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三・どうするかな

 六月一日、正午すぎ。

 開戦予測日時……六月二日深夜~六月五日午後。

 準備状況……多くの点で不十分。


 ***


「へぇ。ここが作戦本部か。あの短期間でよく設営したもんだな」


 ヴァンが眺めている天幕は、二十人が余裕を持って寝られるほど大きかった。設営場所は里の中央広場。

 ヴァン以外にこの場にいるのは、ホッグ、ライチ、そして腕の筋肉がやたらと発達した女偵察兵だった。男でもそうそう引けそうにない大弓を背負っている。名をベルナデッタというらしい。伝令とのことだったが、それにしては言葉遣いがぎこちない。


「いくつかお伝えするようにと……ああでも、まずは司令室へ」


 天幕の内に乳白色の薄い仕切りがあり、通路と部屋を分けていた。

 司令室まで歩く僅かな間に何度か躊躇いを見せたライチだったが、結局ヴァンに耳打ちをした。ヴァンはため息を吐いた。

 あまり顕にしない苛立ちが見え隠れしている。だが口調は軽く……。


「お? 椅子があるじゃんか。座り心地は……悪くないな」

「地上にしばしば足を運ぶ者が、それを知っていたらしく……」

「そうか。じゃあ、報告を……椅子にかけてからしてもらえるか?」

「お、おう。重要なことから報告する」


 ベルナデッタは言われたとおりに椅子に座り、緊張した面持ちで話し始める。


「手短に列挙する。キ・ハ長老があんたの要請通り、大精霊と交信をした。結論としては、ベヒーモスは提案を受け入れたのだが、長老ではなくロディエスを指名した。次だ。ムゼッカ様は強力な魔酒でなんとか活力を維持している。だがライチによれば夜間に何度も吐血するという。キ・ハ長老もそう長くはないと判断している。後継者の育成は順調らしい」


 ヴァンはここで空の杯を差し出し、止めた。


「一気に報告すると喉が渇くだろう。慌てなくていいから飲み物を含みながら、な。少し早めくらいの口調でいいから」

「す、すまぬ……アベル長老班の結界装置作成だが、概ね順調に進んでいるそうだ。まだ試行錯誤が必要ではあるが、虹使いたちの呪力を旗に流すことは失敗しなくなった。次。魔法担当補佐によるふたつの呪文の指導、こちらも順調。まだ威力面で不安があるが、最短で敵が来ても各々の役目を果たせるそうだ。次。サムソン長老指導下の射撃訓練だが、成果は上々、偵察兵と戦士隊だけで戦果の八割を上げると保証されている。以上だ」


 ベルナデッタの息が詰まった。ヴァンの鋭く睨む眼光に圧されて。


「今の報告……」


 恵みの実をひとつ取り、手のひらの上で片手だけを使い四つに割く。


「どこまでが真実だ?」

「……」


 割いた実をひとかけ口に放って飲み込み、言葉を続ける。


「それほど答えにくい問いだったかな?」

「……」


 不慣れな伝令から言葉は出てこない。出てくるのは嫌な汗ばかりだ。


「ベヒーモスとムゼッカの件は偽りないんだろうが……他は実際はもっと悪い。違うか?」


 弱々しい吐息とともに絞り出した言葉は──


「……その通りだ」


 ヴァンは瞼を一度閉じ、深く息を吐き出し、吸う。開いた目には猶も怒りの色が残っている。


「特に弓術は壊滅的な状況だろう? それを誤魔化すためにあんたみたいな、昔から弓の腕を磨いてきた奴を選んで、オレへの報告役にした」


 ベルナデッタは返す言葉もないらしい。自ずと項垂れてしまう。


「サムソン……あの爺いは何だ? 過去の栄光にすがってるだけの勘違い野郎だろう!」


 ヴァンは椅子を引いて立ち上がった。戸惑うベルナデッタに言い放つ。


「今すぐ射撃訓練場に向かう。案内を頼む」

「一体何を!?」

「愛すべき耄碌お爺さんと楽しい楽しいお話し合いをしに行くのさ。長老の座から引きずり下ろす」


 彼女は全身の血液が引いていくのを感じ、机に手を突いてよろけそうになる体を支えながら必死で声を発する。


「や、やめてくれ! いろんなものが滅茶苦茶になる!」

「いい機会だ。この里は一度死ぬ必要がある。今なら敵が押し寄せる前に立て直せる。予定外も予定外だが仕方ねえさ」

「先生! あたしも行く!」


 出口へ向かうふたりに置いていかれまいとパティが叫んで後を追った。出て行ったのを見届けると、ライチもまたため息を吐いて卓上の皿を片付け始め、ホッグがそれを手伝った。


 ***


 ムゼッカによる辻風の指導は徹底的に効率を重視したものだった。


「無駄な動きは一切するな」


 ルーシャはその言葉を何十回聞かされたことだろう?

 百を超えるかもしれない。


「辻風は、武を知らねえ者のための武術だ。余計なことはする必要ねえし、余計なことをしねえことでより強い技になる」


 バゼットディエルエという、辻風使いではない妖魔族の戦士を相手にすることで、それはより強く実感できるようになった。脱力した時のほうが滑らかに素早く相手の懐に潜り込めるのだ。側面や背面を取るときも同じ。攻撃についてもまったく同じで、最小限の力しか使わない方が正確な動きとなり、威力も最大となる。


「力任せの攻撃なんぞ筋肉馬鹿にやらせとけ。オレたちの辻風はそんなのとはまったく違う。水に溺れるのと踊ることほど違うんだ」


 無論、ムゼッカの言は理想論である。現実的に肉体的戦闘能力を極めようとしたら、膂力にも敏捷性にも優れている方がよい。しかし、無駄を省くことが戦力の増加につながるのもまた真実である。


「笑う奴には笑わせとけ。しつこかったら悶絶させてやれ。辻風を信じろ。おめえ自身とオレを信じろ」


 もし体力に優れたものが辻風を覚えたら?

 と、問いたくもなるが、それはいらぬ心配だ。辻風はそういう奴に教えないからだ。師匠が教えないように、ルーシャも教えたりしない。

 辻風はあくまで、弱い者のための戦闘術なのだ。


 バゼットは徐々に手を抜けなくなっていき、ルーシャは確かな手応えと共に、着実に辻風をものにしていった。

 だがそれは、ムゼッカの衰弱とも並行しているのだった。


 ***


 射撃訓練場はすぐ見つかった。悲鳴と怒号が森の中に響きわたっていたからだ。森の一角を伐採して見通しよくし、そこに四十人弱の偵察兵たちが実戦さながらの射撃訓練を行い、救護兵やあまり見なかった神官たちが忙しげに治療をしている。


「命知らずのヴァン・ディールが来てやったぞ! 長老の汚点サムソン! びびってないで出てこい!」


 鎧を着こみどっかりと腰を降ろして訓練を見守っていたサムソン。その左手に握られていた鉄の杯が歪んだ。決して杯が脆いわけではない。老人に似つかわしくない握力のためだ。


「……射殺せ」

「他の者達に宣言しておく。オレに弓を向けたら次の戦には出られないと思いな」

「サムソン様、あそこに!」

「見えておるわ間抜け! ……どうした? なぜ弓を引かぬか!?」


 怒声に怯えてヴァンを狙った四人は、即座に腕を魔術で切り裂かれ、悲鳴をあげて逃げ出した。

 頬を引きつらせながら、体格のいい老人はがなる。


「余所者が! 何をしにきた!?」

「オレと立ち会え。てめえは武器も鎧も、使えるなら魔法でも魔酒でも何で

も使っていい。オレは体ひとつで闘る。呪文も使わん」

「図に乗……」

「話は途中だ! 勝負はどちらかが負けを認めるまで。お前が勝てばオレは下僕でも何でもしてやるが、オレが勝ったら……」


 どんな剛弓からの矢よりも強く、抉るような眼光がサムソンのそれと衝突した。


「長老も戦士団長も、すべて降りろ」


 その視線を向けられた老戦士の目も剣呑な光を増す。


「なぜ儂がそのよ……」


 だが、言わせない。


「腰抜けが早速、言い訳を始めたか」


 サムソンの怒りが沸点に達した。


「武器は何でも良いのだったな? 大戦鎚と刺楯を持て! 愚図愚図するな!」


 準備を終えた重装の老戦士に対し、徒手空拳のヴァンが呟くように言葉を放つ。


「その格好じゃ歩くのも大変だろう。こっちから近づいてやるから遠慮なく殴れよ」


 無造作に歩み寄っていくヴァン。見守る者たちも息を詰めて接触の時を待つ。


「餓鬼……簡単に音を上げてくれるなよ……」


 サムソンの間合いまであと半歩、ヴァンの片足が浮いている瞬間に、サムソンはヴァンに突進した。武器など使わずとも、板金鎧の肩当てから衝突すれば、怪我は必至──のはずだった。


「うお? ぐぁ!」


 誰ひとり見極めることができなかった。肩から斜めにヴァンに突っ込んでいったサムソンが、気づくと宙を舞って大地に勢い良く叩きつけられていたのだ。


「勝手に転ぶなよ。起きろ爺い」


 上体を起こしざまに振るった戦鎚はあっさり間合いを外される。

 両足で立ち上がり、ヴァンを睨む。


「面妖な真似を……」

「お前が鈍すぎるだけだ」


 奥歯を噛み締める音が聴こえた。


(怒れ怒れ……血が頭に上るほど、お前は弱くなっていくんだから……)


 ヴァンとサムソンの身体的な強さには、さほど差はないだろう。若いが筋力はせいぜい人並みのヴァンと、老いてはいても全身鎧に大楯と戦鎚で長時間動き続けられるサムソン。

 まともに戦えば、倒れるのは間違いなくヴァンのはずなのだ。

 どちらも軽装であれば、拳が当たることもある。当たったときにより打撃が大きいのは、体重でも腕力でも勝る老人の方なのだ。

 だから、あえて、そうさせなかった。

 だから、あえて、冷静にさせない。

 ヴァンは、狡いだけなのだ。


「こ……小僧……が……」

「何だよ爺ぃ、もう息上がってんのか?」


 余裕を装って嫌味に嗤う。

 大振りの戦鎚が来る。

 身を捻って避ける。

 だがその直後に続けて放たれた蹴りが膝を薙ぐと、予想しきれなかったヴァンは前のめりに倒れる。歯で唇の内側を傷つけ、血の味を思い出す羽目になる。


「ふんぬ!!!」


 次いで振り下ろされた戦鎚は、転がったヴァンの脇腹を掠める。

 それでも走るのは激痛……だが、予想していたヴァンは悲鳴を抑え込んでいる。


「……へっ、この程度か……」

「おのれ……」


 怒りの火力を落とさないように、油を注ぎ風で煽る。だからサムソンの攻撃は──また空を切る。

 大振りの一撃に合わせて間合いの内側に入り込み、力ではなく敵の動きの勢いを利用して投げる。鎧の重量を打ち消すほどの膂力と武器の重量があってこそできる芸当だ。投げられる方に、である。


「なぜ……だ……な……ぜ……」


 呼吸が限界を超えているサムソン。体力的にはまだ動けるのだろうが、すでにその心が折れ始めていた。


「もう終わりか? 爺ぃ」

「誰が……!!!」


 老人が戦鎚を右上に構える、その動きに合わせて魔術師が肩からぶつかっていく。振り上げの勢いを後押しされてぐらつく。眼窩に指をこじ入れ、倒す。

 汚いというのは、戦場では通用しない。故に誰も非難はしなかった。息を呑んで見ている。視力を奪われた長老が、腕を踏まれ、剥き出しの顔面を掌で打たれるのを。楯を捨てた手で足を掴もうとするのも蹴飛ばされ、身を起こそうとすればまた引きずり倒される。

 戦いとすら呼べぬ攻撃は、いつまでも際限なく続くかと思えた。このままではサムソンは嬲り殺される──そう思ったのであろう。


「お、おやめください……ヴァン殿!」


 弓を持った男──偵察兵のひとりが悲鳴のような声で制止した。だが、ヴァンは耳を貸す素振りも見せない。


「やめないなら……やめないのなら……」

「やめさせたいなら、お前がしろ」


 抑揚のない声に男は身震いした。


「何を言って……」

「勘違いするな。オレに代わってこいつをってことじゃない」

「……は?」


 思考が停止する。何を言っているのか、今度こそ本気で分からない。ヴァンが横目に見つめてくる。背に悪寒。


「負けを認めることができないこいつの代わりに、お前が判定しろ。この勝負の結果を」


 蹴るのをやめて、今は踏みつけているだけ。だが、サムソンは動かない、弱々しく動こうとする腕は体重をかけられて封じられる。


「気づけ。愚かな指揮官に従い続けることが、どれだけ害になっているか。声を上げないことで、現状を良くしようとしない過ち……」


 ヴァンは誰を見るわけでもなく、腹の底から声を張り上げた。


「ここにいる全員! お前たちもだ!」


 打撃音もやみ、静かすぎて聴覚を失ったように感じてしまう。集団の中には先の弓兵のように、ヴァンに弓を向けるつもりの者もいたのだが……機を逸し、気を挫かれ、矢を番えることすらできぬまま立ち尽くしている。

 耳には先程まで聞こえていなかった樹々のざわめきが入ってくる。


「……誰も止めないなら、続けて問題はないな」


 ヴァンが低く告げる。そして……


 ──砕けた──


「もうやめてくれ! 勝負はついている!」


 全員の心が折れていたのか、サムソンの敗北を伝えた男に反対する声は、誰からも挙がらなかった。


 一方で、ヴァンは誰にも聞こえぬように独りごちていた。


「……さて、どうするかな」


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