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三・似ているのは見た目だけです

 追手を混乱の極みに巻き込みつつ目的地たる王城の酒蔵に侵入したヴァンは……目を疑い、鼻を疑い、耳を疑い、最後に自分の正気を疑った。


「城の地下に……庭園だと……?」


 たわわに果実を実らせたひときわ大きな樹木を中心とした空間がそこにはあった。その木の根本からは何とも言えぬ芳醇な香りの小川が流れていて、その行き着く先にできた小さな池には小魚が泳いでいる。上空から降り注ぐ暖かな光に天を仰いでみると、なんとそこには地底から見えようはずもない太陽の姿があった。

 今は地上も深夜のはずなのだが。


(謎だらけだが、重要なのはここにある魔酒をすべて駄目にすることだ。そのために必要なのはなんだ?)


 中心の木を見ていると、見覚えある実を見つけた。ライチが切り分けてくれたのと同じものである。すぐさまもいで齧りつく。間違いない。

 そして、違う種類の実もあり、いずれも記憶にあるものだった。


(この木は地底空間のあちこちにあるのか……?)


 次に目をつけたのは小川と水たまりを作り出しているさらさらした樹液だった。粘り気らしい粘りがなく、葡萄酒のように味わえる。甘くかつ苦みもあり舌に心地よい。

 味覚を楽しませるのを中断し、静心応魔に集中する。

 最大の反応は中央の木とその根らしき地中の何かだった。辿ればその源を探せそうなものだが、今急いでやるべきことは他にある。禍々しいマナを感知する。小さな池の底。覗き込めば、木樽が幾つか沈めてある。


「ようやく目的のひとつか……」


 呟きながらヴァンは刃鰭鮫を召喚し命令した。攻撃衝動の化身のような鮫は樽に噛みつき食い破り、鋭い鰭で粉砕した。十数えるほどもかかりはしない。

 濁った不純物が池に広がるのを認めると、懐の水袋から小袋をひとつ取り出し、開いて砂のような粉をすべて撒いていく。


「魔酒殺しの偽紅玉……高いんだからしっかり効いてくれよ……むっ!?」


 景色が一瞬にして暗転し、次の瞬間ヴァンが立っていたのは地下牢の一角のような場所だった。慌てて転がると先ほどまで体があった空間を無数の武器が音を立てて薙いでいった。すぐさま立ち上がる。案の定、そこにいたのはナガルフォンと七人の魔将たちであった。


「へっ、強制召喚ね……この程度でオレを追い詰められると本気で思っているのか?」


 ナガルフォンは装飾つきの煙管から純白の煙をゆっくり肺に入れ、吐き出しつつ答える──楽しげに見守るような目で。


「殺せずとも問題はないのですよ。貴方の策はすべて潰えておりましょう? あとは貴方を生きて帰さぬことで、我らの勝利は確定するわけです」


 違和感に身をよじった。瞬間、眼前まで浮遊してきていた白煙が鋭い牙を噛みあわせた。哄笑の声が追いかける。


「迷子の囚われの小鳥よ、どうします? どちらが正解か? どちらが死への経路か? どうやって判別しますか? ふふ……」

「易い問いだ」


 続くは無詠唱の残照熱波。優位を驕る策士に向けて角度の広い扇状の超高熱を発すると、巻き込まれて煙の魔獣はあっさり蒸発した。ナガルフォンも苦痛に顔を歪め、慌てて範囲外へ逃れようとする。

 熱波が開いた経路で牢の隅まで走ると、音豹駆の呪文を天井に撃った。天井に大穴が開き、幾つもの瓦礫が落ちてくる。構わず強化されたままの脚力で跳躍し、上の階層に足を降ろす。

 確かに見覚えがあった。侵入時に使った廊下だ。不可解な軌道で襲い来る飛び道具を避けながら、出口目指して駆け出す。その頭に直接思考が流れこんできた。


(ヴァン・ディール、どこへ行くのです? この私から逃げ切るなどということが本当に可能だとお思いですか?)


 心話をかけられたということは、見張りの呪文もかけられているに相違ない。順に解除しようとしたヴァンは、次の言葉に思考が止まった。


(我が師スウォート・イズラシアのためにも、貴方にはここで死んでいただきますよ)

(スウォートの弟子だと? お前は恨み募る人間に教えを請うたことがあるのか?)


 疑念に答える心の声に含まれる笑みの質が変わった。酷く突き放したような嘲りの響き。


(師は私と同じく混血ですよ。私は人間と妖魔の混血。師は……貴方が知りたがるでしょうから教えません)

(くだらねえ)

(こちらはお教えしましょう。師の居場所です)


 全力以上の疾走をしながらも乱れていなかった鼓動が大きく跳ねた。


(北方のエイルアーズ王国、天女の湖の城にお住まいです)

(けっ。感謝しとくぜ、嘘の可能性も含めてな。さあ、そろそろ始めようか、本格的な追いかけっこを)


 同時に自分にかけられていた感知系の呪文をすべて解除する。前提が崩れた心話の呪文もまた消失した。


(さて、あとはどこをどう逃げるか、だな。シュタインの野郎とも合流する必要があるだろうし、その前でも後でもいいから鎧職人とも接触しておきたい。ついでに穏健派の部族とも……順序的には間違いなんだがな、謁見が重要すぎるから後回しにせざるを得なかった)


 そこまで考えた時、石畳の道の眼前に分厚い石壁が生えてきた。ヴァンは呪文で強化された身のこなしでその壁を駆け上り、そのままの勢いで後方に着地した。石壁に突き刺さっているのは鉄製の杭とでも呼ぶべきもの二本。その長さは肘から先ほどあり、太さも人の腕さながらだ。


(今はひとりか。こいつだけなら……倒せるか?)


「人間の魔術師よ、あらかじめ言っておく。オレは弱い」

「へぇ? 嘘なら怖くないんだがな……本心だとすると、それほどおっかねえ宣言はねえよ」


(静心応魔に残り六人の反応はない……どう判断すべきだ? 策士は奴ら全員に連携の利くような呪文をかけたのか? それもなさそうだ。あの将たちは功名心が強すぎて連携を嫌うだろうし、反発力が酷く高いのもいたからな。だとすると、こいつは何を言っている?)


「疑うことはない。簡単だ。オレを殺せ」

「……は?」

「オレは利用されている。部族の皆もオレが将という立場にいることで戦いへの参加を余儀なくされている」


 信じる根拠は薄いが、真実であるなら利はある。ならば──


「よし、それについちゃ考えてみよう。だがあんたにも協力してもらうぜ。名前は?」

「パゼットディエルエ」

「パゼット、今から鳥籠の呪文をかけるから抗ってくれるなよ」


 鳥籠の呪文は魔法の鳥籠に小さくしした敵を閉じ込めるというものだ。捕まえて利用しているという建前のためである。反発する気配もなく鳥籠に収まったパゼットに問いかける。


「人間の鎧職人がどこにいるか知ってるか?」

「散呪の鎧か。少し先に工房がある。案内しよう」


 ***


 場面は一度、隠れ里近くの森の中に移る。早朝と言うにも早い時間だったが、ルーシャはムゼッカに叩き起こされて、有名な絵画の不機嫌を象徴する女神のようにふくれながら、それでもおとなしく師の後を歩いていた。


「師匠ぉ? あたし朝弱いんだけど?」

「へぇ。なら夜這いかけるにゃ早朝がいいな」

「この変態老人……本気でそういうつもりじゃないんでしょ? 何なのよ一体? そろそろ教えてくれてもいいでしょ?」

「好奇心旺盛だな。まあ、答えは見りゃ分かるこった」

「そんなのばっか……え?」

「空気、変わったろ?」


 鬱蒼とした森の中に……妖魔王の城の酒蔵と同じような静謐な空間があった。見えないはずの陽光を浴びながら弾く中央の一際大きな木、その周辺に繁茂する青々とした草木。無論、ムゼッカもルーシャも妖魔族の集落に入ったことはないのだが……。唯一、池はなく簡易式の水路が組まれているところが違う。そこここから甘美な香りが漂ってきて鼻孔をくすぐる。


「ここって?」

「大空洞にいくつもあるっていう、恵みの庭さ。中心の木は恵みの木。悔しいけどなあ、ライチの料理が美味いのもここの材料を使ってるってのが大きいんだ。腹は満ちても腹が立つってもんよ」

「は……はあ……」

「流れてる樹液を飲んでみな。空の杯持ってきたからよ」


 躊躇いはしたが、受け取った杯で水をすくい、口に含んでみる。


「……うそ、これ本当に樹液なの?」

「薄い砂糖水みてえだろ? 実際に料理では水の代わりに使うしな」

「あたしすごくお腹すいてきた……」

「そうだろうよ。それが狙いだからな。くっくっく」


 いい加減に聴き慣れてきた、人の悪い忍び笑い。


「へ?」

「今日からここで特訓だ。お前はここの果物をいくらでも食っていい。樹液が飲みたきゃオレの腰の鈎に引っ掛けた杯を取れば飲んでいい。ただし、オレはお前が恵みの木に近づくのを全力で阻止する。杯もただでは取らせん……分かってきたか?」


 からかうように横目を送る老人に、怒りを込めた微笑みを返す。


「なるほど、飲み食いするたびに師匠を叩きのめしていいってことね。分かった」

「口の減らねえ嬢ちゃんだぜ。昔の……業師の戦い方なんぞに頼るなよ。辻風の特訓なんだからな」

「ん。始めていい?」

「おう。うまく盗めよ」


 盗むが二重の意味を持つことくらい……


「言われなくたって!」


 分かってる。

 そのつもりで、それでも、ルーシャは分かっていなかったのだ。

 ムゼッカの早すぎる目覚めが、大量の吐血によるものだったことの方は……。


 ***


 ヴァンはなるべく人気のない道を選び疾駆していたのだが、


「先回りか……」


 裏通りの広い道でそいつらに出くわした。

 二人組だった。男の方は魔将のひとりで見覚えがあったが、女の方は初対面だ。その、全身に赤の紋様を入れた女妖魔がヴァンを睨み、魔将へ腕を差し伸べた。

 次の瞬間──


 魔将の首が宙を舞った。

 女が刎ねたとしか見えない。

 細工を疑おうとするヴァンの思考を、抑えながらも突き刺すかのような声で遮られる。


「めんどくせえからいろいろ省くがこいつで信用してくれや。オレはフォウエ・ミ・アンセル。フォウでいい」

「……ナガルフォンの策としてはありえそうだが……」

「魔術師なんだろ? 嘘を見抜く呪文使えよ。下級呪文なら妖精族の結界も反応しねえから」

「かけたが、あんたはオレを害したり騙したりするつもりはなく、そうする利もないようだな?」


 左の眉だけを一瞬上げ、彼女は右拳を胸に軽く当てる。妖魔の礼であろうか。


「どれもない。あんたに協力を頼みたくて接触した。この接触について言えば、オレたちの部族全体が危険を被る」

「らしいな。質疑応答は終わりだ。しかし、あんたいい女だな」


 フォウはこの言葉に全身文字通り赤くなり、過剰な反応を見せる。


「く、くだらんことを言ってねえでオレの後についてきやがれ! はぐれんじゃねえぞ!」

「その前に寄りたいところがあるんだが……」

「誰だ? 相手によっちゃこっちで呼ぶ」

「散呪の鎧だっけか? あれを作ってるやつだ」

「任せろ」


 言って右手を振ると、長くもない袖から猫に似た生き物が五匹現れ、散り散りに走りだした。疑問だらけの状況だが、走り出したフォウを追う他ない。だが無影身の呪文はまだまだ持続する。余裕で並んでしまい、仕方なく口を開く。


「なあ、これからどこに案内してくれるってんだ?」

「し……喋……れる……か……」

「んじゃ喋らないでいいように心話でもかけるか?」

「ば、馬鹿! 殺す……ぞ……」


 調子を狂わされて慌てふためくフォウを笑い、さらに褒めてみる。


「はは、やっぱあんた、いい女だわ」

「言うな! 恥ずかしくはないのか! あ、あれ?」

「呼吸を楽にする呪文を使った。喋れるだろ?」

「下手に呪文使ったら結界に……」

「一応気は使ったぜ。下級呪文で、魔力も加減した。妖精の結界、だっけ? それが魔法を探知するのか?」

「魔法だけではなく、強力なマナを持つ存在も探知するし、瞬間転移系の呪文に干渉して正確な転移を不可能にもする」


 似たような道をいくつも通り過ぎ、なおも走る。


「範囲は集落全体か? そこまでの力を持つ妖精族……敵にしたくはなかったな」

「いや、今の妖精族は例外なく穏健派だ」

「だったらなんで……」

「結界が四代前の妖魔王に接収されちまったんだよ。そのときにどの結界も、半端に壊れて実用性が下がったそうだ。おっと、その店だ」


 言うなり足運びを歩みに変えたフォウは、客も見当たらない殺風景な岩屋に近づく。いくつかある棚にはほとんど何も乗っていないが、かろうじて干し果物らしきものが見て取れた。奥まった場所からずんぐりした老いた妖魔が、開いているのかも疑いたくなるような目をこちらに向けている。


「よう。今日の特売は胡瓜だったかな?」

「それより、いい苦芋があるよ。入りな」


 いろいろと心配になってきたヴァンだったが、よけたフォウの表情に促されるまま奥へ進む。

 小さく見えた岩屋の奥に、店よりもさっぱり片付いた部屋があった。城でも玉座を見たが、妖魔族の間では椅子は珍しいものでもないらしく、さまざまな見た目の妖魔たちが掛けている。フォウを加えて十一。


「どうぞ、冷たいですよ」


 しかし、金属の杯を差し出した女性はどこからどう見ても……


「ちょっと待ってくれ。人間がどうして……」

「いえ、私は人妖族、妖魔ですよ。似ているのは見た目だけです」


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