げてパティが口を挟んだ。
「あの……業師ってなに?」
「遺跡潜りは分かるな? 遺跡潜りにひとりは必要って言われる、いろんな技術に通じた多技能者のことだ。鍵や罠の対処から偵察、軽業、隠密行動なんでもありだ。口の悪い奴は盗賊なんて呼びやがる」
「お爺ちゃん、あたしご飯にするけど、皆さんもう疲れちゃったんじゃない? 休んでもらったら?」
「おお、そうだな。じゃあ続きを聞きたけりゃまた今度、だ。飯ができたら教える。オレもちょっと横になってくらぁ」
「ごめんね、年寄りは話が長いから……ご飯、作ってくるね」
ふたりが部屋を出た。ヴァンとルーシャはそれぞれ深刻そうな顔をしている。やがてヴァンが口を開いた。
「ホッグ、パティに読み書きの練習をさせててくれないか? 少しルーシャと話したいんだ」
「へい!」
パティは心配そうな表情を投げかけてから扉を閉めた。
「ルーシャ……」
「ヴァン、あたしに指図しないで」
「そんなつもりは……」
「いくら言い方を柔らかくしても、自分の意見を押しつけたらそれは指図でしかない」
「……順序よく行こうぜ。あの爺さん、どう思った?」
「だらしなさそう。女に」
「そういうことを聞きたいんじゃないんだ」
「分かってる……あの戦い方は、あたしにすごく合ってる。あたしも力はない。業師の戦闘術で補うのも限界を感じてた。あの技……魔術だっけ? すごく欲しい」
「そうか。だったら──」
「けどね、あたしも自分で編み出したい。へなちょこでもいいから、何年かかってもいいから、誰かに教わるんじゃなくて、自分で……」
「ルーシャ……気づいてるか? 敵が強くなっていることに」
「え?」
「この世界についてからだけでも、レンダル、ヘイン、ビダー配下の手練たち……お前の手に負えない奴らばかりだった。空を飛んでた偽竜は論外だが……世界を渡るたびに、敵がどんどん強くなってるんだよ」
「……待てないって言いたいの?」
「世界が待ってくれない。時間かけてる余裕なんかないんだ。このままじゃ近いうちに……お前はオレの足手まといになる」
「そう。それならヴァン……あなたひとりで世界渡りを続ければいいじゃない」
「無理を言うな。いつかの異界学者が言ってたろう、オレたちはふたり揃ってるから確定世界だけを渡っていけるって。ひとりで渡ったら不確定世界に飛ぶ危険が高い」
「危険だから嫌なの? あたしね、もう疲れたの。誰か他のお相手でも探せば──」
「お前じゃなきゃ駄目なんだ! 仮に他の誰かでも確定世界行きの世界渡りが可能だったとしても、オレはお前と一緒がいい。一緒に……帰りたいんだよ……」
「……なにそれ。うまく口説いたと思ってる?」
「……」
「結論は少し先でいい? なんかすごくむしゃくしゃしてるの。今すぐいい返事はできそうにない」
「……分かった。待ってる……」