二・ありがと
怒号、剣戟、咆哮、断末魔……
広場は謎の支援攻撃を受けて後、かえって戦況が悪化していた。
「後退、後退~! 鎧は相手にするな!」
「ちっ! 魔法使いは散って周囲の応援に向かえ!」
犠牲者が少ないのは幸いだった。敵の絶対数が減ったことは必ずしも悪い方だけに働いてはいない。だが、時間の経過と共に悪化していくのは確実だった。
「偵察兵! 敵の大将はまだ見つからんのか!?」
「まだ大きな動きを起こしていない。鎧の中に紛れているはずだが判別には時間がかかりそうだ!」
「急いでくれ! ムゼッカ様が動いてくださらねば被害はいたずらに拡大する」
「報告! いつの間にか戦場に入り込んでいた正体不明の四人組が援護を始めている! そして理由は分からないが、ライチ様が一緒におられる!」
「ご無事だったか! しかし、援護とはどういうことだ?」
***
転移した位置が絶妙過ぎて、誰ひとりそこから動く必要がなかった。敵の注目を一斉に浴びたからだ。そして戦術級呪文を炸裂させた中心に、黒の鎧姿ばかりが集まってくる。
「ホッグ、あんたの二本の剣の片方をオレにくれないか? 試したいことがあるんだ」
「え? は、はあ。いいですけど」
「そんじゃ、くれる方を構えてくれ。呪文をかける」
ホッグが予備の方の長剣を構えると、ヴァンは珍しいことに三秒もかけて何かの呪文を通常詠唱した。
「実験が成功ならそいつは一撃限りの大打撃を与える武器になってる。大振りでも何でもいいから頭か胴体に当ててくれ」
ルーシャが口を挟む。
「何それ? あたしのナイフにもかけてよ」
「一撃で壊れるぞ? それに実験に使うには小さすぎるしな」
「……何の実験なのよ」
「パティ、いいって言うまで明かりは待ってくれ」
「はい!」
それ以上、話している余裕はなかった。総勢二十以上の全身鎧の妖魔族が押し寄せてきたからだ。体格が明らかに違う者も混ざっている。
ヴァンは槍を構えて待った。全知で敵味方の現在位置を脳裏に描き続けるつもりだったのだが、把握できるのは味方だけだった。静心応魔に切り替える。こちらは正常に感知できた。ホッグより前にヴァンが乱戦に入った。
眼の前に来たのは二体の大柄な妖魔族で、ひとりは斧、ひとりは両手剣を持っている。全知で種類を調べる試みはやはり失敗した。
斧の方を突きで牽制すると、それを好機と見て剣が槍の柄を全力で叩き落としに来た。槍を一回転させて剣を避けるついでに手首関節の隙間を狙う。
普段なら無茶な試みだったが、闇商人と戦うために解放した最上級身体賦活の呪文が、極めて精密で力強い攻撃を可能にした。利き腕の関節を破壊されて剣が後退する。
同時にホッグの間合いに鎧が入った。ヴァンは自分とルーシャをかすかに光る結界で保護して、ホッグたちの様子を観察した。
「はふっ!」
独特の呼気と共にホッグは剣を横に振るった。鎧を過信した敵は弱そうなホッグの攻撃など目に入らないと言わんばかりに、自らの大槌を振りかぶった。
鎧の脇腹に剣が命中し──あっさり折れた。
誰もが驚いた。ただひとり冷静なヴァンを除いて。半呼吸ほど間を置いて、折れた剣先が小さく爆ぜた。粉々になっている。同時に鎧の脇腹が巨人の一撃でも受けたかのように派手にひしゃげ、着用者も弾き飛ばされた。生きているとはとても思えない威力だった。
「な、な、な……」
言葉にならないホッグ。当然と言える反応だが──
「ホッグ、剣を交換しな。うまくいった。ありがとよ」
斧がヴァンの結界を二度、斬りつけた。ヴァンは向き直って結界を解除しようとしたが、その必要はなかった。
斧の妖魔が、体当たりで鎧を結界に当て、消してしまったからだ。
「む、気づくのが早いな。頭回るぞこいつら」
ヴァンはそのままの勢いで突っ込んでくる黒い鎧を、受け止めるふりをして相手の力を誘導し、地面に頭から挨拶させた。ルーシャがその鎧の隙間から頭部を刺し、即座に絶命させた。
だが好調なのもここまでだった。
ヴァンの槍もルーシャのナイフも、今の戦いを見て警戒しだした敵の隙を突くことができなくなり、増援が増えていく中で体力だけをいたずらに磨耗させられ始めた。
ホッグは元よりさほど戦闘力が高くない上に警戒までされて、剣を叩かれて取り落としそうになっていた。
「パティ、頼む!」
炸裂する一瞬の強烈な光。
明かりの呪文……閃光と呼ぶにふさわしい効果が最も役に立った。鎧姿は一様に目を瞑り、その隙をついて劣勢を覆すべく武器が踊り、三体の妖魔族が地に伏した。
しかしそれさえも対策を立てられる。パティが呪文を唱え始めると同時に俯き加減になり、直視しない戦法を取られたのだ。
パティを最重要標的と認識した長槍の鎧姿が、踏み出して武器を突き出した。しかしそれはパティに届かず、突如現れた金属質の獣の胴で滑り、獣は槍をまず噛み砕いてから持ち主に踊りかかった。ヴァンがパティを護らせるために造った守護獣だった。
白銀の狼を模した魔法生物は得難い増援だったが、劣勢を覆すほどのものでもない。
ヴァンは頃合いを計っていた……瞬間転移による逃げだ。敵を倒すのにかかる時間は増える一方、その倍の速度で疲労も蓄積していく。転移のために全員の居場所を確認したそのときだった──
「先生! あそこ!」
パティが集落の広場を抜けたあたりを指した。妖魔族の侵攻はそこまで及んでいて、次々と牽制を放ってから逃げていく男たちの中……ひとりの痩せた初老の男が、鎧兜の顔からナイフを引き抜いていた。倒れる鎧姿。
見ればその男の移動したと思われる場所に、倒れている鎧がもうふたつあった。
「ムゼッカ様!」
若者のひとりがそう呼びかけて鎧姿の一体を指していた。その男──ムゼッカは白髪混じりの茶色の短髪を掻きつつ、悠然たる足取りで示された敵に歩み寄った。
ヴァンは仲間と守護獣に落下減速をかけてから、四十メートルほど上空へ瞬間転移させた。敵も味方ももはや戦いを止めて、ムゼッカとその相手の一挙手一投足に注意を集中していた。
特等席で見せてもらうつもりだった。
「お前さんが今日の大将か」
ムゼッカは問いかけるでもなくそう言うと、一歩だけ深く踏み込んだ。次の瞬間、信じられない急加速をして大将に肉薄していた。両の手のナイフが閃き、無造作にも思えるその斬撃が鎧を傷つけ始めた。
その速さは尋常ではなかった。腕が六本あるようにすら見えるほどの連続攻撃。だが、いかんせんその攻撃は軽く、鎧の表面に傷を増やしているだけに見えた。
大将は間合いを空けて連接棍を振り回そうとしていたが、ムゼッカは影のように付き纏い、至近の間合いを外させなかった。その間も攻撃の手は少しも緩まない。あくまで鎧の表面に留まっていたが、傷が見る間に増えていった。
妖魔の大将は苦し紛れに足を振り上げるが、その蹴り足を取って振り上げを手伝うと、鎧姿が宙を舞った。全身鎧を着込んでいるとは思えぬ体捌きで宙返りをして足から着地した大将、だが着地の硬直を狙い、心臓の真上からナイフを深々と刺された。
幻惑の乱撃の最中、その場所だけ繰り返し斬りつけて、穴を開けていたのだ。血の跡を引いて抜かれるナイフ、倒れる鎧姿、湧き上がる歓声。
戦いはたったこれだけのやり取りで終わってしまった。
大将が敗れたと知るや、妖魔の軍勢は粛々と退却していった。
ヴァンは絶句していた。横目でルーシャを見やる。
「……見てた」
ルーシャの短い拗ねたような反応にもすぐに言葉が出ない。
「……あれはヘインなみじゃねえのか?」
ヘインとはパティを売り飛ばそうとしていた山賊の首領だった男で、人間の限界を超えた戦士だった。ヴァンが辛くも心臓凍結の呪文で仕留めたが、それとて幾つもの偶然が呼んだ奇跡に近い。
「ヘインさんを知ってるんですか?」
「ライチ……知り合い、なのか?」
「祖父から名前だけ。しきりに、いつか殺すと。でもとても懐かしそうに」
ライチは微笑んでいた。
「ご覧になったあの人が、祖父のムゼッカです」
「パティ、ちゃんと見てたか?」
「うん。先生、あれは何ていう魔法なの?」
これに驚いたのはルーシャとホッグだった。ルーシャは反論した。
「魔法なんて使わなかったでしょ? あの人、ずっとナイフだけで戦ってた」
「使ってたんだよ。マナが活性化や移動を目まぐるしく繰り返していた。たぶん魔術だろうな。そんな風にマナを扱うのは他の系統の魔法にない特徴だ……しかし解せないことがひとつある」
ヴァンはまたも視線を下に落とした。ゆっくり落下していたが、もう高さは二十メートル強ほどになっていた。そして、下から見上げる人々の注目も浴びていた。
「あたし分かったよ。あの人、魔法使ってるのにマナが少しも減らなかったよね?」
「それだ。詳しく聞かせて欲しいところだが……」
ライチに目を向ける。その意図は容易に読めたので彼女は答えた。
「命を助けていただきましたし、紹介くらいはしますよ」
「ありがとさん」
ヴァンは呪文を制御して落下速度を早め、地上が近づいてからまた減速して着地した。
***
犠牲者を悼む泣き声、慰めの言葉、運ばれていく遺体……。
ヴァンは居心地の悪さを感じたが、今はそれどころではなかった。あのムゼッカとか言う達人と一刻も早く話をしたかった。
「ライチ、無事だったんだな!」
「ライチ様、その人たちは?」
思惑は外れ、たちまち人だかりに囲まれてしまった。
「ご心配をおかけしました。敵に追われていたところを、この方々に助けていただいたんです」
「それにしたって他所者を連れてくるとは……」
非難がましい声も上がった。ヴァンがそれに答える。
「オレたちはライチを追いかけてた奴の罠でここに落とされたんだ。責めるべきはライチじゃない」
「あんたが隊長か? 名前は?」
「まあ、この四人を隊と呼ぶならそんなところかな。ヴァン・ディールだ」
「ディール、来てくれ。長老からお言葉がある」
(お言葉、ね……)
他の四人もついて来ようとしたが──
「ライチ様はムゼッカ様の元へ。安心させて差し上げてください」
「長老のところにいるって伝えてくれればいいだけでしょ」
「長老はそれをお望みではありません」
ヴァンは予想通りの言葉にうんざりしてきた。
「サムソン様ね? なおさらあたしが行かないと。止めても無駄。力づくっていうならこの獣が暴れ出すけどいいの?」
パティの守護獣を指す。無論、そんなものライチの出任せなのだが、信じる根拠も疑う根拠もなくては判断のしようもなかった。反応に満足すると、ヴァンを促して歩き始めた。
「あんた、かなりのおせっかい焼きだろう?」
「あなたに言われたくはないかな、ディールさん」
「ヴァンでいい。家名で呼ばれるのは苦手なんだ」
集落の人々は道を開けた。途中、パティがヴァンに声をかけた。
「先生、この子いつまで出たままなの?」
「ああ、守護獣のしまい方を教えてなかったな。しばし休め、我が盾よ。これが合言葉だ」
パティが復唱すると白銀の狼は光になって腕輪の真珠に吸い込まれた。パティは真珠を撫でながら呟いた。
「守ってくれて、ありがと」