一・逃げようか
シュタインはノイゼルートと飲んでいた。ずいぶん長い時間になるが、この店は昼夜に関係なく営業しているようだ。庭に設えられた席に陣取って中を時々覗くが、客の増減はあっても絶えることがない。飲み物も良質で、軽食も申し分のない味と量だった。
「へぇ。じゃあ王様は君の魔酒を飲んでいるってわけだね?」
「おいらの酒しか飲まねえって聞いた。ありがたい限りだ」
(物が魔酒だけに喜んでいいんだか悪いんだか……)
「けれど……今からきついことを言うよ。君には向上心ってものが足りないみたいだね」
「な! そんなことはない! おいらはいつだって最高を、より優れた魔酒を造ろうと……」
「なぜ魔酒にこだわるの?」
「……なぜっておいらは魔酒造りだから……」
「なぜ合法の酒じゃいけないの? 君の力量ならいきなり頂点は無理でも、手順を踏めば名酒に並ぶ品質の酒くらいはすぐ作れるんじゃない?」
シュタインの説得は流れるようで急ぎすぎず、問いを投げては相手に考えさせ、時折冗談を交えながら和やかな時間をふんだんに使って続いた。
最終的に、ノイぜルートはその言葉に打たれ、自首とやり直しを誓った。
目には見えない魔法の枷をつないだ瞬間……予想外のことが起きた。
店に殺気立った集団が飛び込んできたのだ。
***
「鎧職人ユリウスはこっちに向かっている。間もなく着くはずだよ」
開口一番、フォウがそう言い放った。
「あいつを呼んだのか? 近頃ますます心をやられていると聞くが……」
「この面子を前にそうそう馬鹿げたことはできないだろ」
理解が追いつかないヴァンにフォウが耳打ちする。
「ここにいるのは全員部族の長、長の代理、またはそれに準じる立場の者たちなのさ。オレは違うがな」
それに続けて、穏やかな声の巨体の妖魔。
「そしてすべてが部族の総意もしくは多数意見で、これ以上の戦争継続を望まないという点で一致しております」
「なるほど。オレはヴァン、人間の使者と思ってくれていい。好戦派と穏健派の人数的な割合はどんなものなんだ?」
「自発的な好戦派が約四割、訳あって参戦せねばならないのが二割強、残る三割強が穏健派です」
ヴァンは座っていた椅子から立ち上がると椅子を裏返した。背もたれを前に抱き抱えるように座り直し、声量を落として続ける。
「で、こんだけ大げさな会合を開いたんだ。オレへの依頼というか、使命とかそういうものが用意されてるんじゃねえか?」
薄い衣を羽織った美女が微笑みながらヴァンに杯を差し出し、言った。
「さすがは敵方の策士と言われる方ですね。魔酒をどうぞ。疲れが取れますよ?」
「悪いが魔酒は遠慮する」
「残念。ノイゼルート以来、我がキーポリ一族の魔酒はまったく売れなくなってしまいました……」
淋しげに床に落ちた視線にいたたまれなくなったというわけでもないのだが、考えなおしてヴァンは答えた。
「すまん、やっぱり一杯くれないか? それから……オレへの指示なんだが……」
「時間がないので焦るのは分かるが、しばし待ってくれ」
「我らは迷っておるのじゃ」
「逆に聞かせてくれ。貴殿に何ができるのか……何ができないのか……」
いくつもの瞳孔がヴァンを注視した。その視線から逃れられずに、ヴァンは居眠りをしているような形で頭を垂れた。
「簡単に言ってくれるぜ……何ができるのか? そんなもん状況次第じゃねえか。キーポリの魔酒、美味いな。それだけじゃなく、悪酔いや宿酔いもしないようにされてる。たぶんこれ、酒本来の中毒性まで中和してるだろ? 純粋に味と効果で勝負ってのは悪くないが、せめて王城地下の樹液と果実を使えたらなぁ。それができないんじゃノイゼルートには勝てねえだろ」
「あ、ありがとうございます」
キーポリの美女の頬が紅潮している。二股の尾が高く上がったのも、喜びの現れのようだ。
「話を戻すか。例えばオレひとりで妖魔王を暗殺、こりゃきっぱり無理だ。だが協力をもらって相当に有利な状況を作り出せば、案外簡単だぜ、あの酔っ払い爺いを亡き者にするのは」
「誠か?」
「可能性の話だからな。本気で考えたいとも思えない。ナガルフォンと魔将たちを奴から引き離すってのが前提のひとつだ。崩せねえだろ」
ため息が漏れる。
「それだけ展望がないってんならいっそ、計画を立てちまおうぜ」
「どのように?」
今度のため息はヴァンの胸から漏れた。
「あんたら……一族を引っ張る者たちじゃねぇのかよ。そんなんでよく他の奴らも着いてくるな」
「心底、耳が痛い」
「泣き言はなしだ。まずは何をしたいか……目的の設定だ。具体的なほどいい」
「戦争をやめさせたい」
「具体的ではあるが、実現困難だな。やめさせるだけの材料がないだろう? 戦争の首謀者が大事にしている人質とか、停戦によってもたらされる莫大な利益とか」
「なるほど……」
こんな調子で、会合は一時間を超えた。しかし徐々に発言は現実的なものになっていき、有意義な意見が出るようになった。
「そろそろ……まとまってきたか?」
「目的は戦争行動への妨害」
「および、部族単位でできるヴァン……人間族への支援」
妖魔たちの返事に満足して、促す。
「注意点は?」
「策士の目を盗むこと。秘密は何があっても口外しない」
「我らが部族は見繕って可能な限り優れた魔法の品を贈ろう。昔は魔法の品につく我が一族の名は最高級と同じだけの意味と価値を持っていた。安心してくれ。二日ほど貰えれば使い魔に届けさせる」
紫に煌めく蝶の羽を広げ、妖精族の代表が告げる。先に取り戻した誇りがその目に光を灯している。
「我が部族は食糧を騙しとってそれを人間に届ければよいのだな?」
「ああ。食糧ってのはないと困り、あればあるで管理が大変なもんだ。今回想定しているって大遠征では、とても重大な問題になるだろう。仕掛ける頃合を間違えるなよ。主力が自由なときにそんな工作をしたら、ただちに裏切り認定から粛清だぞ」
ヴァンは椅子から立ち上がり伸びをした。真似する者も少なくない。
「やれやれ……時間がかかったがまともな結論が出てよかったぜ」
「うむ……時間をかけすぎた……皆、逃走の用意を……」
石のように物静かな老妖魔の言葉に、場の空気が変わる。
「何?」
「この場所に……辿りつけぬよう……仕掛けを施したのだが……すでに怪しまれて……おるのじゃ」
フォウたちは地下への入り口を次々と開けはじめた。ヴァンはしかし入口の方を向いて──
「先に行ってくれ。ちょいと罠張ってから後を追うからよ」
「ヴァン?」
「早くしな。あんたらはまだ面が割れてないんだろ?」
「わ、分かった……遅れるなよ!」
「さっさと行け! オレを気にしてる場合じゃねえだろが!」
異形の仲間たちに別れを告げ、姿が見えなくなるとひとりごちる。
「まずは地下道の隠ぺいだな……あれ? そういや鎧職人来なかったな……」
魔術を使って地下道の入口を自然な形に埋め立てていく。そしてそれを隠していた卓などを戻し終えた頃、外にマナが集まり始めた。追手のものと見て間違いない。
不敵な笑みがこぼれる。無影身の呪文をかけ直す。おまけが凍結掌。
「うーん、こねえな……」
少し考えてから、雷撃で入り口の扉を撃ち抜く。そこにはしゃがんで様子をうかがっていた偵察兵らしき姿があった。
「なんだ、いたのかよ。今さらこの程度の連れてきたって無駄だぜ。魔将以外は即死させるから……おいでなすったか」
「吾輩は黄の魔将……」
「光雨包囲箭……」
無数の光の矢が天井を突き破って上昇し、上空で散開して落下。その威力は小屋ひとつを崩壊させるに十分だった。
「げほっ、ごほっ……名乗りの最中に攻撃とは卑……」
「弱いな」
言葉が途切れたのはヴァンが触れたためだ。凍結掌の効果で首が冷凍された敵将を手放す。あっけなくその首が折れる。
「こんなにあっさり背後を許すか……魔将ってのもピンキリなのか?」
見覚えのない妖魔がひとり近づいてきた。
「お見事です。ところで私は弱兵の運用について興味がありましてですね……」
そいつが両の手を広げると、その影に隠れていた妖魔兵が殺到してきた。その数、八。連続攻撃を避けざまに手を触れようとすれば、狙った先に刃を向けられる。弱兵どころか見事に鍛えられた連携だった。圧倒的な速度差という優位が全く役に立たない。
唐突に足元が滑り、沈みこんだ。虹魔法の沼一歩であろう。足を引きぬくよりしゃがんで攻撃をやり過ごし、力任せに跳躍して包囲網を飛び越える。
(ち! 最初からあいつを魔将にしとけってんだ……きりがねえが、シュタイン探しながら孤立したのを狩ってくか)
「そうそう、鎧職人は自害していましたよ。遺言が誰に宛てたものか不明でしてね。──何が罪なのかわからなくなった。ロアンナ、そっちに行けたら行くよ──あなたは哀れな狂人を追い詰めたのでしょうか?」
「知ったことか!!」
ヴァンが返事とともに残した置き土産は、半径二十メートル、高さも同じだけある凍てつく竜巻だった。
***
ルーシャの特訓は続いていた。未だに果実も杯も取れていなかったが、辻風の技は確実に盗めている。
「太刀風!」
「おう! やる気か。だが……草薙」
素手に風の刃の切断力を付加するルーシャ。先手を取って低い姿勢で足を狙うムゼッカ。
「揺り草、撫で風」
対するルーシャは回避のための技を使い、そこから斬撃につなぐ。
「揺り草……ちっ、反撃する余裕が……」
「乱れ木枯らし!」
回避を補佐する技を使ったムゼッカに対して、業物並みの切れ味の手刀で間断なく読みづらい連撃を繰り出す。
「うおわ! 疾風! 距離稼がせたら……あ!」
たまらず脚力を倍化して離れたムゼッカだったが、直後、ルーシャの手には恵みの木の実が。
「やっとひとつ。あむ……おいし!」
(予想以上の成果だな。この調子なら間に合う……奥義を叩き込める!)
「師匠」
「んー? どした?」
「この特訓さ、おいしいね!」
「はっ! まぐれの一回で調子のってんじゃねえぞ!」
そっちじゃないんだけどな、とルーシャは思ったが、あえて言わなかった。
***
目立たぬ程度の偽装呪文を使い、屋根から屋根へ飛び移って移動していたヴァンは不意に転がる。小さく風を切る音より、飛んできた方を向く。
「陰の魔将バフェラス、お見知りおきを」
という挨拶の半ばで、鈍く輝く鎖。斜め後ろへ飛び退いて敵と武器の正体を探る。敵は何かの魔法か、半透明に見える。向こう側が歪んで見えるので視認できなくはないが……静心応魔を使うことにした。鎖は無数の短く鋭い刺があるもの。毒を塗ってある可能性も高い。すべて避ける必要があるようだ。
「へっ。時間稼ぎかよ」
「……その言葉、後悔することになると予告しよう」
手始めは圧縮竜巻の呪文。だが魔将は小さな竜巻から一瞬で飛び出す。着地点に氷を張り、滑りやすくする。次には小爆発。
「はた迷惑な戦い方をする奴だ……」
なおも途切れない。水、風、雷、冷気……。
「ぬあああああ! 人間んんんんんんん!」
叫びながら鎖を放つ。しかしヴァンはその瞬間が最も動きづらいことを読んでいた。足元の無数の瓦礫に射出の呪文をかける。鎖をも弾きつつ、超高速のつぶてが魔将めがけて強襲する。体術と鎖を駆使して避けまた防ごうとしたが、被弾は免れず血が吹き出した。
だが真に致命的だったのは……
「過剰荷重でお前の体重は十倍近くなっている。この状態で屋根から落ちたらどうなるか、試してみるか?」
魔将も分かっていた。腕を取られ軽く捻られれば勝手にその方向へ投げられてしまうと。その通りになった。大した高さがあるわけでもないのだが、重さを増した今、落ちてただですむはずがない。追い打ちに何かの攻撃をされたのだが、それを認識することもなく命は絶たれていた。
「見つけたぞ……」
「む? どこに……どわ!」
十近い鉄串が飛んできた方向で敵の位置は分かった。だがそこには影しかない。いや、影の元となるものが存在しない影というべきか。聞き覚えのあるその声は玉座の間で遭遇した魔将に違いなかったが……そのマナの希薄さにヴァンは戦慄を覚えていた。
「随分殺してくれたもんだ……くそったれのオレのだちを……」
影が増えている。さらには違う部族の敵にも見つかったらしい。ヴァンは迷わず逃走を選び、近くの店に飛び込むことにした。
***
ノイぜルートと杯を交わしていたシュタインは、微かな空気の変化に気づいて立ち上がった。そこに、店の壁を突き破ってヴァンが入ってきて──というか飛び込んできてそのまま床を転がった。当然卓や椅子や客たちもろともに転がることになる。しかし、悲鳴に怒号が次ぐことはなかった。ヴァンが作った穴から、無数の凶器と攻撃呪文が飛んできたからだ。
「やあヴァン。大変な場面を作ってくれたねえ。大層なご登場で」
話しているうちにも、どんどん妖魔が入ってくる。店主が泣き言を訴えたが、筋肉の塊のような妖魔の拳で即座に壁まで殴り飛ばされた。
「ようシュタイン、ここにいたか。こいつらしつこすぎてよ、できれば一度身を隠したいんだが……手伝ってくれないか?」
「ほう、他にも人間がいたか。全員死刑だな!」
シュタインは威嚇する妖魔の言葉を意にも介さず、事もなげに言う。
「いいや、僕が全部やるよ」
「何……?」
「見てて」
「おい優男、なに余裕かましてんだよ!?」
その優男は次々怒鳴り散らす妖魔たちの方へ向くと、大仰な身振り手振りで一息に挨拶の口上を述べる。
「皆様、この度は僕の人形の箱へようこそ! 僭越ながら座長を務めさせて頂くシュタイン・シュリーガーと申します。」
「戯言を……まとめて殺せ!」
「はいここで第一の不思議です! 皆さん体が自由に動きません」
「ぬうう!?」
その通りだが、動けないのは妖魔だけではなく……ヴァンの額に冷や汗が滲む。
「シュタイン……てめえ何を……」
「皆さんを人形さんに変えさせて頂きました。はい拍手~……って、拍手できるの僕だけでしたね」
ひとりきりの白けた拍手は、店内の空気を冷やすことしかできなかった。
「人形さんのうち、僕と喧嘩しないことと、友だちになってくれることを約束してくれる方は、喋れて動ける人形にしてあげますよ? あ、友達の友達は友達ですからね~」
(これは……言葉の力を利用した魔術か。シュタインの魔力を甘く見ていたな。確かにこれなら戦う必要は全くない……)
「人形さんたちにはお分かりいただけたかな~? 誰も彼も敵なんてことはないのです。誰だって友だちになれるんです。安心しましたか? 安心できたら休みましょう。ぐっすりゆったり眠りにつきましょう。まぶたを閉じて。心を緩めて……」
どさり、ばたり。音が不規則に連続する。気づけば店内のあちこちに妖魔が倒れているが、怪我をした様子のものはいない。
満足気に一礼をしてから、シュタインはヴァンとノイゼルートだけを揺り起こした。
「じゃ、逃げようか」