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一・美味しかった

 拍手と歓声と興奮は時の経過と共に少しずつ落ち着いていった。

 その中で、ヴァンは自分の名を大合唱する声を聞いた。それは怨嗟や呪詛でもなんでもなく、純粋な敬意と親しみ、それに祝福の合唱だった。強き者をとする里の風潮によって、人々のヴァンに対する評価が不信から好感へと変化したのである。

 一方で、ムゼッカの名の大合唱も起きていた。敗北はすれど良い戦いを見せ、一度はヴァンを窮地に追い込んだ里の英雄の人望は不動のもののようだ。

 不意に魔法で拡声されたキ・ハの声が聞こえた。


「見事な勝利でしたね。おめでとう、ヴァン。あなたに長老会からの賞品を用意しているわ。受け取ってちょうだい」


 結界を解除してからキ・ハを探すと、アベルの隣に立つ老婆の姿が目に入った。巻きついた鋼線を外し、貫通している針を抜いて治癒の呪文で傷を塞ぐ。

 歩み寄ってキ・ハの前に立つ。その様子は上空の投影の呪文でも映されていた。

 老婆は祝福の言葉を述べながら鳥の尾羽根のような形をした土気色の草を差し出した。高さ三十センチほどの大きな草だ。


「これは……もしかしてベヒーモスの尾なのか!?」

「博識ね。その通りよ。地のマナの豊富な場所にしか生えない、魔力を宿す草よ。魔術師のあなたなら使い道も分かるでしょう?」

「いくつもの用途がある薬草だ。いや、霊草と呼んだ方がふさわしい。いいのか?」

「ええ。疑問もあるでしょうけど、それは後で。今は受け取って」

「ありがたく頂いておく」


 小声でキ・ハが付け加える。


「夕食に呼ばれているの。ムゼッカの家で話しましょう」

「ああ。聞きたいことがたくさんある」


 頷くとキ・ハは背を向けた。傍らに控えていた虹使いらしき少女が振り返って手を高く上げると、群衆が割れて道ができた。そこを通ってキ・ハと少女が出ていく。どうやらお付きらしい。

 里の民たちも三々五々帰り始めた。ヴァンはムゼッカと共に広場から人が減るのを待つことにした。


「あー、やられたやられた。あんな奥の手を隠してやがったか。おっかねえ魔法だぜ。しかし実戦で役に立つのか、あれは?」

「実戦じゃ怖くて使えないさ。敵が単独だったとして、援軍が来ないとも限らない、乱入がないとも限らない、それが黒双牙に対処してるときだったらたまったもんじゃないからな」

「命令をひとつ終えるだけでお前さんに襲いかかってくんだろ?」

「そういうこと」

「なんであんなもん覚えたんだ?」

「師匠に命令されて渋々、だよ。戦闘の訓練にちょうどいいから、とさ。けど、それが役に立った」

「同じ奴に襲わせるのはうまい手だったな」

「初めて師匠にあれを見られたときは地形が変わるくらい攻撃魔法撃ちこまれたけどな」


 人は次第にまばらになってきた。ライチとヴァンの仲間たちが近づいてきた。


「先生すごい! ムゼッカさんに勝っちゃったね!」

「お見事な戦いでやした! 最後に出てきた獣がよく分からなかったでやすが」

「ああ、あれは……」


 説明に聞き入るホッグとパティに視線を向けたまま、ヴァンの意識は少し離れて見つめているルーシャのことでそぞろになっていた。

 と、ルーシャが近づいてきた。表情は読めない……ヴァンは内心で冷や汗をかきながら、ルーシャが言葉を発するのを待った。


「ヴァン……」

「お、おう。なんだ?」


 数秒の沈黙が何百倍にも感じられる。恐る恐るルーシャの目を見た。

 その目は──笑っていた。


「……おめでとう。これであたしも、修行に専念できる」

「へへ……ありがとよ。修行、しっかりな」

「任せといて!」


 パティは目をしばたたかせている。


「修行? ルーシャさん、何か修行するの?」

「おうさ! オレの辻風を叩きこむんだよ」

「すまんパティ。王都に行くのは少し遅くなりそうだ。時間がかかりそうならオレとパティふたりだけで向かって、話をつけて預けることになるかもな」

「心配すんな。時間はかけねえさ。辻風は基礎の型さえ身につければ、あとは発想次第でいろいろな使い方ができるからな。型だけ教えておしまいってわけよ」


 その言葉にヴァンは穏やかならざる感情を呼び起こされた。

 技を教えるのに型からというのは合理的ではあるが、そもそも誰かに短期間で覚えさせるという目的がなければ、自己流の戦闘術に型など考案しておく必要はないのだ。

 ムゼッカは自分の死が近いことを悟っていて、辻風を覚えやすい型に落とし込んだのだろう。恐らく書物か何かに残すつもりだったのだ。


「さぁて、オレたちもそろそろ帰ろうぜ。すっかり人もいなくなったしな。これで夕陽でも射してりゃ感傷的な雰囲気も出るんだがなあ。つくづく気の利かねえとこだぜ、地底ってのはよ!」


 急がねばならない。その思いがヴァンを捉えて離さなかった。この達人が無事なうちに、隠れ里の平和を確保し、謎のままのムゼッカの目的も達成せねばならない。


「ムゼッカ、話が終わったらオレはすぐ動くつもりでいる。問題ぜんぶとは言わないが、あんたの心配事はみんな掃除するくらいのつもりでな。だから、それが終わったらさ……」

「読めたぜ、ヴァン。何を言おうとしてるか、だいたいな。だがそういう台詞は、いいとこまで取っときな!」


 言って歩き始めてしまう。

 苦い笑いを浮かべるヴァンを、皆が不思議そうな面持ちで見つめる。


「どうしたの、ヴァン?」

「いや……爺さんにゃ敵わねえなって思っただけだ。さ、行くか」


 帰途に着く一行を、夕刻に似つかわしい一羽の烏が見送った。


  ***


 地上であれば完全に陽が沈み、やせ細った月が星々と仲直りして漆黒の天空に輝く頃。ヴァンたちはようやく食堂に呼ばれた。そこに待っていたのは、ムゼッカ、アベル、キ・ハ、なぜかルーシャ、ライチ、それにライチが腕によりをかけて作った料理の数々だった。

 その量は大人が二十人でも食べ切れないのではないかと疑いたくなるほど。品目は地底特有と思しき見慣れないものから、慣れ親しんだ地上の料理まで、ホッグも数えるのを諦めるほど多種多様だ。肉なら鶏、山羊、牛、魚が揃っているし、調理法から言えば煮付け、塩焼き、酢の物、和え物、揚げ物と揃い踏み。もちろん野菜や果物も豊富に使われている。食べ物に無頓着なヴァンもこれには感銘を受けざるをえなかった。


「来たわね、今日の主役が」

「ヴァンよ、見事な戦いじゃったぞ」


 ふたりの長老に続いて、ライチが笑顔で口を開いた。


「ごめんなさいね、すっかり遅くなっちゃった。ヴァンさんに賭けていた人たちが勝って手に入れた食材を持ってきてくれたから、品数を増やしたらなかなか終わらなくて……」

「驚きなさいよ。このルーシャさんも手伝ったんだから!」

「本当かよ……ルーシャ、料理できたっけ?」

「ふふふ。ライチのお陰で今回は完璧だから、食べて驚きなさい!」

「ちょっと苦労しましたけどね。でも助かりました」

「おうおう、さっさと座っちまえよ。いつまで経っても食えねえじゃねえか」

「おっとすまない……」


 全員が座るとムゼッカは杯を持った手をヴァンに向けた。


「さてと、乾杯の音頭はヴァン、頼むぜ」

「分かった。……今回はオレの郷里のやり方に合わせてもらおうと思う。勝者と敗者が同じ料理を囲むわけだから、乾杯の後は食べ終わるまで無駄話はなしで頼みたい。じゃあ、乾杯」


 静かな乾杯の唱和。しかしヴァンは、共有心話を全員にかけて、心話で続けた。


(悪いが今のは嘘だ。共有心話をかけたからこっちで話したい。万が一にも敵の耳に入るようなことがないためにな)

(おいおい。何をそんなに慎重になってやがんだ?)

(賭けに勝ったんだから、話してくれるんだろ?)

(そっちか。気が早えぇ奴だな)

(今晩にでも動き始めようと思ってるんだ。時間が惜しい)

(ヴァン、その前にあたしたちからいいかしら? あなたに言っていなかったことがあるから、すべて話しておきたいの)

(まあ、順番の上でもその方が混乱はなかろうの)

(もちろんかまわない。オレも疑問があるしな。例えば、ベヒーモスの尾とか)

(儂から話すかのう。先日は誤魔化したのじゃが、妖魔族が総力で里に攻め込めぬ理由を説明する。ベヒーモスの怒りを恐れておるのじゃ)

(魔獣ベヒーモスか。地の大精霊でもある。だよな、キ・ハ?)

(ええ。長老の家の裏手の洞窟、あの奥がベヒーモスの巣よ。ベヒーモスの尾もそこに生えるの。ベヒーモスの力でこの大空洞は安定した状態にあるのよ。一度、怒り狂ってしまったら大空洞は滅茶苦茶になってしまうでしょうね。妖魔族の集落も無事ではすまないわ)

(なるほど。それが敵の手が緩い理由か。派手にマナを使いすぎるとベヒーモスを刺激することになりかねないってわけだ)

(そうじゃ。そして、より気をつけねばならぬ理由というのがあっての。今ベヒーモスは常の状態ではないのじゃ)

(どういうことだ?)

(そこからはオレの話だな。ちょいとばかし長げえぞ。あれはライチが生まれる少し前だから二十二年くらい前か)

(あたしの歳は十八だから、誤解しないでね)

(そのころオレは遺跡潜りをしていた。仲間はヘインと……)


 ***


 時は二十二年ほど遡る。

 ヘインとその仲間は大陸随一の遺跡潜りだった。ただし、その名はほとんど知られていない。

 戦士ヘイン、業師ムゼッカ、魔術師クラメル、虹描きウィル、魔酒造りネルドファの五人だ。

 ちなみにすべて偽名。彼らが名を知られていない理由はここにある。本名を隠し、定期的に偽名を変えながら活動していたのだ。


 彼らの成し遂げた偉業は枚挙にいとまがない。マーヴァルや隣国の国家的危機を救ったことが三度、凶悪な魔獣を討ち果たしたことも七回に及ぶ。そのうちには二匹の成長したドラゴンも含まれている。

 もちろん邪教集団、盗賊団など、人間をも多数、敵に回してきた。名を変え続けたもうひとつの理由だ。報復を恐れてというよりは、報復が面倒だから、という理由だが。


「ムゼッカ~、お帰り~。どうだった~?」

「あんまりくっつくなネルドファ、おめえはいい女だが酒の匂いが移る! クラメル、あんたの言うとおりだったぜ。あのフランクって豪商、相当でかい組織の末端だ」

「そうであろう。大陸規模の勢力があるはずじゃ」

「そこまでは分からなかったが、歪んだ天秤ってのが組織の通称らしい。主要な構成員は全員が商人。こんな集団があるとはな!」

「商人だろうが貴族だろうが変わりがあるか? 頭を潰せばそれで片が付くだろう」

「分かってねえなヘイン。奴らは全員が幹部の椅子を狙ってるんだ。空席はたちまち埋まる。これまでの相手とは質が違うんだよ」

「うーん、僕はヘインに同意だな。そういう奴らなら、幹部になりたいって思いの方をくじいてから幹部を潰せばいいんじゃない? 派手な脅迫でもしてからさ」

「相変わらずウィルは過激~。ネルドファはそーゆーの、嫌いじゃないぞ!」

「そうじゃの。基本方針としてはウィルの考えどおりで、様子を見ながら必要な措置を講じていくということでよかろう」


 一度動き始めると、彼らの仕事は早かった。二ヶ月後には最高幹部三人の内、ニーズに本拠を持つコイルという男を追い詰めにかかっていた。

 コイルは魔術師でもあり、瞬間転移の呪文でヘインたちを広く薄暗い洞窟に運んだ。そこにはコイルの精鋭私兵たちが待ち構えていたが、それよりも座して人間たちを見下ろしている洞窟の主の方が問題だった。


「ベ、ベヒーモス!? ここ、ベヒーモスの巣だよ!」

「おいウィル! ベヒーモスってな何だ? あの馬鹿でかい獣のことだってのは分かるが。あれも敵か?」

「絶対攻撃しないで! 刺激しても駄目! あれは地の大精霊だよ! ドラゴンと同じかそれ以上に強いんだ!」

「それだけではないぞ屑ども。ここは人の住む地下空洞だ。こんなところでベヒーモスが怒りに任せて力を暴走させたらどうなると思う?」

「空洞全体が崩壊すると言いたいのじゃな? 自分も含めて多数の人間を人質にするとはどこまでも性根のねじ曲がった奴よ!」

「ムゼッカ、雑魚の半分を任せる。残りを殺してからオレがコイルを仕留める」

「逆だ馬鹿ヘイン! 雑魚は半分ずつだな。いいぜ」


 ヘインたちの戦いはあっけなかった。全員がそれぞれの技を極めた遺跡潜りなのだから、こと戦闘でそうそう遅れを取ろうはずがない。ヘインとムゼッカは同時に武器をコイルの急所に突き立てた。その瞬間にコイルは瞬間転移でベヒーモスの首の上に転移していた。しかしおびただしい出血は、明らかに致命傷を負ったことを物語っていた。


「うおおおあ! 終わりだ屑ども。私も死ぬが貴様らも道連れにしてくれる! この狂気の卵でな!」


 コイルは懐から取り出した禍々しい紫の光を放つ宝石をベヒーモスの首に押し当てた。するとそれはベヒーモスの体に埋まっていき、ベヒーモスは激しく苦しみだした。

 暴れるベヒーモスの上で瞬時に石となったコイルは落下し、土の上に落ちて粉々に砕け散った。


「まずい! あれは精霊には特に効果があるみたいだ! ベヒーモスを発狂させるつもりだ! 僕が抑えてくる! クラメル、反発力を強める呪文と転移をお願い!」


 クラメルのふたつ目の呪文でウィルはベヒーモスの首に取り付いた。そして必死に精霊語でベヒーモスをなだめる。ベヒーモスが沈静化するまで恐ろしく長い時間がかかったように思えた。


 ***


(あの時は本当にびっくりしたわ。折も折、ちょうど妖魔の侵攻の最中だったの。大精霊のほらに侵入者がいると聞いて、てっきり妖魔族だと思って精鋭の小隊を率いて入っていったらそんな場面に出くわしたんですもの)

(結局どうなったんだ?)

(狂気の卵はな、孵らねえようにウィルが魔力とマナを犠牲にして封印した。だが完全なものじゃねえって言うからオレがここに残ることにしたんだ。まあ、三幹部をぜんぶ始末してからだがな)

(じゃあ、おじさんが里の英雄になったのってそのときじゃないの?)

(いや、その場でキ・ハと事情を説明しあって、ならオレがってことで敵の大将を倒しに行ったんだ。居つくのは他のふたりを殺った後だから、少し間が空いたけどな)

(ヘインがニーズ付近にいたのはもしかして……)

(あー、だろうな。歪んだ天秤の挙動を調べるためだろう。山賊なら行商を襲っても不思議じゃねえが、もう少しマシな方法はなかったのかあの馬鹿……)

(疑問はだいぶ解けてきたな。あとは妖魔族の遺跡探索についてか)

(それについては儂らも本当に分からんのだ)

(まずそれから当たるかな)

(ねえ、話は終わった? もう声出していい?)

(ああ、いいぜ)


「ぷはー。美味しかった!」


 ルーシャのその声に、忍び笑いがひとつまたひとつと漏れ、それは徐々に大きな笑いへと変化していった。


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