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ニ・ただいま

 涙を流すことをやめた雲は太陽に謝ろうと思っていた。

 ひとまず夜のうちに空の半分を解放し、太陽に玉座に戻ってもらおうとしたところで、やせ細った月の挨拶を聞いた。

 半泣きを誤魔化しながら挨拶を返す。優しげに目を細めた月は、太陽が目覚めるまでの話し相手として申し分ないように思えた。

 星々は安堵しつつ、ふたりのたどたどしい会話に耳をそばだてていた。


 ***


 ヴァンは遺跡の入口から外に踏み出しながらひとりごちる。


「久々の地上か。そうだよな、これが本当の夜の空気、夜の世界だ。新月が近いか。そういや、強化系呪文の類の効果が消えるのは明日辺りか……いや、明後日の深夜だな」


 急がねばという思い、そのためにヴァンは身体賦活が切れるギリギリまで無理を通すことにしたのだった。薬を使って休息不要の状態を維持し、寝ずに活動する。


 ヴァンが出てきた遺跡は巨石柱の階段に沿って飛行の呪文で飛んで着いた建造物だ。地上部分は大きな神殿のような造りになっている。神像や絵画が飾られていたと思われる場所には何もないため、何の建物だったのかはもはや推測するしかない──というのは、全知を使うほど興味を惹かれなかったためだが。

 教えられたとおりに右側に注意しつつ少し歩くと、明かりがかすかに漏れている廃屋が見つかった。屋根に穴が開いた家屋跡。

 壊れて開かないように偽装されている扉を一回、三回、二回と拍子を取って叩く。中から若い声が返ってきた。


「立ち去れ。ここには何もない」


 符丁である。何者か、用件は何かと聞いている。ひとつだけ符丁を混ぜて、後は普通に答える。


「熊を追っていて道に迷った。里のムゼッカの客でヴァンと言う。妖魔族の話を聞きたくてきた」


 扉を開けたのは、猫のような好奇心と蛇のような警戒心を瞳に宿した青年だった。背が低くて童顔なので少年と間違えるものもいるかも知れない。


「話は聞いてるよ。ムゼッカ様との勝負はどうなったんだい? まあ、その前に入ってくれ」


 中に入る。まったく生活感のない空間に見せかけた部屋を抜け隠し扉を通ると、天井に大穴の開いた部屋に出た。ここにはひと通りの生活用品……寝台、暖炉、湯沸し、鍋などが揃っている。臭い消しの香木の横で乳白色の鍋物が煮立っている。それをゆっくりかき回しているのは少女のようにも見える小柄な槍使いだった。


「お客さんだね、乳汁と鶏肉の煮物はどうだい? 今日のはよくできてるよ」

「それじゃ悪いが少しいただくか。汁は少なくていいから肉と野菜を適当に盛ってくれ」

「聞けよイオ、ここにいるのは身の程知らずのヴァン・ディールだぜ! 勝負の話を聞かせてもらおうじゃんか」

「へぇ! あんたがそうなのか。でもわざわざ地上まで来るんだ。何か大切な用事があるんじゃないかな?」

「そういうこと。あまり時間をかけたくないから勝負の話は簡単にすますぜ。何度も負けそうになったけど最後の最後で逆転勝ちした。おっと、ありがとさん。少し冷めるのを待って食わせてもらうぜ。熱いのは苦手でよ」


 手渡された煮汁の皿を床に置き、自分も床に座る。どうやらここで使われていたであろう椅子もすべて壊されていて残っていないらしい。さっきの神殿のような遺跡もそうだったので、ここの遺跡全体に言えることかも知れなかった。


「ロビン、早速だが妖魔族を追跡した時の話を聞きたいんだ。なるべく手短に頼む。詳しく聞きたいとこは質問を挟むから」

「やけに急いでるな。まず見つけたきっかけは……」


 ロビンの話をまとめるとこうなった。

 外に用を足しに行ったときに妖魔族の言葉と複数の足音が聞こえてきたので物陰から観察すると、七匹の妖魔族が連れ立って歩いているところだった。言葉は断片的に理解できたので彼らが何かを手に入れるために地上に出たと分かった。

 急いで相棒に、ひとりで追跡することだけ伝えると、気配を消して尾行し第二要塞遺跡に入るのを見た。出てくるのを待つか迷ったが結局中に入っていき、罠や魔物を解除・撃破していくつもの部屋を回るのを見、最終的に二階の広い部屋で旗のようなものを安置場所から取り出すのを目撃。直後に発見されて追いかけられることとなった。

 そこから逃走の話になろうとしたのでヴァンは話を止め、その旗のあった部屋のことと第二要塞遺跡の場所を詳細に尋ねた。


「間違いないな。その旗だ。置いてあった場所を調べてみればその働きも分かるだろう……全知じゃ分からなかったからな。たぶんこいつは隠蔽型の呪文で妨害されてるんだろう。話と鍋をありがとよ。来たばかりだが行ってくる」

「ヴァン・ディール、あんたが何をするつもりかしらないが、ロビンはあんたの味方だぜ。手伝えることがあったら遠慮なく言ってくれよな」

「そのときは頼む」


 誇らしげなロビンに笑い返して、ヴァンは空見の小屋を辞した。


 ***


「先生だいじょうぶかなー?」


 パティは寝台の上で寝返りを打ってルーシャの方を向きながらそう言った。


「万能魔術師に心配は無用。何食わぬ顔で帰ってくるって!」

「万能魔術師なんていないってアベルお爺ちゃんが言ってたよ?」

「そりゃそうよ。だってただのあだ名だもん」

「あだ名なの?」

「ヴァンは幼い頃から魔術が得意で、その上でおせっかい焼きだったの。困ってる人がいたらじっとしてられないって感じでね。で、いろんな厄介ごとに首を突っ込んでは、魔術で強引に解決したりしてたんだけど、面白くないのは同じくらいの歳の子供たちよね。で、万能魔術師ってあだ名を考えて広めることにしたの」

「褒め言葉みたいに聞こえるけど、なんでそんなことしたの?」

「ちょっと困ったふりをすれば勝手に魔術で解決してくれる便利な奴って意味なのよ。その噂が広まったら、困った人がヴァンの屋敷に押し寄せたわけ。それ以来、ヴァンはおせっかいを焼くのを我慢するようになったの。よっぽど家族に咎められたのね」

「詳しいよね、ルーシャさん。先生とは幼なじみなの?」

「うん。でも、その頃は仲違いしててね」

「え?」

「万能魔術師って呼び名を考えたの、実はあたしだったりして」


 パティが吹き出すと、ルーシャもつられて笑った。


「ねえパティ、呪文の練習はどう?」

「ぜんぜん駄目だよ。石が少し転がるだけで、飛んでいってくれないの。ルーシャさんの修行は? ちょっとだけやったでしょ?」

「やったことの意味が分からなかった。おじさ……師匠は、今はそれでいいって言ってたけど……」

「先生が見てくれてたらな~」

「そうね。何をあんなに急いでるんだろ? 何か隠してるのは間違いないんだけど……」

「キ・ハ様なら何か知っているかもしれませんね」


 口を挟んだのは瞑目したままの女虹使い。歳の頃は二十代前半と見えた。ふたりとも彼女の名前を知らないので、単に虹使いさんと呼んでいた。


「寝てると思ってた。あ、もしかして起こしちゃった?」

「いえ、起きていました。マナを探るには目を瞑っていた方がやりやすいのです。お気遣いに感謝します」

「あ、そういえばあたしね、虹使いじゃないけど、ノーム使ったことあるよ」

「ええ!?」


 思わず目を開ける虹使い。その瞳は鮮やかな青だった。


「そんなことができるのですか?」

「まあ、魔術で作った道具を使って、だけどね」

「なるほど……そういうものがあるんですね。……でも、少し悔しいです。確かに虹魔法は、魔法のうちでもっとも原始的で簡単なものとされていますが……」

「そうなの? 魔術より簡単?」

「パティ、虹魔法を教わった方がよかったとか思ってる?」


 ルーシャがいたずらっぽく尋ねると、パティは口を尖らせた。


「だって、文字って難しいんだもん……」

「確かに虹魔法なら文字の勉強もいりませんね。ほかの魔法にない特長もあるんですよ」

「どんなの?」


 パティとルーシャの声が唱和した。


「例えば攻撃呪文の質が違います。魔術で作り出した炎は純粋に魔法的な存在です。ですから裏切り者の鎧のような魔法を無効化する能力で完全に防がれてしまいます」

「虹魔法は違うの?」

「虹魔法の炎などは、半分は実体なんです。残り半分は魔法ですからあの鎧で効果が弱くなりはしますが、普通の炎の特性もあるので、鎧を熱したりして有効な攻撃ができるんです」

「じゃあ、倒れ石とかも?」

「はい。有効ですよ。それにしても、倒れ石まで使えてしまうんですか。割と高度な呪文なんですよ」

「使い手の精神的な強さが影響するとか言ってた」

「……ルーシャさんがすごい人だと解釈することにします」


 苦笑交じりに虹使いが言うと、ルーシャは機嫌よく笑った。


「先生の相棒だもん! ルーシャさんはすごい人だよ! ムゼッカさんの技でもっとすごくなるよ!」

「うん。あいつを見返すくらい強くなるからね!」

「……そのヴァン様の隠し事ですが、キ・ハ様に尋ねてみますか? 私も気になっているんです」


 その口調の真剣さに、ルーシャも考えこむ。


「虹使いは勘がいいって話よね。あたしもすごく気になるけど……」

「気になるなら行こうよ!」

「そうね。聞くだけ聞いてみようか」

「私はここに残ります。私には聞かせてくれないと思うので……。できたら、後で教えてくださいね」

「分かった」


 しかし、部屋を出たふたりはさして時間もかからずに帰ってきた。虹使いが視線で問いかけると、ルーシャは首を横に振った。


「今のあなた方にお伝えすることでもありません。時期が来れば分かりますよ、だってさ」

「そうですか……仕方ありませんね」


 表情には出さずに虹使いは落胆していた。教えてもらえなければそれは悪い知らせに間違いないと踏んでいたからだ。どこで知らせが止まったとしても。


「素直にもう寝ちゃって、明日の修行に備えようか」

「うん……ふぁ~……」

「それがいいかと……あ!」

「え? どうかしたの?」

「ルーシャさん、広場に誰か瞬間転移してきたよ! この感じ、先生とルーシャさんが帰ってきたときと同じだもん!」

「パティは待ってて! あたし見てくる!」

「え? ちょっと待ってください!」

「あたしも行くよ!」


 虹使いの静止も聞かず、ふたりは部屋を出ていってしまった。彼女は立ち上がって呪文を呟く。額に円環状の虹のような印が現れて、体内に染み入るように消えていった。扉が閉じ、部屋は無人となった。


 ***


 砂埃にまみれたマントとローブに身を包んだ青年が立っている。マントを外して振り、砂埃を払い落としている。それから左手でマントを持ち、右手でローブをはたいている。

 落とし終わると再びマントを身に纏って周囲をゆっくり見回す。いくつもの視線を感じていた。視線には警戒の色がありありと見て取れる。だが見られている当人はおかまいなしに深呼吸などしている。


「うーん、二年ぶりくらいかな? 嗅ぎ慣れた隠れ里の香り。相変わらず血の匂いが混じってる。まだ続いてるわけか」


 思い直して細い髪を指で梳こうとすると、指は途中で引っかかった。青年は苦笑してから、近づいてくるマナの方へ振り向いた。


「やあ、こんばんは。珍しいね、旅の人?」


 背後から近づいていたルーシャは、不意に振り返った男に警戒した。警戒を解かずに言葉を返す。


「どうして旅の人だと思うの?」

「里の民なら、正体が分からないうちに無闇に、それもひとりやふたりで近づいてきたりしないものだよ、お嬢さん。それが戦いにどっぷり漬かった人間の思考って奴なわけだ」

「やっぱりあんた、妖魔族?」


 警戒を強める。


「どうだろうねえ」


 薄い笑みを浮かべる痩せた青年の表情は読みづらい。

 戸惑っていると、不意に周囲に気配が現れた。里の若い戦士たちと魔術師、虹使い、その中にはアベルの姿もあった。


「ただいま、父さん」

「儂の息子なら必ず持っているものを、お主は持っておらんのう」

「ああ、服の埃を払うのに邪魔だから小さくしてしまったんだった」


 言うと、腰に指していた筆のようなものを取り出す。それは手の中で一秒と経たずに本来の大きさを取り戻した。木製の杖だった。


「もう少し試させてもらおうかの。儂の名前と自分の名前を問う」

「父さんはアベル、隠れ里の長老。僕はシュタイン・シュリーガー……ああ、ここを出たときはまだシュリーガーは名乗ってなかったかな。ちなみに僕は本当の子どもじゃなくて、捨てられていたのを父さんが拾って育ててくれた。まだ質問、ある?」


 アベルは返事の代わりにシュタインに近づいていった。


「親不孝者め……よくもまあおめおめと……」


 アベルは目を潤ませたままさらに歩み寄り、シュタインの胸を弱々しく叩いてから続けた。


「……よく帰ってきたのう。湯浴みの支度をさせる。いつもどおりでよいな?」

「ただいま。うん、水を張ってくれれば自分で温めるよ」


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